Captive of MARIA

松子

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Case02 ベイビー・イン・ザ・ダーク

Case02-8

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「っとに、ちょっと蓮くんしつこい!」
 ネオを小脇に抱えたまま、小太郎がビルの間をすり抜けていく。細い路地を走り、跳び、時折壁さえも登っていく小柄な天狼の頭領に、蓮司が負けじと食らいつく。
 後を追う蓮司に対して手裏剣や苦無が飛んでいく度、天地左右がくるくると入れ替わる。これがジェットコースターかと、抱えられたままネオは思った。

「オレ今日後ろ詰まってんだけど!」
 先程まで両雄が対峙していた大通りからは、銃声やら破壊音やらが絶え間なく届く。
「じゃあ最初から吹っ掛けてくんなっつーの、ドチビ!」
「チビ言うな、蓮くんのバカー!」
 蓮司の顔面向けて投げられた飛苦無が、不自然に空中で停止する。ガタガタと震えたかと思うと、持ち主の小太郎に向かって空を切った。自らの武器の思わぬ軌道に、小太郎の動きがほんのわずか精彩を欠く。その頭上から、蓮司の遠慮のない踵落としが決まった。

 重みのある痛みに顔をしかめながらも、小太郎はネオを庇うように受け身をとる。即座に追撃の棍棒を振り降ろす蓮司も、それを受け止める小太郎も、お互いに呼吸が乱れていた。
「……キレがないんじゃないの?」
「蓮くんもね」
 眉間に皺を寄せながら笑い合う。
 断続的に能力を行使しているせいか、蓮司は激しい頭痛に襲われていた。速攻を得意とする小太郎も、スタミナはない。引き際が迫っていることは、それぞれが理解していた。

『リーダー』
 それを知ってか知らずか、蓮司のイヤホンにヴァシリの声が届く。
『引き時だ。民警の増援が近くまで来てる』
『ミチがそっち行きました。必要なら使ってください』
 続く、発砲音混じりの敷島の言葉。
 今日何度、舌打ちを堪えただろうか。
 怯えたような顔をするネオが、鳥の刷り込みよろしく小太郎の後ろに隠れているのも面白くない。
「……ネオだっけ? そのチビ太についてっても売られちゃうよ?」
「え! 売ら……え!」
 思いの外大きな声が返り、蓮司はおろか、張本人のネオも目を丸くする。

「ネオどけ!」
 その一瞬、小太郎が出し抜けに声を張った。咄嗟の言葉にネオが見せた反応は、箱入り少年にしては上出来だった。膝を抱えころりと横に転がったところに、小太郎が仰向けに倒れ込む。蓮司の棍棒を苦無で支えたまま、巴投げのような動きで、蓮司の左腕を力任せに蹴り上げた。
 鈍い音がし、蓮司が顔を歪める。
 すかさず小太郎は丸まるネオを抱え直し、走り出した。

 痛みに悶える暇もなく、取り落とした棍棒はそのまま、蓮司は右手に細身のナイフを握る。小太郎を追うように跳び上がると、空中からその背中に向けて刃を投げた。
 路地を真っ直ぐに駆ける小太郎は、それを避けるでもなく、振り向きざま、手の平大の額縁のようなものを蓮司に投げて寄越した。真っ直ぐに向かってくる角ばった物体。その正体を認めると、「馬っ鹿……!」と純粋な悪態が蓮司の口をついた。

 物体が、ちょうど二人の中間辺りで青く光り始める。ガチ、ガチンと小さな金属音が続き、蓮司の目の前に来た時には、一辺優に三メートルはあろうかという大きな門が開いていた。
 携帯ゲートだ。
 正規品かジャンク品かはわからないが、十中八九真っ当な品ではないだろう。潜ればどこに飛ばされるか、わかったものではない。しかし、いくらなんでもこの距離と状態では、蓮司にも避けようがなかった。
 苦し紛れに「小太郎!」と声を上げる。
「だーいじょうぶ!そんな距離飛ぶやつじゃないから!」
「そういう問題じゃ……」
 大口を開け眩く発光するゲートは、是も非もなく言葉ごと蓮司を飲み込んだ。
 路地には、ネオを庇いながら不格好に転がる小太郎と、ぽかんと口を開けるネオ、持ち主を見失った棍棒だけが残された。





 三杯目のコーヒーも、結局飲み終わる頃には冷めきっていた。
 短く息を吐き、ぐっと伸びをする。
 壁に掛かった時計を見上げれば、時刻は午後の四時を回っていた。余計な昼食を用意したあとは、自室に籠って作業をしていたが、大して効率は変わらなかったようだ。
 次いで菫は、自分の腕時計を見た。数年前に趣味で手に入れた、今時珍しい革ベルトのアンティーク時計だ。針は当然ながら、壁掛け時計と同じ時刻を指している。

 蓮司がアジトを出たのは、優に五時間は前のことである。
 便りがないのはなんとやらとは言うが、あまりになさすぎるのではないか。そう思うと同時に、亮介の「子離れ」という単語が思い浮かぶ。不本意ながら、咄嗟に脳裏を過ぎる程度には菫も自覚はしている。
 今度こそ落ち着いてコーヒーでも、と腰を浮かせると、充電スタンドに置いたままにしていたスマートフォンが震えた。

「どうした?」
 画面には敷島の名前が表示されていた。蓮司と同行していることは、もちろん菫も承知している。
 電話口からは、開口一番溜息混じりの「悪い」という言葉が返された。
『リーダー見失った』
 菫は一度電話を耳から離し、長く長く息を吐いた。
「……何があった?」
 問う声に不安や焦り、怒りは見られない。呆れ、というより最早諦観の境地に達しているようにも聞こえた。

『先に天狼のおチビさんが来ててな。持ってかれた獲物追っかけてそのまま消えちまった。
 近くにいたミチが、直前に青い光を見たって言うから――』
「ゲートか」
『だろうな』
 菫と敷島は年齢も入団時期も近い。最近はあまり仕事に同行することはないが、少年期から多くを共に過ごした、気心の知れた間柄である。

『通信も切れてるし携帯も出ねえ。さすがにヴァシリじゃ追いきれねえから』
「ああ、俺が探す」
 もう一度「悪い」と口にする敷島に、見えもしないのに菫は空いた手をヒラヒラと振った。
「いい、いい。小太郎がいたなら尚更止めらんねえだろ」
 苦笑が聞こえる携帯を頬と肩で挟み、スーツの上着を羽織る。迷ったが、万が一に備え武器も携帯することにした。

「怪我人は?」
『まあみんな無傷じゃねえけど大したことない』
「そうか。お疲れ」
 電話を繋いだまま階下へ向かう。途中すれ違った団員に、外出の旨だけを短く伝えた。
「荷物は結局天狼か?」
『そう』
 シンプルに返事をして、しかし直後慌てたように敷島が続ける。
『そう、そうだ。結局何だったんだ今日の輸送。荷物、スパコンじゃなかったぞ』
「は?」
『遠目だったからあれだけど、人間だった。おチビさんは知ってた風だったな』
 ちょうど玄関ドアに手をかけていた菫は、そこで一度歩みを止めた。

 スワロウテイルだけが知らない情報があったのか、天狼だけが握っている情報があったのか。
 事前の情報収集においては、竜二だけでなく、複数の情報源からも話を聞いているので前者は考えにくい。
 ハメられたのか。
 スティグマならまだしも天狼が相手ではそれも考えにくい。
 
「……わかった。とりあえず蓮司回収してから調べる」
『あ、それと』
 やたらと重そうな素振りでようやくドアを押し開けた菫は、「まだあんのか」と即座にうんざりした声を返した。
『民警。増援来てたから上まで行くなら気をつけろよ』
「ああ、なんだ。了解」
 吐息混じりの返答に、「胃袋大事にな」などと冗談を残して電話は切れた。
 菫は背を伸ばし、首をゆっくり左右に傾けた。ポキポキと関節が乾いた音を立てる。労るように擦りながら長く息を吐くと、「行くか」と一人呟いた。
 街並みに向けられた菫の瞳が、じんわりと赤く色を変えた。


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