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エピローグ ~One Month After~
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「今日、祭りがあってな。花火が上がるんだけど、見にこないか?」
「行く行く! もちろん!」
電話の向こうで応えた舞由の表情を想像して、彼は小さく微笑んだ。
「じゃ、晩飯も、どっかで食うか」
「そうだね。……ね、早めに行っていい?」
「別にかまわないけど……あ、まった」
「なに?」
「悪い。仕上げたい絵があるんだ。……そうだな、五時くらいなら、大丈夫だと思うけど……」
「私は別にかまわないよ。蒼くんが絵を描いているとこ見るの、好きだし」
「おれが恥ずかしい」
「え? あ!」
すぐに彼女は、それがなんの絵であるか気づいたようだった。
「できるの?」
「だから、今日、最後の仕上げ」
「見に行く! すぐに行く!」
こうなってしまえば、もう何をいっても無駄であるということを彼は知っていたので、大きなため息で応えた。
「わかったわかった。……じゃ、待ってるから」
「うん!」
電話の向こうで大きくうなずいて……もちろんその様子が見えるはずはないのだけれども、彼は「きっと舞由はそうしているだろう」と思っていた……舞由は電話を切った。
彼はもう一度ため息をついて、頭の中で、彼女が家に来る前に、あの絵を仕上げられるかどうか、時間を計算してみた。
結局、舞由が訪れた時間には、彼は絵を仕上げることはできなかった。絵の具で汚れたエプロンをつけたまま、舞由を出迎えた彼は、
「お」
驚きの表情を浮かべた。
彼の目の前で「えへへ」とはにかんだのは、浴衣姿の舞由だった。普段着、学校の制服、弓道着、どれも見慣れてきていたので、その姿は、意外に新鮮だった。
「へえ。なかなかいいもんだな」
素直に彼の口から言葉がもれ、
「でしょ?」
舞由はにこりと笑った。そんな舞由に、けれども彼は、
「でも、そのカッコじゃ、部屋、入らないほうがいいぞ」
「え? あ、そっか」
どうやら彼女は、そこまで考えていなかったらしい。彼の指摘に、舞由は「うーん」と、真剣な表情で悩み始めた。そんな彼女の様子に、彼はため息をついて、
「悩むのはあとにして、とりあえず上がれ。……麦茶でも出すから」
結局舞由は、彼と同じようにエプロンをつけて、二階にある彼の部屋に上がった。浴衣にエプロン、というのはそれはそれでなかなか見れるものではない取り合わせではあったが。
彼の部屋に入った舞由は、部屋の中央に置かれている一枚の絵に目をとめた。
弓を引き絞り、的を見据えた、弓道着姿の舞由。
それを見た彼女の表情が、ぱっと明るくなる。
「うわぁ……」彼女は感嘆の声を漏らし、「もう、完成?」蒼に問うた。
「もうちょい」
彼は応えて、絵の前に座る。そして彼は水のはいったバケツに無造作につっこんであった絵筆を取って、水を切ると、パレットの上の絵の具を、筆につけた。
「最後の仕上げ」なので、残っている作業は、細かいところの色を整えたりといった、ごくごく地味な作業ではあったが。
真剣な目で絵を前にして色を塗り続ける蒼の姿を、舞由は楽しそうに見つめていた。
そして。
大きく息をつきながら、蒼が絵筆をバケツにつっこむ。そして絵から数歩離れて全体の状態を眺めて小さくうなずくと、舞由の方に目を向けた。
「ま、こんなもんにしとくか」
彼のその一言に、舞由が目を輝かせる。
「それ、私、今日持って帰ってもいい?」
「ああ」彼は苦笑しながらうなずき、腕時計を見た。「これから出て、帰ってくれば絵の具も乾いているだろうし。持って帰りたきゃ、帰りにまた、うちに寄ってくれ」
「うん、そうする」
舞由は明るくうなずいた。
「じゃ、後かたづけして着替えるから、下でテレビでも見ててくれ」
「うん」
星をちりばめた夜空に、花火が輝く。
それに遅れること数瞬。「どーん」という爆音が、彼らの耳に届く。舞由は無邪気に、その光景を喜んでいた。
うれしそうに花火を見上げる舞由の横顔をじっと見つめていると。不意に舞由が、彼のほうに向きなおった。
「どうしたの?」
「いや、別に……」彼は微笑んで、「楽しそうだな、って思って」
「うん、楽しい」舞由は素直にうなずいた。そしてまた、新たに打ち上がった花火に、目を向け直す。そんな彼女の横顔を見ながら、
「前から聞こうと思ってたんだけど、いいか?」
「なにを?」
花火から目をそらすことなく、舞由は応えた。
「おれの『組曲』。……どうして、あの絵の向こうに、おれが誰かを描いたっていうの、わかったんだ?」
舞由は、彼に目を向け、そしてにこりと笑った。
「わかるよ。そのくらい。……前にもいったと思うんだけどさ。蒼くんの絵ってね、蒼くんが思っているよりもずっと、雄弁なんだよ」
「雄弁?」
「うん。あの『組曲』なんか、特にね。画用紙いっぱいに『あなたが好きです』って、描いてあるんだもん」
「……そうか……」
その応えが納得できなかったのか、蒼は少し考えながら、うなずいた。と、不意に。舞由は何かを思いついたらしく、
「そうだ、蒼くん」
「ん?」
「あの絵のお礼、したいんだけど。……何かほしいもの、ある?」
「は?」彼は間の抜けた声を返した。「お礼なんてしてもらうほどのことでもないぞ、あんなの。それだったら、おれがモデルに謝礼を渡すのが普通だろうが」
「え? そーなの?」
舞由の顔に、奇妙な笑みが浮かぶ。彼は「余計なことをいってしまったか」と、先の発言を後悔した。
「ね。じゃあ、モデル料、ちょうだい!」
明るくいった舞由に、彼は苦い顔で応えた。
「何がほしいんだ? ……金もないから、そんな大したこと、できないぞ」
「お金がかかるものじゃないよ。……蒼くんが万年金欠病なのは知ってるし」
「よけーなお世話だ」
彼の言葉に、舞由はくすくすと笑って、「あのね。耳、貸して」
「ん?」
舞由の言葉に、彼は素直に腰を落として、舞由の口が彼の耳に届くようにしてやった。そして舞由は何ごとかを彼にささやきかけ、ぴょんと飛び跳ねて、彼と距離を取った。
「ね、いいでしょ?」
「……おまえ、いってて恥ずかしくないか、そーゆーこと」
「恥ずかしいに決まってるでしょ。……だから耳貸して、っていったんじゃない」
彼はため息をついて。
「わかったわかった。……ほら、こっちこい」
いって、距離の離れてしまった舞由を招き寄せた。舞由は素直にその言葉に従い、
「私、初めてなんだから。……ちゃんと味わってね」
「はいはい」投げやりに彼はいって、目を閉じて、「その瞬間」を待つ体勢に入った舞由に、ゆっくりと顔を近づけていった。
二人のシルエットが重なった瞬間。
夜空に、大輪の花が咲いた。
「行く行く! もちろん!」
電話の向こうで応えた舞由の表情を想像して、彼は小さく微笑んだ。
「じゃ、晩飯も、どっかで食うか」
「そうだね。……ね、早めに行っていい?」
「別にかまわないけど……あ、まった」
「なに?」
「悪い。仕上げたい絵があるんだ。……そうだな、五時くらいなら、大丈夫だと思うけど……」
「私は別にかまわないよ。蒼くんが絵を描いているとこ見るの、好きだし」
「おれが恥ずかしい」
「え? あ!」
すぐに彼女は、それがなんの絵であるか気づいたようだった。
「できるの?」
「だから、今日、最後の仕上げ」
「見に行く! すぐに行く!」
こうなってしまえば、もう何をいっても無駄であるということを彼は知っていたので、大きなため息で応えた。
「わかったわかった。……じゃ、待ってるから」
「うん!」
電話の向こうで大きくうなずいて……もちろんその様子が見えるはずはないのだけれども、彼は「きっと舞由はそうしているだろう」と思っていた……舞由は電話を切った。
彼はもう一度ため息をついて、頭の中で、彼女が家に来る前に、あの絵を仕上げられるかどうか、時間を計算してみた。
結局、舞由が訪れた時間には、彼は絵を仕上げることはできなかった。絵の具で汚れたエプロンをつけたまま、舞由を出迎えた彼は、
「お」
驚きの表情を浮かべた。
彼の目の前で「えへへ」とはにかんだのは、浴衣姿の舞由だった。普段着、学校の制服、弓道着、どれも見慣れてきていたので、その姿は、意外に新鮮だった。
「へえ。なかなかいいもんだな」
素直に彼の口から言葉がもれ、
「でしょ?」
舞由はにこりと笑った。そんな舞由に、けれども彼は、
「でも、そのカッコじゃ、部屋、入らないほうがいいぞ」
「え? あ、そっか」
どうやら彼女は、そこまで考えていなかったらしい。彼の指摘に、舞由は「うーん」と、真剣な表情で悩み始めた。そんな彼女の様子に、彼はため息をついて、
「悩むのはあとにして、とりあえず上がれ。……麦茶でも出すから」
結局舞由は、彼と同じようにエプロンをつけて、二階にある彼の部屋に上がった。浴衣にエプロン、というのはそれはそれでなかなか見れるものではない取り合わせではあったが。
彼の部屋に入った舞由は、部屋の中央に置かれている一枚の絵に目をとめた。
弓を引き絞り、的を見据えた、弓道着姿の舞由。
それを見た彼女の表情が、ぱっと明るくなる。
「うわぁ……」彼女は感嘆の声を漏らし、「もう、完成?」蒼に問うた。
「もうちょい」
彼は応えて、絵の前に座る。そして彼は水のはいったバケツに無造作につっこんであった絵筆を取って、水を切ると、パレットの上の絵の具を、筆につけた。
「最後の仕上げ」なので、残っている作業は、細かいところの色を整えたりといった、ごくごく地味な作業ではあったが。
真剣な目で絵を前にして色を塗り続ける蒼の姿を、舞由は楽しそうに見つめていた。
そして。
大きく息をつきながら、蒼が絵筆をバケツにつっこむ。そして絵から数歩離れて全体の状態を眺めて小さくうなずくと、舞由の方に目を向けた。
「ま、こんなもんにしとくか」
彼のその一言に、舞由が目を輝かせる。
「それ、私、今日持って帰ってもいい?」
「ああ」彼は苦笑しながらうなずき、腕時計を見た。「これから出て、帰ってくれば絵の具も乾いているだろうし。持って帰りたきゃ、帰りにまた、うちに寄ってくれ」
「うん、そうする」
舞由は明るくうなずいた。
「じゃ、後かたづけして着替えるから、下でテレビでも見ててくれ」
「うん」
星をちりばめた夜空に、花火が輝く。
それに遅れること数瞬。「どーん」という爆音が、彼らの耳に届く。舞由は無邪気に、その光景を喜んでいた。
うれしそうに花火を見上げる舞由の横顔をじっと見つめていると。不意に舞由が、彼のほうに向きなおった。
「どうしたの?」
「いや、別に……」彼は微笑んで、「楽しそうだな、って思って」
「うん、楽しい」舞由は素直にうなずいた。そしてまた、新たに打ち上がった花火に、目を向け直す。そんな彼女の横顔を見ながら、
「前から聞こうと思ってたんだけど、いいか?」
「なにを?」
花火から目をそらすことなく、舞由は応えた。
「おれの『組曲』。……どうして、あの絵の向こうに、おれが誰かを描いたっていうの、わかったんだ?」
舞由は、彼に目を向け、そしてにこりと笑った。
「わかるよ。そのくらい。……前にもいったと思うんだけどさ。蒼くんの絵ってね、蒼くんが思っているよりもずっと、雄弁なんだよ」
「雄弁?」
「うん。あの『組曲』なんか、特にね。画用紙いっぱいに『あなたが好きです』って、描いてあるんだもん」
「……そうか……」
その応えが納得できなかったのか、蒼は少し考えながら、うなずいた。と、不意に。舞由は何かを思いついたらしく、
「そうだ、蒼くん」
「ん?」
「あの絵のお礼、したいんだけど。……何かほしいもの、ある?」
「は?」彼は間の抜けた声を返した。「お礼なんてしてもらうほどのことでもないぞ、あんなの。それだったら、おれがモデルに謝礼を渡すのが普通だろうが」
「え? そーなの?」
舞由の顔に、奇妙な笑みが浮かぶ。彼は「余計なことをいってしまったか」と、先の発言を後悔した。
「ね。じゃあ、モデル料、ちょうだい!」
明るくいった舞由に、彼は苦い顔で応えた。
「何がほしいんだ? ……金もないから、そんな大したこと、できないぞ」
「お金がかかるものじゃないよ。……蒼くんが万年金欠病なのは知ってるし」
「よけーなお世話だ」
彼の言葉に、舞由はくすくすと笑って、「あのね。耳、貸して」
「ん?」
舞由の言葉に、彼は素直に腰を落として、舞由の口が彼の耳に届くようにしてやった。そして舞由は何ごとかを彼にささやきかけ、ぴょんと飛び跳ねて、彼と距離を取った。
「ね、いいでしょ?」
「……おまえ、いってて恥ずかしくないか、そーゆーこと」
「恥ずかしいに決まってるでしょ。……だから耳貸して、っていったんじゃない」
彼はため息をついて。
「わかったわかった。……ほら、こっちこい」
いって、距離の離れてしまった舞由を招き寄せた。舞由は素直にその言葉に従い、
「私、初めてなんだから。……ちゃんと味わってね」
「はいはい」投げやりに彼はいって、目を閉じて、「その瞬間」を待つ体勢に入った舞由に、ゆっくりと顔を近づけていった。
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夜空に、大輪の花が咲いた。
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