白銀(ぎん)の魔女

中富虹輔

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第3章

第三章 白き籠手、黒き腕(3)

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 師の率いていた一団を撃退し、里の入口に張られていた結界さえ破壊してしまえば、あとは大きな障害はなかった。西の里の戦力を考えれば、これ以上の抵抗を続けることはできないはずだ。
 師が追い付く前には、もう一つの宝珠を得ることはできるだろう。
 彼女はダン・エリックを従え、立ち向かってくる魔法使いたちを圧倒的な力で粉砕しながら、ジアスの宝珠が安置されている建物へと進んでいった。
 やがてたどり着いた建物の前には、彼女の同郷の魔法使いたちの姿があった。彼女も幾度か世話になったモリー師と、同世代では彼女に次ぐ魔法使いと目されているイルン。そして何度か姿を目にしたことのある、奇妙な柄の衣服をまとった魔法使い。名は、アイクといっただろうか。
「さすがだね、セシル」
 変貌を遂げている彼女の左腕は見えているはずだったが、イルンは涼やかな笑顔を浮かべて口を開いた。
「そこをどいてください」
 イルンの言葉には応えず、彼女はモリー師を見つめて短くいった。無視された格好になったイルンは、けれどもやはり何も感じていない様子で口を開く。
「悪いけど、きみをここで食い止めるのがぼくたちの仕事なんだ」
 その言葉が終わるのと同時に、三人の魔法使いは杖を振るった。三つの魔法が同時に彼女に襲いかかったが、その一つはダン・エリックが叩き落とし、残る二つも、あらかじめ展開していた障壁によって打ち消される。
 三人の魔法使いは、黙ってその様子を見ているようなことはしなかった。モリー師を中央に、右手にイルン、左手にアイクと散開して彼女を取り囲む。
「正面を頼みます」
 短い言葉に、ダン・エリックは無言で従った。棒を構えてモリー師に襲いかかり、老境の域に達した魔法使いを打ちすえる。魔法使いはダン・エリックの俊敏な動きについてゆけずに、打擲の一撃でくずおれた。
 その間に、彼女は金髪の魔法使いへと狙いを定めた。右手に持った宝珠から引き出された魔力が物理的な力へとその姿を変え、彼女の旧友へと襲いかかる。魔法の一撃は金髪の魔法使いの首から上を粉微塵に消し去り、その身体を数メートルも吹きとばした。
 三人の魔法使いが彼らへと挑みかかってから、わずか数瞬。残る一人に目を向けると、アイクは杖を構えたまま、呆然と彼女を見つめていた。
「無駄な抵抗はしないで。私も、無益な殺生はしたくない。なにもしなければ、私たちもあなたに危害を加えるつもりはないわ」
 彼女は静かに宣言した。
 やがて、奇抜な衣装をまとった大柄な魔法使いは、その杖をゆっくりと降ろした。
「賢明な判断ね」
 彼女はぽつりといって、わざと見せつけるようにゆっくりと、建物の入口へと歩み寄った。里の入口と同様、ここにも強力な結界が張られていたが、何度かの解除魔法でその用をなさなくなった。
 彼女は、ダン・エリックを伴って建物に入った。いくつかの部屋を通り抜け、ひときわ広い部屋のその一番奥に、目指すものはあった。
 ゆっくりと、それへと近付いていく。
 石造りの台座の上に静かに鎮座している、薄桃色の光を放つ魔法の石。
 その石に手を触れることができるところまで近付くと、彼女は一度息をついて、ダン・エリックへと目を向けた。
「あとのことはお願いします」
「わかっている」
 ダン・エリックがうなずいたのを確認して。
 彼女は、ゆっくりとジアスの宝珠へと手を伸ばした。

 惨澹たる有り様の里を抜けて、宝珠の安置されている建物にたどり着いたセルマたちを待っていたのは、変わり果てた姿になった二人の魔法使いと、呆然とあらぬ方を見つめている遠国出身の男だった。
 レイバーグが何度か声をかけてようやく我を取り戻したアイクは、「すみません、何もできませんでした」とがっくりとうなだれた。
「気にするな。生命があっただけでもきみは幸運だった」
 アイクを慰めて、レイバーグは結界の破られた建物の入口を見つめた。
「宝珠はもう、奪われたと思うしかないか」
 呟いて、老魔法使いはアイクに、白銀の魔法使いが出てきたかを問うた。建物の出入口は一つだけ。宝珠を得たセシルが外に出るには、再びここから出てくるか、あるいは建物を破壊する以外にない。
「奴はまだ中、ってことか」
 アイクの返事を聞いて、ハーディは建物を睨みつけた。
「どうすんだ、じいさん。このまま奴が出てくるのを待つか?」
「いや、中へ行こう。建物の中ならば、セシルもあまり派手な魔法は使えまい」
 応えて、レイバーグは入口へと歩み寄っていった。その後にハーディが続き、その背中を追ってセルマとエリィも歩き出す。
「あの……」
 控えめな声が後ろからかかり、セルマは立ち止まって振り返った。
「俺も、ついていってもいいだろうか?」
「無理はしないほうがいいわ」
 思い詰めた表情のアイクに、短く言葉を返す。
「セルマのいうとおりだ、アイク。セシルに後れをとったからといって、それを責める者は誰もおらんぞ」
 セルマ同様立ち止まっていたレイバーグが、諭すようにいった。
「ついてきたいのならばかまわんが、せっかく拾った生命だ、無茶はするでないぞ」
 返事を待たずに、レイバーグは再び歩き始める。
 アイクは神妙な顔で「わかりました」とうなずいて、老魔法使いの後を歩き出した。セルマは彼が目の前を通り過ぎてゆくのを見送り、さらにひと呼吸おいてからその後に続いた。
 建物の中は、静まり返っていた。五人が石造りの床を歩く足音だけが、セルマの耳に届く。
 いくつかの部屋を抜けたところで、唐突にハーディが立ち止まった。
「おい、なんか聞こえねえか?」
 その声に皆も立ち止まる。耳をすましてみるが、聞こえてくる音はただ静寂ばかりだった。
「私には何も……」聞こえない、と応えかけて、セルマは口をつぐんだ。
 何かが聞こえたような気がした。
 隣に立っていたエリィに目を向ける。やはり彼女にもその音が聞こえたようで、少女はセルマにうなずきかけた。
「師匠」
「私にも聞こえた。何が起きているかはわからんが、急いだほうがよさそうだ。防御魔法の準備を忘れるでないぞ」
「はい」
 うなずいて、セルマは足を早めた師の後を追った。
 部屋を抜けると、その音はより明瞭になった。何かが争っている音だろうか。金属がより硬いものと衝突する音。そして人体への打撃が加わる、くぐもった音。
 部屋の扉に真っ先にたどり着いたのはハーディだった。戦士は勢いよくドアを開け、音の発生源である部屋へと飛び込む。レイバーグとアイクがそれに続き、セルマもまたその後を追って部屋へ入る。すぐそこで立ち止まっているアイクを避けた彼女の目に入ってきたのは、白銀の魔女に打ちかかるダン・エリックの姿だった。
「おいおい、こんなところで仲間割れかよ」
 呆れ半分でハーディが呟く。セシルは敏捷にダン・エリックの一撃を躱して魔法を放つが、棒術使いはその魔法を撃ち落とした。
「どっちに加勢する?」
「決まっておる。私たちは宝珠を守るのが目的だ」
 目的のものは、白銀の魔女の手の中にあった。「よっしゃ」と叫ぶなり、戦士は迷うことなくセシルへ踊りかかった。ダン・エリックの一撃を躱したセシルは、続けざまに受けたハーディの攻撃を回避はしたものの、その体勢が大きく崩れる。
 そこへさらにダン・エリックの棒が襲った。直撃を受けたセシルは床に崩れ落ちるが、その手はしっかりと二つの宝珠を握りしめている。
「これで終わりだ、白銀!」
 気合いとともにハーディが剣を振り上げる。次に訪れる光景を予感し、セルマは目を逸らしたくなったが、懸命にそれをこらえた。これから起きることを見届けることが、唯一彼女ができることだった。
 彼女の想いに気付いているのか、ハーディが振り上げた剣をとめ、ちらりとこちらへと目を向ける。セルマが小さくうなずくと、ハーディは剣を振り降ろした。
 しかし、その刃はセシルには届かなかった。戦士がセルマの意思を確認したわずかな時間で、白銀の魔法使いが次の魔法を発動させる。
 ハーディの足元の床が隆起し、戦士は足をとられて尻餅をついた。直後、様子を伺っていたダン・エリックが白銀の魔法使いへと駆け出す。しかし、棒術使いよりもセシルのほうが早かった。十を越す魔法の矢がダン・エリックを襲う。棒術使いは立ち止まって魔法を打ち払ったが、それだけの時間でセシルは立ち上がり、間合いをあけた。
 わずかに遅れてレイバーグが魔法を放つ。しかし、魔法はセシルに届く前に霧消した。続けざまにアイクの魔法がセシルを襲ったが、これも効果を発揮することはなかった。
 ようやく立ち上がったハーディがセシルに襲いかかろうとしたが、足元に魔法の乱射を受け、たたらを踏んで立ち止まる。
 彼らを後目に、いささかにためらった様子もなく、セシルはセルマたちに背を向けた。そのままゆっくりと部屋の壁へと歩み寄り、そこに右手を触れる。レイバーグとアイクが魔法を放ち、ハーディとダン・エリックが彼の元へと走る。
 しかし魔法はかき消え、二人の戦士もまた見えない壁に激突した。
 セシルが手を触れていた壁に、音もなく穴が穿たれる。
 人一人が通るには十分な大きさの穴の向こう側は、そのまま建物の外だった。
「姉さん!」
 妹の呼びかけにも、彼女は振り返ることはしなかった。行く手を遮るもののなくなった道を、白銀の魔女はゆっくりと歩んでゆく。
「姉さん!」
 セルマはもう一度姉を呼ぶと、その背に向けて魔法の炎を放った。炎はセシルの背中を直撃したが、焼けた彼女の衣服の下から現れたのは、その左腕と同じ、暗青色の硬質な肌だった。
 セルマはなすすべもなく、去りゆく姉の背中を見つめていた。

「興味があったのは、白銀の魔法使いという人間だけだった。あいつが魔物に心を奪われた時点で、あいつは俺にとって倒すべき敵となった。それだけだ」
 ダン・エリックは淡々と応え、真正面のレイバーグを見据えた。
 夕刻。セシルが西の里から姿を消したあと、ダン・エリックは自ら武装を解除し、尋問を受けることになった。
 ダン・エリックの前にレイバーグとセルマ、そしてハーディが並び、その後ろにエリィとアイク。棒術使いの背後には、彼が不穏な動きを見せたらいつでも動けるよう、数人の魔法使いが控えている。
「ほかに訊きたいことはないか?」
「ねえさ……セシルの、魔物との融合は解くことができるんですか?」
 ダン・エリックはしばしセルマを見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。
「難しいだろうな。融合を解くには、高度な魔法と莫大な魔力が必要だ」
 予想はしていたが、やはりそのような言葉を聞かされるのは辛かった。セルマは顔をうつむけ、いまだこちらに向いているダン・エリックの視線を逸らした。
「では、セシルがどのような魔物と融合しているかはわかるかね」
 レイバーグの声が聞こえる。
「それはお前のほうが詳しいのではないか」
 短い応えに、レイバーグは苦笑した。
「いくら私だって、魔物についてそれほど詳しく知っているわけではないわい」
 ダン・エリックは老魔法使いに目を向けたが、すぐにその視線を外した。
「俺も、詳しいことは知らん。だが、あれほどの魔力を持った人間の心をねじ伏せることができるのだから、魔物の中でも強力な部類には入るだろう」
 やれやれだな。ハーディがため息をついた。
「白銀の魔法使いに古代魔法使いの遺産。それに今度は魔物かよ。えらい騒ぎになったもんだ」
「できれば、そうなる前に片をつけたかったのだがね」
 やはりため息まじりにレイバーグが応える。重苦しい空気があたりを包み、少しの間、場は沈黙に包まれた。
「あの、いいですか」
 セルマが口を開くと、やはりダン・エリックはじっと彼女を見つめた。その表情からは、どんな感情も見て取ることはできない。
「セシルは、魔人を復活させて何をしようとしているか、知っていますか?」
「知らん」
 ダン・エリックの言葉は素っ気なかった。
「だが、魔物に心を奪われてしまった以上、この国が混乱に陥るのは確実だろう」
 棒術使いは一旦言葉を区切ると、レイバーグへと目を向けた。
「機会は、あと一度だけある。魔人復活の儀式を始めれば、奴は宝珠を手放さなければならなくなる。宝珠が手元になければ、奴の魔法も制限されるはずだ」
 それは確かにその通りだろうが、しかし非常な危険もはらんでいるのではないか。先にセシルが儀式を終えてしまえば魔人は復活し、儀式を始める前にそこに乗り込んでしまえば、無尽蔵の魔力を持った白銀の魔法使いを相手にすることになる。
 うまく時間を合わせるには、迅速かつ慎重な行動が要求される。とすれば、軍を動かすような大がかりなことをするわけにはいかないだろう。
「それで一つ、提案がある」
「提案とは?」
 皆を代表してレイバーグが応えた。
「おれに協力しろ。少なくとも、当面の目的は一緒のはずだ。であれば、戦力は多いほうがいい」
「これはまた思い切った提案だな」
 レイバーグは楽しそうに笑った。
「信用しろとはいわん。何か条件があるのなら、それに従おう。お前たちにとっても悪い話ではないはずだ」
「まあ確かに、お前さんを野放しにしておくよりは、目の届くところにいてもらったほうがありがたくはあるな」
 以前ともに戦ったよしみもあるし、と老魔法使いはハーディへ目を向けた。
「ハーディ、君はどうだね?」
「俺は別段構わねえぜ。寝返りだの裏切りだのってのは、戦場じゃよくある話だからな。俺よりも嬢ちゃんたちはどうなんだ? 仲間や師匠を殺されて、恨み骨髄なんじゃねえのか?」
 ハーディが応え、後方に立っている二人に目を向けると、まずエリィが口を開いた。
「私も、別に構いません。正直いうと、この人に恨みみたいなのはあんまりないんです。あのときはばたばたしていたし、私の友達も師匠も、みんな無事でしたし」
 エリィは続けてアイクへと目を向けた。アイクは神妙な顔で、
「レイバーグ師がいいとおっしゃるのなら、私は反対はできません」
 くそ真面目だな、あんたは。ハーディが茶化すようにいった。
「で、嬢ちゃん。お前さんはどうなんだ?」
 部屋にいる人間たちの視線が自分のところに集まるのを感じながら、セルマはダン・エリックへと目を向けた。
「私が……」
 大きく息を吸い、吐き出す。
「私たちが追っていたのは、白銀の魔法使いです。この人は彼女の元にいたとはいえ、今は袂を分かっています。であれば、この人と協力するのを拒む理由はないと思います」
「無理はしなくていい。そう簡単に信用されないことは、おれが一番わかっている」
 自分の表情がこわばっているのはわかっていた。しかし、「無理はするな」という言葉が、他ならぬダン・エリックの口から出てきたことに、セルマは少なからぬ驚きを覚えた。
「無理をしているつもりはありません」
 セルマはきっぱりと応えた。
「今は、姉の暴挙を止めることが先決です。であれば、協力すべきだと思います」
「それで、おれが信頼できるのか?」
「安心しな、お前が裏切ったときは、俺が後ろからぶった切ってやらあ」
 ダン・エリックの問いに、ハーディが陽気に応えた。
「それでいいんだろ、嬢ちゃん?」
 はい。セルマはうなずいた。
「では、決まりだな。出発は明日の早朝。疲れも残っているとは思うが、踏ん張ってくれ」
 レイバーグはうなずいて立ち上がった。

 白銀の魔法使いセシルを追うのは、レイバーグら四人にダン・エリックとアイクを加えた六人となった。また万が一の事態に備え、国軍に連絡をするための伝令が、早々に出発していた。
 出発の準備を整えて、皆で少々遅めの夕食をとる。その後、誰と話しをする気にもなれず、セルマは無言で部屋へひきこもった。
 姉は今何をしているのか。姉を止めるには、もはや力を持ってするしかないのか。ほかに何か手段はないのか。いくら考えても答えの出ない問いを、セルマは発し続けた。
 大きなため息をつくと、部屋のドアを控えめに叩く音が聞こえた。
「セルマさん、いいですか?」
 扉越しに、治療術師の少女の声が届く。
「エリィ? どうしたの?」
 声をかけて立ち上がる。扉を開けると、不安げな顔を浮かべた少女がそこに立っていた。エリィはセルマの顔を見ると、こわばった表情をわずかにゆるめ、小さく息をついた。
「大丈夫ですか?」
 その問いの意味がわからず、セルマは「え?」と声を返した。
「食事のあと、すごく恐い顔をしてたから。セルマさん、色々と無理していませんか?」
 セルマは微笑みをつくった。
「大丈夫よ。そんなに無理はしてないから」
「でも、今日はいっぺんにいろんなことがありすぎたし。自覚はなくても、かなり参っている、ってことだってありますよ」
「ほんとに大丈夫」
 エリィの心遣いがうれしかった。セルマの表情は自然とゆるむ。
「大変っていったら、みんなだっていろいろと大変なんだし。やっぱりみんな、どこかで無理はしているはずだから」
 そうですか。エリィは小さく息をついた。
「でも、本当に無理はしないでくださいね。治療術は人の身体を癒すことはできるけど、壊れてしまった心は、取り戻すことはできないんですよ」
「大丈夫だってば」
 エリィの表情はひどく真剣だったが、逆にそれがセルマの気持ちを楽にしてくれた。もう一度微笑んで、口を開く。
「私だって、魔法使いの端くれなんだから。そんなに簡単にどうかなってしまうような訓練は、受けていないわ」
「それはそうでしょうけど」
 エリィはなおも心残りがある、といった様子ながらも、彼女の言葉を受け入れたようだった。何かを考えているふうで、少女は少しの間セルマを見つめたまま黙っていたが、やがて意を決したように「あの」と口を開いた。
「セルマさんは、お姉さんをどうしたいんですか?」
「どう、っていうのは?」
 唐突な問いに少し戸惑って、セルマは首をかしげた。
「このままお姉さんと戦って私たちが勝てば、お姉さんは間違いなく死んでしまいますよね。セルマさんは、それでいいんですか?」
 真剣な眼差し。少女はまっすぐにセルマの目を見つめていた。
「それは……」
 なんと応えればいいのか。わずかな逡巡の後、セルマは思い切って口を開いた。
「それは、できることならなんとかして姉さんを説得して、姉さんに帰ってきてもらいたいわ。姉さんが宝珠を奪ったことも、あんな姿になったことも、何か理由があってのことだ、って思いたいし」
 姉は敵だ。強大な力を持った、倒すべき敵だ。そう割り切ることができず、姉を信じたいと思っている自分がいる。姉に帰ってきてもらい、また元の平和な暮らしを営みたいと思っている自分がいる。
 セルマは静かに、自分の思いを語った。
 エリィは彼女をじっと見つめていたが、やがて「よかった」と微笑んだ。
「私、ちょっと心配だったんです。セルマさんがお姉さんのこと、本気で割り切っていたら、って。たった二人の家族が本気でいがみあうなんて、悲しすぎるじゃないですか」
 ほっと息をついて、エリィは目線を廊下の奥へと移した。
「セルマさんの想いがあれば、きっとお姉さんだってわかってくれますよ、ね、アイクさん?」
 少女につられてそちらに目を向けたセルマは、唐突に出てきた名前に面食らい、そして少女の視線の先、物陰から姿を現した突飛な柄の服を着た魔法使いに、もう一度驚かされた。
「アイクさんも、セルマさんのこと、心配していたんですよ」
 エリィの言葉を聞きながら、セルマはこちらへと歩み寄ってくるアイクを見つめていた。アイクはセルマの視線を微妙に逸らしながら、やがて二人の近くで立ち止まる。
「ありがとう、心配してくれて」
 少し迷ってから、セルマは口を開いた。アイクはやはり彼女とは視線を外したまま、「気にするな」と短く応えた。
「ひとつ、思いついたことがある」
 続けてアイクはいった。
「推測の上に推測を重ねた話だから、そのあたりのことも踏まえて、話を聞いてほしい」
 彼の言葉は慎重だった。セルマはその言葉を十分に吟味して、「ええ」とうなずいた。
「まず、白銀の魔法使いの心変りなのだけれども、俺には、あの人の普段の言動から、そういうものに手を出すようには見えなかった」
 長年ともに暮らしてきた姉である。セルマはアイクの言葉に同意した。
「だから、俺はあの人が魔物と融合したのが、直接の原因ではないかと思うんだ。魔物と融合したために、その意識が魔物に操られ、あの人はあんなことをしたのではないかと」
 セルマは、アイクが何をいいたいのかに気付いた。
「姉さんと魔物の融合を解けば、姉さんは元に戻ると?」
「まあ、推測だ」
 アイクは短く応えた。
「ダン・エリックも、融合を解くのは難しいが不可能ではないといっていた。だとすれば、あの人を救うことができるもしれない。確率は低いが、やってみる価値はあると思う」
「レイバーグ師は、あんまり乗り気ではなさそうでしたけどね」
 横からエリィが付け足す。それは確かにそうだろう。ただでさえ強大な魔力を得ている白銀の魔法使いを相手にしなければならないのだ。彼女と魔物との融合を解くなどと、そのような悠長なことをしている暇などあろうはずもない。
 それでも、万にひとつでも可能性があるのなら、それに賭けてみたかった。
「レイバーグ師の了解はとってある。ただ、師はこれに関しては何の協力もしないそうだし、それで師の足を引っ張るようなことだけはするなと念を押された」
「アイク」
 セルマは大柄な魔法使いの顔を見つめた。
「ありがとう。わざわざそんなことまで」
「気にするな。俺も、あの人に恩があってな。できることなら、あの人に元に戻ってもらいたいんだ」
 アイクはやはり、彼女の視線を逸らして応えた。その頬が少し紅潮しているのは、セルマの気のせいだろうか。
 くすりと、エリィが笑うのが聞こえた。
「そうしたら、セルマさん。さっそくですけど、図書館にいきませんか。何か、そういう魔法について書かれた文献があるかもしれないし」
 そうね。セルマはうなずき、三人はその足で里の図書館に向かった。幸い図書館は大きな被害は受けておらず、司書もまた文献の貸出しに快く応じてくれた。時間もそれほどあるわけでもなかったので、三人はそれぞれが「これは」と思うものを一冊ずつ借り受けた。
 ――姉さん。
 分厚い本を両腕で抱きかかえるようにして歩きながら、セルマは姉へと思いを馳せた。姉と魔物を分離させれば、姉は元に戻ってくれるのか。
 それ以前の問題として、本当に自分の魔法で姉と魔物を分離できるのか。
 いくつもの不安が頭の中を去来するが、今はアイクがもたらしてくれた可能性に賭けてみるしかない。
「お姉さん、助けられるといいですね」
 エリィの言葉に、セルマはさまざまな思いとともに、うなずいた。
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