251 / 339
第5章
246.まだこの時を
しおりを挟む
10分ほどして双方のお茶が目の前にやってきた。
安らかな香りのハーブティーが鼻孔をくすぐり、だるさを癒してくれる。
「おいしい……」
一口口に含んだミリアがため息を溢すように呟いた。あまり紅茶の美味しさを理解できていないミリアにも理解できるということは相当おいしいのだろう。なんだ、私も紅茶を頼めば良かったかしら。
ミリアに気を取られながら私も自分のカップに口づけ一口含む。
「本当だわ。ハーブティーもすごくおいしい」
「それは良かったです。うちはお茶にすごく力を入れているので」
2人で喜んでいると、通りすがりのウェイトレスさんに笑顔で教えてもらった。
私たちの会話を邪魔することもなく去っていくウェイトレスさんの颯爽さに思わず関心してしまう。
どうやらそれは私だけではなかったようだ。
「あれがコミュニケーション強者の技ってものですよ。お嬢様も先ほどの店員さんを見習ってみたらどうですか?」
「なんですって?」
「冗談じゃないですか。真に受けないでくださいよ」
まるで詫びる気もない目の前の彼女は何事もなかったかのように紅茶を飲んでいる。
本当に減らない口なんだから。
私もカップを口まで運んで、呆れながらまどろんでいた。
ほどなくして2人同時にスイーツが運ばれてきた。
ミリアの頼んだワッフルにはたっぷりの生クリームに柑橘系のソースが掛かっておりその香りが私にまで流れてきた。芳醇な香りを前に少し後悔しつつ目の前のブラウニーに切れ込みを入れる。
「すごい! おいしいです、お嬢様」
先に口に運んだミリアが歓声を上げた。ミリアがこんなに声を出して喜ぶなんて珍しい。自然と顔が綻んだ私はつられるようにブラウニーを口に運んだ。ビターでの中にほんのり主張する甘さが口いっぱいに広がった。
「ええ、本当だわ。私のもおいしい」
お屋敷で出るお菓子とはまた違う。
暖かさのある、優しい味だった。
しかし、2,3口食べたところでそれ以上口に運ぶことはできなくなってしまった。
いくらはしゃいでいても、いくら楽しくても。
私の体はまだ、生きることを望んでいない。
「ねぇ、ミリア。私のも食べる? 私もう食べられないから」
「もうよろしいのですか?」
「ええ」
本当ははしたないことだってわかっているけど、残してしまうのは忍びない。折角こんな素晴らしいお店なのに、私の所為で作ってくれた人が悲しんでしまうのはすごく嫌だった。お皿をミリアの方へと渡し、カップを持ち上げたもののそのままソーサーに戻してしまう。
どうやら、もう口の中には何も入れられないみたいだ。
「ごめんなさいね。せっかくミリアが誘ってくれたのに……」
彼女の好意を踏みにじってしまったようで、ひどく落ち込んだ。
もう、こんなことできないかもしれないのに。
「良いんです。私はこうして、お嬢様と身分なんて関係なくお茶をしたかっただけなので」
明るく笑った彼女の言葉が一瞬にして霧を晴らしていく。
彼女の真意がなんであるか、その時初めて知った。
ただ一緒にお茶をするだけでも、私たちには壁があったのだ。
きっとミリアはそのことをずっと煩わしく思っていたのかもしれない。
あの関係が壊れてしまうことを私は望んでいた。
しかしそれは目の前の彼女との別れを意味していた。
でもきっと、ミリアは違う意味で私との関係を壊したかったのだ。
私が考えているものよりも、もっとずっと切実な思いで。
今の私たちは他の人たちから、どう見えているのだろう。
ちゃんと友人同士に見えるだろうか。
身分など、関係なく同じ人間として見えているだろうか。
「ずっとこうしていられる未来だったら、生きていきたいのだけどね」
店内をぼんやりと見つめながら、無意識に呟いていた。
これから私はどうなるのだろう。
昨日からずっと、無意識の中でもそのことを考えている。
もしヴァリタスが私を見捨てても、私に未来はあるだろうか。
そんなこと、考えられない。
彼に正体が知られた今、平穏な未来など想像することもできなかった。
このまま婚約破棄が出来たとしても、ヴァリタスに正体がバレたことは必ず父に伝わる。
そうすれば、父は私に容赦などなくすだろう。
今の時点でもほとんど見捨てられているとはいえ、最低限の生活が送れるほどには気を回されている。
だが、その気遣いさえ無用になったら?
今度こそ、私はどこにも行けなくなるだろう。
もしヴァリタスに私の前世が知られないまま、婚約破棄できたなら父から離れて自由になれたはずだ。
父が恐れていたのは、英雄の生まれ変わりであるヴァリタスやその子孫である王族に私の正体が知られることだった。その恐れが無くなれば私がどうなろうと、何をしようと何も気に留めることはなくなっていたことだろう。
しかし、よりにもよってヴァリタスに知られたとなればそうは言っていられない。
おそらく王宮にその事実は広まるもの時間の問題だろう。
そうなれば、私から目を放すわけにはいかなくなる。
国民の畏怖の対象である私を野に放つなんて暴挙を王宮がするはずがないからだ。
そうなれば私の行動範囲は途端に猫の額ほど狭くなってしまう。
ずっと屋敷に幽閉されるか、どこかの別荘地に隔離されるか。
父の監視下、父が死ぬまで私に自由は与えられない。
いいえ、父が死んだあとは多分その役目を王宮が引き継ぐだろう。
どちらにしろ、私に自由はないのだろう。
父の畏怖、ヴァリタスの憎悪。
その二つを向けられた私に自由など与えられるなんて思えないから。
私の自由はいつまで許されるだろうか。
もしかしたら、明日にはもう何も残っていないかもしれない。
だから私は――――
最後に、彼に会わなければ。
安らかな香りのハーブティーが鼻孔をくすぐり、だるさを癒してくれる。
「おいしい……」
一口口に含んだミリアがため息を溢すように呟いた。あまり紅茶の美味しさを理解できていないミリアにも理解できるということは相当おいしいのだろう。なんだ、私も紅茶を頼めば良かったかしら。
ミリアに気を取られながら私も自分のカップに口づけ一口含む。
「本当だわ。ハーブティーもすごくおいしい」
「それは良かったです。うちはお茶にすごく力を入れているので」
2人で喜んでいると、通りすがりのウェイトレスさんに笑顔で教えてもらった。
私たちの会話を邪魔することもなく去っていくウェイトレスさんの颯爽さに思わず関心してしまう。
どうやらそれは私だけではなかったようだ。
「あれがコミュニケーション強者の技ってものですよ。お嬢様も先ほどの店員さんを見習ってみたらどうですか?」
「なんですって?」
「冗談じゃないですか。真に受けないでくださいよ」
まるで詫びる気もない目の前の彼女は何事もなかったかのように紅茶を飲んでいる。
本当に減らない口なんだから。
私もカップを口まで運んで、呆れながらまどろんでいた。
ほどなくして2人同時にスイーツが運ばれてきた。
ミリアの頼んだワッフルにはたっぷりの生クリームに柑橘系のソースが掛かっておりその香りが私にまで流れてきた。芳醇な香りを前に少し後悔しつつ目の前のブラウニーに切れ込みを入れる。
「すごい! おいしいです、お嬢様」
先に口に運んだミリアが歓声を上げた。ミリアがこんなに声を出して喜ぶなんて珍しい。自然と顔が綻んだ私はつられるようにブラウニーを口に運んだ。ビターでの中にほんのり主張する甘さが口いっぱいに広がった。
「ええ、本当だわ。私のもおいしい」
お屋敷で出るお菓子とはまた違う。
暖かさのある、優しい味だった。
しかし、2,3口食べたところでそれ以上口に運ぶことはできなくなってしまった。
いくらはしゃいでいても、いくら楽しくても。
私の体はまだ、生きることを望んでいない。
「ねぇ、ミリア。私のも食べる? 私もう食べられないから」
「もうよろしいのですか?」
「ええ」
本当ははしたないことだってわかっているけど、残してしまうのは忍びない。折角こんな素晴らしいお店なのに、私の所為で作ってくれた人が悲しんでしまうのはすごく嫌だった。お皿をミリアの方へと渡し、カップを持ち上げたもののそのままソーサーに戻してしまう。
どうやら、もう口の中には何も入れられないみたいだ。
「ごめんなさいね。せっかくミリアが誘ってくれたのに……」
彼女の好意を踏みにじってしまったようで、ひどく落ち込んだ。
もう、こんなことできないかもしれないのに。
「良いんです。私はこうして、お嬢様と身分なんて関係なくお茶をしたかっただけなので」
明るく笑った彼女の言葉が一瞬にして霧を晴らしていく。
彼女の真意がなんであるか、その時初めて知った。
ただ一緒にお茶をするだけでも、私たちには壁があったのだ。
きっとミリアはそのことをずっと煩わしく思っていたのかもしれない。
あの関係が壊れてしまうことを私は望んでいた。
しかしそれは目の前の彼女との別れを意味していた。
でもきっと、ミリアは違う意味で私との関係を壊したかったのだ。
私が考えているものよりも、もっとずっと切実な思いで。
今の私たちは他の人たちから、どう見えているのだろう。
ちゃんと友人同士に見えるだろうか。
身分など、関係なく同じ人間として見えているだろうか。
「ずっとこうしていられる未来だったら、生きていきたいのだけどね」
店内をぼんやりと見つめながら、無意識に呟いていた。
これから私はどうなるのだろう。
昨日からずっと、無意識の中でもそのことを考えている。
もしヴァリタスが私を見捨てても、私に未来はあるだろうか。
そんなこと、考えられない。
彼に正体が知られた今、平穏な未来など想像することもできなかった。
このまま婚約破棄が出来たとしても、ヴァリタスに正体がバレたことは必ず父に伝わる。
そうすれば、父は私に容赦などなくすだろう。
今の時点でもほとんど見捨てられているとはいえ、最低限の生活が送れるほどには気を回されている。
だが、その気遣いさえ無用になったら?
今度こそ、私はどこにも行けなくなるだろう。
もしヴァリタスに私の前世が知られないまま、婚約破棄できたなら父から離れて自由になれたはずだ。
父が恐れていたのは、英雄の生まれ変わりであるヴァリタスやその子孫である王族に私の正体が知られることだった。その恐れが無くなれば私がどうなろうと、何をしようと何も気に留めることはなくなっていたことだろう。
しかし、よりにもよってヴァリタスに知られたとなればそうは言っていられない。
おそらく王宮にその事実は広まるもの時間の問題だろう。
そうなれば、私から目を放すわけにはいかなくなる。
国民の畏怖の対象である私を野に放つなんて暴挙を王宮がするはずがないからだ。
そうなれば私の行動範囲は途端に猫の額ほど狭くなってしまう。
ずっと屋敷に幽閉されるか、どこかの別荘地に隔離されるか。
父の監視下、父が死ぬまで私に自由は与えられない。
いいえ、父が死んだあとは多分その役目を王宮が引き継ぐだろう。
どちらにしろ、私に自由はないのだろう。
父の畏怖、ヴァリタスの憎悪。
その二つを向けられた私に自由など与えられるなんて思えないから。
私の自由はいつまで許されるだろうか。
もしかしたら、明日にはもう何も残っていないかもしれない。
だから私は――――
最後に、彼に会わなければ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない
陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」
デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。
そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。
いつの間にかパトロンが大量発生していた。
ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?
【完結】ヒロインに転生しましたが、モブのイケオジが好きなので、悪役令嬢の婚約破棄を回避させたつもりが、やっぱり婚約破棄されている。
樹結理(きゆり)
恋愛
「アイリーン、貴女との婚約は破棄させてもらう」
大勢が集まるパーティの場で、この国の第一王子セルディ殿下がそう宣言した。
はぁぁあ!? なんでどうしてそうなった!!
私の必死の努力を返してー!!
乙女ゲーム『ラベルシアの乙女』の世界に転生してしまった日本人のアラサー女子。
気付けば物語が始まる学園への入学式の日。
私ってヒロインなの!?攻略対象のイケメンたちに囲まれる日々。でも!私が好きなのは攻略対象たちじゃないのよー!!
私が好きなのは攻略対象でもなんでもない、物語にたった二回しか出てこないイケオジ!
所謂モブと言っても過言ではないほど、関わることが少ないイケオジ。
でもでも!せっかくこの世界に転生出来たのなら何度も見たイケメンたちよりも、レアなイケオジを!!
攻略対象たちや悪役令嬢と友好的な関係を築きつつ、悪役令嬢の婚約破棄を回避しつつ、イケオジを狙う十六歳、侯爵令嬢!
必死に悪役令嬢の婚約破棄イベントを回避してきたつもりが、なんでどうしてそうなった!!
やっぱり婚約破棄されてるじゃないのー!!
必死に努力したのは無駄足だったのか!?ヒロインは一体誰と結ばれるのか……。
※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。
※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。
モブ転生とはこんなもの
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。
乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。
今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。
いったいどうしたらいいのかしら……。
現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
他サイトでも公開しています。
前世と今世の幸せ
夕香里
恋愛
【商業化予定のため、時期未定ですが引き下げ予定があります。詳しくは近況ボードをご確認ください】
幼い頃から皇帝アルバートの「皇后」になるために妃教育を受けてきたリーティア。
しかし聖女が発見されたことでリーティアは皇后ではなく、皇妃として皇帝に嫁ぐ。
皇帝は皇妃を冷遇し、皇后を愛した。
そのうちにリーティアは病でこの世を去ってしまう。
この世を去った後に訳あってもう一度同じ人生を繰り返すことになった彼女は思う。
「今世は幸せになりたい」と
※小説家になろう様にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる