Captive of MARIA

松子

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Case02 ベイビー・イン・ザ・ダーク

Case02-4

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 当然ながら、地上の空に限りはない。
 アッパーグラウンドには、スワロウテイルのアジトビルよりもずっと高い建物が、何に邪魔されることもなく乱立している。
 周囲数ブロックで最も高いビルに陣取った蓮司からは、視界いっぱいの青空が見えた。
 はずであったのに、現状、彼の視野は小型スコープから覗く三ブロック先の交差点に占められている。

 せめて空調設備の陰で伏せるのではなく、屋上の縁まで行って眺められたなら、幾分か気分も違ったかもしれない。
 だが、いつどこに飛び出すかわからないリーダーをよく見張るよう、敷島に念を押されたミチが、大きな瞳でもってそれを許さなかった。

「……異常も進展もなさ過ぎてやばい」

 ダイダロスからマスクリードバンクまでは、最短で十七ブロック程度の距離がある。
 車両での走行経路として考えられるのは五通りだが、現在、そのうち四つの経路を黒塗りの輸送車が四台ずつ走行していた。
 彼らが運んでいる荷物は一つ。無論、隊列のうち三つはダミー、さらにうち三台の車両もダミーである。

 二人ずつ四組に分かれた蓮司らは、各組が予定経路上で待機、待ち伏せの形を取っていた。輸送は、予定よりはやや遅れているものの、「やばい」ほど進展がないわけでもない。
 
『進展してるっつの。アンタのとこもあと五ブロックで通るぞ』

 変わらぬ景色にこぼれた不満は、思いがけずイヤホンマイクに拾われていた。
 届いたヴァシリの声には、風の音らしいノイズが混じっていて、彼もまた高所にいるらしいことが感じ取れた。

 指示役は、全体の位置関係を掴んでいるヴァシリが務めている。
 感知系能力者の彼は、航空機や船舶のレーダーのように彼我の位置関係を認識することが出来る。直接視界に映しこむ菫のような眼系能力者に比べると多少精度が落ちる上、その能力をフルに活用するには個々のスキルが必要となるが、本人の身体にかかる負担は格段に少ない。
 加えて、常人より身体機能が優れているヴァシリは、言い方は悪いが、使い勝手の良い仲間と言えた。

「オーケイオーケイ」
 蓮司は左耳に差したイヤホンに触れ、音量を少し上げた。
「よーし、じゃあ誰が当たり引くか賭けよっか」
 銃弾、赤外線、能力による透視、全てを防ぐ輸送車では、実際に中を確認しなければどれが本命かはわからない。
 前情報では、囮は一つか、せいぜい二つという話だったのに、蓋を開ければダミーの隊列が三つ。
 さすがの蓮司でも、事前にわかっていたならもう少し策を練ったものだが、動き出してしまったものは仕方がない。
 菫に知られればどやされそうな作戦だが、各個襲撃し、本命がわかり次第集結というのが蓮司が各員に出した指示である。

『俺』
『俺』
『賭けになんのかこれ』
 イヤホンを通して、笑い声が重なる。
「当たったチームに他がおごるでいーよ」
 雑談に興じるのも束の間、スコープの丸い視野に収まった交差点に、滑るように黒い車両が侵入してきた。
 蓮司は接眼レンズから目を離すと、隣に控えるミチに目顔で告げた。小さく頷き、ミチが屋上の縁に先行する。

「こっち確認地点通過。他はいける?」
 時間差で騒ぎを起こして、他のルートに余計な警戒をされても困る。
 多少のズレはあるが、どのルートもほぼ同じタイミングで接触出来る位置にあるはずだ。イヤホンからは肯定の返事が続いた。
 蓮司は姿勢を下げたまま、周囲に気を配るミチに並ぶ。黒塗りの輸送車はすでに目視で確認できる位置に来ていた。

 一段高くなった屋上の縁に、おもむろに登る。全身を撫でる風が心地いい。
「――行こうか」
 蓮司は、階段を数段飛び降りる気軽さで宙に身を投げた。躊躇することなく、ミチが続く。
 地下で同じことをするのとはわけが違う。高度も風も、賑やかな街の音も、五感で感じる全てが蓮司を高揚させた。

 このまま直に車に着地出来るか。彼我の距離と速度は問題ない。失敗したとして、跳躍の能力を持つ蓮司にとっては、一度着地して飛び乗ればいいだけの話だ。ミチは、蓮司の行動に合わせるだけの機敏さなら、充分に持ち合わせている。

 だが、迫る路面に巡る悠長な考えを、突然の轟音が遮った。中断した思考より先に機能した体が、首を音の発生源に向けようと筋肉を動かす。
 右手に伸びる通りの東側。近くで待機しているのは誰だったか。
 断続的にイヤホンが吐き出す音が形を成さない。誰が誰に宛ててかはわからないが、無事を確認するような内容であることだけは推察できた。
 
 何も起きないはずがないとは思っていたが、まさか初手から派手な方法で来るとは。
 輸送を狙った攻撃だとすれば(それ以外の理由など目下見当もつかないが)、どれがダミーかわかってでもいない限り、一度で済むとは考えられない。各車列が狙われているのは間違いないだろう。
 もちろん眼前の車列とて例外ではないが、自由落下の進路をすぐさま変えるだけの足場はない。

「次来るぞ!」
 仲間の耳に届いているかいないかはこの際どうでもいい。蓮司は警告とともに左手を真横に伸ばした。その手を、一回り以上も小さな手がしっかりと掴む。
 直後、目の前で閃光が走るのと、蓮司とミチの姿がかき消えるのとはほぼ同時であった。

 転移した先の状況を確認するより早く、蓮司は繋いだ手を引き寄せてミチに覆いかぶさった。その背後を、瓦礫を乗せた突風が掠めていく。
 立場上守られるべきは蓮司ではあるが、その関係性を無条件に受け入れない(そもそも考える前に動いている)のが蓮司である。まず自分の身を守れと叱責しそうな人物もその場にはおらず、束の間、蓮司は華奢な仲間の盾に徹した。

 瞬間的に空間を移動出来る能力とはいえ、ミチの咄嗟の移動距離には限界がある。瞬発的に場所のイメージを固めるには、どうしたって視覚に頼る部分が大きくなり、せいぜい移動前の視界の範囲で転移するのが限界だろう。車列からさして離れていないことを考えると、衝撃は思ったよりも僅かなものであった。

 蓮司が顔を上げると、そこは地下かと見紛うほど薄暗い、ビルの合間の細い路地だった。人一人通るのがやっとという道幅に、少女を抱えた少年がすっぽりと収まっている。移動の際に体のどこもぶつけていないのが奇跡だ。
 
 蓮司は、胸の辺りで居心地が悪そうにしているミチの頭をポンポンと撫でた。
 そのままその手で、自分とミチと、つい先程までいた屋上を指し示そうとして、やめた。手を左右に振ったあと、手の平を地面と平行になるように示し、待機を指示する。

 念の為まず距離を取ることを考えたが、同じ場所が引き続き安全かどうかはわからないし、昼日中から何発も爆発音を轟かせる連中に距離が有効かもわからない。
 ミチの体力を無駄に消耗するのも考えものだし、そして何より、最早ただ面倒臭いと蓮司は思った。
 
 大通りからは、少しくぐもってはいるが、人々の悲鳴や怒号のようなものが聞こえる。瞬間移動の際の僅かなラグのせいか、爆音で耳が完全に潰されることは回避できたようだ。
 身を低くして、建物の角から車列の方を覗き見る。目的の輸送車が四台と、巻き込まれた車が数台、四方八方を向いて停車していた。程度の差はあれど、殆どの車が部分的にひしゃげている。
 それらの隙間から、車体を挟んで向こう側のアスファルトが、大きく抉れているらしいことが確認出来た。

『――リ、ダー、無事すか?』
 イヤホンから敷島の声が聞こえ、蓮司は首を路地に引っ込めた。少し遠い声は、ノイズも混じってはいるものの会話をするには充分だ。
「無事。他は?」
『連絡つかないのもいますけど、ヴァシリが大丈夫っつってます』
 ふいに何かが横切った気がして、蓮司は細く切り取られた空を弾かれたように見上げた。
『続行すか?』
 次いで四方に視線を走らせるも、特別目に留まるものはない。

 大通りでは、道沿いのビルから逃げ出してきたのであろう人々が駆けていくのが見えた。
「もちろん」
 直後の混乱を経て、我に返る人間が増えたのか、かえって騒ぎが大きくなってきた。昼日中から地上で四度も爆発音が響けば、至極当然のことではある。

「危険がない限り予定通り、当たりのとこに集合――」
 突如、ブンッと厚みのある短い風切り音が聞こえた。数拍おいて、重量のあるものが崩れ落ちる音が続く。それがセットで二度、三度……。
 蓮司が再び通りに顔を出すと、ちょうど四度目の同じ音が聞こえた。一番手前で横転していた、恐らく最後尾の輸送車が、文字通りぱっくりと真っ二つに割れる。

「……ああ、いや、たぶん当たりここだ。なる早で集合して」
 おもちゃのように口を開いた車体からは、数人の民間警察と、人間と比較するに一辺一・五メートル程だろうか、真っ黒な立方体が転がりだしていた。
 スクラップと化した輸送車の上には、明らかに被害者とは思えない数人の人影が見える。
「狼だ」
 にやり、と、蓮司の口角が上がった。


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