Star's in the sky with Blood Diamond

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1-1 三ツ谷すばる

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 三ツ谷すばるは、ウンザリしていた。
 自分の気配以外は全くなかった木造一軒家の自宅に、常に人の気配を感じるようになったのが原因だ。一人でいることが常態化していたすばるにとって、物音がひっきりなしに響く自宅は、自分のテリトリーでは無くなったような気さえした。
 正直、落ち着かない。唯一の楽しみだったブラウジングネット閲覧も制限され、謂わば要求阻止の状態がすばるに重くのしかかる。サボりがちな学校でさえ、今はとてつもなく行きたいという衝動に駆られた。
 元はと言えば、自分が踏み抜いた地雷が起因して招いた現状である。その地雷がやたら大きく危険な物であることに直ぐ気づいたものの、回避するには遅すぎたし幼すぎた。
 自分一人では恐らく、どうすることもできなかっただろう。子どもであるが故に、いざと言う時は圧倒的な力がある大人に頼らざるを得ない。したがって、要求阻止の状態を受け入れざるをえない自らの現状に、すばるは大人しく従うしかなかったのだ。従わざるを得ないことぐらい、状況が逼迫しているのも理解はしている。しているのだが、すばるにとって今の現状は辛すぎた。
(マジで、うるさいな……)
 自称・多感な中学生のすばるは、他人より色んなことに過敏に反応してしまう自覚もある。しかし、自宅をウロウロするその気配の主は、多感で過敏なすばるの全ての五感を否応なしに刺激した。燻るくすぶイライラの炎が、すばるの体内で大きく火の粉を撒き散らす。
 気配だけなら、まだ我慢はできた。ひたすら無視をすれば、イヤホンから流れる大音量の音楽が、すばるの感覚を消してくれるはずた。しかしこの気配は、すばるの想定を軽く超えるほど騒がしい。明らかにすばるを意識した物音や喋る声は、イヤホンをしていても全ての音が何故か透過する。すばるの耳に、鮮明に潜り込んでくるのだ。しかも、そればかりではない。
「おーい、すばるくん! 焼き飯食べるかー?」
 まず、他人の家で勝手に料理をする無神経さに驚き。
「おーい、すばるくん! 一緒にゲームするか?」
 一番ゲームとか苦手そうな顔をして、気を引こうとしているのにも苛立った。
「おーい、近所の定食屋がテレビに出てるぞー」
 親戚のおじさんか! とツッコミたくなるほどのどうでもいい話題で鼻白ませる。
「おーい、すばるー! 寝てんのかー」
 自宅に来て二時間で〝くん付け〟から呼び捨てに変わり、あまりの距離無しに閉口した。
「おーい、すばるー」
「おーい」
 そうしているうちに「おーい」の一言で、リビングで寝転がるすばるを執拗に呼び続ける。
 自室に引き篭もると、余計にうるさく呼ぶ事を悟ったすばるは、渋々、自室を出てリビングでゴロゴロしていた。騒がしい気配に辟易しながらも、イヤホンから流れる大音量の洋楽に集中すべく、すばるは目を閉じた。
(なんなんだ、このおっさん! 警察官って、みんなこんななのか!? なんでこんなにうるさいんだよ!)
 目を閉じても、思考は気配の主の事で一杯になるばかり。すばるの思考の全てが、気配の主の一挙手一投足に反応した。たまらず、すばるは頭を抱えこんだ。
 まさに「こんなことになるなんて!」が具現化した数日前。自分が犯した浅はかな行動に、すばるは自分に対して心底悪態を吐きたくなった。
 四日前--。
 学校すら行く気になれず。ダラダラとブラウジングしていたすばるは、目についたサイトにハッキングした。たまたま隠れていたデータを見つけて、それに触れる。キレイにデータを解読した途端、何十もの数のクラッキング悪意を持ったハッキングをくらった。
(……しまった!)
 そう思った時は、もう既に手遅れだった。いくらブロックしてもキリがないくらい仕掛けられる膨大なクラッキング。
(埒があかない!)
 すばるは、強制的にアカウントを削除し、パソコンの電源を落として〝逃げた〟
 全てを終わりに、なかったことにしたはずだった。それにも拘らず、すばるの頭の中に残るあのデータだけは、どんなに忘れようとも脳裏に焼き付いて削除することができなかったのだ。
 どうしようもない不安が、未熟なすばるの心を蝕む。じっとしていたら、誰かがすばるを監視しているような感覚に陥った。目には見えない無数の目が、すばるを見ている。視線はヒヤッとした空気を伴って、すばるの体に纏わりつく。
 いてもたってもいられずに、一睡もできなかったすばるは、朝になると自宅から逃げるように中学校へと走りだした。
 とにかく、一人になりたくなかった。誰かの近くにいたかった。学校が終わってからも、一人が怖くて自宅にも帰れずない。すばるはその日から、ネットカフェで夜を過ごした。
 そんな生活をしていた、二日後--。
 すばるは下校途中、やたらとキレイな顔をした男に声をかけられる。シワひとつない濃紺スーツを着こなした男は、内側の胸ポケットから黒い手帳をとりだした。
「三ツ谷すばる君だね。F県警の市川といいます。今から君は警察の監視下に置かれる。これがどう言う意味か、分かるよね?」
 市川と名乗る警察官は、眼鏡の奥の瞳を真っ直ぐにすばるに向けて言った。色素が薄く透明なその瞳は、すばるが犯した全てを事由を見抜く。しかし、視線はすばるのことを受け入れ、擁護しているように暖かかった。暖かさが、すばるの抱える不安をじんわりと溶かしていく。
 初対面にも拘らず、すばるは市川にしがみついて号泣してしまった。頼れるべき大人の存在。そして、そんな大人が身近にいることの安心感。市川という大人の存在が、身に染みて嬉しかったのだ。
 泣き止まないすばるに、市川は今置かれている現状と対策を懇切丁寧に説明をした。自分でも危険であると自覚している〝あのこと〟に叱責もしない。穏やかで優しげな市川の雰囲気と、肩に回された柔らかな腕が、すばるの全てを受け入れてくれる。すばるは、心底安心した気分になった……はずだった。
 市川の提案した、対策--。
〝三ツ谷すばるを、警護し、身の安全が確保できる場所に護送する〟が今、最大の障壁になろうとは。その時は、夢にも思わないすばるだったが……。今朝、市川は中年の警察官を連れてすばるの前に現れた時から、すばるの予想を遥かに超える展開が多発している。
(いたって普通の大人)
 やたらとにこやかな中年警察官に対し、すばるが抱いた最初の印象は、可もなく不可もなし。この中年警察官は、すばるのいう〝いたって普通の大人〟というカテゴリーから酷く逸脱していたのだ。
 市川が中年警察官を紹介したときの。なんとも言えない笑顔の意味が、今ようやく理解できた気がした。さらには中年警察官がもたらす驚愕行動の数々に、すばる自身も幾分慣れ初めていることに、かなり困惑していた。
(市川さんの方が……百倍いい)
 リビングに寝転がっていたすばるは、床に面した体の痛さをじわりと感じて、のっそりと起き上がる。体をグーッと伸ばして、その痛さを解放した。
 起きたすばるの視線の先には、めずらしく静かに資料を眺める中年警察官の姿。うるさく明るい姿が本当なのか、今の静かな姿が本当なのか。見るたびに違う一面を見せる中年警察官から、すばるは視線を外すことができなかった。空間を共有して七時間あまり。それ以上の長さを共有していると錯覚してしまうほど。ダイニングで一人佇む中年警察官は、すばるの視界に馴染んでいる。
「ねぇ、おじさん」
 すばるは、大音量の洋楽が流れるイヤホンを外して言った。
「ん? 何だ、すばる」
 あまり大人には興味がないすばるが、めずらしく中年警察官に警戒しながら声をかける。萎縮したすばるに合わせるわけでもなく。中年警察官は、資料から目を上げ気負いなく返事をした。
「おじさん、家族はいるの?」
 目の前の他人に、興味が湧いたすばるの単純な質問。中年警察官は、すばるに向き直った。
「なら、クイズだ」
「クイズ?」
「俺に家族がいるか、当ててみろ」
「……」
「簡単だろ? 俺を七時間も観察していたんだ。答えは出てんじゃないのか?」
 すばるは少し、いや、かなりムッとした。中年警察官の言動にムッとしたわけではない。存在を疎ましく思い、倦厭けんえんしていた人に対して、図らずとも興味を持っていた自分にムッとしたのだ。
「……ずるい」
 すばるは、たまらず呟いた。
「ずるい? どうしてそう思う?」
「だって……おじさんは、オレのこと。色々調べて知ってんだろ?」
「さぁな、どうだろう?」
「おじさんはオレのことを知ってるのに、オレはおじさんのことを知らない。フェアじゃない」
 すばるの直球すぎる言葉に、中年警察官は声を上げて笑った。
「分かったよ、すばる。じゃあ、何から知りたい?」
 その言葉にすばるは視線を逸らして、バツが悪そうな顔をする。
「名前……なんだっけ?」
 中年警察官は笑いながら、資料を閉じた。ネクタイを少し緩めると、すばるを真っ直ぐに見つめて二度目の自己紹介をした。
「遠野だ。遠野隆史とおのたかしっていうんだ」
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