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マナの『マ』の字は魔法の『ま』 (こんどは7話)

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 一日の重労働から解放され、ようやく小ノ葉と家に戻った。
 習慣になった行動は無意識に出るもので、裏庭に続く木の扉を押し開けて誰に言うともなくつぶやく。
「ふー疲れた。ただいまー」
「タライまー」
「お前、今から洗濯(せんたく)でもするの?」
「どうして?」

「あ、もういい。めんどくさくなった」

 しかしフラワーショップの労働がこんなにもくたびれるモノとはな。
〔そりゃあ。小ノ葉と比べたら、オマエは肉体労働がメインだからな〕
 天使の言うことももっともだ。小ノ葉はほとんど遊んでいるようなもの、で俺は毎日地面を掘り返すだけ。この差が疲労度に大きくかかわってくる。

 ところが――。
 いつものように裏口から庭を通って、昨日と同じように居間に上がると、その疲れを瞬時に消し去る出来事が待っていた。

「なっ!」
 片足を部屋にいれた途端、俺の足が床に縫い付けられたのだ。
〔だ……誰だ、あの娘(こ)?〕
《のぁぁぁ》
 頓狂な声を上げた悪魔の気持ちが痛いほど分かる。居間の奥、客間に人の気配が、しかも尋常ではないほどの甘い空気が漂っていた。

「よかった、カズ。待ってたのよ」
 お袋が待ち構えており、俺に向かって安堵の吐息を落とした。

「うおぉ……」
「すごい可愛い子だよ、イッチ」
 そう小ノ葉も仰天するほどのとんでもない美人が、客間に設置されたソファーの上から、潤んだ丸い瞳を俺に注いでいた。

「お茶入れ替えるわね」
 半分空になった湯飲みを回収して台所へ戻ろうとするお袋を横から突っつき小声で尋ねる。

「あの娘、誰だよ?」
 紺のニーソから覗く素足がたまらなく眩しい大胆なホットパンツ姿。上は、どんっと胸を強調させる絵柄が付いたイエローTシャツだ。万人の男を釘付けにすること間違い無しの……ん?
 ここで気付くくべきだった。どこかで見たことのあるファッションだと。


 お袋はニコリと相手に微笑(ほほえ)みを返し、少々戸惑った口調でこう答えた。
「小ノ葉ちゃんの知人だって」

「じじん?」

 小ノ葉は相も変わらず大ボケをかまし、俺は強い既視感を覚えつつ、
「こいつに知人などいるわけねえだろ」と答えてしまってから、
「あ、いや。ブラジルから知人が来るなんてことはないだろうっていう意味だぜ」

 でもお袋は首を左右に振る。
「何だか知らないけどそう言ってんのよ。でも見てごらんよ、あんな可愛い娘は日本にはいないって。ほらどこか小ノ葉ちゃんにも似てるし、それに言葉遣いもちょっと日本人離れしたところがあるから、ぜったい小ノ葉ちゃんの知人だわ。もしかしたら親戚の子かな?」
 どういう理由でそっちへ持って行くのかは知らないが、小ノ葉の親戚なら俺んちの親戚にもなるという理屈はもう忘れてるのか、お袋よ。

 どちらにしても俺と小ノ葉は小首を傾けるだけ。お袋はそんな俺たちを居間に残して、さっさと台所へ飛び込んで冷蔵庫と戸棚を物色するとトンボ返り、美少女の前へお茶とお菓子の入れ物を運び込んだ。

 ソファーの上から会釈をする美少女。年は俺たちより少し幼げで、背の高さは小ノ葉より頭一つ低い。
 そうだな。あいつから少し空気を抜いて一回り小さくした感じだ。だが金髪にも見て取れる栗色のサラサラの髪の毛。整った顔立ちは小ノ葉とよく似たとんでもない美人だった。

「こんにちは……」
 人見知りをしない小ノ葉はずいずい客間に入り、俺は少々ビビりながら後をついて行く。

「あんたたちにも飲み物を持ってきてあげるワ。何にする?」
 俺は麦茶と応え、小ノ葉も同じ物を要求。そして俺たちはその子の真正面に座った。

「こ……小ノ葉の知り合いだって?」
 恐々と会話を開始する俺。少女はこくりと顎を落とし、
「やー。バイトお疲れはん。どないや。ヒカルちゃんは男オンナのとこで落ち着いてまっか?」

 どたーん。

 俺は派手にずっこけた。
「に……日本人離れした言葉遣いって……」

 瞬間にこいつがどこの誰だか悟った。
 急いで視線をいつものところへ振ると、思ったとおり空っぽになっていた。

 そう、ナデシコの入った花瓶が空に。そして杏とヒカルちゃんの関係を知ることができる奴と言えば……。

 ソファーの袖にしがみつき、俺は叫ぶ。
「お、お前! キャサリンか!」
「はいなー。ご名答や。ごきげんはん」

 どたーん。

「そのファッション! 小ノ葉と初めて会った時のヤツじゃねえか」
「そうやで。コノハはんが変身する前の服装や」

 ばたーん。
 床の上に仰向けにひっくり返った俺は天井に向かって叫ぶ。
「小ノ葉の真似してニーソなんか穿くんじゃねえ!」


「ちょっと、カズ。さっきからなにをバタバタしてるの?」
 麦茶を入れたボトルとコップを載せたトレーを客間のテーブルに置くお袋は納得顔で言いのける。
「やっぱり小ノ葉ちゃんの知り合いじゃない。そうだと思ったんだぁ」

「ち、違う。知り合いなんかじゃねえ」
「なにゆうてまんねん。昨日今日知りおぅた仲とちゃうやろ。ほんま照れくさいなぁ」

「キャサリンさんはどうしてここに?」
 小ノ葉も言葉がおかしい。ここでの質問はこれ一つしかない。

「お前! どうやってその姿になれた!」

「カズト。なに言ってんのよ? 小ノ葉ちゃんの知り合いだとしても、あんたとは初対面でしょ。それなのに、なによその口の利き方は。失礼でしょ」

「まぁまぁ。翔子はん。コイツの言葉が悪いのはもうしゃあないねん」
「馴れ馴れしくお袋の名前を出すんじゃねえ!」

「なにゆうてんねん。ゴハンの時もテレビを見る時もいっつも一緒やったやないかい」
「どぁぁぁぁぁ、うるさい」
 大声を上げて俺はそいつの腕を取ると二階へ連れ去ろうとした。そらそうだ。このままではマズイ。

「小ノ葉! お前は麦茶を持って一緒に来い」
「う……うん」

 小ノ葉は素直に従ったが、お袋は慌てた。
「ど、どうしたのよ。どこ連れて行く気? お客さんなんでしょ?」

 そこへ――。
「うるさいぞ。何やってんだよ、ったく。店まで声が響いてるぜ」
 と言って入って来た親父も仰天固着。
「だ、誰だよ、この可愛い子?」
「小ノ葉ちゃんの知人だって」と答えるお袋。

「そっかー。やっぱ可愛いよなー。ブラジルの子って」
「だけどさ、カズが慌てちゃって」

「そりゃ、そうだろ」

「それが……」
 お袋はキャサリンを二階へ引き上げようとした俺と鉢合わせになった親父の袖を引っ張った。

「あのね……どうも痴話喧嘩みたいなのよ」

「ち……ちがーう!」
「痴話……?」
 好奇に揺れる親父の視線が、小ノ葉と俺、少女を行き来し、
「カズトよ、一世一代の危機だな」
 嬉しそうに言いやがった。

「ば、ばかやろ。そんなんじゃない。とにかくキャサリン。早く俺の部屋まで来い!」
「い、痛いがな。そんなにがなり立てんでも行きまっせ、ほんま」

 どたどたと駆け上がる階段の下から親父とお袋のひそひそ声が、
「変わった口調だな。やっぱ小ノ葉ちゃんの知り合いは一味違うよな」
「あたしには身近に感じるのは何でかしら?」

 立花家具の親っさんと同じだからだろ、と心の中で叫びつつ、俺はキャサリンの手を引いて自分の部屋へ飛び込むと、バタンッと扉を閉めた。
  
  
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