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第5章
221.彼女はだれ?
どうしよう。
ヴァリタスにだけはバレたくなかったのに。
もしこのまま婚約破棄ができなければ告げようとは思っていた。
しかし、それは最終手段。
本当に打つ手がなくなった時に告げようと思っていたもの。
できることならそんな事態、回避したかった。
確かめなくちゃ。
でも、どうやって?
今の私は彼に相当嫌われている、と思う。
そんな彼が私に容赦を掛けるわけもない。
下手したら完全に前世がバレるだろう。
でもナタリーを頼るわけにはいかないし……。
「あら、もしかしてヴァリタス殿下に話したことって、貴方にとって相当まずいものだったの?」
その声には、弾んだような喜びを感じた。
パッと顔を上げナタリーを見つめる。
笑みを浮かべた彼女の姿がそこにあった。
なんだろう。
ナタリーからすごく嫌な気を感じる。
先ほどまでの彼女ではない。
違う人間が乗り移ったような、そんな気が……。
「うふふ、なんだか変な気分」
途端にナタリーは浮いた声で笑いはじめた。
何か楽しいことがあったかのように、軽やかな足取りで近づいてくる。
目の前まで来ると、私の両肩に手を掛けた。ふわりと触れるように置いた手は一瞬にしてガッと力を入れられる。そのあまりの強さに顔を歪めた。
「貴方が苦悩する姿を見るのは、とっても気持ちの良いものだったのね」
眼前まで顔を近づけた彼女がニヤリを口角を上げて私に囁いた。
目が血走り、焦点の会わない瞳で見つめられる。
ゾクリと背筋が凍る。
その視線は、以前たくさんの人々から向けられたもの。
私を蔑ろにした人々と同じ目。
それがまた、私に向けられている。
なにこれ。
全然違う人のはずなのに。
全く同じ人に見られているような気がする。
嫌。
嫌だ。
あの時と同じ状況に陥るのだけは、絶対に――――!
思わず彼女を押しのけ、ベンチから立ち上がる。
あんなに強い力で握られていたのに、思いのほかあっさりと解放されたことに少し安堵した。
逃げるように距離を取ると、彼女を見つめる。
なに?
今のは一体誰?
怖い。
とにかく怖い。
「もっともっと苦しんで、もっともっと悲しんで。お前の魂にそれを刻みこんでほしい」
ゆらゆらと揺れながら、彼女が顔を上げる。
ナタリーが行う1つ1つの動作が、今や恐怖を感じるものになっていた。
「そうすれば、我が願いが叶うのだから」
な、に。
この声、ナタリーのものじゃない。
誰なの?
一体何なの!
「貴方は誰? 私を知っているの?」
恐る恐る疑問を口にする。
声が僅かに震えていた。
「何を言っている? お前はずっと我を求めていたじゃないか」
その言葉の意味など、理解できるはずもない。
ただ私は目の前の恐怖に理性を保つので精一杯だった。
恐ろしいほど上げた口角の中は深淵。
まるで私を飲み込む地獄。
駄目。
駄目よ。
そこに落ちたら全部――――。
全部壊れちゃう。
思わず目を瞑った。
「あら? 私は一体なにを?」
その声が聞こえた瞬間、あんなに恐ろしいと思っていたものがパッと消えていた。
目を開けるといつものナタリーがそこにいる。
「なっ! ど、どうして貴方がここにいるの! って、あれ?」
周りを見渡し、ぽかんとした顔をしている。呆けた彼女の顔を見ると、どこかおかしい様子なことがわかる。まるでここがどこなのか、分かっていないような感じだ。
「ナタリー様」
いつの間にかセイラがそこにいた。
凛と立った彼女は、どこか人形のような印象を受ける。
感情の籠らない、ただの人形みたいだった。
「どこに行ったのかと思ったら、こちらにいらしたのですね」
セイラがナタリーに微笑みかける。
穏やかに微笑むセイラはまるで白百合が咲いているように見える。
スッとナタリーの傍に寄ると彼女を支えた。
まるで流れるような動作に美しさを感じた。
「ごきげんよう、エスティ様。お昼の邪魔をして申し訳ありません。私たちはこちらで失礼いたしますね」
まるで何事もなかったかのように振舞う彼女に違和感を覚えた。
私の記憶の中の彼女は、少女のように無邪気な子だった。
自分に悪意を向けた人間に対してこんな風に器用に振舞える人ではなかったはずだ。
ナタリーを促しながら、私に背を向けた。
と、何かを思い出したように彼女がそっと振り返った。
「黒魔術とは本当に恐ろしいものですね」
私に向かって微笑みながらセイラがふわりと呟く。
その声も表情も、何も感情が込められていないものに見えた。
でもどこか、殻に閉じ込めた感情が薄く透けて見えたようにも思えた。
酷く、泣いている彼女がそこにいるような。
しかし、私は彼女に触れることすらできない。
そんな資格などないと思ったから。
そんな事を思っているうちに、彼女は私の視界から消えてしまった。
何かが少しずつ、壊れ始めている。
少しずつ何かが動き始めている。
そんな気配がして、目を瞑った。
空を見上げ、目を開ける。
私がどこにいても、誰かが手を繋いでいてくれたら。
私は何も見えない暗闇に落ちても、きっと幸せだった。
だから私はあの子の手を離さなかったのだろう。
あの子が私を繋ぎとめてくれていた。
でももう、あの子はいない。
あの子は誰?
ずっと探しているのに、心にも記憶にもいないの。
ずっと探しているのに……。
恋しくて、恋しくて。
心を捨ててしまいたくなった。
ヴァリタスにだけはバレたくなかったのに。
もしこのまま婚約破棄ができなければ告げようとは思っていた。
しかし、それは最終手段。
本当に打つ手がなくなった時に告げようと思っていたもの。
できることならそんな事態、回避したかった。
確かめなくちゃ。
でも、どうやって?
今の私は彼に相当嫌われている、と思う。
そんな彼が私に容赦を掛けるわけもない。
下手したら完全に前世がバレるだろう。
でもナタリーを頼るわけにはいかないし……。
「あら、もしかしてヴァリタス殿下に話したことって、貴方にとって相当まずいものだったの?」
その声には、弾んだような喜びを感じた。
パッと顔を上げナタリーを見つめる。
笑みを浮かべた彼女の姿がそこにあった。
なんだろう。
ナタリーからすごく嫌な気を感じる。
先ほどまでの彼女ではない。
違う人間が乗り移ったような、そんな気が……。
「うふふ、なんだか変な気分」
途端にナタリーは浮いた声で笑いはじめた。
何か楽しいことがあったかのように、軽やかな足取りで近づいてくる。
目の前まで来ると、私の両肩に手を掛けた。ふわりと触れるように置いた手は一瞬にしてガッと力を入れられる。そのあまりの強さに顔を歪めた。
「貴方が苦悩する姿を見るのは、とっても気持ちの良いものだったのね」
眼前まで顔を近づけた彼女がニヤリを口角を上げて私に囁いた。
目が血走り、焦点の会わない瞳で見つめられる。
ゾクリと背筋が凍る。
その視線は、以前たくさんの人々から向けられたもの。
私を蔑ろにした人々と同じ目。
それがまた、私に向けられている。
なにこれ。
全然違う人のはずなのに。
全く同じ人に見られているような気がする。
嫌。
嫌だ。
あの時と同じ状況に陥るのだけは、絶対に――――!
思わず彼女を押しのけ、ベンチから立ち上がる。
あんなに強い力で握られていたのに、思いのほかあっさりと解放されたことに少し安堵した。
逃げるように距離を取ると、彼女を見つめる。
なに?
今のは一体誰?
怖い。
とにかく怖い。
「もっともっと苦しんで、もっともっと悲しんで。お前の魂にそれを刻みこんでほしい」
ゆらゆらと揺れながら、彼女が顔を上げる。
ナタリーが行う1つ1つの動作が、今や恐怖を感じるものになっていた。
「そうすれば、我が願いが叶うのだから」
な、に。
この声、ナタリーのものじゃない。
誰なの?
一体何なの!
「貴方は誰? 私を知っているの?」
恐る恐る疑問を口にする。
声が僅かに震えていた。
「何を言っている? お前はずっと我を求めていたじゃないか」
その言葉の意味など、理解できるはずもない。
ただ私は目の前の恐怖に理性を保つので精一杯だった。
恐ろしいほど上げた口角の中は深淵。
まるで私を飲み込む地獄。
駄目。
駄目よ。
そこに落ちたら全部――――。
全部壊れちゃう。
思わず目を瞑った。
「あら? 私は一体なにを?」
その声が聞こえた瞬間、あんなに恐ろしいと思っていたものがパッと消えていた。
目を開けるといつものナタリーがそこにいる。
「なっ! ど、どうして貴方がここにいるの! って、あれ?」
周りを見渡し、ぽかんとした顔をしている。呆けた彼女の顔を見ると、どこかおかしい様子なことがわかる。まるでここがどこなのか、分かっていないような感じだ。
「ナタリー様」
いつの間にかセイラがそこにいた。
凛と立った彼女は、どこか人形のような印象を受ける。
感情の籠らない、ただの人形みたいだった。
「どこに行ったのかと思ったら、こちらにいらしたのですね」
セイラがナタリーに微笑みかける。
穏やかに微笑むセイラはまるで白百合が咲いているように見える。
スッとナタリーの傍に寄ると彼女を支えた。
まるで流れるような動作に美しさを感じた。
「ごきげんよう、エスティ様。お昼の邪魔をして申し訳ありません。私たちはこちらで失礼いたしますね」
まるで何事もなかったかのように振舞う彼女に違和感を覚えた。
私の記憶の中の彼女は、少女のように無邪気な子だった。
自分に悪意を向けた人間に対してこんな風に器用に振舞える人ではなかったはずだ。
ナタリーを促しながら、私に背を向けた。
と、何かを思い出したように彼女がそっと振り返った。
「黒魔術とは本当に恐ろしいものですね」
私に向かって微笑みながらセイラがふわりと呟く。
その声も表情も、何も感情が込められていないものに見えた。
でもどこか、殻に閉じ込めた感情が薄く透けて見えたようにも思えた。
酷く、泣いている彼女がそこにいるような。
しかし、私は彼女に触れることすらできない。
そんな資格などないと思ったから。
そんな事を思っているうちに、彼女は私の視界から消えてしまった。
何かが少しずつ、壊れ始めている。
少しずつ何かが動き始めている。
そんな気配がして、目を瞑った。
空を見上げ、目を開ける。
私がどこにいても、誰かが手を繋いでいてくれたら。
私は何も見えない暗闇に落ちても、きっと幸せだった。
だから私はあの子の手を離さなかったのだろう。
あの子が私を繋ぎとめてくれていた。
でももう、あの子はいない。
あの子は誰?
ずっと探しているのに、心にも記憶にもいないの。
ずっと探しているのに……。
恋しくて、恋しくて。
心を捨ててしまいたくなった。
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’20.3.17 追記
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お楽しみいただけると幸いです。