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20XX年02-28
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今日は夕方近くに起きてしまった。
全く以て不規則な生活である。
好きな時間に寝て、好きな時間に起き、また好きな時間に寝る。
こんな事は駄目だと解っているものの、一向に改善する傾向が無いのである。
仕事してない時なにやってるの?と聞かれよう物なら「何もして居ない!」と即答出来る程に何もして居ないのだ。
答えは簡単で「面倒臭い」からである。
まぁ、そんな中でもコーヒーは毎日毎日煎れ続けて飲んでいる日々だ。
かなり引き籠もりなのである。
マイノリティを自覚している俺にも、ここ数日マイノリティに反する事を始めた。
それは「ドラマ」を見る事である。
元々ドラマは嫌いな訳ではなく、かなりのテレビっ子だったのだが、地デジ化が進む時代に丁度テレビが壊れ、しかも当時はネットの方に興味が移り「テレビ無くても良くね?」てな感じでテレビはその時から観なくなったのだった。
テレビを観なくなって数十年、昨今はネット配信等も増えて幾多のドラマもネットで観れる環境になった。
何時もならアニメしか観ていないのだが、なんの気無しに耳にした事のある「孤独のグルメ」を観るようになった。
オッサンが飯を只食べているだけのドラマである。
正直な感想で「面白い」と言うか「安心感」のあるドラマだった。
敢えて穿った言い方をすれば「嫌悪感を抱かないで観れる」ドラマである。
チラッと昨日観た別のドラマは、演技を盛りすぎて観てるだけで「嫌悪感」しか無い様なドラマだったのだった。
何と言うか、ドラマ映像関係にもアニメと同じ様な現象が起きていると少し感じてしまったのである。
アニメ関係では「なろう系」とディスりの意味合いの主人公転移無自覚無双系が多く、日常系も増えて来た。
自分の中では、演出盛り盛り系と自然体系に分類している。
今回観た孤独のグルメは、自然体系でアニメ枠での日常系にカテゴライズされるのだろうと感じたのだった。
アニメもドラマも押し付けがましい過剰な演出は、歳をとったせいなのか観ていて嫌悪感しか湧かなくなってしまったのだ。
何と言うか、InstagramやTIK TOK系そのままの演出がドラマで再現されてる感じがしたのである。
当然ドラマはドラマと割り切って楽しむ事は出来るのだが、あからさまにわざとらしい「盛り」が見える演技は、演出として楽しめる範疇を超えて一気に萎えてしまうのだった。
その辺のケジメが出来てる孤独のグルメは「演出としての演技」と「自然体」のメリハリが有るので観ていて普通に楽しめるドラマだった。
ここで気付いたのは、時代が変りである。
役者が演技をするのだが、キムタクがドラマ引っ張りだこの時代、キムタクの演技は「普通の人に見せる演技」が上手かったんじゃないのかと今だから理解出来る。
所謂「共感」である。
見てる側に「共感」させる演技に長けていたからこそキムタクは凄かったんだなぁと。
ただ、最近の観たドラマは「共感」出来ない所が多いと感じたのである。
逆に云えば、1周して今の「共感」出来ない演出になってるのでは無いだろうかとも思えた。
それは「羅生門」の演出と、嫌悪感を抱いたドラマと脳内でシンクロしたからである。
1950年代は敢えて「わざとらしい」演出がされている。
これは憶測だが、「歌舞伎」がルーツなのでは無いかと思った。
「歌舞伎」は大袈裟な演出がされている。
それはそれで「演出」と分かりきって居るので「共感」とは関係なく「娯楽」として楽しめる。
いや、多分当時でも「歌舞伎」の真似をコミュニケーションの一環として生活に取り入れている人も居たかもしれない。
まぁ、今で言う「ギャグ」として会話の中に入れるという事だ。
しかし、生活の全てを「歌舞伎」の真似をして居た人は居ないだろう。
普通、そんな事をしてたら「真面目にやれ!」と怒られそうだからである(笑)
仮に歌舞伎の過剰演出を、現代のInstagramやTIK TOKと並べて考えると、どうだろう?
うん。
根本が違う気もするが、演出のレベルが違い過ぎて言葉が出てこなくなった(笑)
いや、ノリでとか……多分、現代はそういう事なんだろうけど、「盛り」は演出として中途半端だし、その中途半端の「盛り」をドラマで「演技」するのも中途半端で「演出」も楽しむ事が出来ないのである。
いや、特にだからどうと言う事でも無いし、嫌なら観なきゃ良いだけなんだが。
ただ、これからを支える「日本の質」は下がってるなと感じたのだった。
めんどくさがり屋の引き籠もりが言えることでは無いのだが(笑)
まあ、そんな感じで明け方にコンビニに行き、牛乳と豆乳とタバコを買って来た。
そして、ゴクゴクと豆乳を飲み過ぎたらお腹が下がってるなうである。(爆)
他に食べたものは4個入のクロワッサンとチョコだ。
そう言えば、孤独のグルメの劇中に主人公が「また食べたくなったら新幹線に乗って食べに来れば良いか!」といったセリフがあったのだが、そこは普通に材料買って自分で作れよ!と思ってしまった。
これに関してはどちらが多数派なんだろうと。
確かにその土地土地でしか手に入らない物なら理解出来るのだが、何処でも手に入る一般的な材料で、直ぐ作れそうな物をワザワザ新幹線に乗ってまで食べに行くのかなぁ?と思ってしまった。
解るよ。その場所で食べるから良いんじゃん!て事は。
しかしその部分だけは「共感」は得れなかったのである。
勿論「面倒臭い」からだ(笑)
ま、そもそも俺の場合は、作るのも材料を買いに出るのも面倒臭いので動かない訳だが……
そう考えて、俺の欲求って何なんだろうと思ったのである。
人間の三大欲求で「食欲」「色欲」「睡眠欲」とあるのだが、どれも当てはまらない。
強いて云えば「無意欲」の「欲求」が一番高い。
「何もしたくない」為に「何かをしている」と言った方が正解だろう。
何とも矛盾している。
ある意味「面倒くささ此処に極めれり」である。
空腹時でも面倒くささが勝てば食べない。
色欲は特に何とも無いので敢えて風俗に行ったりとかも無い。
そんな面倒臭い事はしない。
眠くなくても、一番楽にできるので寝るのが容易くて寝る。
ただそれだけである。
「無意欲欲求」が強いのかもしれない。
そんな言葉あるのかな?
まぁ、「無意欲」を糧に「欲求」を満たすのも悪くは無いかな?と思っている。
全く以て不規則な生活である。
好きな時間に寝て、好きな時間に起き、また好きな時間に寝る。
こんな事は駄目だと解っているものの、一向に改善する傾向が無いのである。
仕事してない時なにやってるの?と聞かれよう物なら「何もして居ない!」と即答出来る程に何もして居ないのだ。
答えは簡単で「面倒臭い」からである。
まぁ、そんな中でもコーヒーは毎日毎日煎れ続けて飲んでいる日々だ。
かなり引き籠もりなのである。
マイノリティを自覚している俺にも、ここ数日マイノリティに反する事を始めた。
それは「ドラマ」を見る事である。
元々ドラマは嫌いな訳ではなく、かなりのテレビっ子だったのだが、地デジ化が進む時代に丁度テレビが壊れ、しかも当時はネットの方に興味が移り「テレビ無くても良くね?」てな感じでテレビはその時から観なくなったのだった。
テレビを観なくなって数十年、昨今はネット配信等も増えて幾多のドラマもネットで観れる環境になった。
何時もならアニメしか観ていないのだが、なんの気無しに耳にした事のある「孤独のグルメ」を観るようになった。
オッサンが飯を只食べているだけのドラマである。
正直な感想で「面白い」と言うか「安心感」のあるドラマだった。
敢えて穿った言い方をすれば「嫌悪感を抱かないで観れる」ドラマである。
チラッと昨日観た別のドラマは、演技を盛りすぎて観てるだけで「嫌悪感」しか無い様なドラマだったのだった。
何と言うか、ドラマ映像関係にもアニメと同じ様な現象が起きていると少し感じてしまったのである。
アニメ関係では「なろう系」とディスりの意味合いの主人公転移無自覚無双系が多く、日常系も増えて来た。
自分の中では、演出盛り盛り系と自然体系に分類している。
今回観た孤独のグルメは、自然体系でアニメ枠での日常系にカテゴライズされるのだろうと感じたのだった。
アニメもドラマも押し付けがましい過剰な演出は、歳をとったせいなのか観ていて嫌悪感しか湧かなくなってしまったのだ。
何と言うか、InstagramやTIK TOK系そのままの演出がドラマで再現されてる感じがしたのである。
当然ドラマはドラマと割り切って楽しむ事は出来るのだが、あからさまにわざとらしい「盛り」が見える演技は、演出として楽しめる範疇を超えて一気に萎えてしまうのだった。
その辺のケジメが出来てる孤独のグルメは「演出としての演技」と「自然体」のメリハリが有るので観ていて普通に楽しめるドラマだった。
ここで気付いたのは、時代が変りである。
役者が演技をするのだが、キムタクがドラマ引っ張りだこの時代、キムタクの演技は「普通の人に見せる演技」が上手かったんじゃないのかと今だから理解出来る。
所謂「共感」である。
見てる側に「共感」させる演技に長けていたからこそキムタクは凄かったんだなぁと。
ただ、最近の観たドラマは「共感」出来ない所が多いと感じたのである。
逆に云えば、1周して今の「共感」出来ない演出になってるのでは無いだろうかとも思えた。
それは「羅生門」の演出と、嫌悪感を抱いたドラマと脳内でシンクロしたからである。
1950年代は敢えて「わざとらしい」演出がされている。
これは憶測だが、「歌舞伎」がルーツなのでは無いかと思った。
「歌舞伎」は大袈裟な演出がされている。
それはそれで「演出」と分かりきって居るので「共感」とは関係なく「娯楽」として楽しめる。
いや、多分当時でも「歌舞伎」の真似をコミュニケーションの一環として生活に取り入れている人も居たかもしれない。
まぁ、今で言う「ギャグ」として会話の中に入れるという事だ。
しかし、生活の全てを「歌舞伎」の真似をして居た人は居ないだろう。
普通、そんな事をしてたら「真面目にやれ!」と怒られそうだからである(笑)
仮に歌舞伎の過剰演出を、現代のInstagramやTIK TOKと並べて考えると、どうだろう?
うん。
根本が違う気もするが、演出のレベルが違い過ぎて言葉が出てこなくなった(笑)
いや、ノリでとか……多分、現代はそういう事なんだろうけど、「盛り」は演出として中途半端だし、その中途半端の「盛り」をドラマで「演技」するのも中途半端で「演出」も楽しむ事が出来ないのである。
いや、特にだからどうと言う事でも無いし、嫌なら観なきゃ良いだけなんだが。
ただ、これからを支える「日本の質」は下がってるなと感じたのだった。
めんどくさがり屋の引き籠もりが言えることでは無いのだが(笑)
まあ、そんな感じで明け方にコンビニに行き、牛乳と豆乳とタバコを買って来た。
そして、ゴクゴクと豆乳を飲み過ぎたらお腹が下がってるなうである。(爆)
他に食べたものは4個入のクロワッサンとチョコだ。
そう言えば、孤独のグルメの劇中に主人公が「また食べたくなったら新幹線に乗って食べに来れば良いか!」といったセリフがあったのだが、そこは普通に材料買って自分で作れよ!と思ってしまった。
これに関してはどちらが多数派なんだろうと。
確かにその土地土地でしか手に入らない物なら理解出来るのだが、何処でも手に入る一般的な材料で、直ぐ作れそうな物をワザワザ新幹線に乗ってまで食べに行くのかなぁ?と思ってしまった。
解るよ。その場所で食べるから良いんじゃん!て事は。
しかしその部分だけは「共感」は得れなかったのである。
勿論「面倒臭い」からだ(笑)
ま、そもそも俺の場合は、作るのも材料を買いに出るのも面倒臭いので動かない訳だが……
そう考えて、俺の欲求って何なんだろうと思ったのである。
人間の三大欲求で「食欲」「色欲」「睡眠欲」とあるのだが、どれも当てはまらない。
強いて云えば「無意欲」の「欲求」が一番高い。
「何もしたくない」為に「何かをしている」と言った方が正解だろう。
何とも矛盾している。
ある意味「面倒くささ此処に極めれり」である。
空腹時でも面倒くささが勝てば食べない。
色欲は特に何とも無いので敢えて風俗に行ったりとかも無い。
そんな面倒臭い事はしない。
眠くなくても、一番楽にできるので寝るのが容易くて寝る。
ただそれだけである。
「無意欲欲求」が強いのかもしれない。
そんな言葉あるのかな?
まぁ、「無意欲」を糧に「欲求」を満たすのも悪くは無いかな?と思っている。
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