サブスク男子

ここのか 葉月

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パンドラの箱①

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 訊かなくちゃ。

「ねぇ、どういうこと? これじゅんちゃんのだよね?」

 見つけたアクセサリーを依子さんの前に突き出す。

「ぼくのこと騙してたの? 依子って嘘の名前まで教えて」
「嘘じゃないよ。わたしの名前は音無依子。薫くんが勝手に『じゅんちゃん』って呼び出しただけだよ」
「そんなわけないじゃないか。これに『JUN』って刻まれてるもん」

 刻まれていた部分を依子さんが見えるようにする。
 そういうことだったのね、彼女がクスクスと笑う。

「なんで笑うんだよ! ぼくのことバカにしてんの!?」
「違うわよ。可愛いなぁって」
「か、かわいい…… やめてよ! ぼくは可愛いって言われたくて仕事を始めたわけじゃないんだ。見返してもらおうと、いい男だったのねって見直してもらうために頑張ってたんだ。男らしくなって、隣にいてもいいって言って欲しくて」

 だからまだ会いたくなかった。

「それってわたしと一緒にいたいってこと?」
「ずっと言ってたじゃん! 一緒にいたいって。会った日も家から追い出された日も。側にいたいって」

 彼女はぼくに抱きついた。

「わたしもね、薫くんのこと気に入ってたの。離したくなくて本当は仕方がなかった」

 ホントに? 依子さんがコクンと頷く。

「信じていいの?」
「信じてよ!」

 ぼくたちは通じ合っていたんだ。

「ねぇ、わたしたちこのままずっと一緒にいよ?」
「うん、もちろんだよ」

 じゃあ、依子さんはしゃがみこんだ。サイドテーブルからアクセサリーボックスを取り出し、奥の方をゴソゴソしている。
 あのね、背中になにかを隠すようにして振り返った。

「これ、気持ちが通じ合ったらあげようと思ってたの」

 差し出されたのはベルベットの箱に入ったドッグタグだった。『YORIKO』と刻まれているのと『KAORU』の二本ある。
 わたしのはこっち、と『KAORU』を手に取り、依子さんは自身の首に掛ける。

「逆じゃない?」

 これでいいの、と口角をあげ、もうひとつのドッグタグを手にとる。

「着けてあげる」

 ぼくは屈んで頭を垂れた。彼女の胸が顔に近づく。微かにあの香水と同じ甘い花のかおりが鼻をくすぐって、首にちょっとした重みが加わった。決して不快なものではない。これでぼくは依子さんのものになったと認識できる。

「気に入った?」

 うん、と顔をあげる。そして手を取り、
「これでぼくはもう依子さんのモノだからね…… 嫌っても絶対に離れたりしないんだからね? わかった?」
「うん、もちろんだよ」

 ぼくはそのまま依子さんを抱き締めた。胸に顔を埋めて、ぐりぐりと花のかおりを堪能する。

「匂いつけられてるみたい」
「そうだね。ちゃんとぼくという相手がいますってしるしをつけておかなくちゃ」



 ***
 気がつけば、オレンジ色の光で包まれていた部屋は朝になっていた。隣にはぼくにしがみつくようにして眠る依子さんがいる。

「カワイイナ」

 ぎゅっと抱き締め、依子さんの頭に鼻を擦り合わせた。依子さんの髪は優しい色をしている。つけている香水と同じ匂いがする。だけど今朝はいつもの甘い花のかおりだけじゃなく、ぼくという匂いが加わっていた。『ぼくの』という実感がわいて、口許が緩む。
 あっ、とあることを思い出した。『サブスク男子』を始める時の注意点。
『責任を取れないことはしちゃダメ。同じ屋根の下うんぬんっていうのは絶対ダメ』
 約束、破っちゃったな。大石さんのためにも成功させなくちゃならなかったのに。
 どうしたもんかと依子さんをベッドに残し、隣の部屋のリビングをうろつく。誤魔化し通すことも考えたが、どうせなら仕事を辞めたい。依子さんとずっと一緒にいるって約束したし、仕事を続けてほかの女性のもとに行くのは気が引ける。責任うんぬんはこの際関係ない。責任を取るのだから問題ない。
 よしっ! ぼくは仕事用のスマホを手に取り操作する。
 大石さんへの定期連絡。ホウレンソウは社会人としての常識。

『お疲れ様です。ぼく、音無依子さんと一緒になるって決めました。お客様とそういう仲になっちゃダメだって言われてましたけど、責任をとれば大丈夫ですよね? ていうか、責任をとります!』

 メッセージの送信ボタンを押して気がついた。これってホウレンソウと言うより、事後報告なんじゃないかと。どっちだろうなんて首をひねっていると、スマホから大音量の着信メロディが流れだした。まだ依子さんが寝ているのに。慌ててスワイプする。

「あなた、本気なの!?」

 すごい剣幕だ。めちゃくちゃ怒ってる。

「ごめんなさい。だけど依子さんとはずっと一緒にいたくて。折角ですがお仕事の方も……」

 はぁ…… 耳もとに盛大なため息が届いた。約束を守れなかった上に、紹介してくれた仕事までムダにしてしまったのだから、やりきれない気持ちにさせてしまったのかもしれない。

「ダメですか?」

 ダメも何も…… スマホの向こう側で、大石さんが頭を抱えている姿が目に浮かぶ。

「薫ちゃんは、音無さんの本音っていうか、本性っていうか、なんかこう全部よ! 全部を知って一緒になるって決めたの?」

 まるで依子さんが難癖つけるお客様みたいな言い方だ。初めのうちは常連客をメインにサブスク男子を提供してるって言ってたけど、実はほかの常連客とは違って依子さんだけは低評価の口コミとか書いちゃう人なんだろうか。

「責任はとります! 新規事業に悪評をつけることはしません!」
「そういうことじゃなくてぇ、あなたが心配なのよ。上手いこと乗せられちゃったんじゃないかって。あなたを音無さんのもとに行かせたわたしが悪いんだけど」

 もしかしてクレーマーへの生け贄にしてしまったと後悔しているのだろうか。最初は『じゅんちゃん』そっくりで驚いたけど、本人だったし、ぼくにとって上客だったんだけどな。都合の良い展開だったし。

「全然、大丈夫です。むしろ願ったりかなったりになったんで」

 これから朝ごはんの準備をしなくちゃならないと告げる。大石さんはしぶしぶ通話を切ってくれたが、あとで納得できるまでお話しましょうと念をおされた。納得出来ないのは大石さんだけなのだが。

「誰かと電話?」

 背後に寝起きの依子さんがシーツにくるまった姿で立っていた。

「うん、職場に定期連絡してたんだぁ」

 駆け寄って依子さんを抱き締める。まだ寝てていいんだよ、彼女の頭を撫でると「一緒にいたいから」と抱き締め返してくれた。
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