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一章
靜安の時
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自分の身丈の倍近くはあるボイラーのスイッチをOFFにすると、上山は忙しい気持ちと安堵の気持ちが入り混じりながら呟いた。
「あと3日か…。」
思い返せば30になる直前、前の会社でリストラにあってからというもの 大した学もなく職歴も資格もない自分を 「やる気」という薄っぺらな一時の感情だけで採用してくれたこの会社に大きな恩があった。
それからの5年半、会社とこの店に まさに誠心誠意 捧げてきたと思う。
昔からあるノウハウをただ書面にしただけの 「お手製引継ぎファイル」を読み返してみると 重要な事はごく僅かで、本当に大切な事や 会社に密にしていること(例えば計上してない経費や重要な機器の故障などだが…)は 後を継ぐ 可哀想な責任者に耳打ちするかのように伝えている。
まぁ、辞める時なんてこんなもんかな。
立つ鳥跡を濁さずなんていう決まりきった約束事を会社にはして、現場では 社交辞令の如く 別れを惜しむ同僚がいて、みんな狭い箱(店)の中で良くも悪くも単調な日々のスパイスにしてる。
あと数日経てば ここでは綺麗サッパリいつもと同じ日が始まるんだ。
上山は事務所に戻り、あと数回しか開くことのない業務日誌のファイルを開けると、まるで1ヶ月後、1年後もここで働いているような やる気に満ち溢れる前向きな文を入力していた。
「本日は客数が昨年対比98%、気温が高い事も関係があると思うが 施設、サービスなど改めて見直したいと思う。」
そんな文面もやる気を見せるポーズに違いないのだが、会社はそれに満足し、退社まで残り3日に迫った人間に期待する。
上山悠二35歳、職業 サービス業。
一時期ブーム化したスーパー銭湯、昔ながらの情緒豊かな銭湯とは異なり 浴槽の数、種類も様々なアミューズメントパークだ。
もちろんテレビでお馴染みの聳え立つ様な富士山の絵なんか無いし、デッキブラシで浴槽をゴシゴシするような清掃の風景なんか無い。
清掃は最新鋭のポリッシャー(よく深夜のコンビニエンスストアで見かけるものと同型のもの)で床や浴槽を磨き上げる。
薪に火を焚べるわけでもなく、熱源はボイラーのスイッチ1つ、さらに数種類ある浴槽は水位、温度を全て制御盤1つで管理している。
覚えてしまえば、小学生にもできる作業だ。
しかし、上山はそんな単調な作業にすら5年半(正確には退社の意を告げるまでか…)誇りを持ってきた。
「店長もあと少しですね。」
そう話しかけてきたのは深夜4時過ぎ、いやもう早朝というべきなのか、恐らくこの日本で起床している人間が1番少ないだろうと思われるこの時間に出勤してきた江ノ島拓だった。
背が高くどこか女性的な ユニセックスという言葉がピッタリ当てはまる中性色の強い男だ。
この江ノ島は入社して半年なのだが、上山の唯一の右腕となる男だ。
上山自身、仕事とプライベートは分離する性分で名前で呼ぶような事はパートスタッフですら過去にないのだが、江ノ島に対してはなぜか 「拓」と呼び、自らの考えを話せる中だった。
そんな堅物な上山は過去に何人もの部下(社員)
や上司を見送っていった。
入社3日に逃げるように去っていった人間もいれば、上山に指導していた 元店長やマネージャーも 何かをやり切った、または何かに絶望をしたかのような面持ちで 背中を見せ去っていった。
アイドルがグループから脱退するように この箱会社から卒業をしていった人間は多い。
上山もこの会社を卒業する。
そして 「リセット」したいと思う。
上山はよく、この「リセット」という言葉を口にする。
何かに悩んで頭を切り替えたい時、深い悲しみや憎しみの気持ちを抱いた時。
1度 自らの思考回路や煩悩などを
強制的に「リセット」する。
上山が、この「リセット」をするきっかけになったのは中学3年の時。
彼は特段、これといった特技や、人の目を惹く容姿でもなかった。
強いリーダーシップもなければ、発言力も無い、いわゆるどこにでもいる
「芯が無い人間」だった。
だが、彼はクラスの中心グループの1人にいた。
今思い返すと、身の丈を知らない。
いや、自分の身の丈の存在すら感じることができない人間だったのかも知れない。
上山には好きな子がいた。
背丈は当時の上山の身長より10cm程高く、中学生にしては容姿端麗な女の子だった。
それでいて動物が好きで 放課後よくクラスで飼っていたネズミ(おそらくハムスターなのだが)にエサをあげている姿をいつも横目で見ていた。
そんな彼自身 気づいてはいなかっただろうが、おそらくクラスの中心グループにいることで彼女の目を引きつけようとしていたのだと思う。
彼の初恋とでも言うべきか、頭の中に常に生と性が入り混じった思春期の孤独とストレスを 唯一緩和してくれる、そんな存在だった。
そう、「リセット」をするまでは。
「あと3日か…。」
思い返せば30になる直前、前の会社でリストラにあってからというもの 大した学もなく職歴も資格もない自分を 「やる気」という薄っぺらな一時の感情だけで採用してくれたこの会社に大きな恩があった。
それからの5年半、会社とこの店に まさに誠心誠意 捧げてきたと思う。
昔からあるノウハウをただ書面にしただけの 「お手製引継ぎファイル」を読み返してみると 重要な事はごく僅かで、本当に大切な事や 会社に密にしていること(例えば計上してない経費や重要な機器の故障などだが…)は 後を継ぐ 可哀想な責任者に耳打ちするかのように伝えている。
まぁ、辞める時なんてこんなもんかな。
立つ鳥跡を濁さずなんていう決まりきった約束事を会社にはして、現場では 社交辞令の如く 別れを惜しむ同僚がいて、みんな狭い箱(店)の中で良くも悪くも単調な日々のスパイスにしてる。
あと数日経てば ここでは綺麗サッパリいつもと同じ日が始まるんだ。
上山は事務所に戻り、あと数回しか開くことのない業務日誌のファイルを開けると、まるで1ヶ月後、1年後もここで働いているような やる気に満ち溢れる前向きな文を入力していた。
「本日は客数が昨年対比98%、気温が高い事も関係があると思うが 施設、サービスなど改めて見直したいと思う。」
そんな文面もやる気を見せるポーズに違いないのだが、会社はそれに満足し、退社まで残り3日に迫った人間に期待する。
上山悠二35歳、職業 サービス業。
一時期ブーム化したスーパー銭湯、昔ながらの情緒豊かな銭湯とは異なり 浴槽の数、種類も様々なアミューズメントパークだ。
もちろんテレビでお馴染みの聳え立つ様な富士山の絵なんか無いし、デッキブラシで浴槽をゴシゴシするような清掃の風景なんか無い。
清掃は最新鋭のポリッシャー(よく深夜のコンビニエンスストアで見かけるものと同型のもの)で床や浴槽を磨き上げる。
薪に火を焚べるわけでもなく、熱源はボイラーのスイッチ1つ、さらに数種類ある浴槽は水位、温度を全て制御盤1つで管理している。
覚えてしまえば、小学生にもできる作業だ。
しかし、上山はそんな単調な作業にすら5年半(正確には退社の意を告げるまでか…)誇りを持ってきた。
「店長もあと少しですね。」
そう話しかけてきたのは深夜4時過ぎ、いやもう早朝というべきなのか、恐らくこの日本で起床している人間が1番少ないだろうと思われるこの時間に出勤してきた江ノ島拓だった。
背が高くどこか女性的な ユニセックスという言葉がピッタリ当てはまる中性色の強い男だ。
この江ノ島は入社して半年なのだが、上山の唯一の右腕となる男だ。
上山自身、仕事とプライベートは分離する性分で名前で呼ぶような事はパートスタッフですら過去にないのだが、江ノ島に対してはなぜか 「拓」と呼び、自らの考えを話せる中だった。
そんな堅物な上山は過去に何人もの部下(社員)
や上司を見送っていった。
入社3日に逃げるように去っていった人間もいれば、上山に指導していた 元店長やマネージャーも 何かをやり切った、または何かに絶望をしたかのような面持ちで 背中を見せ去っていった。
アイドルがグループから脱退するように この箱会社から卒業をしていった人間は多い。
上山もこの会社を卒業する。
そして 「リセット」したいと思う。
上山はよく、この「リセット」という言葉を口にする。
何かに悩んで頭を切り替えたい時、深い悲しみや憎しみの気持ちを抱いた時。
1度 自らの思考回路や煩悩などを
強制的に「リセット」する。
上山が、この「リセット」をするきっかけになったのは中学3年の時。
彼は特段、これといった特技や、人の目を惹く容姿でもなかった。
強いリーダーシップもなければ、発言力も無い、いわゆるどこにでもいる
「芯が無い人間」だった。
だが、彼はクラスの中心グループの1人にいた。
今思い返すと、身の丈を知らない。
いや、自分の身の丈の存在すら感じることができない人間だったのかも知れない。
上山には好きな子がいた。
背丈は当時の上山の身長より10cm程高く、中学生にしては容姿端麗な女の子だった。
それでいて動物が好きで 放課後よくクラスで飼っていたネズミ(おそらくハムスターなのだが)にエサをあげている姿をいつも横目で見ていた。
そんな彼自身 気づいてはいなかっただろうが、おそらくクラスの中心グループにいることで彼女の目を引きつけようとしていたのだと思う。
彼の初恋とでも言うべきか、頭の中に常に生と性が入り混じった思春期の孤独とストレスを 唯一緩和してくれる、そんな存在だった。
そう、「リセット」をするまでは。
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