13 / 63
酒屋の二階で話し合ふ(今度は2話)
1/2
しおりを挟む朝食のあいだ親父たちは終始にこやかだった。お袋は女の占める割合が増えて、喜びひとしおの様子だが、親父は表情を見抜かれないように、朝刊で顔を隠していた。でも真横に座る俺からは筒抜けだ。インターネットでスケベと検索すると親父の名前が出てきそうな人物だからな。あのにやけた面(つら)は風呂場の擦りガラス問題をどう対処すべきか思案中のはずだ。
小の葉はフォークに刺したタクアンを睨みつけ、鏡を前にした小鳥のように小刻みに首を傾けていた。
「おい。親父はいま何を考えてんだ?」
早速利益の共有といこう。
キョトンとした視線をゆっくり持ち上げて、小ノ葉は対面に座る新聞おっさんを窺った。
「――あのね。接着剤をはがすにはどうするか……みたい」
やっぱりそうか……ってぇぇ。すげぇぞ。俺って予知能力者だったんだ。あいつに聞く前にそれは知ってたもんな。
小ノ葉は再びタクアンに視線を戻してから、ちらりとこっちを見て肩をすくめた。
今のはどういう意味だ?
テレビの中では、必要の無さそうな商品を大量に買わせようと、催眠術師が語るが如く、巧みな言葉に奇妙なイントネーションを加味して連呼するが、商売をやっている我が家では、そんな術に陥るヤツは一人もいない。親父は完全無視をかまし、新聞を片手に味噌汁の中を掻き回し続け、お袋は「今がお買い得。これが底値です」と有名俳優が告げたセリフを「あんたのギャラを消せばもっと安くなるわよ」と、一刀の元に切り捨ててチャンネルを替えた。
「ごちそうさま」
食べて終わった茶碗をテーブルに置く。
「ごちそう……チャマ」
空になっていた茶碗を持て余していた小ノ葉も、俺にタイミングを合わせて自分の前に置いた。
忠告どおり、出された自分の朝食だけを平らげ、それ以上はお代わりもせずに、おとなしくしていた。
ただ味噌汁の食べ方を教えておくべきだった。どうも固形物の混ざった汁物を吸い上げるのはこれが初めてのようで、喫茶店で出された冷水を一気飲みしたような勢いで、口の中へ流し込んでしまった。
幸いお袋はテレビに、親父は新聞に目を奪われていたため、熱い味噌汁を数秒で平らげた小ノ葉を目撃したのは俺だけで済んだ。
その様子はまるでバキュームノズルを思わせるパワフルさがあり、お椀を唇に当てたまま、息継ぎもせずに一気に味噌汁を吸い上げる姿は人とは思えない。
異様な雰囲気を感じ、咳払いをして忠告してやると、勘はいい小ノ葉だ、すぐに察してお椀から口を離したが、中はすでに空だった。
バツが悪そうに肩をすぼめて小さくなっていたが。俺はその時、本気で腹ん中と宇宙とが繋がってんだと確信した。
今飲んだ味噌汁も、宇宙のどこか見知らぬ銀河の隅っこを漂うのだろうか。そう思うとなんだか感慨深くもなる。
はるか遠く、知らない銀河。どこかの探査船が宇宙空間に浮かぶワカメを発見して、謎をさらに深める結果になっても俺は責任を取れん。
食事の後、小ノ葉を連れてキヨッペの家に相談に行こうと予定を組んでいたのだが、おふくろがそれを引っくり返した。
「小ノ葉ちゃん。着る物買いに行くよ。あんた他に何も持って来てないでしょ?」
彼女は遠慮気味にうなずくが、
「何を言ってんの。女の子はおしゃれしなきゃだめ。わたしがつき合ってあげるから、行こ」
家出したにしろ何にしろ、この子は外国から来たことになっている。ならばパスポートぐらいは持参するはずなのにこいつは手ぶらだ。普通はおかしいと思うだろ。でも思わないところが我が家の大らかなところだな。その鈍さには感心するぜ、まったく。
「お袋ぉ。俺たちやることがあるんだよ」
「なんだよカズ、あんた独り占めするの?」
「そういうつもりじゃないけど……」
何かボロを出さないか心配なんだ。
お袋はタクアンをぽりぽり言わしながら、薄い笑みを浮かべた。
「あ、それじゃぁカズも来るかい。お隣のルリさんちでまずランジェリーを一式そろえなきゃね。女の子なんだし。ルリさんの見立てなら間違いないしさ」
くっそぉ。駆け込み寺に連れ込む気だな。それで親父は何も言えないんだ。
うちの隣にはルリ洋品店と呼ばれる洋服屋さんがある。昔は紳士服の仕立て屋さんで、経営者は御主人なのだが、そこの奥さん、ルリさんと呼ぶが、有名な下着デザイナーだったという過去の特権を生かして、いつのまにか女性の下着専門店に変わったのだ。しかも今じゃこの商店街の女の園と変貌を遂げ、男は誰一人として近づけない禁断の場所として認定されている。
加えて世話好きなルリさんは、新婚さんや子供が生まれたばかりの主婦の相談なども受けており、界隈の駆け込み寺となったおかげで、旦那さんは肩身が狭まそうだ。
昔は紳士服が並んでいた店先のショーウインドーには、今や煌びやかでいて神々しい物が並べられており、男子高校生にはとても目の毒だ。だから店の前を通る時は、いつも下を向いて通過する。そんなところに小ノ葉を連れて逃げ込まれたら手の出しようが無いわけだ。
仕方が無いので、うまくやれと小ノ葉に耳打ちをして、俺は単独でキヨッペの家へ相談に行くことにした。
部屋から店の中を通り商店街へ一歩出る。
二階の屋根のさらに上を覆うドーム型の天蓋から陽の光が射し込み、通路は思ったほど暗くはない。しかも雨避けになるため傘要らずで歩けるのがいい。
まだ昼食前のこの時間帯は、アーケードを通る人もまばらで、たまに自転車が通過するだけ。そんな閑散とした通路の先、俺が目指す場所は真向いの吉沢酒店。そこがキヨッペの家さ。
父親は吉沢健二(よしざわ・けんじ)。俺の親父と同級生なので、同じ39才。そしてキヨッペのオバさんは、吉沢アキ子、41才。年上女房だ。
気丈で体の割に小回りが利くオバさんは、酒の販売や配達だけではこれからはダメだと、店の半分を改造して『立ち飲み処・アキ』を5年前に開店。それを一度も休むことなく、毎晩、店に集まってくる呑み助を十把一絡(じっぱひとから)げにまとめ上げるほど同量のある人で、うちの親父でさえも頭が上がらない。
そんな人だから好奇心も強く。人のうわさが三度の飯より好きで商店街きっての情報通っていやぁ、聞こえがいい。
俺んちの前から出て三歩で、店から出てきた杏(あんず)と鉢合わせになった。
「どこ行くんだよ、アニキー?」
こげ茶色の半パンと男物のポロシャツを着たスポーティな格好で、なぜか俺より偉そうだ。
「俺はキヨッペに会いに行くだけだ。お前こそ、どこ行くんだよ?」
「別に……。散歩だ」
「ウソ吐け。竹刀握って散歩はないだろ。素振りしに公園へ行くんだろう?」
「素振りして何が悪いんだよ。オレはな、強い男になるんだ」
「もう無理だ。お前は女になってる」
「どこがー。ほら見ろ。これは男の体だ。この腕の筋肉を見てくれ。イッちゃんとさほど変わらないだろ?」
「ああ。だいぶ筋肉が付いたな。だがな、杏(あんず)。その胸はなんだ。俺の胸筋と種類が違うように見えるんだけどな」
「これか? これは食い過ぎのせいだ」
「ウソ吐いてもわかるぞ、お前の耳が赤いからな」
杏は慌てて右の耳たぶを手で隠した。
「ばあぁか。ウソだよ」
「なっ! 何だよ、イッちゃん騙すなよ」
俺の腹をちっさな拳でドンと突いてきた。常に喧嘩を売ってくる杏の動きなど完全に見切っている俺さ。さっとかわして片手で受け止める。
「その程度の力じゃ俺にダメージを与えるのは無理だぜ。どうした。もう一発掛かって来な」
「くっそ。いつか強くなってイッちゃんを倒すからな。覚悟しておけよ」
「あー。いつでも掛かってきな。ひねりつぶしてやらー」
普段なら悔し紛れに飛びついてくるのだが、今回は妙に猫なで声に変わった。
「なぁ……。それよかさ、イッちゃんちにいかしたオンナが来てんだろ? ちゃんと紹介してくれよ。あんなベッピンさんが親戚だなんて、オレ鼻が高いぜ」
「なして、お前の鼻が高くなるんだ? それよりどこでそれを知った?」
「オレのカアちゃんが、イッちゃんのおやっさんから聞いた情報だ」
「わちゃー。あの馬鹿親父、よりにもよって連絡網の頂点に知らせちまいやがった」
「へへ。もう遅いぜ。テレビの地震情報並みに町内に伝わるからな」
それ以上だぜ……。
「やっべぇぇな」
でも宇宙人だと触れ回られるより、ブラジルの親戚として噂されるほうが断然いい。
「なぁイッちゃん、そのブラジル人さ、オレにも紹介してくれよ。にぃやんには紹介してオレに無いって道理はねえだろ?」
「どうしてキヨッペに紹介すると踏んでんだよ」
「今からにぃやんと会うってぇ事はそういう話になるだろ。オレだってパイオツカイデーのねえちゃん拝んでみたい」
おいおい。
「杏ちゃん。どうにかならんのかその言葉遣い」
「何が? オレは男だぜ。ふつうに喋ってどこが悪いんだよ」
「お前は女なの……」
杏は俺の嘆きに近い声に背中を向けて、
「うっせぇぇ。オレは男だ。だから後でオレにも紹介しろよな。どっか面白いところに連れてってやるぜ」
と叫びつつ商店街を走って消えた。
「あいつも面(つら)は可愛いんだけど……あの言葉遣いがな……」
投げやりなひとりゴチをこぼしながらも、杏の子守役として小ノ葉が使えるかもしれないと、かすかな可能性を見いだした。小ノ葉は態度も見た目も純然たる少女だ。それに懐けば杏も少しは女に目覚めるかもしれない。
色々と思惑があるが、とにかく今はキヨッペだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます
難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』"
ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。
社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー……
……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!?
ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。
「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」
「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族!
「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」
かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、
竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。
「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」
人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、
やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。
——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、
「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。
世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、
最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕!
※小説家になろう様にも掲載しています。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる