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第三話

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✳︎一直線な相棒のアポロン亭〝ロス〟と、不安を思料するロブナー✳︎

「たったあれだけの伝達で! 何故、神都国まで戻らねばならなかったのだろうか……」

ドラコニス大陸の東部、ウンブラ半島に位置する宗教都市・ドーンゲート神都国から一路、西へと向かう主要路を歩き。
西からの風に巻き上げられた道の砂が、渦を巻くように舞い上がった。
その砂を含んだ風は、一歩前を行く大男の姿をあっという間に包んで見えなくさせる。
目を凝らしてその大男の姿をたどると。
風の音の隙間から、大男であるモンク(僧兵)・セナの声が漏れ聞こえ、小生は思わず苦笑した。

「……まぁまぁ、枢機卿殿も色々とお考えあらせられるんじゃないのかな? セナ?」

振り返ったセナの顔は、視界が悪く、よく見えない状態であるにもかかわらず。
表情が不本意を顕著にしていた。

……相変わらず正直者だなぁ、セナは。

「だとしたら! ロブナー!! 〝鴉〟でもよいではないか!!わざわざ足を運ぶリスクを考えれば、鴉の方がよっぽど効率が良い!!」
「……セナ」
「なんだ、ロブナー」
「君、変わったなぁ」
「は? 何が?」
「神都国、大好きだったよね。セナ」
「……今でも好きは、変わらない。何を言ってるのだ? ロブナー」
「小生には、セナの神都国に対する愛情が二番目にランクダウンしているように見えるんだけど」
「?!」
「敬虔なセナが心を奪われた……いや、胃袋を掴まれたが正しいかな?」
「なっ?!」
「早く〝アポロン亭〟に帰りたくてたまらない、〝ディオニュソス酒場〟に行きたい、と言ったところかな? セナ」
「!!」
「そんなにスカイの料理が恋しいのかな?」

不本意感満載だったセナの顔がみるみる真っ赤になって、何やら言いたげに口をモゴモゴと動かした。

……図星か。
モンクならではというか、並のモンク以上というか。
嘘とか取り繕うとか、そんなことを知らないのかコイツは。

「そ、そそ……そんなことはない!! メニューにないチーズのたっぷりとのったパスタのことなんて全く考えていない!! 雑念に支配されていると思われるなど、まったくもって心外だ!!」
「……」

……思いっきり、雑念に支配されてるじゃないか、セナよ。
まぁ〝人〟らしくなって、よかったよ。

ちょっと前まで、信心深く堅物すぎて。
信じている物に疑念を持ったセナが、いつその反動でタガを外してしまったとしたら……。
小生はその想像に、少なからずとも恐怖を感じていた。
今までも、ひょんなことで自分を見失った同僚を知っているし、見てきている。
〝裏の仕事〟とはいえ、その行いに制裁を下すのは気持ちのいいものではない。

……神職者といえど。
一度タガが外れた者に募る気持ちは、恨みだけだ。

共に旅をしている仲間に対して〝暗行監察官〟という職務を行使するなんて、いくら小生でも目覚めが悪い。
だからいつも思っている……。
〝小生には人の命を天秤にかけるような、そんな力はない〟のだと。

「それはさておき!」
「さておいていいのか? セナ」
「!!」
「まぁいい、何かな?」
「ヴァ……ヴァンパイア討伐など! 正式には〝鴉〟の仕事だろう!? 何故、俺たちまでかりだされる?!」
「〝鴉〟も忙しいらしいな」
「だからって!!」
「〝もっと大きなモノを追っている〟んだろう」
「……」
「その援護的なものだろう、小生たちの仕事は。本来の目的とは別に、ヴァンパイアの不穏な動きを察知したら未然に止める、ただそれだけだよ。セナ」

セナが小生から視線をそらして、俯くと何かを考えるように押し黙った。

神の刃ーーー通称〝鴉〟

太陽神の理に反した不死の存在を抹殺するために教皇より直接遣わされた存在である〝宵闇の旅団〟
僧兵・ランカスターを団長とした〝宵闇の旅団〟は、ドーンゲート神都国を統治する巫女王・ランドグリーズからの命令すら受け付けない、いわば教義から最も遠いところにいるモンクの集団だ。

宵闇の旅団の構成員から選ばれし、アンデッドに対抗するための高度な訓練を受けた戦士を〝神の刃〟と言い、黒い衣装を身にまとっていることから、〝鴉〟と呼ばれているのだ。
通常はこの鴉が大陸中を駆け回り、ヴァンパイアをはじめとするアンデッドを討伐するのだが。
どうも、雲行きが怪しくなってきているらしい。
〝宵闇の旅団〟とは対局の存在であるドーンゲートの最高のモンクが集まった聖騎士団〝暁の騎士〟でさえ、駆り出されている状況だ。

ドラコブルトに存在する地下迷宮ドラゲバームターの一番近くに滞在しているからという理由で。
畑違いの小生やセナにまで、勅命が下るのは異例なことなのだ。
おそらく……ベルガー卿の一件を重要視しているのかもしれない。
嘘とはいえ、〝ヴァンパイア騒ぎ〟がいとも簡単に広まった。
そのまことしやかな信憑性が、引き金になったに違いない。

……しかし、どうもしっくりこない。
思料すれば、思料するほど……何かが引っかかる。
明確な、そんなしっかりとしたものじゃないのだれど。
よくないことが起こるような、そんな釈然としない何かが胸につかえて。

小生一人なら、まだいい。
覚悟もそれなりにできているし、暗行監察官の命を賜った時点で、それが人生の終着地になりうることも理解している。

セナの身に降りかかったとしたら?
まだ未来や希望のあるその命に……関わることだったとしたら……。
小生は不安を宿したそのつかえを振り払うように、小さく息を吐いた。

「セナ、君は……」
「なんだ? ロブナー」
「君はモンクだ。やっぱり君も目指すところは〝暁の騎士〟なのかな?」
「いきなりなんだ、ロブナー」
「信心深く、並のモンク以上にその力量は高い。高潔な意思を持つ〝暁の騎士〟から引き抜きの話もあるんじゃないのかな」
「ロブナー?」
「小生に付き合う必要はない。したいことをする、それが最良の選択だと思うのだが……」
「いつものロブナーらしくない、消極的な発言だな」

セナの意外な言葉に、小生はハッとして顔を上げた。

「今はその時期ではない。俺にはまだ足りない部分がある。知らないことが山ほどある。今〝暁の騎士〟の一員になったとしても、足手まといなだけだと思う」
「セナ……」
「俺はまだ修行が足りぬ。一瞬で骨抜きにされる、あの〝悪魔の囁き〟のようなまかない料理ですら、俺は克服できていないのだから」

真っ直ぐで、嘘のないセナらしい言葉。
決して嫌味でもない、彼を象徴する本質的な言葉は。
小生の漠然とした不安を幾分か和らげて……思わず吹き出してしまった。

……そんな、真っ当なことを言っておきながら。
どうせスカイの料理が食べたいのだろう、セナは。
そして、おそらく……それをしばらくは克服することなどできぬだろうな。

「あはは! セナらしい」
「〝嘘をつくな、正直にあれ〟と太陽神の教えにあるからな」
「セナ。一つだけ、約束してもらえないだろうか?」
「なんだ? ロブナー」
「小生に構うなよ」
「は?」
「何があっても、小生に構うな。いいな、セナ」
「何を言っているのだ。よく分からないぞ、ロブナー」
「上官の命令だよ、セナ」
「……」

小生の言葉に、セナが目を白黒させて再び押し黙った。
こればかりは、セナにきちんと伝えなければならない。

コイツ……セナは、そう……。
何かあったら、自分よりも他人にその命を捧げてしまう。

敬虔で、そうするように植え付けられた信仰心で。
自分の命など微塵も惜しいとは思わない、それくらい真っ直ぐで嘘がない太陽神に仕えるモンクなのだから。

小生は微動だにせず突っ立っているセナの肩を叩くと。
セナの一歩前を歩きながら言った。

「さぁ、ボーッとしないで。早くアポロン亭に戻ろうか、セナ」




✳︎地下迷宮ドラゲバームターで、迷宮入り中のミカ✳︎

……ここ、さっき通ったか?

真っ暗な足元を七色に光り輝くモウセンゴケが、うっすらと足元を照らしているんだが。

……全てが、同じところに見えるのか。
それとも、同じところを歩いているのか。
皆目検討がつかない。

おかしいな……俺はこんなに方向音痴ではなかったはずだ。
地図があってないような、地下迷宮ドラゲバームター。
そのドラゲバームター内で、あろうことか俺は迷子……迷宮で迷宮入りをしている、らしかった。
……人に見られる前に、いち早くこの状況から脱せねば。
俺は背中のクロスボウを掛け直すと、暗いダンジョンの道を直感を信じて歩きだした。

ドラコブルトの地下に存在する広大なダンジョン・地下迷宮ドラゲバームター。
その地下は幾重にも層を成しており、百階層あるとも、二百階層あるともいわれている。
従って、未だその全貌を知る者はいない。
地下深く進むほどに。
邪神の聖域や太陽神イリュスの聖域があるとされるアストラル界に通ずると言われていて。
地下に進めば進むほど。
この地下迷宮には、より巨悪な魔族や魔物が顕現する。

その境目となる第十階層には、ドワーフが建設した地下都市・ウルプス・マーキナエが存在し。
そこまでは地図も整備されている。
モンスターだって、繁殖力が強いだけの低級モンスター程度しか現れないような、比較的安全な第一層から第九層。
そんなイージーモードな第八階層あたりで道に迷っている俺は……俺を、殴りたい!

あの、赤い目のアイツ……妹を連れ去ったあのヴァンパイアは、こんなところにいるはずもない。
もっと下の、下の階層にいるはずなんだ!

こんなところで、何やってんだ……俺は!!
ついていきゃ、よかったのか……?
あの二人組のどっちかに。

間に割って入れない雰囲気を醸し出す、妙に小綺麗な形をした冒険者の二人組か。
妙に獣臭くて調子のいい男と、顔色が極限まで悪い男の二人組か。

どっちにしろ馴染めないのは必須案件だが、道に迷わない分マシだったような気がする。

「あれ? ミカ?」

暗闇から急に名前を呼ばれて。
俺はそっと、背中にかけたクロスボウに手をかけた。
息をグッと飲み込み、態勢を低くする。

「こんなとこで何やってんだ?」

俺の緊張感をぶち壊すような、明るくお調子者の声がして。
うっすらと暗闇に浮かぶ明かりが、俺とその声の主を照らし出す。

「……相変わらず鼻がきくな、ウィル」
「まぁ、一種の特技だからな」
「どうした? ミカ、道に迷ったのか?」

暗闇の奥から、青白い顔をした男・フェイレイが声を発した。
光に反射する黒い彩光が、赤く変化する様に輝いて。
その瞬間、開かない右目がズキッと疼く感覚がした。

「ま! 迷ってなんかない!! 慎重に進んでいただけだ!」
「そうか……。今日はもう、引き揚げた方がいいぞ、ミカ」
「なんでだ!?」
「いないんだ」
「何が?!」
「アンデッドが」
「はぁ?!」
「アンデッドだけじゃねぇな、低級のモンスターでさえいねぇ」
「なんだと?!」
「少し前まで、あんなに沢山いたんだが……。まるで神隠しにあったみたいに。きれいさっぱりいないんだ」

ウィルとフェイレイの、いつもとは幾分神妙な二人の口調が。
真実であることが十分に伝わって、俺はそれ以上問いただすことができなかった。

「第十階層はこれといって変化はなかったように感じた。……アイツに近づいたと、思ったんだが。また……遠ざかる」

フェイレイが、静かにそれでいて悔しそうに呟いた。

「まぁ、そんな肩を落とすなって。俺の鼻はまだ、〝奴等〟の匂いを微かに捉えてる。大丈夫、まだこの中にいる」
「第十階層……より、下にいるということか?!」

ウィルの言葉に思わず、俺は声を大きくして叫んだ。
……十階層より、下?!
まさか?! いや……そんな……!!

「おそらくなぁ、だから一回仕切り直そうと思って。アポロン亭に帰るところなんだ」
「そうか……そういえば、あの……小綺麗な冒険者たちは?」
「あぁ、地下都市ウルプス・マーキナエで情報収集していたからな。もうしばらくしたら、アポロン亭に戻るだろう」
「……十階層より先に行くには、時期早々というわけか?」
「そんなところだな」

グルッーーー。

ふと背後で、人にあらず気配がした。
咄嗟にクロスボウを構えて、身を反転させると一気に弓を巻き上げて、留めの引き金をひく。

「ギャッ!!」

断末魔が短く地下通路に響き、何かがドスンと地面に倒れる音がした。
地底に棲む亜人・ケイブレギオンの姿が。
七色に輝くモウセンゴケに照らさられて、うっすらと暗闇に浮かび上がる。

「めずらしいなぁ、居なくなったと思っていたのに……。神隠しに合わなかった奴か?」
「!! ウィル、よく見ろ!! ケイブレギオンの手に握られてるあの剣!!」
「え?!」

フェイレイの言葉に、俺とウィルは目を凝らしてケイブレギオンの手を見た。
細身で、細かな装飾が施された剣が目に入り。
その剣に、ぼんやりとした既視感が頭を刺激する。

「!? あの剣、シタンのレイピアか?!」
「何?!」
「なんでコイツが、シタンの剣を持ってんだよ!!」
「知るか!」
「でも、二人に何かあった……ってことには。明確になったな……」

フェイレイが落ち着いた声で小さく言った。

……ゴクッと、喉が鳴る。

体に落ち込んだ息が、体の中で引っかかって……。
俺は妙な胸騒ぎがしたんだ。

モンスターが消えたドラゲバームターに、突如として現れた地底亜人が、シタンの剣を持っていて。

アイツに……あのヴァンパイアに繋がってるんじゃないか、って俺の直感が頭の中で警鐘を鳴らすように。
体が爪先から頭のてっぺんまでの、体中に張り巡らされた血管が収縮して、冷たいキンとした感覚が耳鳴りを起こして。
俺はその場から、動けなくなってしまったんだ。
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