アカネ・パラドックス

雲黒斎草菜

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【第四章】悲しみの旋律

  エル 零歳  

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 地獄の状況下から天国とも言える銀龍へ戻った俺たちは、デバッガーに見つかる前にその惑星を後にして、120光年先に見つけてあったとある星雲の陰に潜んだ。

「ここならしばらく見つからないだろ?」
「ええがな。ようこんな星雲を見つけましたな?」

「そりゃあ、救助後しばらくハイパージャンプはできないことを踏まえて、準備しておくのが一流のクルーなんだぜ」
「逃げ道を探させれば天下一品だもんね」

「なんだよ、トゲのある言い方だな」

「裏を返せば臆病なだけじゃない」
「うっせー。俺は用心深いんだ」

「まあまあ。今回は裕輔の言うとおりや。赤ちゃん抱いて戦闘態勢になったらエライこっちゃやデ。しばらくここで充電したらええ。人間ともどもな」
 なんにせよ。次のハイパージャンプは8時間先になるのだ。


 そして医務室。
「可愛いですねぇ。生命体の赤ちゃんはいつ見てもなごみますね」
 ゴムの白手袋。消毒済みなのは当然で、真新しいシーツの上に置かれた耐熱カプセルはすでに開けられており、そこから茜の手によって取り出された赤ちゃんは俺たちより端正な面立ちを持つ正真正銘のエルフ族の赤ん坊だった。

「天使みたい……」
 茜が満面の笑みに埋もれて何度も言う気も理解できる。誰もがそんな感想を漏らしてしまいそうなほどに愛らしい笑顔で俺たちへ愛想を振りまいていた。

『成長過程から推測すると生後1ヶ月以内だと思われます』
 とシロタマが告げ、玲子が感嘆の声を上げる。

「きゃぁ~可愛いぃ。小さなお口よ~」
 横からほっぺたをつつくので、ひと言注意だ。

「おい、汚い手で触るな」

「なにさ。あなたよりキレイわよ。トイレ行ったってまともに洗ってないくせに」
 よく見てやがるな、こいつ。

 茜はバイキンでも見るような目を俺にくれて、赤ん坊を遠ざけようとした。
「アカネ、ウソだって……」

「ところで」と茜は無垢な瞳に無色透明の光をキラキラさせながら、毒にも薬にもならないことを言う。
「赤ちゃんのお洋服を高分子再配列キットで拵えましょうよ」
「ベビー服かぁ。いいわね。この子も女の子なんだし可愛いのをお願いね」と玲子。

「もう見たのか?」
「何を?」

「い? いや、なに、性別さ」
「さすがスケベザルね。あなた何考えてるの? 転送機のネットリストバッファーに性別が出てたじゃない」

「え? あー。そうだぜ。俺はそれを見たのかって訊いたんだ。お前こそ何を勘違いして俺をスケベ呼ばわりするんだよ」
 とか低レベルの戦いを繰り広げる俺たちの後ろでは、高尚で高品位な会話が飛び交っていた。

「エルフ族ってどんな種族なんや?」
「あ、はい。謎の多い種族で実態はよく解ってないのが現状です」
「せやけど、その種族はここだけやないやろ? 保護を頼まなワシらだけでは無理やデ」
「星間協議会に加入したという話も聞いたことが無いです」
『他惑星との交流の記録はありません』と口を挟んできたのは、シロタマの報告モード。

「星間協議会に加入した中には獣人族が数多く含まれますが、エルフはゼロです。希少的価値のある種族とだけ記録されていて、その実態はほとんど謎とされています」

「生態が謎の種族で、しかもその赤ちゃんや。やっぱいつまでもここに置いとかれへんデ。どこかに里子として受け入れてくれる奇特な人か、そういう施設を探すしかおまへんな」

「じゃ、じゃあ。それまではここで一緒に暮らすんですかぁ?」
 赤子を胸に抱いて、茜は踊り出さんばかり。喜色満面の破顔を社長に見せた。

「まー。そーなるわな」
「うれしいぃィ!」
 お前こそ天使だと言いたくなるような笑顔を浮かべて、マシュマロ以上に柔らかい赤子の頬に唇を寄せる茜。

「ほぉ……」

「なに、見てんのよ!」
 あまりにほほえましい光景なので、思わず見惚れた俺の後頭部を小突く鬼オンナへ、振り返って睨む。

「いいじゃねえか。こいうのは情操教育って言ってな、これからのアカネにはとても重要な事なんだ。情操の欠片(かけら)も無い奴が……」
 つい口が滑った。マズイと思ったさ。だが瞬間に世界が回転した。
 電光石火の速度で体が回転して背中から、ど――んっ!

「ぐがぁ――っ!」

「アホやな、おまはん……」
 憐憫の念を抱いで覗き込んできた社長と目が合った。

「痛ででででで」
 強烈な痛みが走り、しばらく動けなかったことを報告しておこうな。

 やがて、大波、小波と押し寄せる痛みが薄れて、半身を起こしたときには、すでに誰もいなかった。

「きゅ~?」

「いつもすまんね。今日は司令室までたのむ……」
 差し出されたミカンの手にしがみ付き、俺はそのまま床を引き摺られて行ったのであった。




 2時間後──。
 いつものように田吾は無線機が片付けられたデスクの上でフィギュアの製作にいそしみ、俺は眠け覚ましと暇つぶしの大あくびを噛み殺していた。

 そしたら、
「ターマちゃん……」
 猫なで声と共に現れたのは、司令室へ滑り込んできたシロタマのあとをモミ手スリ手で近寄る社長だ。

「なー、タマくん。フリッカーの設計図があったらちらっと見せてくれへんか?」
 どうやら自分のものにしようという魂胆だ。

「設計図なんか作って無いでしゅ。全部シロタマの頭の中にありましゅ」
「構造だけでもエエで」
 すかさずシロタマは報告モードに切り替わり、冷然とした言葉を投げかけた。
『その要求は異星人文化の非干渉規約第32条違反となります。異星世界の進んだ技術を盗み出し、従来の進化の過程を狂わせる恐れがある場合、星間協議会から罰せられます』

「ドロボーとちゃうワ、アホ! ドケチ! シブチン! ふん。おまはんよりごっついヤツを作ったるからな! 覚えとけよ」
 子供の喧嘩かよ……。


 とは言ってもまだ諦め切れないらしく、社長はタマを追い掛けて第二格納庫に引っ込み、司令室がフィギュアを削る音だけになった。
「静かだなぁ……」
 静かなはずだ。玲子と茜が司令室にいない。

「また医務室に赤ちゃん見に行ったんじゃないスか?」
 精密グラインダーの先っぽで示す田吾。まったく弛んだ連中ばかりだと言いたいが、ハイパートランスポーターの充電完了まで自由時間だと、おハゲちゃんが宣言していたので、俺もこれ幸いと再び医務室へ足を運ぶことにした。



「うわあぁぁ。何度見ても赤ちゃんて可愛い物ですねぇ」
「生きてんだから『もの』って言ったらかわいそうよ、アカネ」

「あ、は~い。こんにちはー赤ちゃん」

 茜はぷにょぷにょした赤ん坊の頬を指先で触れて目を細め、
「りゅきゅあ? きゅありりゅ」
 茜と一緒になって手を伸ばそうとしたミカンを玲子は慌てて制した。

「ちょっと待って。あなたの指は固いでしょ。赤ちゃんの肌はとてもデリケートなの」

 ミカンは感電したみたいに手を引っ込め、真ん丸い目を最大限に広げて玲子の顔を覗き込む。
「きゃゆぁぁ……」
 ちゃんと理解しているようで、ミカンはおとなしく玲子の口の動きを待った。

「えらいえらい。よく我慢したね。じゃあベビー服の上からそっとね」
 茜とシロタマで合作した可愛らしいベビー服の上へと、ミカンはゆるゆるともう一度手を伸ばし、腹の辺りをそっと触れた。

「きゅゅわぁぁぁ」

 茜と同じ澄んだ黒眼を細めると再び玲子を見上げて訴える。
「きゅきゅりゅらり?」
「そうよ。可愛いでしょ」

「きゅわぁりゅぃ」
 それはまさに会話が成り立っていた。人と機械が分かち合えた瞬間だな。うん。いい光景だ。

 そうこうしているうちに、
「その子の名前を付けたらなあかんな」
 てなわけで――またもや社長もここへやって来て、医務室が満員に。にしてもこのハゲオヤジらしい提案だった。

 そう名付け親と言えばこの人なのだ。
 これまでに『茜』『優衣』『楓』と即答速攻で提示する名付け名人なのだ。

 全員の温かいまなざしに応えるように社長は言う。
「エル、でどないや?」
「ぶっ!」
 いつの間にかこいつまでも医務室に顔を出していて、半笑いで吹いた。
「何だよ。田吾、お前まで来たのか? 司令室がもぬけの空じゃねえか」
 のんびりした連中だぜ。俺はさておいてな。

「エルフ族だから『エル』って単純じゃないダすか?」
「そうだ、そうだ」
 異を唱える田吾ではなく、社長は囃し立てた俺に口を尖らせた。

「単純、ええがな。名前なんてそんなもんや。おまはんかって、茜の前身に何て付けた?」

「……ナナ」

「その理由は?」
「ボディのシリアル番号が『F877A』だったから……ナナ」

「単純どころか、アホみたいやな」
「…………」
 アホで済ますな。

「いいですねー。エルフ族最後の一人なんだから『エル』でぴったりですよ」
 太鼓持ち秘書め。

「エルちゃーん。こんにちはエルちゃん」
 白くてきれいな指先でエルの頬を突(つつ)く茜だった。

 かくして、赤ん坊の世話は茜の担当となり、緊急的な要件がない限り設備の整った医療室が当面の赤ちゃんの保育室となった。
  
  
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