ラヂオ

雲黒斎草菜

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8)香坂ひとみ

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 生まれて初めて朝練をさぼった。でも授業までさぼる気はしない。チンプンカンプンの呪文を教わる気分であってしても、母さんが働いて授業料を工面していくれていることを思うと、おろそかにはできない。

 校門から校舎へ入るまでの数分間。首をすくめ辺りに気を配りながら足早に移動する。堂々としてりゃいいのだが、剣道部の連中に見つかるのが嫌だった。何となく罪の意識がざわめくからな。

 さて。仮病と言っても頑丈だけが取り柄のオレだ。最初は風邪気味だと連絡しようとしたが、生まれてこのかた風邪で一度も寝込んだことが無い。だから誰も信用するはずないので、自身の仮病ではなく、うちの母さんが風邪で倒れたことにした。

 しかしオレが朝練に出て来なかったことは、いろいろと波紋を呼んだようで、
「剣豪くん。お母さん大丈夫?」
 下駄箱で上履きを穿くオレの肩を叩いて来たのは、マコトだった。

「今日中にアンテナを立てたいんだけど、まずいかな?」
「アンテナ? ああぁ。例のラジオ放送の調査だよな。オレはクラブだから付き合えないけれど、鍵はいつものとこだから好きなようにしていいぜ」

「そぉ? でもさ。お母さんが休んでんのに家へ行ってガタガタするのは控えたほうがいいだろ?」

「え?……いや。あの……その事なら心配ない。薬飲んで元気になったみたいだ。でも朝ぐらいはゆっくりしろと言って………その、たぶん昼までには仕事へ行くだろうから、夕方は留守だ……誰もいない」

 しどろもどろのオレの前に、アイドル級の美人が仁王立ちした。
「主将! 明日からお母様の代わりに朝食を作りに向かわせてください。いえ。必ず行きます」
 決然と言い切ったのは、三年の下駄箱にまで顔を出してきた二年の綾羽だ。
 美人で剣の筋が良く、ま、カリンほどではないが、性格がよく似た、そのうちオレのボディガードだというウワサを肯定しかねない勢いの女だ。

「今日の晩御飯は何を作りましょうか?」
 栗色のボブへアーを振り乱し、えらく興奮していた。

「ばっ! バカ。ここでそんなでかい声出して訊くな。誰かに聞かれたらまずいだろ」
「何がまずいのですか。御病人の看病ですよ」
「看病って……。風邪だって。ただの風邪」

 やっべーな。大事(おおごと)になって肝心の母さんの耳に入ったら、どうなるやら。

「綾羽。落ち着け。いいか。ごく初期の風邪で、クスリでカタがついたんだ。もう治った。でもな、オマエの気持ちだけは頂いた。ありがとう」
 両肩に手を添えて、綾羽に頭を下げるオレの横を冷たい風と共に浅間が無言で通過。鳥肌が立ち、凍り付いたのは言うまでも無い。

 なんか怖ぇぇよ。委員長……。




「帰ったほうがいい」
 放課後、体育館から七海神社の境内へ出向いたオレに、これ以上略せ無いほど短い言葉で告げたのは、いつもクールな中村くんだ。

「そーっすよ。お母さんが大変な時にクラブ活動はしないほうがいいっすよ」
 広川がそうほざくのは、オカズをサボりたいからだろ。

「そうそう。主将、帰ってやってください」と山本も同調。
「主将。こいつらのお守りはアタシがしますよ」とは綾羽と同学年の黒瀬。天然パーマのクセっ毛がよく似合っている。
「大丈夫だって。それより山本、広川。オマエら昨日サボったオカズを加えるからな。さっさと行け!」

「ちぇーーっ。覚えてるんだー」
 やっぱりどさくさに紛れてサボる気だったな。

 ぶー垂れる二人の前に──。
「おーい。オマエら見た? すんげぇ可愛らしいJKが県道にいたぜ」
 異様な興奮と共に鼻息も荒々しく石段をかけ上がってきた岩井と、慌てて飛び付くバカども。

「うっそ! まだいる?」

「多分な。あんな清楚な子、北山にはいないな。神社の正面だ。石段のすぐそば」

「広川、行くぜ!」
「おう!」
 三人は全力疾走でオカズのルートへ戻って行った。

「見ろ、あいつらあんなにパワーが有り余ってんぜ」

「でも主将。お母様大丈夫ですか?」
「綾羽。ほんとにもういい。なんともないんだって」

 嘘の代償がこんなにも疲れるものだと思ってもみなかった。



 居心地の悪かったクラブから解放され、真摯に生きるべきだと決意した夕刻。
 だいぶ陽が長くなったとは言え、鎮守の森がそろそろ暗闇に沈み始める頃。オレは防具と竹刀を担いで、近道となった未舗装の道路を下っていた。
 茂みはしっとりと露に湿り、心地の良いそよ風が初夏を思わせる気分だった。

「ん……?」
 さらに爽やかな光景を目の当たりにして足が止まる。県道へ出たオレの前に、紺地に風なびく白いスカーフも眩しい、セーラー服姿の女子高生がいた。

 山本や広川がすぐに追いかけたが、もういなかった、と練習そっちのけで残念がっていた女子高生に違いない。連中の言うとおり清楚な感じで、誰かを待ってのことか、側溝の脇にたたずんでいた。

 しかしオレは無視をかまして前を過ぎることにする。そう、ひと目見てすぐに察した。あの時、バス停にいた得たいの知れない女子高生だ。でなければ微笑みのひとつもサービスする。だいたいその制服はどこのだ?

 北山高校は薄い褐色系のチェック柄スカートにブレザーと赤いリボンだし、隣町の高校もグリーン系のチェック柄。二駅向こうにある女子高もセーラー服ではない。

「あのすみません…………」
 か細い、小さな声で呼び止められた。
「なんすか?」
 変だからと言って、無視するわけにはいかない。

「この神社に用事があって来たんですが………」
 少し強い風に当たるだけで飛んでいってしまいそうだ。

「……………ぅ」
 もたげられた艶やかな黒髪と潤んだ瞳に胸を撃ち抜かれたね。
 オレのタイプだ。可憐で清楚。控えめで、いつも後ろから半歩下がって付いてくるような女子。今どきこんな子はいないぜ。

 その子は開いたばかりのナデシコの花びらみたいな睫毛をゆっくりと瞬かせていた。
 薄暗くなってきた木々の陰に入ると、少女とは思えない妖艶な姿が浮き彫りになり、思わず喉を鳴らす。

「なんでしょうか?」
 澄明な瞳はオレを指し示しており、どこにぶれるこもと無く無色の光りを放ち、何だか熱くさえも感じる。
「どこから上がっていいのか分からなくて………あ、あの。私は 香坂ひとみ と申します。もしお時間があれば……案内していただけないでしょうか?」

 どこから登っても神社にたどり着くはずだし、一年坊主が騒いでいた少女と同一だとしたら、正面の階段に気付かないはずがない。
 と、胡散な気分が淀んだのだが、驚くほど透明感のある手で握った鞄を膝に当て、丁寧に頭を下げられたら、
「ああ。いいすよ。社務所はすぐそこですから」
 先に、得体のしれない、と怪訝になった自分が恥ずいな。この子はいい子だ────、
 と気を許した己の未熟さが恨めしい。なぜなら、この後、とんでもない目に遭うからさ。



 茂みの奥にジャマな防具を押し込み、
「さぁ行きましょうか」

 少女はそれを横目で追いながら、
「剣道なさるんですか?」
「ま……いちおう主将っす」
 香坂さんは小さな声でのたまった。

「ご立派です………」

 のははははは。主将なんて、ただの雑用係程度にしか思ってなかったけど………役得、役得。

「その制服……見慣れないけど、学校どこ?」
 少女は小さな声で二駅ほど向こうにある女子高の名を上げた。そう、何度も言うけど、そこの高校はセーラー服ではなかった気がする。でも、もうどうでもよくなってきた。

「こんなしなびた神社にキミみたいな子が訪れるなんて、ちょっと珍しいね」
 てっきりマコトに春でも来たのかと思っていたのだが、彼女は言いにくそうにうつむき、
「私の祖父母がここでお参りすると素敵な人に出会えると言われて……来たのですが………」
 再び目を逸らし、モジモジした後。
「ほんとうだったのですね………」

 のはははははは。
 許せ、マコト。オレのほうに春が来たかも。どははの、は──。
 浮かれていたぜ。たぶん足の裏が数センチは浮遊していたはずさ。

 有頂天になったオレさまは、さらに紳士的な男をアピールするために、暗闇に沈み始めた山道みたいな参道を外れて、石段のほうへ誘導しようとした。そりゃそうだろ。こんなか弱そうな少女に土の道なんかを歩かせたらいかん。こんなところはカリンを歩かせておけばいい。それか剣道部の女子が走るところだ。
 
 ところが──。
「石段は怖いんです。こっちのほうが………いい」
 頭がくらくらしてきた。
 ぬあぁーんと。薄暗いほうがいいと申すのですか、香坂さん。

 それより。石段の怖さがよく解りませんが──。
 あ、いや。やましい気はありませんよ。でも、ワタクシもいちおう男ですから………。

 ぬはっ!

 少女の小さな指が、後ろから制服の裾を摘まんできた。
 誰のかって?
 オレの制服に決まってんだろ。

「あの。お名前はなんと申されるのですか?」
 おぉぉ。すっかり忘れていたぜ。
「わるい。オレ、柳生剣豪、北山高校で高三してます。香坂さんは?」
「私は二年です」
「ほぉ。そいつは奇遇ですね」
 一つ年下だと言うだけで、何が奇遇なんだか……………。

 土の参道は覆い茂った樹木の枝葉で空が隠され、闇がじんわり迫っていた。そこに香坂さんの白い顔が浮かび、まるで青白い光を放つ可憐な月夜茸みたいだった。

 お美しい……………。
 この人こそ月からの使者だ。カリンはじゃじゃ馬星の出身だろな。
 昨日のことなどすっかり吹っ飛んでいた。リーパーだとか時間だとかだよ。
 これが現実さ。

「あ、あの。裾では安定が悪い………よ、よ、よろ」
 落ち着け、オレ!
「よろしければオレの手でも掴んでください。滑ると危ないし……」

 ひとみさんは上目にオレを見つめ、
「ありがとうございます。では遠慮なく………」
 少女はオレの手首を握った。

 おーい。そこかよ。手と言ったら掌(てのひら)だろ?
 ま、初対面では無理か………。

 それでも脈拍数が跳ね上がったのを自覚した。

 彼女は恥ずかしげに視線を落とし、
「柳生さん…………」
 この子、すげぇ純情なんだ。
 うぉぃ。七海神社すげえな。出会いの聖地だったのか。知らなかった。ここの御利益は長寿と家内安全だけじゃないんだ。

 見つめられたら、とろけそうになる濡れた瞳を向けられ、鼓動を高らかに打ち鳴らしながら歩くこと数分。木々の隙間から境内の入り口を示す白い砂利が見えてきた──。

「ささ。香坂さん。あそこから境内に入れますよ………」
 とオレが手に力を込めた、その寸刻。聞き慣れた声が轟いた。

「けんご! そこ離れて!」

「くっ! カリン!」

「えっ!?」

 オレの腕を引き千切る勢いで突き放した香坂ひとみさん。
 腕の先が痺れそうな、それはそれはすげぇ力で振り払われ、オレの意識は忘我の彼方へ。

「こ……香坂さん?」
 見ると、少女のつぶらな目が吊り上り、鋭い眼光がカリンを射貫いていた。そして鈴の音みたいな声が反転。地獄の魔王にも似た低音で息を吐いたかと思うと、
「義空は到着したのか!!」
「ギクウ……?」
 その言葉を聞いて、ようやくオレの意識が警鐘を派手に鳴らしまくり、抱いていた清楚な姿を足下から拭い去っていく。

「まったく、あのクソ坊主には手を焼くワ!」

「あっは! ひとみ! 久しぶりだね。まだ生きていたんだ」
 カリンの溌剌とした声だけが救いだった。

「お前に首を落とされそうになったが…………」
 ぐわばぁっ! と体を旋回。紺色のスカートを大きく膨らまし大股を広げて仁王立ちすると、香坂さんは、いや、もう香坂でいい。ヤツは両腕を左右に伸ばした。

「うげげげ!」
 オレは尻餅を突いて見上げた。
 三上姉妹が放出する艶っぽさとはまた異なるブラックな妖しい雰囲気を醸し出した香坂ひとみは、右手の平を固く握り、空中で激しく震わせた。

 オレの手首をやんわり掴んでいた柔らかげな仕草ではなく、やけに荒々しく、まるで宙にある何かを掴もうとする仕草だ。

 ザワザワと茂みが騒ぎ出し、木々が揺れ出す。

「な……なにが始まるんだ?」

 羽音と同じ波動が大気を貫き、長い黒髪が宙に舞い上がると、握った拳(こぶし)の間から長く先の尖った銀白の剣が伸びた。剣道部で使う竹刀よりかなり長い。あんなのを試合で使ったら規定違反になる。むしろ槍に近い。

「しまった!」
 はた、と気付いたが、時は遅し。せめて竹刀だけでも持って来ていたら………。
 あの子の雰囲気に騙されて、防具を麓に置いて来ていた。
 急いで起き上がり取りに戻ろうかとしたが、事態はさらに剣呑とし、足の裏が地面に貼り付き動けない。

「亜空間に武器を隠すなんて、相変わらず卑怯な手を使うわね」
 八相の構えで箒を突っ立てるカリンの放った言葉は理解できないが、女子高生の動きは見慣れたものだ。こうみえてオレは県大会優勝の剣士だぜ。

「オマエらと対峙する時は、用心に越したことは無い」
 前後に刃がついた槍と言ってもいい、特殊な剣を優雅にさばき回し、香坂ひとみは叫ぶ。

「死ね──っ、カリン!」

 その切っ先がカリンの肩へと打ち下ろされた。

 カンッ!

 カリンが振り上げた箒の柄がそれを阻止し、先っぽが宙を舞った。
「うぉっ!」
 ただの竹の棒になった箒を見て、マジでビビる。想像を絶する切れ味だったからだ。

「真剣じゃねえか!」
「だから言ったでしょ。あたしは実戦経験者だって」

「実戦って、この時代の言葉とは意味合いが………」
 慌てふためくオレとは真逆に、カリンは動じることなく反撃に移る。左へ横っ飛び、太い松の幹(みき)でワンクッションを経て、女子高生の真正面から上段の構え。そして振り下ろした。

 ギンッ!

 それを振り払うと、再び竹の輪切りが飛び散るものの、すぐに反転して切り上げるカリン。だが竹は竹だ。鋭利な刃物に勝てるはずがない。

 しかし香坂は標的を変えた。次に振り下ろされた長い切っ先が、オレの眉間を狙って突き抜けた。

「───ぬはっ!!」
 常人では絶対に避けられない鋭く風よりも早い動きだったが、これも鍛錬の賜物さ、反射的に身体が避けた。

「ふっ。さすがだな。だがこれは避けられぬだろ!」

 ぶんっ、と風が喚き、銀の一閃が空間を引き裂き、
 バシッ!
 けたたましい音がして、オレの髪の毛が数本吹き飛んだ。

「ぬおぉっ!」

 目にも入らない速度を凌駕したのは、カリンの竹竿だ。確実にオレの脳天を狙った剣先をなぎ払っていた。

「やろう……」
 一旦引いた矛先が、またもやカリンに向く。

 カッ!

 コッ!

 カッ!

 何度か短い音を出して、箒の柄がどんどん短く切り離されていくが、次の刹那。
 紅白の巫女装束が、まるで神楽を舞うように八方へ広まり、カリンの回し蹴りが女子高生の首元に炸裂。

「ぐはっ!」
 茂みの奥に吹っ飛ぶセーラー服。

 うほぉ………スカート姿が無残だ。
 もとい───、
「学生剣道で蹴りは反則だ、警察じゃないんだからな!」

 剣道部主将として、これは許されない試合だ、カリン。

「ばかぁ。試合じゃないよ。相手は本物の太刀なのよ! それより早くそいつから離れて!」
「何で?」
「あんたがいるから、そいつは平気なのよ」

 意味不明だが素直に従い、素早く離れるや否や、
「ぐあっ! 次元フィールドに晒される。くのぉっ、覚えておけ、カリン!」
 負けそうになったヤツの常套句を吐いて、女子高生、香坂ひとみは茂みを駆け抜けて暗闇の中に消えた。

「どこが清楚だ。広川…………」


 いまさら部員のせいにしても手遅れだが……………。

「あんたね。鼻の下を伸ばして間抜け面をしているから利用されるのよ」
「利用?」
「次元フィールドに耐性があるあんたの霊気場を利用して近づこうとしたのよ」
「霊気場って?」
「一種のオーラね。あんたは人一倍それが強い。あたしとしては羨ましいぐらいだけど、よく聞いて………」
 カリンの真剣な目にちょっとたじろぐ。

「次元フィールドはね、母体となる現時の人と精神融合するリーパーを引き離す効果があるの。それはマコトさんを守るために必要不可欠なんだけど、あんたはそのフィールドを押しやるほどの霊気場を出すことができる。だから利用しようとする連中が現れるの。このとを覚えておいて。これから手段を選ばずあいつらやって来るから、鼻の下を伸すヒマなんかは無いからね」

「何でマコトを守ってんだ?」
「昨日、お大師様が言ってたでしょ。マコトさんは未来を変えてしまうって話。それを阻止するためにクローラーが集まってるのよ」

「クローラーね………」
 巫女がカタカナ言葉を漏らすと、とんでもなく違和感を覚える。

 そうそう。昨日ジイさんが言っていた。未来を変えてしまうほどの大発明をマコトがする話。あいつなら十分にあり得る──ま、コイツらの話が本当だとしてな。

「マコトの発明をジャマする………連中が集まる……のか」
 ようするにライバル会社の手先ってことか?

 悲しいことにそう結論付けてしまったオレの知能指数は、カリンが言うように小学生レベルだということを後で痛感することになる………。


 参道へと続く道には自然の石を利用した腰掛けがある。何となく話しが長くなりそうな気配を感じ取ったオレは、その一つに尻を落とし、カリンも次々現れるおかしな連中を誤魔化し続けないと踏んだのだろう。それなりに覚悟を決めた面持ちで、オレの横にふんわりと座った。

 風をはらんだ緋袴(ひばかま)と白い袖のあいだから良い香りが漂ってきた。
「それで……クローラーってなに?」
 深呼吸したのをごまかすために、急いで膝を汲み、まだ桜色に染まるカリンの横顔を覗き込んだ。

 彼女は足下に転がる箒の先っぽを草履の裏で転がしながら、
「簡単に言ったら、賞金稼ぎでしのぐ輩(やから)ね。それよりさ。これの替えないかな?」
 箒としての役割を終えたパーツを摘み上げて、カリンは落ち着かない様子だった。

「明日の朝練までに買って来てやるよ」
「ほんと? よかったぁ。恩に着るよ、けんご」
「剣豪だ」
「えへへ。けんご でいいじゃん」
 跳ねるように石から尻を浮かして、オレに向き直り満面の笑みを注ぐ、その仕草が無性に愛おしく見えた。
 じゃじゃ馬の部分を抜き去れば、カリンはとんでもなく美人だ、と改めて認識した。


「でも今の話だと未来を変えてしまうのは、そのクローラーじゃね?」
「そうよ。正しい未来なんて無いのが現状」

「昨日のオレから見たら、今のオレは未来だよな。それが変わるんだから……つまり記憶が変わってしまうってことだろ。でもそんなことあるのか? いやまてよ。記憶そのもの改ざんされるのか? なんだかおかしな話だな?」

「あんたの周りでは目立っていないだけ。実はブロッカーって言う時間犯罪者が暗躍していて、過去や未来の情報を売買してんの。色々な時代の政治家や金持ちがそれを利用して自分たちの世界を牛耳ろうとするから高く売れるのよ。でもさ。そんなことしたら未来がムチャクチャになるでしょ。それで、そいつらの情報を拾う、あるいは処罰するのがクローラー」

「警察みたいなもんか?」
 カリンは首を振る。
「秩序が無いの。手段選ばず、今の香坂ひとみだって平気で人を殺すからね」

「マジかよ……」

「そうよ。あいつら時間局が決めた未来に変えるためなら、なんだってするわ」

「えっ!」
 カリンの口からラジオで聞いたのと同じ言葉が漏れ、オレは意外な展開に驚愕し、固まった。
「そ。あの人たちはそれなりに使命感を持って動くからね。未来を守るっていう都合のいい正義感ね」
 オレが凝固した意味をカリンは履き違えたのだろう。平然と説明を続けるので急いで割り込む。
「ちょっと待てよ。何だよ時間局って?」
「は?」
 一つ年上とは思えない幼げで愛らしい目と視線がかち合った。

「未来にある機関よ。いろんな時間、いろんな場所に散らばったリーパーたちが時間規則を破らないか監視するために、クローラーを送り込んでそれらを管理するところ。時間規則を破ったリーパーがいたら、それより少し過去に現れてそいつを殺(や)っちゃうの」

「元に戻すってワケか……」
 長い黒髪がカリンの背中で揺れる。
「ううん。揺り返しって現象が起きて、完全に元に戻らないわ。もし悪いほうに転がったら、さらに過去へ飛んでもう一回やり直すのよ」

「おいおい、やけに恣意的だな。それに矛盾してっぞ。未来を変えないように管理してんだろ」
「だから言ったでしょ。秩序が無いって。正しい未来なんてもう無いわ」
 時間局って結局何をやってんだろ? よく分からんな………。

「それで。オマエらはクローラーと違うのか?」
「当たり前じゃん。でなきゃマコトさんを守るわけないでしょ。あたしとお大師様はナナミ様の影響を受けて………ま、舎弟っていうのかな。連中とは異なる考え方をしてんの」

「派閥ってやつか……。で、さ? ナナミ様って誰なんだ? ここの七海神社と関係あるの? そう言えばオマエって出身は室町時代だって言ってたよな」
 他人が聞いたら、頭を疑われそうな会話だ。

「タイムリーパーはね。能力の差はあるけど色々な時代へ飛ぶことができるの。だからあたしは色々なモノを見て来たわ」
 想像はつくけど。そうなるとコイツの本当の年齢はいくつなんだろ。ちょっと尋ねてみたいけど、やめたほうがいいかな。

「色々な人と精神融合していたら、どれが自我なのか判らなくなる精神障害を起こしちゃったの」

 そりゃそうだろ。

「そんなときにお大師様と知り合って、剣の道を極めろって、精神統一にはそれがもっとも効果が有るし身も守れる。一石二鳥だって」
「あのジイさんも達者なのか?」
「そりゃあ、あたしの師匠だもん」

 そうか。これからはミコトに喧嘩を売るのを控えた方がいいな。

「そんなときにナナミ様の話を聞いたの。ここより七十二年後にすごい人がいらっしゃるって。その人に弟子入りして、そりゃ厳しい修行をしたわ。それであたしも霊気場を広げる術を得たわけよ。この意味解る?」

 さっぱり解らん。できればこの話をやめてほしい。

「この時代にやって来るためじゃない」
「この時代に? なして?」

「時間局のおざなり的なやり方はいずれ未来を破壊する、とナナミ様は言うの。小さな波紋でもいくつも合わさると、やがて大津波となって襲ってくるって主張していたわ。だから暗黒時代を迎える前に手を打たなきゃ……」

 また変な話に歪んできたぜ。
「これから280年後。地球は人が住めなくなる」

「なぬっ!」

 聞き捨てならぬ、というより、マジの話しをしてんのか?
 それともコイツ妄想癖があるのか?

「お大師様もそれに賛同してここに来たのよ」

「そんな未来の話をオレにしたら、それこそ時間規則を破ることになるだろ」
「あんたなら大丈夫」
 バカにしてやがるな。それを知ったからって、オレの頭なら何もできないのが分かってやがんだ。

「そうね…………」
 白い顎を引いて決意を見せつけたカリンは、澄んだ瞳で茂みの正面を睨んで、こう言い切った。

「この時代が肝なの」
  
  
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