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第6章
288.矛盾する感情
いつの間にか握られていた手は、酷く強い力が込められていた。
痛いと思うのに、離してほしいとは思わなかった。
「そろそろ戻らなければ」
ふいに顔をあげ、手を離された。
今どれくらいの時間なのかはわからないが、小さな窓から見える月の高さから夜もだいぶ更けているのだろう。
「そう。気を付けてね」
一瞬固まったが、すぐに立ち上げると私の方へ振り返った。
「また来ます。それまでその薬を飲んで、安静にしていてください」
それだけ言うとこちらの返事も待たず速足で闇の中へと消えていった。
足音が徐々に小さくなっていき、彼が遠くなっていくのがわかる。
「もう、来なくて良いっていったのにね……」
また来るなんて言われたら、きっと待ってしまうだろう。
そんな事を言ってくれる人なんて、今の私には彼しかいないような気がする。
ここに居られるのもそんなに長くはない。
次に私が辿り着く場所はどこなのだろう。
そこに私を訪ねてくる人は果たしているのだろうか。
今は使われることもなくなった、高い塔の牢獄に彼女は1人で閉じ込められている。
冷たく暗いあの場所で、寂しさに戦いながらそれでも気丈に振舞う彼女は強い女性だと思うのにとても脆く見えた。
「待っていて。必ず助けてみせるから」
私の思いなどもう君に押し付けようなどとは思わない。
きっと私が告げる度に彼女は傷ついていたのだろうから。
例え二度と君に届かなくても、もう迷わないと決めた。
その誓いだけで、十分だった。
***
兄の祝賀パーティが最悪の形で終わりを迎え、今頃祝福の空気を纏っていたはずの王宮内はどこか落ち着きがない。
それは社交界でも同じだろう。
なんせ、最悪の皇帝が生まれ変わって自分たちの目の前に現れたのだから。
幼い頃に寝台で聞かせられる昔話の中で悪逆皇帝の話はこの国では有名なものだ。
誰しもがその悪者に嫌悪を抱き畏怖の念を抱く。
それはこの国にとっては戒めのようなもの。
貴族であっても傲慢にならず、人々のために尽くす。
強欲の限りを尽くした後に処刑された彼を見て、子供たちは正しく育つ事を学ぶのである。
だからこそ、彼の皇帝を誰しもが嫌い誰しもが蔑んでいた。
けれどそれは物語の中の人物であったために、現実味のない相手にだからこそ抱ける感情。
もし目の前に彼が現れたとしたら、一体どんな感情を抱くだろうか。
ある者は近づくことも恐れ、ある者は排除しようと思うのではないだろうか。
たとえ彼女が何もしていない無害な人間なのだとしても。
そしてそれは、僕も同じだった。
いや、僕の場合はすでに彼女に憎悪を抱いている。
前世ほどのものではないものの、以前のように優しくすることも微笑みかけることさえも苦痛なほどだ。
昨日のパーティの事もあり最近は少しだけ歩み寄ろうとも思っていたが、彼女の前世が明らかになった瞬間の人々の反応を見て考えを改めた。
誰も望んでいない人間があの場にいることに一体どんな価値があるというのだろう。
彼の事を知らない人々でさえ、彼を憎悪し排除しようとしている。
後世の人々にそれほどまでに忌み嫌われる人間など、生きている意味など果たしてあるだろうか。
「それなのにどうして僕は……」
彼女はいらない。必要とされない人間なのだと思う反面。
どうしようもなく、彼女を求めてしまう自分がいる。
父が騎士たちに彼女を投獄しようとしたとき、少しも動けなかった。
そんな自分が情けなくて、どうしようもなく酷い人間だと思ってしまう。
今だって、彼女の事を助けようと父のいる執務室へ急いでいる。
矛盾する感情が渦巻きながらも、まだ僕は彼女の事を大事だと思っているのだ。
おかしい、まるで喜劇を見ているかのようにおかしくて堪らない。
僕はどうしてこんなにおかしな人間になってしまったのだろう。
「陛下、どうか彼女を解放していただけませんか?」
執務室の扉を叩くと、すぐに中に通された。
てっきり彼女の事で忙しいと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
執務室に入るやいなや、僕は父に問いかけた。
机に向かい、書類を見つめながら顔を上げることすらしない父の様子に焦りが込み上げる。
「彼女はまだ何もしていません。それなのに牢に閉じ込めるなど、やりすぎではありませんか?」
なんとか落ち着いた態度を保ちながら、声を張り上げる。
流石にこのまま無視するのもできなかったらしく、父はゆっくりと顔を上げた。
鋭い眼光でこちらを見つめる父の様子から、あまり良い言葉は聞けないのだろう。
案の定父は低い声で告げた。
「お前もわかっているはずだ。たとえ彼女が何もしていなくても、世間が野放しにするのを許すはずがない。彼女の前世が彼の皇帝だと分かった以上、こちらはそれ相応の対応をしなければならない」
それがオルタリア王国としての役目なのだと続けた父の眉間には深い皺が寄っている。
家族の前ではいつも柔和な笑みを崩さない父がこうして僕に対し険しい顔を向けること自体珍しいことだ。
繕えないほど、この状況に苦悩しているのだろう。
痛いと思うのに、離してほしいとは思わなかった。
「そろそろ戻らなければ」
ふいに顔をあげ、手を離された。
今どれくらいの時間なのかはわからないが、小さな窓から見える月の高さから夜もだいぶ更けているのだろう。
「そう。気を付けてね」
一瞬固まったが、すぐに立ち上げると私の方へ振り返った。
「また来ます。それまでその薬を飲んで、安静にしていてください」
それだけ言うとこちらの返事も待たず速足で闇の中へと消えていった。
足音が徐々に小さくなっていき、彼が遠くなっていくのがわかる。
「もう、来なくて良いっていったのにね……」
また来るなんて言われたら、きっと待ってしまうだろう。
そんな事を言ってくれる人なんて、今の私には彼しかいないような気がする。
ここに居られるのもそんなに長くはない。
次に私が辿り着く場所はどこなのだろう。
そこに私を訪ねてくる人は果たしているのだろうか。
今は使われることもなくなった、高い塔の牢獄に彼女は1人で閉じ込められている。
冷たく暗いあの場所で、寂しさに戦いながらそれでも気丈に振舞う彼女は強い女性だと思うのにとても脆く見えた。
「待っていて。必ず助けてみせるから」
私の思いなどもう君に押し付けようなどとは思わない。
きっと私が告げる度に彼女は傷ついていたのだろうから。
例え二度と君に届かなくても、もう迷わないと決めた。
その誓いだけで、十分だった。
***
兄の祝賀パーティが最悪の形で終わりを迎え、今頃祝福の空気を纏っていたはずの王宮内はどこか落ち着きがない。
それは社交界でも同じだろう。
なんせ、最悪の皇帝が生まれ変わって自分たちの目の前に現れたのだから。
幼い頃に寝台で聞かせられる昔話の中で悪逆皇帝の話はこの国では有名なものだ。
誰しもがその悪者に嫌悪を抱き畏怖の念を抱く。
それはこの国にとっては戒めのようなもの。
貴族であっても傲慢にならず、人々のために尽くす。
強欲の限りを尽くした後に処刑された彼を見て、子供たちは正しく育つ事を学ぶのである。
だからこそ、彼の皇帝を誰しもが嫌い誰しもが蔑んでいた。
けれどそれは物語の中の人物であったために、現実味のない相手にだからこそ抱ける感情。
もし目の前に彼が現れたとしたら、一体どんな感情を抱くだろうか。
ある者は近づくことも恐れ、ある者は排除しようと思うのではないだろうか。
たとえ彼女が何もしていない無害な人間なのだとしても。
そしてそれは、僕も同じだった。
いや、僕の場合はすでに彼女に憎悪を抱いている。
前世ほどのものではないものの、以前のように優しくすることも微笑みかけることさえも苦痛なほどだ。
昨日のパーティの事もあり最近は少しだけ歩み寄ろうとも思っていたが、彼女の前世が明らかになった瞬間の人々の反応を見て考えを改めた。
誰も望んでいない人間があの場にいることに一体どんな価値があるというのだろう。
彼の事を知らない人々でさえ、彼を憎悪し排除しようとしている。
後世の人々にそれほどまでに忌み嫌われる人間など、生きている意味など果たしてあるだろうか。
「それなのにどうして僕は……」
彼女はいらない。必要とされない人間なのだと思う反面。
どうしようもなく、彼女を求めてしまう自分がいる。
父が騎士たちに彼女を投獄しようとしたとき、少しも動けなかった。
そんな自分が情けなくて、どうしようもなく酷い人間だと思ってしまう。
今だって、彼女の事を助けようと父のいる執務室へ急いでいる。
矛盾する感情が渦巻きながらも、まだ僕は彼女の事を大事だと思っているのだ。
おかしい、まるで喜劇を見ているかのようにおかしくて堪らない。
僕はどうしてこんなにおかしな人間になってしまったのだろう。
「陛下、どうか彼女を解放していただけませんか?」
執務室の扉を叩くと、すぐに中に通された。
てっきり彼女の事で忙しいと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
執務室に入るやいなや、僕は父に問いかけた。
机に向かい、書類を見つめながら顔を上げることすらしない父の様子に焦りが込み上げる。
「彼女はまだ何もしていません。それなのに牢に閉じ込めるなど、やりすぎではありませんか?」
なんとか落ち着いた態度を保ちながら、声を張り上げる。
流石にこのまま無視するのもできなかったらしく、父はゆっくりと顔を上げた。
鋭い眼光でこちらを見つめる父の様子から、あまり良い言葉は聞けないのだろう。
案の定父は低い声で告げた。
「お前もわかっているはずだ。たとえ彼女が何もしていなくても、世間が野放しにするのを許すはずがない。彼女の前世が彼の皇帝だと分かった以上、こちらはそれ相応の対応をしなければならない」
それがオルタリア王国としての役目なのだと続けた父の眉間には深い皺が寄っている。
家族の前ではいつも柔和な笑みを崩さない父がこうして僕に対し険しい顔を向けること自体珍しいことだ。
繕えないほど、この状況に苦悩しているのだろう。
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