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【第四章】悲しみの旋律
ネブラ・カーネル
しおりを挟む照明の落ちた司令室で社長の声だけが響く。
「パワーブレーカーが飛んだんでっか?」
真の暗闇にはならず、計測機器やビューワーの明かりは点いていて足元はよく見えていた。単純に司令室の照明が落ちただけのようだ。
「また誰かがレンジと炊飯器を同時に通電したんだぜ」
渾身のギャグなのにハゲオヤジは俺を睨み、シロタマは床と天井の中空で一時停止。この気配は怖気(おぞけ)がする。
「どうしたの、シロタマ?」
玲子も同じなのだろう。美麗な顔をもたげた。
『スキャンされています』
ニールがぎょっと目を剥いて部屋の外へ視線を滑らせた。
「きゅりりゅ?」
凝固したニールの横でミカンが注視する先、目映いばかりに輝いた緑色の光のカーテンが通路を通り部屋に侵入。あっという間にその中を横切り、茫然と立ち尽くしていた俺たちの頭の上から爪先までを緑光で舐めると、船尾のほうへと移動して行った。ビームが身体を通過するときに圧力を感じるほどの猛烈な光だった。
「ネブラでっか?」
ニールは挙動不審な子猫みたいに目を怯えさせて、
「この状況ですから……それしかないです」
《説明ヲ求メル……》
地の底から響いてきたような重低音の振動ともいえる声が俺の腹を震わした。
みたびミカンに抱きついたニールが怯えた目でキョロつくのは当然で、音がどこから伝わってくるのか分からないのだ。俺たちは総立ちで警戒した。
「これは銀龍の船体を直接震わして話しかけて来とんのや。スケイバーとおんなじやで」
《次元シールドヲ貫通し、我々の前に現れたのニハ何か理由がアルカラだろう。説明ヲ求メル》
銀龍の外へ語るように社長は言う。
「観光やがな。他に何があんねん?」
《観光?》
まるで首をかしげたように聞こえた。
《我々はネブラだ。観るモノなどナイ。》
「ほうでっか。ほな。勝手に見学させてもらいますデ」
《新たな情報ヲ我々にインプリメントせよ。ソレガできなけれバこの場で破壊スル》
「何や、荒っぽいでんな。それよりおまはん……。ワシらに見覚えは無いんか。さっきスキャンしたんやろ?」
しばらく無言が続いた。長い時間に感じたが、たぶん数秒だと思う。
《懐かしいEM輻射波ヲ検知してイル。F877A……450年ぶりダ》
社長は、硬質ガラスのような目でじっとスクリーンを見つめている優衣へ視線を振ってからニヤリとした。
「ようやく思い出したみたいやな。せやけど、あのちんけなドロイドが出世したもんや。こんなでっかくなりよって」
《オマエラの妨害工作にトテツモナク無駄なエネルギーを消耗したことハ認めざるヲ得ない》
「やっと思い出しやがって。失礼な奴だ」
俺のつぶやきは当然だが無視された。
《時空修正ヲ繰り返し、我々ヲ抹消しようとシテモ無駄ダト気付いたノカ。我々はネブラだ。不可能と言ウ文字は無イ》
「せや。無駄なことは排除しなあかん。互いにエネルギーの損やと思いまへんか? そこでやな。今日は提案を持ってきましたんや」
《提案?》
「どや。こんな無駄な争いはやめて、ネブラはどこか銀河の奥でおとなしく暮らしてくれまへんか。ほんならワシらも時空修正をしてまでもおまはんらを抹消させようとは思ってまへん」
《我々はネブラだ。エネルギーは無尽蔵にアル》
「ウソ言いなはんな。さっきエライ無駄遣いしたちゅうて後悔してましたやんか。自分の姿を鏡に映したこと無いやろ。ごっつい大所帯になってもうて、ぶくぶく太ってまっせ」
《我々はネブラだ。巨大化は我々が求メルもの》
「負け惜しみ言いなはんな。消費するエネルギーも相当なはずや。どうでっか。互いに過去をチクチク突っつくのはやめて和解しまへんか? おまはんらも歴史の改ざんにぎょうさんのエネルギーを使っとるはずや。それだけでもやめたらだいぶ楽になるんちゃうの? ワシらも故郷へ帰れるし。どないや?」
《新タナ情報をインプリメントせよ。ソレが無けれバこの場で破壊スル》
社長は強く舌打ちをして、
「しつこい奴や。シロタマ。例の作戦決行すんで」
いきなりシロタマが優衣に向かってMSK通信を始めた。優衣もそれに合わせる。美しいハーモニーが広がり。まるでそれはジングル、耳に心地よい短めのメロディだ。
《説明を求メル。今の揺らぎは何ダ?》
「音楽を知りまへんのか?」
《我々は無意味なモノをインプリメントしなイ》
「無意味なことおまっかいな。音楽でっせ? 心を躍らせたり感動させたりする、耳から浸透させて感情を高ぶらせる一種の美や。時間芸術とも言うんや」
《我々は無駄なモノをインプリメントしなイ。新たな情報を求メル》
「アホやな。450年経ってナリはでかなったけど、頭の中は空っぽのままなんやな」
《説明を求メル。時間芸術とは何ダ?》
「せやな。目に見えへん芸術や」
《視覚をトモワない……芸術?》
ここからが核心、とばかりに社長は落ち着きを求めて咳払いを一つした。
そして悠然と胸を張り、天井と対峙する。
「おまはんらが手を引いて、どこか人のおらん宇宙の果てにでも移動してくれるんやったら。時間芸術を進呈してもエエで」
《芸術ナド無意味ダ。新たな情報を求メル》
「頑固やな、おまはん。ワシらが進呈するちゅう時間芸術は技術や。あんたらが求めているテクノロジーなんや。今聞かせた短い旋律に約1ギガものロングワード情報がつまってまんねんで。知らんかったやろ」
《説明ヲ求メル。無意味な旋律にデータ圧縮を行うアルゴリズムを付加シタと言うノカ?》
「せや。音色とハーモニーやろ、それからメロディとリズムや。これらまとめて旋律ちゅうねん。これを理解せんとこの通信プロトコルは使い切ることはできまへんで。しかも電磁波とちゃうから宇宙に散らばらへん。ま、到達距離は知れてるけどローパワーや。あんたら500兆の大所帯やろ。全デバッガーにこれをインストールしていみい。どれだけエネルギーの節約になると思うねん」
相手の様子を探るためにここでひと息入れた。しばらく間を観察してから社長は続ける。
「どや? 興味湧いて来たやろ。ネブラを見学させてくれたら、このプロトコルのアルゴリズムを進呈しまっせ。あきまへんか?」
今度の沈黙は永かった。こちらの存在を忘却したのかと思わせるほどの間が空き、
《ネブラでノ観光ヲ許可スル、ただちにゲートヲ開く……ただし来るのは二名までダ。人選ハおって知らセル》
鼓膜を震わす低音が響き、さっと照明が元の明るさに戻った。
「ふひゃ~。社長さんの度胸には恐れ入りましたよー。ネブラのカーネルに向かってあんな堂々たる態度を取るなんて」
息を吹き返したようにニールが喋り出した。
「カーネルって? まさかプロトタイプでっか?」
「そうです。でもここではもうプロトタイプとは言いません。ネブラの中核となっていますからね」
「女王様直々のお出ましだったんダすかー」
大仰しく溜め息を吐く田吾。
「どちらにしても状況はエエほうに転がったがな」
「確かに……」
砕けた腰をいたわるように、司令室の壁に自分の体重を預けたニールは、この場に似つかわしくない爽やかな笑みを浮かべた。
「これで忍び込む必要がなくなりましたね。まさか向こうから招待されるとは……嬉しい限りです」
いちいち嫌味っぽい奴だ。
「状況は変わってねえよ」
「そうでもないやろ。これならいつもの仕事と同(おんな)じや。MSKを売り込んで納品できたら完了やんか。ほんでからタイミング見て起動させたら、商売繁盛、本日の営業終了ちゅうワケでっせ」
「ほんとうですね。お得さんへ営業へ行く気で行きましょうよ」
と言い、玲子は部屋を出ようとしたので引き留める。
「どこ行くんだよ?」
「ハンドキャノンを取ってくるのよ?」
「お前は営業へ行くのに、いつも武器持参で行ってんのか?」
「今日だけよ。相手が普通じゃないもの」
「ならちょっと待て、俺も行く」
俺と玲子は顔を合わせてニタリと笑り、社長が割って入る。
「おまはんら、この作戦の意味を理解してまんのか?」
「はへ?」
「向こうへ行く人選は決まってるやろ。MSKのパッケージを連中のネットワークへインストールとかいう作業が、おまはんらにできまんのか?」
玲子と目を合わせて、おもむろに首を振る。
「行くのはユイとワシや」
「そりゃあまずいだろ。社長はここに残って指揮しなけりゃならないし、それに……」
「それに何や?」
「……年だし」
いたわるつもりで言ってやったのに、ケチらハゲは烈火の如く怒りだし、
「アホッ! 人を年より扱いしなはんな! この作戦に年齢は関係ないワ! ここや。ここがものを言うんや」
自分のハゲ頭を指先でコツコツと突っつき、熱い唾を飛ばした。
「それを言うのなら、ニールさんのほうが適任ですよ」
と言い出した玲子に、ニールは「えーっ!」と迷惑げに顔を歪め、
「人選はネブラが決めるって言ってましたよ。なんで僕がー」
うっせぇな。
「そんなもん適当にごねたらいいんだよ。この人選でないと教えないとか何とか言ってな」
「せやけどニールはんは残ってもらわなあかんワ。重力抑制システムの場所を探すという大役があるがな」
コクコクとニールの顎が小刻みに動く。
「そうですよ。それが適任ですよ。さすが社長さん、お目が高い」
太鼓モチかこいつ。
「しょうがねぇ。ここはひとつ、シロタマにご同行願おうぜ。こいつならMSKのスペシャリストだろ」
とすったもんだしているところへ、再び極低音の波動が轟き、照明が薄暗くなった。
《受け入れ態勢ガ整ッタ。ネブラ内の気圧をアルトオーネに合ワせてアル。コチラに来るのハF877Aとそのコマンダーとし、タダチに連行スル》
「おい俺たちは犯罪者じゃねえ」
俺の叫び声は、有無を言わさぬ強引なネブラの振る舞いによって、光の渦に薙ぎ払われてしまった。
気付くとそこは見知らぬ高層ビルの建築現場だった。
「どぁぁぁぁぁぁぁぁ。何だこれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
突風が吹き荒れ、細い鉄骨の足場から滑り落ちそうになったところを優衣が掴んで体勢を整わせてくれた。
「俺……だめ。高所恐怖症なんだよ~」
突き出た鉄骨の下には底無しの光景が広がっていた。
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