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9)未来からのブロードキャスト
突拍子のない話だった。
本来なら笑い飛ばしてしまうところだが、香坂とかいう女子高生が空中から剣を取り出したり、ミコトが豹変したり、あり得ないことが連発していれば、考え込んでしまうのは当然で、それが妙なところへ着地したりもする。
それはマコトの災厄だった。
なぜアイツには、厄介ごとが多発するのか………?
長年悩んでいた疑問だが、まさか解決できるとは………。
「クローラーが手を出していたのか」
意外と簡単にカリンはゲロった。
「そ。あの手この手でマコトさんの命を狙ってたの」
「子供の頃からだぜ?」
「鉄は熱いうちに打って言うでしょ」
「こういうときに使う言葉じゃない気がするぜ」
それより………。
「画鋲を尻に刺させるのもか?」
「未来はどう変化するか分からないじゃない? クローラーもバカじゃないからね」
「バカ以外に何があるんだ?」
「あはは。連中も必死なんじゃないかな」
カリンは艶やかな朱唇を惜しげもなく開いて笑った。
話にのめり込んできた。これまで謎だった事象がことごとく解明されていく。ある意味爽快だ。それともこの巫女衣装に隠された胸元の膨らみに翻弄されているからだろうか。
「体はどうなるんだ? いや、元の、だぜ?」
ついその辺りに視線を這わせてしまった。
光り輝く瞳でオレを見て言う。
「人目のつかない場所に保管されるんだけど、飛んだ次の瞬間に戻ればいいことだから、ま、瞬きしていた程度ね」
「もし戻らなければ?」
「ミイラでしょうね。即身仏って知ってる?」
「まさか……」
即身仏って悟りを開いた偉い坊さんの究極の姿だぞ。それがタイムリーパーだったというのか。
「精神が肉体から離れるのよ。時間を飛んだっておかしくないわ」
「マジかよ。じゃあそれがリープして戻れなくなった姿だと……?」
何も言わず、うなずくカリンだったが、
「帰る気がしなくなった、あるいはレシーバーが死んじゃったとか」
妙な言葉で綴じた。
「悟りを開いた人が、俗世間に染まるようなことするかな?」
「そんなこと言われたって知んない。あたしだってレシーバーが死んじゃったら、そこでおしまいだからね。リーパーだって万能じゃないわ」
「レシーバーってなに?」
「あたしの精神波を宿らせてくれるボディのこと」
「それならオマエの名は別にあるのか?」
「あたしは花園カリン。この体の子とはまれにみる相性の良さで、すぐに完全融合したわ。この子はあたしで、あたしはこの子なの」
どう理解したらいいのだろう。ひとつの体に意識が二つ。それとも混ざりあって一つなのか?
「融合できないとしたら、それはレシーバーとして不適格なの。そこで強引に宿主と精神交換する無茶なリーパーもいる」
「入れ替えるのか………やられたほうは堪らんな。いきなり知らない場所に飛ばされるんだろ?」
「そうね。ひどいよね。でもカリンは優秀だった。あたしたちは溶け合ったわ」
「じゃあ、ミコトもジイさんと溶け合うのか?」
考えるだけでおぞましいが………。
「うーん。まだ幼いから難しいみたい。だから夜暗くなって、ミコトちゃんの意識が希薄になったときを選んでおられるわ」
だんだん懐疑的になってきた。
「じゃ、オレは何なんだ。なぜリーパーらの争いに巻き込まれる?」
「時間規則だからそんなの言えないわ。でもあたしを信じて」
澄んだ瞳で懇願されれば、うなずく以外に無いだろ。
今だってクローラーの攻撃からオレの身を守ってくれたのだし──やっぱここは本心を告げるのが男だろうな。
「さっきは本当に悪かったな。よく考えたら、オレ、命を救ってもらったんだろ?」
「何言ってんの。あんたなら手を出す間でもなく、香坂ひとみ如き、簡単に倒したわ。ただね………」
「ただ……?」
「まだ開眼してないの。早く目覚めてね……」
「……………………っ?」
いきなりカリンの頭がオレの肩に乗せられた。
腰まで届く丈長(たけなが)で結った黒髪から、とんでもなく芳しい香りが漂ってくる。
「か、カリン………ち、ちょっと」
とても気色いいのだが、いきなりとは………心の準備ができていない。
「久しぶりなんだもん。あんたとこうするの」
「…………………え?」
ヤツの頭を跳ね返して立ち上がるオレ。カリンは吃驚(びっくり)したような表情でオレを見上げていた。
「オレとオマエは初対面じゃないのか?」
カリンも勢いよく腰を伸ばし、
「あたしとあんたは夫婦(みょうと)だったんだよ!」
「ぬはっ!?」
天と地がひっくり返る衝撃を受けたのだが、
「ばぁーか。ウソに引っかかってら。あんたがあんまりスケベそうな顔してたから喝を入れてあげただけじゃない」
くるりと背を向けると、さらに屈辱の言葉を吐いた。
「あんたは、あたしの家来だかんね。明日の朝までに必ず箒を買ってくること。わかったね」
ヤツは振り返ることなく山道を境内へと走り去った。
疲れた……………。
三日分のオカズをこなした気分だ──。
どっちにしても、とにかく箒を買いに雑貨屋へ行こう。
☆ ☆ ☆
明日からゴールデンウィーク。しかも金曜日の夜──。
普通なら浮き足立つところなのだが、どうもしっくりこない。
机の上に放り出された受信機へ視線を固定させる。昨日まではマコトの眉唾話に乗る気はなかったのだが、あのパーソナリティが言っていたのと同じ言葉をカリンが漏らした以上、もう放っておくことはできなくなった。
時間の跳躍が可能なほどの精神力を持った特殊能力者が七海神社を目指して集まっていることは明白だ。
中でもクローラーと呼ばれるヤカラの登場が最も懸念される。
山高帽子のジイさんに、葬式帰りの双子や女子高生の香坂ひとみ。バス停にはまだいたはずだし、それで全てではないだろう。
カリンや義空もリーパーだと自ら吐露したし──今オレの周りで、謎だらけで不可思議な変化が始まったのは間違いない。
無性に気が散り、胸騒ぎが止まらない。
重く圧し掛かる意味不明のプレッシャーを感じつつ、マコトから借りたノートパソコンを開き、受信機に手を触れた。
装置はいくつかのダイヤルとメーターがついたコンパクトサイズだとアイツは言うが、机の上で結構な面積を占領していた。
その後ろから伸びる灰色の細いケーブルは、オレがクラブ活動をしていたあいだに、マコトが家に入ったらしく、ベランダから掲げたアンテナに直結されて装置のケツに挿しこまれていた。
ようするにさっさと放送を聴けということだ。
「手際がいいもんだ。数時間でこれだけの準備をしたのか……」
マコトの仕事ぶりを見てひとりゴチが漏れた。
たぶん陽が落ちてから母さんが帰ってきたのだろう。ベランダに見知らぬアンテナが立てられたことなど気付きもしないだろう。
マコトが言うには、謎のラジオ放送はあらゆる周波数に暗号化されて散らばっており、普通の方法では発見できないらしい。しかも放送の最後に次の放送時間と周波数がデータ化されていて、それを逃すと見失い、続きを聞くのがさらに困難になる仕組みだ。要するにマコトが以前言っていたとおり、人に聞かれたくない内容を放送するラジオ局さ。よほど重要な情報を流しているハズだとマコトは訴えるが、今のところオレには意味不明なものばかりだ。
そんな解読不能に近い仕組みを自動的に探し出すアプリをマコトが作り、見つけた一つが午後十時十二分からの放送だ。これを聴いて近未来のECを告げるかを探るんだ。ECの解析もそのパソコンでできるし、ダメなら次の情報を探しに行く。これがマコトの立てた作戦だ。
まるで子供じみた話だろ。普通なら鼻で笑っちまうところだ。でもオレの胸中は何だか知らないが、クラブが終わってからずっと怪しく蠢いたままだった。
とりあえず、時間までに風呂と夕食を済まし、母さんと一緒に居間でテレビを眺めて時間を過ごした。
そして午後十時。
マコトが残してくれた『使い方』と書かれた指示通りに、パソコンと無線機を繋いで起動させてみた。
ヤツの言うとおり、指定のアプリを動かすと、勝手に無線機に電源が入り雑音が流れだした。チューニングもオートらしく周波数を示す数値がパラパラと変化して一定の値で静止。だけど聞こえてくるのは雑音ばかり。十分間もこの雑音を聞くのは耐えられないので音量を下げた。
果たして午後十時十二分きっかり、パソコンのスピーカーから時報と共に───、
え? 時報?
部屋の時計へ目を遣る。間違いなく午後十時十二分だった。今の音は時報ではないのか……首を捻る間もなく、
『JTLIAデータ通信ステーション、ピーエヌ3378情報センターのタカナシ・コマメでぇーす』
何度聞いても可愛らしい声だったが、今日は聞きなれない言葉が混じっていた。
「ピーエヌってなんだろ? PNでいいのかな?」
『今日は、ピーエヌ3378、ご本人をお呼びする日ですねー。すごく楽しみで~す』
……ダレを呼ぶって?
PN番号って個人情報ってことかな。
『それじゃぁ。まずこの方。スピリチュアルコーディネーターの田中さんです』
『ども田中です』
『田中さんは戦国時代に強いというお噂ですよね』
『そうっすね。数こなしてますから……。武将と精神融合なんて、もうへいきっすよ』
軽いヤツだな、コイツ。
それより精神融合って言ったよな。
『失敗したことは?』
『無いっすよ……ちゅうか失敗してたらここにいないっす』
『あははは。ごめんなさい。そうーですよね。では時間もありませんので、早速お願いしまーす』
なんなんだ。この会話?
『いいっすよ。PN3378っすね』
深く考えるほどの間はなく、すぐに、
『──ここはどこだ? お主は何者だ! なんともおかしなカッコウをしておるな?』
『ノブナガちゃんは、アケチくんに裏切られ自害する寸前でした。そんなお忙しいときにお呼びしたんですよー』
何がノブナガちゃんだ。さっきの田中じゃねえか。と言うより『アケチ』って、明智か?
なら、『織田信長』か?
何だこりゃ?
声がまったく同じなので、何が始まったのか一向に理解できない。ただ、やけに田中という軽いヤツの声は真剣だった。
『何を言っておるんじゃ、お主…………そうじゃ。それどころではない。アケチに裏切られたのだぞ。こんな屈辱は無いワ! 悔しくて悔しくて、喪失感に苛まれ………切腹じゃっ。ぐわぁぁぁぁっ! 割腹せねば! 刀はどこだ? おい、刀を持て!』
『ほんとうに寸前だったんですねぇ。スッゴいですねー。さすが田中さんですね。きわどいところへ飛んだでくれましたねぇ』
「何なんだ。この寸劇は!」
堪らず声を上げたのは、パソコンに接続されたスピーカーを睨んでいたオレだ。
番組内容がとんでもなく奇異でバカバカしく、堪らずパソコンを消した。
マコトはこんなものを真剣に調べようというのか?
しかし少しの間を持って、カリンの言葉が浮遊してきた。
精神融合とか、飛ぶ、とか何度も言っていた。カリンの言葉と一致する部分が多々ある。
冷静に反芻(はんすう)していたら、ほどなくしてじわじわと足の先から冷水に浸かって行くような寒気が襲ってきた。
この謎の放送局はリーパーたちへ情報を流すのが目的で設置されたのではないか、と考えたら、全てに辻褄が合う。
コマメと呼ばれるパーソナリティがよく口にする、静観しろというのは時間規則を守れと言うことだ。
今の田中という男がリーパーだとして、マジで戦国時代の織田信長をレシーバーにして精神的リンクをしたとしたら、あの言葉は本心だ。明智光秀に裏切られた悔しさの雄叫びだ。となると今のは自害寸前の実況中継みたいなもんだ。
飛躍する想像に、ざわわわ、と背中に粟立つモノを感じて、やにわに直立すると意味もなく壁を睨みつけた。
あれがカリンの言う精神交換だ──。
あの後、田中という男はどうしたんだ。カリンはレシーバーが死ぬと融合するリーパーも死ぬと言っていた。
『失敗してたらここにいないっす』
田中と呼ばれた男の言葉を思い出し、急いで電源を再投入したが放送は終わっていた。
しばらく呆然として、雑音だけを耳に注ぎ込んでいた自分に気付き、はっと我に返る。他にも何かやっているかも知れない。
すぐにスキャン開始のアイコンをクリックする。
数分後。何度も途切れ途切れの雑音が流れていたが、不意に鮮明になると、
『………PM253480情報センターのニュースでした。もう一度言いますね。最初のECは……………』
運よく時間予報の途中らしく、またまた意味不明のPN番号と二つのECを連呼するコマメの声が聞こえて来たので、慌てて長ったらしい数字をメモった。
それにしても、このコマメという人は何人もいるのか?
なぜ一人でいろんな番組に出られるのだろ?
同じ声をした人が大勢存在するとか?
疑問は尽きないが──。
メモした二つのECをスマホのアプリで解析させて目を剥いた。
一つ目は、アーケードの屋根が滑落して男性が下敷きになるらしい予報だが、パソコンは明日の午前十時だという時刻を吐き出していた。
しかも場所は北山町駅にある商店街周辺だ。
二つ目も時間的にはそれから小一時間先を示していた。ちょっと小躍りしたい気分だ。初めて近未来のECを発見したのだからな。
それとPN番号は個人を指している可能性があることも解った。もしそうなら、PNなる人物が誰かも判明する。
すぐにマコトへメールすると、まだ起きていたらしく。どちらも近くだから明日確かめに行こうとなった。
五月晴れの土曜日。
長い休日の幕開けは、素晴らしい晴天から始まった。
「でもさ。PN番号が個人を指している可能性は無いとは言えないけどさ。僕の推測ではあの放送局は時間情報を流してんだよ。過去から未来まで全ての人を番号では管理できないと思う」
「PN3378は織田信長だったんだぜ」
「あはは。じゃあPN3379は豊臣秀吉だね」
「ちぇ。オレの説は笑い飛ばされておしまいってか?」
「まあ。まあ剣豪くん。今日行けばわかるよ。それよりさ……」
マコトが言うには、ECの解析ソフトには必ずプラス方向に誤差が出るらしい。つまり、弾き出した時刻よりも少し遅れるらしい。どれぐらいかまでは分からない。ということは、こうしてアーケードを行ったり来たりを繰り返すオレたちって、なんだか無駄な動きだな。
朝練はちゃんとこなして来たオレだが、午後からの練習まで残された時間内で起きて欲しいものだ──いや、起きてはいけないよな。ちょっと不謹慎だった。
「なぁ。マコト。いい若者がゴールデンウィークに……こんな散歩で青春を消化しててもいいのか?」
「無駄なことをするのが青春じゃないか。大人になったらこんなことできないよ」
当たり前だ。意味も無くアーケードでピストン運動をする大人にはなりたくないものだ。
予定時刻を過ぎて約一時間半。そろそろ疲れてきて、付近の茶店から外を眺めないか、と言う話が決まりかけたころ、
「あれま。七海神社の若宮司はんやないか。どないしたんやこんなとこで……。ほほう、男どうしでっか? なんや怪しいな」
「だれ?」と、オレ。マコトは、「この商店街の会長さん」と答え、
「こんにちは、田日向(たひなた)さん。僕たちは買い物ですよ」
「電材でっか? ほんま神社の子やのにそっち方面はスゴおますからな」
ちらりとオレを見るスキンヘッド。オッサンの放つ濃い関西弁は妙に人懐っこく感じる。
「ほぉ。これは剣道部の親分はんやがな。まともに会話すんのは初めてでんな。覚えておいてや。ワテはそこで雑貨屋をやっとる田日向ちゅうもんや。ほんでなこの商店街の会長や。なんで会長をやっとるか知ってまっか?」
「し……知りませんよ」
よく考えたら、昨日の夜、箒を買いに行ったあの店だ。
「ヒマやからやないかいな。会長なんかヒマ人がやるもんやねんて。だからもう八年もやってまんねん。代わりに店は閑古鳥が鳴いてまっせ、あっは、はっ、はっ」
確かにヒマそうな店ではあった。婆さんがひとりで店番していたぐらいだからな。
「ん?」
逃げ出すチャンスをマコトと探っていたオレたちの上から、一つまみほどの砂ぼこりが落ちてきた。
視線を上げるのと、オレの体が無意識に瞬発するのが同時だった。マコトを蹴り飛ばし、おやっさんを押しやる。
ドシャーン!
大きな音ともうもうたる砂埃が上った。
「な、な、なんや!」
オレが突き飛ばした向こうで、田日向のおやっさんがムクリと半身を起こして振り返る。
それに同期したように、オレも起き上がり振り返った。
半分ほどホコリと瓦礫を被ったマコトが頭を押さえてうずくまっていた。
「ひどいよ剣豪くん。いま蹴ったでしょ」
のんびりしたヤツだ。
「許せ。緊急的処置だ! それより大丈夫か!」
飛び付くオレの手をやんわりと止め、
「あいたたたた。ちょっと頭を切ったかもしれない」
「どれ?」
差し出した手の平に血が滲んでいた。
「ちょっと見せてみろ」
額にコブができて、先っぽから少し血が滲んでいた。
剣道部ならこんな怪我は日常茶飯事のことで、ひとまずほっとする。
「これを使えばいいわ」
「えっ!?」
白いレースのハンカチを突き出したのは、
「浅間──!」
「あっ、委員長!」
オレとマコトの合唱だった。
「なぜここに?」
我ながら妙な質問だが。
「あら、おあいにく様ね。ここはね、買い物に散歩、誰でも自由に行き来できるのよ」
と言ってから、冷然とした態度でオレを一瞥し、
「それを商店街と言うの。ここに私が立っているのは偶然以外の何ものでもないわ。それより会長さん? よかったですわね、御無事で」
「え? あ、ほんまや! ほんまやったらワテがまともに下敷きやがな。うわぁぁ。おおきにな剣道部の親分はん。命の恩人や。それとマコトはん。怪我の治療に行きまひょ。ほれそこの角を曲がったとこに知り合いの外科医がおるんや。今日は土曜日やけど裏から入れてもろたらエエ」
いつの間にか人だかりができ、周辺の店舗から出て来た従業員が瓦礫を片づけ始めていた。
見上げると、約1メートルほどの穴がアーケードの天井に開いており、青空と白い雲が見えた。
「今の子は同級生のオナゴはんでっか?」
黙って立ち去る浅間は、時期的に少し早めの半袖ポロシャツ。下半身にはぴったりとフィットしたぴちぴちのジーンズを穿いていた。
「けっこう、ええオケツしてまんがな………」
か……会長。
「どう思う? これは偶然と言うべきか?」
「うーん」
「はーい。ちょっと動かないでね」
首を捻ろうとしたマコトを優しく制したのは、美人で人のよさそうな女医(せんせい)だった。タイトなミニスカの上から無造作に羽織った白衣が眩しい。
マコトは自分の額の上で蠢く艶やかな指を上目に見ながら、
「まだ何とも言えないな。偶然と言えば偶然で済ませるし……ね」
コイツが意外と冷静なので安堵する。こっちはフトンを被って寝ちまいたい心境だ。
「ECがこのことを差していたとしたら、PN番号は誰なんだ?」
「僕か剣豪くんか……会長さんか」
マコトはさらに笑いながら、
「委員長もすぐそばにいたし……彼女かもね」
「ますます曖昧だぜ……オレの説は消えたかぁ」
先生はオレたちの会話を聞いていたが、気にも留めず、絆創膏の上から指の腹を離した。
「はい。全治三日ね。もし気になるんならレントゲン撮っとく?」
「い、いやいいです。何ともありません。言いにくいんですが。瓦礫が頭に当たったんじゃなく、転んでぶつけただけです」
に……鈍いヤツ。
蹴っ飛ばしたのはオレだけど……………。
女医さんは柔和に微笑み。
「はい。おだいじに………」
マコトの膝をぽんと打ち鳴らして立ち上がり、その隣へスキンヘッドの商店街会長が飛んで来た。
「あー、治療費はワテが出すからな、気にせんといてな。それより奈津子はん。ホンマに大丈夫でっか?」
「大丈夫よ。それより田日向さん。早急に屋根の調査したほうがいいわよ。他にも事故が起きたらこんなことでは済まないわよ」
「ほ、ほんまや。さっそく業者に連絡や」
ポケットからガラケーを出し、
「あー堀北工務店はんでっか? ワテや。田日向やがな。あのな…………」
行動力と判断力は半端無いオッサンのようだ。
「慌(あわ)ただしいだけよ」
と奈津子女医は、またもや嫣然と笑った。
剣道部で怪我人が出たら、今度からここに来よう、と決意するのはオレも会長と同類のオスだからで……。
「高いがな! もうちょいまけてぇーや……え? アカンアカン。もうひと声や。商店街全体の屋根でっせ、たんまり儲けられるやろ…………よっしゃ。それで手打ちまひょ」
平気で値切るのは関西人だからで、
「ほな。皆さん家まで送りまっせ。クルマ回してきますワ」
電話を切るなり次の行動に出た。マジでこれは忙しない。
☆ ☆ ☆
「ほんますんまへんでしたなマコトはん。いや、実の話やけどな、前から老朽化してんのは知ってましたんや。ほんで順次修理しなあかんなー思ってた矢先に、まさかそれが自分に降りかかってくるとは……。いやいや一寸先は闇でんな。ホンマに……おぉ怖わぁ」
よく喋るオッサンだ。関西人はお喋りが多いというが、真実だな……。黙ることってあるのだろうか、会長さん。
「いっや~、軽症でよかったワ、七海神社の未来の神主はんを怪我させたとなったら、マジで会長失格や。せやけどなマコトはん……」
車に乗り込んでからもずっとこの調子で、後部座席へ喋り掛けてくる。放っておくと永遠と喋り続けそうな気配を感じ取ったマコトが途中で割り込んだ。
「あ、あの。会長さん。もう大丈夫ですよ。かすり傷だし、これは僕の運が悪かっただけです。気にしないでください」
「ほんまでっか? ホッとしましたわ。ホンマやったら、厄日になるところをあんたらに助けられた上に、女神はんにも会えたし。逆に今日はエエ日やな」
「女神って?」
よせばいいのに、つい口を挟んでしまった。
「奈津子はんでんがな。あの人は商店街の女神様や。綺麗なお人やで、いやホンマ。あ~ぁ、盲腸でもならへんかな。ほんであの人に切ってもらうんや。あのシルクみたいな手の平でポンポン(腹)触られまんねんで。もうそうなったら麻酔もいらんワ。そやろ? そう思いまへんか? 剣道部の親分はん?」
同意を求めるんじゃないよ。
機関銃のようなお喋りから逃げ出したくなって、急いで車を止めてもらう。
「か、会長さん。ここでいいです。まだ買い物があったのを思い出しました」
「え? 剣豪くん?」
怪訝な目で見るマコトの腕を掴んで、
「とにかく降りたい」
「そ、そうだね……。会長さん。ここまででじゅうぶんです。神社すぐそこだし、あとは歩いて帰ります」
「ほんまでっか?」
田日向さんはバックミラー越しにオレたちを窺うが、素直にブレーキを踏んだ。
「ほな。気ぃつけて行きや………」
それは歩道脇に車が停車して、オレが扉を開けようとした時に起きた。
「うぉぉ。なんやあのダンプ、信号無視やがな!」
一台の大型ダンプが赤信号を無視して猛烈なスピードで通過して行った。
「うひゃー。あのまま行っとったらワテらまともやで。クワバラクワバラ………」
会長は思い出したようにマコトをちらりと見てそう言った。ようやくここで噂のキツネの崇りを思い出したのだろう。
幸い、がら透きの道路だったおかげで、巻き込まれる車両も無く、無事オレたちは歩道へ降りることができた。確かにあのまま田日向さんのクルマに乗って信号を渡っていたら今ごろ運が良くて病院のベッドだ。下手をすると顔に白い布が被せられていたかも知れない。
さっきからオレの手の震えが止まらないのは、危険な目に遭いそうになったからではない。持っていたスマホのアプリが指す場所。そう、もう一つのECから割り出した時間と場所が、まさにその交差点だったからだ。そしてそこにも俺たちと会長がいた。
PN番号が個人を指しているとしたら、いったい誰だなんだ………。
偶然とは片付けられない二度の現実を突きつけられて、放心状態のオレの袖をマコトが爽やかな声で引いた。
「あ。ほら剣豪くん。あそこ、委員長がいる!」
浅間絵里が問題の交差点で信号待ちをしていた。
「ハンカチ返さなきゃ………」
彼女を呼ぼうとするマコトの腕を押さえ、
「やめとけ。何だか面倒なことになりそうだ」
浅間……………これでもお前は偶発的だと言うのか?
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