美食家なフォークと毒入りケーキ

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2 毒入りケーキ(イヴィル・クイーン)

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「ッ……うぁ!」

首筋に食い込む歯。

抗いたいのに、圧倒的な高揚感が全身の力を奪う。

痛い筈なのに。
怖い筈なのに。
何故か腹の底が熱を帯びてくる。
いつもと違う感覚。

いつもなら、俺とキスをしただけで踠き苦しむはずの

しかし、このは。
俺にキスされて、苦しむどころか、として完全に覚醒した。

興奮した息遣いに、熱い眼差し。

あまりの気迫や熱量が俺の体まで支配していく。
首筋に噛みついた歯の痛さまで心地よく感じてしまうなんて……俺は、どうかしている。

どうなってしまったんだろう。
何もかも麻痺して、本能のままに体が疼き出す。

このまま、かもしれない、なんて初めて思った。

でも、食べられるなら……。
どうせ、食べられるのなら。
気持ちよく、食べられたい。

俺は荒ぶり熱を発するの頬に、キスをした。

そして、俺は。
真っ赤な耳たぶに、そっと言葉を囁いた。

「ねぇ……もっと。もっと、気持ちよくしてよ……もっと」

なんで、こんなことしてんだろう……俺は。
なんで、こんなに出会ってしまったんだろう。

あれ? きっかけって何だったっけ?

あぁ……もう、どうでもいいや。

今は、そう。
思考が麻痺するほどので、これでもかってくらい気持ちよくしてもらいたい。

死以外の快楽を、教えてよ……俺に。






「そ……う!」

血走った目が、飛び出さんばかりに見開かれて。
一瞬で濁った水晶体が、俺をぼんやりと映しながら倒れていく。

この世で最後の言葉が、俺の名前だなんて。
本人はもちろん、俺だって想像していなかったよ。

まぁ、あまり苦しまずに済んだからよかったのかめしれない。
この〝フォーク〟には、俺のはキツかったようだ。

泡を拭きながら、擦れてツヤのない床に倒れた男を一瞥すると、ポケットから薬包紙を取り出す。そして、テーブルの上に放置された、飲みかけの缶ビールに白い粉を入れた。

キスをしただけで。
俺をひと舐めしただけで、この有様。
毎回毎回、本当馬鹿だと思う。

〝フォーク〟って人種は、危機回避能力すらない、低脳な人種なんだな。
フォークによって乱暴に放り投げられた黒いリュックを手に取ると、俺は音を抑えて玄関ドアを開けた。

隙間から人がいないことを確認し、拝借した鍵でドアを施錠する。
早足で廊下を移動すると、外に設置されている非常階段を一気に駆け降りた。
目の前で人が死ぬことなんて、もう両手じゃ数えきれないほど経験している。

でも、こればっかりは毎回慣れない。

感情を押し殺すことは上手くなっても。
湧き上がる嫌悪感だけは、どうしても払拭できない。
常に嵌めている革手袋の中の指先が、冷たく小さく震えているのが分かるほどには、ツラい。

それでも。
それでも、俺は。

--今日も、生き延びた。生きている。

俺は自分が生き延びた証を、フォークの死を持って実感するのだ。





俺のようなケーキを〝毒入り〟(イヴィル・クイーン)というんだそうだ。

大抵のケーキ体質の人種は、本当にお菓子のように甘くて。
味覚を失った、極端に欲求不満を抱えたフォークに性的にも、たまにしまう。

捕食される、だけの人種が--ケーキなのだ。

しかし、ケーキだってたまには一矢報いたい時もあるようで。
0.1パーセントの確率で、俺みたいな〝毒入り〟が生まれるらしい。

一口、一舐めするだけで。

ありとあらゆるフォークが、中毒症状を起こして死亡する。

〝食べてはいけない〟ケーキ。
それが俺なんだ。

〝毒入り〟ケーキだと気付いたのは、俺が小学生の頃。

下校中に俺は、フォークに襲われた。
不意に襲われ押さえ込まれる。
必死に抵抗したけど、理性を失ったフォークをか細い手足でどうにかできるはずもなく。
泣きじゃくる俺の肩にに、フォークの歯がグッと食い込んだ。

--一瞬、だったように記憶する。

「ゔぁぁぁぁ!」

体の中の異物を取り出さんばかりに、フォークが激しく喉を掻きむしった。
泡を噴きながら、苦しみ七転八倒するフォークが、あまりにも怖くて。

俺は走って逃げた。
後ろを振り返ることすらできずに。
ひたすら走って、ずぶ濡れになるほど冷や汗が出ていて。
その時、全てを理解した。

〝俺はケーキで、フォークが倒せるケーキイヴィル・クィーンなんだ〟って。

それから今まで。
何度かフォークに襲われるけど。
やはり皆、俺を口に含んだ途端に苦しみ出して、動かなくなる。
大学でケーキに関する研究をしているけど。
ケーキ自体、捕食されて個体が少ない上に〝毒入り〟なんて希少種は殆どデータもない。
俺が俺である、解明がされまま。
俺はまた、フォークの命と引き換えに今日という日を生きながらえるのだ。






「奏くん、突然呼び出してすまないね」

『喫茶 スノードロップ』と書かれた重たいドア。
力を入れてを押し開けると、カランカランと鈍いドアベルの音が響く。
厨房から顔を出したマスターは、俺の顔を見るなり申し訳なさ気に言った。

「女房が腰をやっちゃってさ、本当申し訳ない」
「大丈夫です。ちょうど暇してたし」
「来て早々悪いんだけど。ホール入ってもらっていいかな?」
「はい」
「勉強も大変なのに、悪いねぇ」
「いえ、気にしないでください。マスター」

俺はバックヤードに入ると、急いでウェイターの制服に袖を通す。

忙しくなかった、わけじゃない。
大学でしなきゃならない研究も、レポートも。
結構ギリギリまで積んでる。

でも、はいつも。
極力、一人になりたくはなかった。
何も、考えたくなかったんだ。

革の手袋をラテックスのそれに嵌め変えて。
はぁと。深く息を吐いた俺は、勢いよくバックヤードの扉を押した。

「奏くん、3番テーブルのオーダーをお願い」
「はい」

俺は銀色の薄いトレイに水の入ったコップを乗せると、日当たりの良い窓際の席へと爪先を向ける。

「……ッ!」

前に進もうとした体がパタリと動かなくなった。反対にトレイの上のコップは。
止まることができずにスルッと、トレイの上を滑れる。

ちゃぷん--と、大きな音がして。
コップの中に大波が起きた。

「奏くん、どうしたの?」

俺の不可解な行動に、マスターが眉頭を寄せて厨房から顔を出す。

「いえ……なんでも、ないです」
「ひょっとして具合悪い?」
「いや、大丈夫です! 床、滑っちゃって」

恐らく、俺は。
すごく不自然な笑顔を浮かべていたに違いない。

マスターは心配げな表情を浮かべたまま、また厨房の奥へと消えていった。
俺は3番テーブルの方へ、視線を投げた。

全身が氷のように冷たくなって、頭の中で危険を知らせる警鐘が鳴り響く。

ケーキイヴィル・クィーンとしての本能が。
俺に、『今すぐ〝逃げろ〟』と言っている。

--あれは、危険なフォークだ!!

躊躇する本能を押し殺し、俺は3番テーブルへと進んだ。

「いらっしゃいませ……ご注文は、お決まりでしょうか?」

未だ波打つコップを。
俺は微かに震える手を必死に抑えて、静かにテーブルにおいて言った。

カチンと重なった、互いの視線。

真面目そうで、嘘がない優しげな眼差し。

久しぶりに感じる捕食される感覚と恐怖。

それなのに、感じた感情の奥には妙な欲求が小さく芽生えていた。

「……が、いい」
「え?」

その人の小さな声が、吐息レベルに刺さって。
俺は反射的に顔を寄せた。

いや……だめだ!

惹かれては、だめだ!!

「君がいい」
「……」

予想外のようで予想どおりの言葉に、俺は固まって動けなくなった。

逃げろ……逃げなきゃ!!

咄嗟にコップから手を引いた。

しかし、俺の手は目の前の奴に絡め取られ自由を失う。

「離し……離してください」
__・__#」

フォークは、真っ直ぐな眼差しに熱を宿して笑う。

獲物を捕まえた満足げな表情。

俺の体はさらに冷え切った。

純真無垢な欲望そのままに。

フォークはラテックスを嵌めた俺の手を頬に近づけて、唇を重ねた。

「君が食べたい、食べたくて仕方ない」
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