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五章 二幕:呪われた亡者の救済
五章 二幕 7話-1 ※
しおりを挟む教会前の広場でレオンハルトに抱き寄せられた次の瞬間には、ルヴィウスの足元は舗装された石畳から柔らかい毛足の絨毯へと代わっていた。聖堂前の広場から、長年通いなれた―――とは言え、約一年ぶりの王宮の藍玉宮、レオンハルトの自室へと転移していたのだ。
「ごめん」
ルヴィウスを抱き締めなおしたレオンハルトが、開口一番に謝罪を口にする。ルヴィウスは彼の背中に腕を回し、甘えるように胸元へ頬をすり寄らせた。
「ううん、僕が軽率だった。僕のほうこそ、ごめんね」
「謝らないでくれ。人前であんなきつい言い方しか出来なかった自分が情けない」
レオンハルトが、ぎゅうっ、とルヴィウスを抱きしめる。仕出かした悪さを謝る大型犬のようにルヴィウスに抱き着くレオンハルトは、どうやら心の底から後悔しているようだ。
ルヴィウスは「大丈夫だよ」と宥めるようにレオンハルトの背中をさすった。叱られたのは自分のほうなのだが、とルヴィウスは苦笑する。しかし、内心こういうレオンハルトも可愛いと思えてしまうのだ。
ルヴィウスを甘やかすことに喜びを感じる性質のレオンハルトは、愛する者が関わる事象について、第二王子の仮面を被り、感情を排除した微笑みを浮かべて対応することに苦痛を感じている。それなのに今日は、叱責することになってしまった。それは彼にとってストレス以外の何物でもない。
ルヴィウスは、自分の肩にぐりぐりと額を押し付けるレオンハルトの髪を撫でながら、可愛い婚約者を宥めることにした。
「レオ、僕のミスを上手くカバーしてくれてありがとう」
「お礼を言われると余計に立ち直れない……」
「間違ったことしてないよ」
「間違ってなくても、あんな大勢の前でルゥを叱りつけたなんて……」
「そんなことでレオを嫌ったりしないよ」
「嫌われたらと思うと息が止まりそうになるし、もし嫌われたりしたら生きていけない……」
「そんな簡単に死なないで」
「体は死なないけど心が死ぬ……」
「そんなことになったら世界が滅亡しちゃうよ。だから、ねぇ、顔あげて?」
そう言うと、レオンハルトは小さく唸って、甘えてルヴィウスの肩に頬を擦り寄せる。ルヴィウスは仕方ないなと苦笑し、ね? と、顔を上げるよう再び促した。
そっと顔を上げたレオンハルトは、小さな子供のように、むすっ、としていた。ルヴィウスは彼の頬を包み込み、吐息が混ざるほどの距離で鼻先を触れ合わせる。
誰も知らない、レオンハルトの拗ねた顔。ルヴィウスだけが知る、甘えたのレオンハルト。甘やかされるのも好きだが、こういう時の彼を甘やかすのも堪らなく好きだ。
「レ~オ、機嫌なおして?」
「機嫌が悪いわけじゃない」
「じゃあ、拗ねないで?」
「拗ねてない」
「キスしていい?」
そう呟くと、返事の代わりに唇が堕ちてきた。
はむ、と柔らかい唇が、ルヴィウスのそれを挟む。味わうように何度か食まれたあと、レオンハルトの唇はルヴィウスから離れた。もちろん、離れたのは唇だけだ。ほんの少し顎を上げれば、再び口づけが出来る距離に彼がいる。
「キスして」
レオンハルトが言った。ルヴィウスは、ふふっ、と笑う。
「キスしてから言うの?」
「ルゥからしてほしいの」
誰もが振り向くほどカッコいいくせに、甘える時はこんなにも可愛い。ルヴィウスは「大好き」と囁いて、唇を重ねた。
味わうように何度か唇を食み合わせるうちに、音が濡れ始める。ルヴィウスは堪らなくなって、するり、とレオンハルトの首に腕を回し、より深く口づけるために背伸びした。
求められていることに気づいたレオンハルトは、搔き抱くようにルヴィウスを抱きすくめ、彼の唇を舌で割り、口内にそれを滑り込ませる。
何度も、何度も繰り返してきた愛情を確かめ合う行為。飽きることなど永遠にないと言いきれる。
何度重ね合わせても、足りない。触れ合うたびに、恋に堕ちる。唾液を混ざり合わせるたびに、愛おしさが募る。
口内の犬歯に舌が触れると気持ちいいこと。軽く舌を噛むと痺れるような悦びが背を伝うこと。レオンハルトの舌がルヴィウスの上あごを撫でるたびに、体中が蕩けていくこと。ぜんぶ、ぜんぶ、知っているのに、何度でも欲しくなる。
互いの熱と想いを満足するまで味わった二人は、どちらからともなく唇を離した。そしてもう一度確かめるように抱きしめあうと、少し早くなった鼓動が落ち着くまで、口づけの余韻に浸った。
どれくらいそうしていただろう。座ろうか、と声を掛けたのはレオンハルトのほうだった。もうすっかり、いつもの彼に戻っている。
それぞれ儀式用の剣を剣帯ごと外し、レオンハルトは壁のフックへ、ルヴィウスはソファの背に立てかけた。礼装用の黒の騎士服の上着を脱ぎ、気楽な格好になってからソファに腰かける。
「紅茶でいい?」
レオンハルトの言葉にルヴィウスが頷く。すると、レオンハルトは指を一つ鳴らし、まるで給仕がそこにいるかのように、魔法で紅茶の用意をした。
無詠唱かつ、指先一つでティー・セットを呼び出し、湯を沸かし、文句のつけようもない上品な紅茶をカップに注ぐなど、どれほど繊細な魔力操作が必要なのか、ルヴィウスには想像もつかない。ルヴィウスが真似るとすれば、ティー・セットを呼び出し、ポットにお湯を用意するのが精いっぱいだろう。ただし、そこには集中力が必要になる。レオンハルトのように無意識で操作するなど出来るわけがない。
レオンハルトに「どうぞ」と紅茶をすすめられたルヴィウスは「ありがとう」と答えて、お手本のような所作でカップに口をつける。口の中に香り高い茶葉の香りが広がり、その温かさにほっと息をついた。
「ハロルドはまだうなされるみたいだな」
「うん、まだ十日しか経ってないから。でも、カトレア様が傍についてるし、良くなっていくって診察した医師が言ってた」
「今日の葬儀も参列してるし、また思い出して苦しんだりしないだろうか」
「ハロルドのことだから、きちんと見送らないほうが気に病むんじゃないかな。律儀で筋を通すところあるから」
レオンハルトは「そうだな」と呟いた。
襲撃に遭った日、ハロルドは意識がないまま、レオンハルトとルヴィウス、ガイルと共にアクセラーダ公爵邸に転移した。ガイルに抱えられ離れの客室に運び込まれたハロルドは、念のためすぐに医者に診察を受け、問題がないことを確認されている。
ルヴィウスは父であるグラヴィスに事情を説明し、レオンハルトは公爵邸の転移陣を使ってエルグランデルからカトレアを呼び寄せた。どのみち二十日の大夜会にはカトレアも出席するため、ハロルドの看病を兼ねて彼女はそのまま公爵邸に滞在することとなった。
「ルゥは?」
「僕?」
「ルゥは、夢見が悪くなったりしてない?」
レオンハルトの言葉に、ルヴィウスは目を瞬かせた。
大丈夫。そう言って笑うのは簡単だ。でも、嘘をつきたくない。レオンハルトに辛いことを隠してほしくないのだから、彼だってルヴィウスの真実を知りたいはずだ。
ルヴィウスはレオンハルトの肩に寄り掛かり、そっと目を閉じた。
「眠れないほどじゃないけど、時々、びっくりして目が覚めることはあるかな」
素直に心の内を打ち明けてくれたルヴィウスの頭を、レオンハルトはそっと撫でた。
「それは、あの日のことを思い出して?」
「あの日のって言うか、レオが傷つくところを夢に見て、かな」
「俺は―――」
言いかけて、口を噤んだ。
俺は死なないから大丈夫。それが何度ルヴィウスを傷つけてきたか、レオンハルトはもう知っている。だから、絶対に言わない。その代わりに。
「俺は、ルゥの傍にいるよ。もし不安なら、もうこの際、一緒に暮らそう」
レオンハルトの提案に、ルヴィウスは「え?」と顔を上げた。
「だめ? 一緒に暮らしたら、一緒に寝られるから、きっと夢なんか見ないよ」
「いやいやいや、ダメでしょ! 僕たちまだ結婚してないよっ」
「もういいじゃん、俺とルゥに順序とかいらなくない?」
「いるよっ。順序守ってよ!」
「えー、でも、もうルゥの純潔はもらっちゃったしなぁ」
「それはっ、そうだけど……っ」
「あ、結婚式はしたい。できれば盛大に」
「いま、そういう話してないよねっ?」
ふふふっ、とレオンハルトは笑った。
「少しは元気になった?」
レオンハルトに柔らかく微笑まれ、ルヴィウスの胸が、きゅう、と甘く痺れる。もう大丈夫。そう伝えたくて「元気になった」とレオンハルトにもたれ掛かり、右手を彼の左手に絡めた。
レオンハルトはその手を握り返し、ルヴィウスのこめかみにキスをする。
「やっと一息ついたな。ルゥ、いろいろ手伝ってくれてありがとう」
「ううん、手伝わせてくれてありがとう。今日、二人をちゃんと送り出せてよかった」
そう言い、ルヴィウスは再びレオンハルトの肩にもたれ掛かり、目を閉じて今日までの慌ただしくも哀しみに溢れた日々を思い出した。
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