アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第一章】旅の途中

起動コードを持つ少女

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 その事件が起きたのは、二度も窮地に立たされた俺が人生のエピローグを前にして、手を合わせたり、床に突っ伏したり、それから十字を切ったりして全宗教の神々に祈りを捧げている真っ最中のことだった。

「ありゃりゃぁ? ここはどこですかぁ? 真っ白ですよぅ」

 聞き覚えのある間の抜けた声。少し鼻にかかった甘い声音だ。
「もしや……」

 ゆるゆるとまぶたを開く俺の前で、白と灰色のワンピーススカートの可愛らしい尻が左右に揺れていた。
 三つの転送光線のうち二つはドロイドだったが、中に混じって変なヤツが実体化したのだ。

「はて? ここはどこでしょうか? こりは……狭い部屋ですねぇ」
 壁と面向かってバカみたいなことを言ってやがる。

 後ろからドロイドに羽交い締にめされた状態なのに、俺はひどい脱力感を覚えた。
「前は壁だ! 後ろを見ろ、後ろを」

 バカはゆっくりと壁に沿って首をもたげ、そこから右に捻って背後を窺うと、ピョンと体を旋回。俺の顔をマジマジと見た。

「あはっ。コマンダーだぁ!」
 足の力が抜けたな。なんなんだ、こいつは──。

 確かに俺は神様に嘆願したよ。でもこんなインチキ神を頼んだ覚えはない。
「もぉ。失礼ですよ、コマンダー。インチキってぇ」
「神様がアヒルの口みたいに平たくして、ぶー垂れるワケないだろ!」

 それよりもだ。
「何しに来た! 暇だったら、この連中を何とかしろ! お前もアンドロイドだろ。百万馬力ぐらい出せ!」
「そんなにありませんよぅ。ついでに言うとこれだけの数、ワタシ一人ではどうしようもありませんね」
 たいしてアテにはしてないが、冷たい言葉だこと。

『¢⊇ΘΨΧΦψμω』

「痛ぇーな! 何すんだ、放せっ!」
 羽交い絞めにして来たドロイドが何か言うと、すげえ力で俺を引き摺った。どんなに抗おうとも力に勝てることはできず屈するしかない。
 ナナの野郎はその様子を静観しており、反撃するチャンスを狙っているのか──。
 いや、あの間の抜けたような様子だとそうでもなさそうだ。

 何しに来たんだ、こいつは。

 生命体以外には何の興味も示さないドロイドたちは、現れたナナを道端の石ころぐらいにしか思っていないらしく、彼女を無視すると俺をグイグイ引っ張って部屋の中央に寄らせた。

「社長。大丈夫っすか?」
「ああ。ひとまずケガは無い。せやけど。なんとか反撃できひんやろか?」
 司令室は大勢のドロイドで制圧されたていた。

 俺たちは部屋の中央に集められてぐるりをドロイドに囲まれて身動きが取れない状態だった。その輪の外ではナナが呑気にその辺を散策中だ。
「あの子、何しに来たの?」
 と玲子から耳元で囁かれても、俺が答えられる訳が無い。

「知らね──」

 ついにパーサーと機長も捕まったらしく、大勢のドロイドに引き摺られて俺たちの輪の中に放り込まれた。

「これからどうなるんですかね?」
 パーサーは無言で連中を睨んでいたが、機長は意外と平たい口調だった。
「頭の中を覗かれるんだよ」
「私の頭の中なんか覗いても、この娘のことしか入ってませんよ」
 天井を見て言うのは、銀龍のことなので誤解しないでくれよ。

「オラもこの子のことしか入ってないダ」
「お前の場合はマジで何の役にも立たねえな。なんでフィギュアなんか握りしめてんだ?」

「ののかちゃんに危険が及ばないように」
「……………………………………」
 この期に及んで、なんかお前が怖い。

『¢⊇ΘΨΧΦψμω』
 ドロイドがまた俺に向かって何か言ったが、主宰にもらったコミュニケーターが取り上げられて翻訳できなくなっている。
 見ると万能翻訳機はデスクの上にあった。でも無くてもだいたいは察しがつく。どうせ『知識を求める』程度のコトを言ったのだろう。今さらどうでもいい。

 俺の考えていたとおり、赤くて細いビームが床に放射されると、じわじわと俺の足元ににじりよって来た。
 あれで脳内を探られるのだろうか。痛みはあるのか?

「ちょっと無茶はやめなさい! 放なして!」
 玲子が上半身を左右に振って派手に暴れたが、ドロイドの拘束は完璧だった。連中の腕から抜け出すことはできない。

「わわわわわ」
 ビームの先がつま先に触れた。靴を通して浸透してくる。最初は暖かく、すぐに痛みを伴った熱を感じた。まさに身体の内部に突き刺さってくるのだ。

 脳を探られる──。

 そう思うと急激に目の前の光景が現実味を帯びてきた。猛烈な恐怖感に苛まれる。あの熱い光で頭の中を調べられ、耐え切れない痛みを受けながら、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられるんだ。

 想像するだけで身の毛のよだつ気分に襲われた。おそらく発狂からは逃れない。村人が自爆装置を発火させるのはこのタイミングなのだろうと思っていたら、次の刹那。社長の目の色が変わった。

「ナナ! おまはん転送機使えまっしゃろ? こいつらを銀龍の外に転送してしまいなはれ」
「ハイパートランスポーターわ~、ただいま充電中でーす」

「うれしそうに言うな! バカ!」

 だがその作戦は使える。そうさ、転送機は他にもある。
「銀龍の転送機を使えばいい。早く実行しろ。コマンダーの命令だ!」

「ダメですよぉ。ワタシにはもっと優先度の高いお仕事があるんです」
「これ以上の優先度なんかあるかっ!!」
 込み上がる憤怒はもう堪えきれない。玲子も声をそろえた。

「裕輔の命令を聞きなさい、ナナ!」

「え──?」
 ナナはまるで聞き分けの無い子供のように困った顔をし、玲子が派手に落胆した。

「運動神経がいいから少しは使えると思ってたのに……あんたは使えないバカだわ!」

「だぁーってぇ──。ワタシに無視しろと命じたのはコマンダーですよぉ」
「はぁぁ? こんな時に冗談をぶっこいている場合じゃねえぞ。俺の命令を最優先にしろってんだ!」

 ナナは小さな口から赤い舌を出した。
「だぁ~~め」
 徐々に増してきた足の痛みに堪える苦痛と、この侮辱にも近い拒否のされ方。

「このバカタレ! お前なんか死にやがれ──っ」
 渾身の罵声なのに、ヤツはにこりと微笑みを返した。

「今のセリフ覚えておいてくらさーい」
 手にひらをピラピラさせて、おちょくったナナの態度に怒り心頭だ。

「うっせぇ──っ! あっち行けぇ!」
 足の激痛は太股にまで達し、俺の焦燥感も天を突いた、その時。すっと胸を張ったナナの動きが止まった。

『承認コード1001。エブリワン5356』

 ナナのシステムボイスが部屋を渡り、俺は歪めた顔を無理やり引き上げる。
「何のセリフだよ? あちち」
 ついに大腿骨の辺りまでが熱い。そこまでビームが上がって来たのだ。

『イマダ、ベータ7953、プライオリティ最大。特権モード335、リエントラント無効を要求っ!』

 柔和な微笑みを絶やさなかった面立ちから表情が消えており、冷然とかつ淡々と呪文みたいな意味不明の言葉を綴っていく。

「さっきから、なに言ってんだよ!」
 唱え終えたナナはもとの柔らかげな表情に戻って、じっとドロイドの様子を観察中だ。

 社長も緊張の解けない顔で辺りを窺う。
「なんかの起動コードちゃうか?」
「コード? あれ?」
 気付くと腹部まで達した鈍い痛みを伴う熱源が消え、代わりに異様なまでの静けさが鼓膜を圧迫していた。

 カタン……。
 部屋の隅から渡った小さな音。何だろう、と首をねじる。

 俺を切り刻もうとしていたレーザーエミッターの先端が床に落ち、転がって行く音だった。
 続いて肩のところから腕がもげ落ちて大きな衝撃音を出した。

 連鎖的に広がる音。音。音。
 あっちのドロイド、こっちのドロイド。接着剤の剥がれたプラモデルみたいに、バラバラと体のパーツがボディから外れて散らばっていく。あるいは糸の切れた操り人形だ。力が抜けて膝から崩れ落ちるヤツ。
 俺は驚愕の光景に茫然とした。船内にはびこんでいた筐体が、全て同時期に機能を停止して分解を始めたのだ。

「ワームが動きだしたんや!」
 社長が叫び、自分の体を羽交い絞めにした筐体から抜け出ると、後ろヘ振り返って強く押した。それはまるでマネキン人形だった。一時停止の姿で固着したボディが後ろに倒れ、床にぶち当たって木端微塵に飛び散った。

「やったわ! 壊れて行くよ!」
 驚嘆の面持ちで玲子が叫び、俺も悦(よろこ)び勇んでナナの前に飛び出す。

「なんだよー! 起動コードを知ってんなら知ってるって先に言えよ! 寿命が縮んだぜ」

 ナナを両手で引き寄せたが、ヤツは険しい表情を浮かべると上半身で拒否の姿勢を取った。
「コマンダーは、ワタシに『死ね』って言いました」
「い、いや。あれはだな、言葉のアヤだな。反動ってやつさ。決して真意じゃねえぜ」

「一生懸命に助けに来たのに血も涙もないのですね。鬼ぃ……」

「あ、あのさ……よくそんな難しい言葉覚えたね。エライねぇナナは……」
 毒突いて、ぷっと膨らませた桜色の頬がぷにゅぷにゅと揺れている。

「うっそ、で~す」
 じゃれつく子猫みたいにして俺に飛びついてきた。

「アタシはアンドロイド、死にませ──んよ」
「あわわわわ」
 究極に柔軟で盛り上がったボディが俺の腕の中で躍る。
「ちょ、ちょっとナナ、離れろ。苦しい」

「ののかちゃん! 裕輔にくっ付くと変な病気がうつるダよ!」

 アンドロイドに病原菌は無関係なのだが──、
 意外にも玲子はニコニコ顔で近寄り、
「やっぱりあたしの思った通り。あなたは使える女子ね」とぬかしやがった。

「ウソを──吐け!」

「いいから、ちょっと離れなさい」
 玲子は、抱きつくナナを俺から引き剥がし、
「今日から特殊危険課の一員にしてあげるからね」
「特殊危険課って何ですかぁ?」
 ナナは濡れた黒い瞳をくるんと回し、玲子はナナを抱き寄せる。
「あなたにピッタリの部署よ。大切にしてあげる」
 銀髪を撫でくり回した。

 世紀末オンナめ、変わり身の早えヤツだ。

「せやけど、やっぱり今田薄荷はたいした男やで。破壊にかけては右に出る者はおらんよな!」
「そうそう、シロタマもいっちょ噛んでるし、ざまーみやがれ、ドロイドどもめ!」

「助かった!」
 パーサーは脱力して床に尻を落とし、機長は早速操縦アタッチメントを操作。田吾はナナに向かってフィギュアを握りしめつつ感謝の祈りを捧げる。
「ありがとう。ののかちゃん。やっぱりキミは魔法少女だったんダすね」
 まあこの際だ。魔法でもアホウでもいい。ナナのおかげで危機一髪、俺たちは助かったんだ。

「偶然とはいえ、どこかで起動コードを盗み聞きしたんだ。変な癖が今回は功を奏したな。そうだろ、ナナ?」
「えっ!? えぇぇ。ま、似たようなもんです」
 のどの辺りに異物感のある返事をしたが、気になるものでは無い。とにかく今は何でもいい。念願のドロイド殲滅を果たしたのだ。どこで立ち聞きしたって構わない。結果オーライさ。

 ひとしきり安息の時を過ごした後、ようやくまだこれで終わりではないことを社長が言いだし、俺も我に返る。
「機長! とにかく上昇しなはれ。ほんで間もなくスフィアが浮き上がってきますさかいに。追従するんや。主催が言うには超新星爆発を誘発するとかゆうてましたからな」

「りょうーかい!」

 船内がドロイドのガラクタで足の踏み場がないほどだ。機長は残骸をまたぎつつ操縦席へ、パーサーも持ち場へ戻って行った。

 ふぅと息を吐いた社長。
「下の様子も気になるな。どんな具合やろ。玲子、ビューワーを点けてみいな」
「転送してこなくなったところをみると、たぶん全滅してんだろうな」

 ガッサーっと、ドロイドのガラクタを脇に寄せ、玲子をコンソールへと誘うナナ。
「どうぞレイコさん。ここを通ってくらさい」
 お前は太鼓持ちか。もう上司に媚を売ってんのか?
 なんて下世話なロボットだろ。

 ビューワーが点けられ。
「おおぉ。壮観な景色やがな」
 社長の言葉どおり、ちょっと前までの地獄絵図は一変しており、動くものが一つも無かった。ただの瓦礫の山だ。ゴミだよゴミ。だが俺たちにとっては危機の嵐が去ったことを知らせる爽快な景色なのさ。

「あの……」
 落ち着きの無い様子で辺りを見渡しながらナナが訊く。
「シロタマさんのEM輻射波が途絶えてますけど……。地上へ帰ったのですか?」
 敵の中に舞い戻るなど、そんな殊勝なヤツはいない。ようやくコトの重大性を思い出した。

「あそうだ。今田の様子はどうだろ?」
「あの怖いオジサンですね。どうされたんですか?」
「あのな。ドロイドに頭を撃たれて、今はゼラスリンと鎮痛剤でなんとか安定してるんやけど重体なんや。ほんでシロタマやねんけどな……」

 社長はナナにこれまでの経緯を説明し、ナナはうんうんとうなずきを繰り返していた。
  
  
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