舞い落ちて、消える

松山秋ノブ

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Epilogue.2(2007/12/17 Side.藤井香織)

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2007年12月17日

 1週間後、私はまた佑矢先輩を待っていた。
「待っていましたよ、佑矢先輩」
香織も懲りないな、と佑矢先輩は肩をすくめた。
「今日は会わせたい人がいます」
「僕は基本的に誰にも会いたくないんだけれど」
「小説を書いた理由を解き明かせ、と言ったのは先輩ですよ」
「何かわかったのかい」
「会えばわかります」
私は研究棟から歩いてすぐのところにある図書館へと向かう。先輩もそれ以上は拒否することなく黙って私についてくる。

「私は一度、あの小説に書いてあることが全て本当だったらと仮定しました」
本当は着くまで言わないでおくつもりだったが、沈黙に耐えきれず私は話し出す。
「あの小説にはいくつか謎が残されたままになっています」
先輩はまだ何も言わない。冬だというのに嫌な汗を背中に感じた。
「謎が解決されずに終わる小説は世の中にいくつか存在します。しかし、それは読み終わった後で議論になるような終わらせ方をする場合です。だから謎を結末に残すことが多い」
「けれども、先輩の小説中の謎は結末とは何も関係ない部分です。インターネットの掲示板でも話題になっていました。その部分の謎が未回収で、この小説は失敗作だ、と」
「もともと小説にする気がなかったんだ。少しの失敗や矛盾くらいはあるさ。それでいいだろう」
ようやく先輩が口を開く。
「それも考えました」
私の言葉に顔色ひとつ変えようとしない。
「じゃあその謎は良いとしましょう。次の謎です」
小刻みに目線を動かす先輩は心なしか苛立っているのだろうか。苛立っているとしたら、それは私の言うことが見当違いだからなのか、それとも的を射ているからなのか。
「わざわざ先輩はこの小説を『半自伝』と言っています」
「そうだね」
「自伝ならまだしも、『半自伝』という理由がわかりません」
「実名も出しているんだ、訴訟対策さ」
「まぁそれもあるでしょう」
「インターネットに掲載するのはリスクがあるからね」
「でも私はそれだけでは無いと思っています」
思ったよりも私はずっと言葉が流暢に出てきていることに驚く。さっきまではちゃんと話せるかあんなに不安だったのに。
「極めつけは最後の謎です」
背中に感じた嫌な汗は、今や少し興奮に似たものに変わってきているようだった。

「作品内で先輩と朝美さんを引き離すような真似をした人物の正体が明らかになっていません」
先輩の眉がピクリと動く。
「そんなことは物語にとって重要じゃない」
明らかに声が上ずってきている。
「いえ、朝美さんの拒絶は物語を大きく動かしました。その原因を作った人間を明らかにしないままでいるわけがありません」
君に何が、と先輩が叫びそうなところで私はより大きな声で制した。
「謎解きはしなかった、のではなくて『できなかった』んです」
私は目線を反らす佑矢先輩と対峙する。
「佑矢先輩、先輩は朝美さんや朝美さんのお母さんに情報を与えて混乱させたのが誰なのか、朝美さんと先輩を引き離したのが誰か、まだ知らないんですね」
再び先輩は言葉を閉じ込めてしまう。
「小説内では『原田深雪』と描かれていました」
先輩の次の言葉を待っていたけれど、一向に出てくる気配はない。私はまた前を向いて歩き出した。
「そして朝美さんに新幹線のチケットを渡して東京に導いた人物も恐らくその原田さんでしょう」
「僕が知らなかったとしたら何だというんだ」
「本当に先輩にはわからないんですか」
「君には誰かわかると言うのか」
「えぇ、その人にこれから会いに行きます」
背中越しからも先輩の絶句が聞こえてくるようだった。図書館棟は暖房が効いていて、厚着で興奮している私にはとても暑い。そしてそのまま1Fに降りながら、カフェ裏のスペースが見えてくると、まさか、という声が聴こえた。


待っていたのは中田先輩だった。


「きっと先輩はゼミが終わったらすぐに帰ると思って、早退して待っていてもらいました」
中田先輩は私と佑矢先輩に小さくお辞儀をした。
「理穂子が『原田深雪』というのか」
佑矢先輩の質問に私が答える前に中田先輩が答えた。
「そうよ」
「一体どうして」
興奮を抑えきれない佑矢先輩に中田先輩は冷静に言った。
「これから話すから、とりあえず座ったら」
私と佑矢先輩は上着を脱ぐとそのまま中田先輩と対面するような形で座った。
「本当に理穂子がやったのか」
「そうよ」
「どうして」
「分からない?」
「わかるわけないだろう」
「わかってほしかったのよ」
「訳がわからないよ」
「わかりなさいよ!」
「何が!」
「朝美はもう過去の人なんだって!」
私を残して2人はどんどんと話を進めていく。2人は私の知らない空気感を醸し出している。きっと2人には2人にしか分からないものがある。そう思った。
「悔しかった、佑矢の心の中にはいつも朝美がいる、いつも、どんな時も朝美がいる」
「それは」
「朝美はもう佑矢に振り向くことなんかないのに」
佑矢先輩が黙っている。けれどそれは私に対してのそれとは違って、明らかに空気に押されて黙ってしまっている。
「朝美が記憶を失くして、佑矢の頭はまた朝美だけになった。もう止めてほしかったの」
佑矢先輩はその望みには応えない。
「そうかそれなら理屈がはまる」
佑矢先輩は佑矢先輩の謎解きを構築しているようだった。
「それなら最初に朝美の母親に電話をしてのは諏訪だな」
「そうよ」
「どうやって仲間にした」
そんなこと、考えるまでもないわ、という顔で中田先輩は笑う。
「諏訪君は佑矢に対抗心を燃やしてたんだから、赤子の手を捻るより簡単だったわ」
「でもあの電話は僕を邪魔するというよりは、僕の研究を進めるようなものだった」
「私はね、佑矢を朝美から一刻も早く引き離したかった。記憶が戻れば朝美はきっと佑矢から離れる、そう思った」
「でもそれじゃ諏訪の利害と一致しない」
「そうね、だから、諏訪君を仲間にするために少しだけ身体を使ったの」
「理穂子、お前」
「本当、ちょっと相手をしただけでとても簡単だった」
「なんでそこまでして」
「言ったでしょ、佑矢と朝美を引き離したかったって、そのためなら私は何でもする」
「だからって好きでもない男と」
「好きでもない私と寝たのは何処の誰よ」

直接的な言葉が出てこなくても私にはこの2人に何があったのかくらいはわかった。私は心の中で反省していた。私はてっきり佑矢先輩と中田先輩はもう良い仲なんだと思っていた。けれど、それは私の勘違いであり、佑矢先輩と中田先輩との間には大きな隔たりがあったのだ。それは朝美さんという分厚くて高い壁を挟んでいた。その壁が透明なように有名無実化して、奇跡的に何かのきっかけで佑矢先輩と中田先輩は交わった。けれどそこに愛はなかった。私は、私のような勘違いで中田先輩をどれほど傷つけてきたのだろうか。それを考えるだけでも胸が痛む。
「それは...ごめん」
気まずそうに私を見ながら佑矢先輩は小さな声で謝った。中田先輩に胸は痛むけれど、これはあくまで中田先輩の動機であって、私が知りたいことじゃない。
「すみません、中田先輩、お気持ちはわかりますが、私は私の話を続けます」
中田先輩はカバンからハンカチを取り出して興奮して出てきた涙を拭った。今日は私が主導して話すことになっている。中田先輩も啖呵を切りながらもどこかで悪いことをしたという気持ちがあるのかもしれない。私の言う通りにこれ以上佑矢先輩を責めることはしなかった。
「佑矢先輩に訊きたいことがあります」
どうした、と佑矢先輩は小さな声を漏らした。中田先輩の告白にすっかり意気が消沈している。けれど私はここで佑矢さんに追及することを止めるわけにはいかない。今日は佑矢先輩の真意を知りに来たのだから。
「どうして『原田深雪』が中田先輩だと思わなかったんですか、小説の中でも諏訪さんの関与を疑っていたはずです」
「それは」
「そこまで気づいていたのなら、中田先輩の関与を疑って然るべきなんですよ、現に私でさえすぐに見当がつきました」
「それは...理穂子が竹下のことを知るはずがないと思ったんだ」
そう、それは小説にも書いてあったことだ。研究内容のことを考えると同じゼミの人間かそれに関する人間が最も疑わしい。けれど、そのメンバーだと朝美さんのことは知っていたとしても小説内に登場する竹下という人物を知るはずがない。
「だから理穂子ではありえないと思った。でも現に理穂子はあいつのことを知っている」
「えぇ、知っているわ。竹下という男のことも朝美の過去も全部」
「どうしてだ、どうして知っているんだ」
懇願するような佑矢先輩の声を咀嚼して飲み込むような間を見せ、満足そうな顔をして中田先輩は答えた。

「本当に、私のこと、何も知らないんだね」

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