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第6章
305.誰にも言えないあの子の話
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彼女の願いを叶えなければ。
きっとこれが僕が叶えられる最後の願い事になる。
彼女を救えたとしても、彼女の近くに僕の居場所はない。
ならせめて、この小さな願いだけでも叶えなければ。
「わかりました。今すぐ取ってきます」
「明日で良いです。それより、わたしの話を聞いてくれませんか?」
「話、ですか?」
「はい」
柔らかく少し弾んだ声で嬉しそうに笑う。
さっきまでの虚無にも似た覚悟を見せたときとは思えないほどのもので驚く。
「ずっと誰にもお話できなかったことがあるのです。他の人には理解されないものですから」
誰にも言えなかった事?
それを僕に言うとは一体?
彼女にとって今の僕はただ毎日様子を見に来るだけの見ず知らずの男。
そんな相手に誰にも言えなかった事を言うのだ。
一体どんな内容なのだろう。
というか僕が聞いて良いものなのだろうか。
こちらの逡巡など知らない彼女は、ただ淡々と話しはじめた。
「わたしは前世の事を全て思い出しているわけではないのです。というより3分の1すら思い出せていません。自分の事すらわたしは分からないのです。でも、そんな少ない記憶の中でも一つだけわかる事があるのです。わたしには守りたい子が、とても大事な子がいた事」
「守りたい子……」
それって、もしかして――
「それが誰なのか、どんな子なのか何も思い出せません。声も名前も顔すらも。でもとても大事だった事だけはわかります。助けてあげたかった。ずっと笑っていてほしかった。たとえどんなことをされても、ずっと信じてた。あの子に未来があることを」
そうか彼女は思い出していないのか。
少しだけ、ほんの少しだけ安堵した。
ずっと大切にしていた事は知っていた。
例えどんな目にあわされようとも、あの方は彼を信じていた。
彼はあまり大事にはしていなかったが。
そのすれ違いが見ていて痛くて、あまり彼が好きではなかった。
ただ小さい頃の彼は本当に良い子だった。
とても良く似ていた。
「わたしはただ、父のように国を民たちを守りたかった。でも、わたしにはそこまでの力はなかった。人一人従わせることができないわたしは皇帝になるべきではなかったのです。でも、それでもたった1人、あの子だけは……」
顔を上げた彼女の頬には涙が零れていた。
しかし、そこには何の感情も無い冷たい涙だった。
「あの子だけは守りぬいてあげたかった。どんな運命にあったとしても、あの子に幸せをあげたかったのです」
静かに泣く彼女の唇は震えていた。
意味もなく泣いているのだと思うと、心が痛かった。
「馬鹿でしょう? 何も覚えていないのに、そんな相手を大事なのだというのですから。わたしも馬鹿だと思います。けれどわたしにとってあの子はこの国よりも大事なものだったのだと思います」
思い出せない人を、それでも大事だと思うというのはどんな感覚なのだろう。
それが誰なのかわからない。
想いを馳せる相手もいないのにその気持ちは溢れるばかりで。
どうやって整理するべきなのかもわからないその思いはどうやって向き合えばよいのだろうか。
「その人の事、思い出したいとは思わないのですか?」
「わかりません。今までは、それよりもっと他の事を思い出さなければいけないと思っていましたから。
でも、そうですね。思い出したいと、思うのですが。それがどこか怖い気もするのです」
「怖い」
「なにかとても辛い事が待っているような。そんな気がするのです」
その予感は確かに当たっている。
彼らの仲はどう見ても良いものではなかった。
一方的な感情を一方がぶつけて、一方がそれを受け止める。
しかし、受け止める側はいつも潰れるように心を痛めていた。
そうして破綻した関係のまま、彼らは終わりを迎えた。
正確には、一方は行方不明となったまま今もどこに消えたのかはわからない。
どこか遠くの国に逃亡したのかもしれないが、当時どう探しても見つからなかった。
きっとこれが僕が叶えられる最後の願い事になる。
彼女を救えたとしても、彼女の近くに僕の居場所はない。
ならせめて、この小さな願いだけでも叶えなければ。
「わかりました。今すぐ取ってきます」
「明日で良いです。それより、わたしの話を聞いてくれませんか?」
「話、ですか?」
「はい」
柔らかく少し弾んだ声で嬉しそうに笑う。
さっきまでの虚無にも似た覚悟を見せたときとは思えないほどのもので驚く。
「ずっと誰にもお話できなかったことがあるのです。他の人には理解されないものですから」
誰にも言えなかった事?
それを僕に言うとは一体?
彼女にとって今の僕はただ毎日様子を見に来るだけの見ず知らずの男。
そんな相手に誰にも言えなかった事を言うのだ。
一体どんな内容なのだろう。
というか僕が聞いて良いものなのだろうか。
こちらの逡巡など知らない彼女は、ただ淡々と話しはじめた。
「わたしは前世の事を全て思い出しているわけではないのです。というより3分の1すら思い出せていません。自分の事すらわたしは分からないのです。でも、そんな少ない記憶の中でも一つだけわかる事があるのです。わたしには守りたい子が、とても大事な子がいた事」
「守りたい子……」
それって、もしかして――
「それが誰なのか、どんな子なのか何も思い出せません。声も名前も顔すらも。でもとても大事だった事だけはわかります。助けてあげたかった。ずっと笑っていてほしかった。たとえどんなことをされても、ずっと信じてた。あの子に未来があることを」
そうか彼女は思い出していないのか。
少しだけ、ほんの少しだけ安堵した。
ずっと大切にしていた事は知っていた。
例えどんな目にあわされようとも、あの方は彼を信じていた。
彼はあまり大事にはしていなかったが。
そのすれ違いが見ていて痛くて、あまり彼が好きではなかった。
ただ小さい頃の彼は本当に良い子だった。
とても良く似ていた。
「わたしはただ、父のように国を民たちを守りたかった。でも、わたしにはそこまでの力はなかった。人一人従わせることができないわたしは皇帝になるべきではなかったのです。でも、それでもたった1人、あの子だけは……」
顔を上げた彼女の頬には涙が零れていた。
しかし、そこには何の感情も無い冷たい涙だった。
「あの子だけは守りぬいてあげたかった。どんな運命にあったとしても、あの子に幸せをあげたかったのです」
静かに泣く彼女の唇は震えていた。
意味もなく泣いているのだと思うと、心が痛かった。
「馬鹿でしょう? 何も覚えていないのに、そんな相手を大事なのだというのですから。わたしも馬鹿だと思います。けれどわたしにとってあの子はこの国よりも大事なものだったのだと思います」
思い出せない人を、それでも大事だと思うというのはどんな感覚なのだろう。
それが誰なのかわからない。
想いを馳せる相手もいないのにその気持ちは溢れるばかりで。
どうやって整理するべきなのかもわからないその思いはどうやって向き合えばよいのだろうか。
「その人の事、思い出したいとは思わないのですか?」
「わかりません。今までは、それよりもっと他の事を思い出さなければいけないと思っていましたから。
でも、そうですね。思い出したいと、思うのですが。それがどこか怖い気もするのです」
「怖い」
「なにかとても辛い事が待っているような。そんな気がするのです」
その予感は確かに当たっている。
彼らの仲はどう見ても良いものではなかった。
一方的な感情を一方がぶつけて、一方がそれを受け止める。
しかし、受け止める側はいつも潰れるように心を痛めていた。
そうして破綻した関係のまま、彼らは終わりを迎えた。
正確には、一方は行方不明となったまま今もどこに消えたのかはわからない。
どこか遠くの国に逃亡したのかもしれないが、当時どう探しても見つからなかった。
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