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第3章
96.市井見学会⑦
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「お待たせしました」
木製のコップを両手に持ち、ヴァリタスが戻ってきた。
ついっと片方の手に持ったコップを私に差し出してくれる。
「ありがとうございます」
コップを受け取るものの、中身をぼうっと見つめどうしようか迷ってしまう。
先ほどまではお店の中で出されたものだったし、庶民向けの店とは言えきちんとした形で出されていたもの故、そこまで抵抗はなかった。
しかし、さすがに露店で売っていた飲み物に少々抵抗がある。
木彫りで作られたようなコップなんて初めて触るし、屋外で管理されているものなんて何か入っているのではないかと嫌な勘繰りまでしてしまった。
そんな私とは打って変わって、ヴァリタスは私の隣に座るとぐいっと勢いよく飲み始めた。
その勢いの良さに呆気に取られてしまう。
びっくりしている私に気づきコップから口を放すと、不思議そうに見つめた。
「おいしいですよ?」
彼がなんともなしに言ってくるものだから、なんだか気にしているのも馬鹿馬鹿しく思えてきた。
私も彼に倣ってぐいっとコップの中身を口に入れる。
「本当だ、おいしい」
フルーツをそのまま絞ったような水水しさと、おそらく砂糖か何かを足しているのだろう。
甘味が強いがそこまでくどくなくさらっとしていて、口の中を潤してくれる。
「良かった、少し元気になったみたいですね」
そんなに落ち込んでもいなかったのだけど、そんなに気を遣わせてしまっていたことに申し訳なくなる。
しかし、先ほどのヴァリタスの行動が気になりその疑問を口にした。
「あの、ヴァリタス様は、こういうものを口にするのに抵抗はないのですか?」
ヴァリタスはその言葉にきょとんとしていたが、何かを悟ったように笑った。
「そうですね、あまり抵抗はないですね」
「どうして?」
「私は王族ですから、民の口にしているものに抵抗を覚えるなんておかしいじゃないですか」
さも当然のように告げる言葉にきょとんとしてしまう。
え?
それだけ?
確かに理由は立派な王族のようで素晴らしいと思うけど。
たったそれだけの理由で、普段口にしないようなものをあんなに抵抗なく口にできるのだろうか。
なんだか腑に落ちない理由に眉を寄せる。
すると、なんだから申し訳なさそうにヴァリタスは笑った。
「すみません、少しカッコつけてしまいました」
あははとどこか恥ずかしそうに笑う彼が、いつもの彼ではないような気がして少しだけ可笑しかった。
遠くを見つめるように明後日の方向へ目線を向けると、彼は優しい声色で話し始めた。
「実は……私の前世は伯爵ではあったのですが、統治している街はあまり栄えていなくて。時々そちらへ遊びに行く際はよくこうした露店のものを食べ歩いたりしていたのです。両親に内緒で使用人を連れて街を散策するのが、冒険をしているようでそれが楽しくて仕方なくて」
今までヴァリタスからこうして前世の話を聞くのはほぼ初めてだ。
私があまり前世の話をしないようにしていたからなのだが、まさかここまで好意的に前世のことを受け入れているとは。
あの10歳のころの彼はもうどこか遠くへ行ってしまったのだろう。
その変化が妙に寂しかった。
「まぁそんなのは幼い頃の話です。10歳になる頃には、そちらにも行けなくなってしまいましたし」
優しい目。
本当に昔の懐かしい思い出に思いを馳せているような表情だった。
10歳の頃から、ということはリヴァリオ付きのお役目を与えられたときからだろう。
きっと彼に付きっ切りでなくてはならなくて、自由な時間などほとんどなくなってしまったのだろう。
可哀そうに。
そんなことで、大好きな街にも行けなくなってしまったのか。
私が彼を縛ってしまったから。
「それに……」
「それに?」
暗い気持ちになった私とは裏腹に、彼の表情は穏やかだった。
しかし、何かあったのだろうか。
途端に俯き少し躊躇いがちに口を濁しながらも、顔を上げ上目遣いで私を見つめた。
「エスティは前世が平民ですから。そういう方が親しみやすいんじゃないかと……思いまして」
「っ――――」
彼の言葉にひどく心が揺れた。
こんなにも、私を思ってくれるのはきっと彼だけだろう。
そしてそれは今だけのこと。
婚約破棄を成立させたら、今後こんなに私を思ってくれる人が現れることはない。
この執着がとてつもなく厄介で歪んでいるとしても。
たとえどんな形のものでも、私に向けられた気持ちを蔑ろにすることはできなかった。
いずれ彼のこの気持ちは私以外の誰かにむかい、きっとその人は彼の気持ちにちゃんと答えてくれるだろう。
それがセイラか、はたまた他の知らない誰かかはわからないけれど。
だから今だけ。
今だけは彼の気持ちを受け入れたかった。
「ヴァリタス様、こちらを受け取ってくださいませんか?」
先ほど買ったものを差し出す。
小さな紙袋に包まれたそれは、王族に渡すにはあまりにも不釣り合いなものだった。
まるで今の私が彼に応えられる精いっぱいの気持ちのようにも見えた。
私はたったこれだけしか彼にあげられない。
木製のコップを両手に持ち、ヴァリタスが戻ってきた。
ついっと片方の手に持ったコップを私に差し出してくれる。
「ありがとうございます」
コップを受け取るものの、中身をぼうっと見つめどうしようか迷ってしまう。
先ほどまではお店の中で出されたものだったし、庶民向けの店とは言えきちんとした形で出されていたもの故、そこまで抵抗はなかった。
しかし、さすがに露店で売っていた飲み物に少々抵抗がある。
木彫りで作られたようなコップなんて初めて触るし、屋外で管理されているものなんて何か入っているのではないかと嫌な勘繰りまでしてしまった。
そんな私とは打って変わって、ヴァリタスは私の隣に座るとぐいっと勢いよく飲み始めた。
その勢いの良さに呆気に取られてしまう。
びっくりしている私に気づきコップから口を放すと、不思議そうに見つめた。
「おいしいですよ?」
彼がなんともなしに言ってくるものだから、なんだか気にしているのも馬鹿馬鹿しく思えてきた。
私も彼に倣ってぐいっとコップの中身を口に入れる。
「本当だ、おいしい」
フルーツをそのまま絞ったような水水しさと、おそらく砂糖か何かを足しているのだろう。
甘味が強いがそこまでくどくなくさらっとしていて、口の中を潤してくれる。
「良かった、少し元気になったみたいですね」
そんなに落ち込んでもいなかったのだけど、そんなに気を遣わせてしまっていたことに申し訳なくなる。
しかし、先ほどのヴァリタスの行動が気になりその疑問を口にした。
「あの、ヴァリタス様は、こういうものを口にするのに抵抗はないのですか?」
ヴァリタスはその言葉にきょとんとしていたが、何かを悟ったように笑った。
「そうですね、あまり抵抗はないですね」
「どうして?」
「私は王族ですから、民の口にしているものに抵抗を覚えるなんておかしいじゃないですか」
さも当然のように告げる言葉にきょとんとしてしまう。
え?
それだけ?
確かに理由は立派な王族のようで素晴らしいと思うけど。
たったそれだけの理由で、普段口にしないようなものをあんなに抵抗なく口にできるのだろうか。
なんだか腑に落ちない理由に眉を寄せる。
すると、なんだから申し訳なさそうにヴァリタスは笑った。
「すみません、少しカッコつけてしまいました」
あははとどこか恥ずかしそうに笑う彼が、いつもの彼ではないような気がして少しだけ可笑しかった。
遠くを見つめるように明後日の方向へ目線を向けると、彼は優しい声色で話し始めた。
「実は……私の前世は伯爵ではあったのですが、統治している街はあまり栄えていなくて。時々そちらへ遊びに行く際はよくこうした露店のものを食べ歩いたりしていたのです。両親に内緒で使用人を連れて街を散策するのが、冒険をしているようでそれが楽しくて仕方なくて」
今までヴァリタスからこうして前世の話を聞くのはほぼ初めてだ。
私があまり前世の話をしないようにしていたからなのだが、まさかここまで好意的に前世のことを受け入れているとは。
あの10歳のころの彼はもうどこか遠くへ行ってしまったのだろう。
その変化が妙に寂しかった。
「まぁそんなのは幼い頃の話です。10歳になる頃には、そちらにも行けなくなってしまいましたし」
優しい目。
本当に昔の懐かしい思い出に思いを馳せているような表情だった。
10歳の頃から、ということはリヴァリオ付きのお役目を与えられたときからだろう。
きっと彼に付きっ切りでなくてはならなくて、自由な時間などほとんどなくなってしまったのだろう。
可哀そうに。
そんなことで、大好きな街にも行けなくなってしまったのか。
私が彼を縛ってしまったから。
「それに……」
「それに?」
暗い気持ちになった私とは裏腹に、彼の表情は穏やかだった。
しかし、何かあったのだろうか。
途端に俯き少し躊躇いがちに口を濁しながらも、顔を上げ上目遣いで私を見つめた。
「エスティは前世が平民ですから。そういう方が親しみやすいんじゃないかと……思いまして」
「っ――――」
彼の言葉にひどく心が揺れた。
こんなにも、私を思ってくれるのはきっと彼だけだろう。
そしてそれは今だけのこと。
婚約破棄を成立させたら、今後こんなに私を思ってくれる人が現れることはない。
この執着がとてつもなく厄介で歪んでいるとしても。
たとえどんな形のものでも、私に向けられた気持ちを蔑ろにすることはできなかった。
いずれ彼のこの気持ちは私以外の誰かにむかい、きっとその人は彼の気持ちにちゃんと答えてくれるだろう。
それがセイラか、はたまた他の知らない誰かかはわからないけれど。
だから今だけ。
今だけは彼の気持ちを受け入れたかった。
「ヴァリタス様、こちらを受け取ってくださいませんか?」
先ほど買ったものを差し出す。
小さな紙袋に包まれたそれは、王族に渡すにはあまりにも不釣り合いなものだった。
まるで今の私が彼に応えられる精いっぱいの気持ちのようにも見えた。
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