秘密のサクラと秘密の朔

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#7 紗久の中の朔

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よく、眠れなかった。


先生のことも、紗季のことも。
色んな事と、色んな可能性が頭を駆け巡って。


僕は大人だから、まぁいい。


でも、紗久は子どもだ………。
まだ、小さな子どもなんだよ………?


僕が考えていることが、もし、小さな紗久がそういうことをされていたとしたら………。
紗久の体を無理矢理奪ったことを、僕は後悔した。

胸が痛くなるくらいに、後悔した。

紗久の魂は、三途の川を渡ってしまったけど。
紗久の体は、この世に残っていて………。

紗久は紗久の知らないところで、ずっと苦しまなきゃならないんじゃないかって。
僕のせいで、紗久は死んでもなお、苦しまなきゃならないんじゃないか、って。
僕の願いを叶えるために、紗久として生きるってことは、きっと僕自身も辛くなるんだろうな……って。

司………の、そばにいたいと思えば思うほど、紗久の体はポロポロ崩れていきそうな、そんな感覚に陥ってしまったんだ。


『司、おはよう』


気を紛らわすように、司にメッセージを送った。
直後にスマホが小さく震えて、司のメッセージがポップアップされる。


〝おはよう、サクラ〟


たかだか、他愛もない、挨拶だけのメッセージなのに。

どうしてこんなにも、幸せで嬉しくて………苦しいんだろう、か。

好きな人と一緒にいたい、それだけなのに。
そんなささやかな願いもままならない。

大人になっても………そういう感情は安定しない。

きっといくつになっても。


人を愛することは、幸せで、そして苦しい。











「学校、迎えに行こうか?………あの先生のこと、心配だし」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんの方が学校遅いじゃない」
「……本当に、大丈夫?」
「うん。友達と一緒に帰ってくるし。大丈夫」

紗季と途中まで登校する道すがら、紗季はすごく心配そうな表情で僕に言った。
〝弟の僕〟が心配で言っていることなのか、〝好きな子としての僕〟を守りたくて言っていることなのか。


………僕は極力、笑顔を顔に張り付けて言ったんだ。

紗季に伝わるように、不安定な僕に言い聞かせるように。

「僕、新しい僕になったんだ。だから、大丈夫。大丈夫だよ、お兄ちゃん」












今朝のあの言葉。

「大丈夫だよ、お兄ちゃん」って言葉を、あの時の僕が勒に伝えていたとしたらどうなっていただろうか?
義父に犯されて、身も心もボロボロだった中学生の僕は。
その身に降りかかった不幸を達観して「大丈夫だよ」と言えたとして、勒は弟の僕にどう接してくれただろうか?


もう………どうでもいい、って思ってたのに。


僕を不幸のどん底に突き落としていた義父も勒も、もう僕には関係ないと思っていたのに。


紗久のこの状況から、どうしても考えざるを得なくて………。


「もし」とか「こうしていたら」とか、別な選択肢があったんじゃないか、って。


後悔なんてしていないのに………さ。


「春山君?大丈夫?」


授業中に物思いにふけっていた僕は、長谷川先生に注意をされてしまった。
教室の後ろには、教育実習で来ている司もいるというのに………。


何、やってんのかな………僕は。


「すみません。大丈夫です」
「まだ、体調が戻らないかな?」
「………はい。少しキツくて」
「じゃあ、保健室に行こうか」
「あ、俺が付き添います!」

長谷川先生が僕の肩に手をかけようと、その手を伸ばした隙間に、背の高い影がスッと入って。
僕の体は、その影に引き寄せられた。
司が………司が僕を庇うように、僕の肩を抱き寄せて長谷川先生と僕の間に割って入ってくれていた。

「伊藤先生……」

困惑した顔を隠すように笑って、長谷川先生はその手を名残り惜しそうに引っ込める。

「行こうか、春山君」
「はい。お願いします」

僕はわざと、司に体重をかけて席を立ったんだ。


保健の先生は今、家族の介護で休職中で、怪我をしたり具合が悪くなった生徒は、大体校長先生や教頭先生に付き添われて保健室に行く。

「ありがとう………司」
「ううん。………やっと、2人っきりでサクラと話せるし。渡りに船ってヤツかな?」

僕は保健室のベッドに腰掛けると、司の首に両手をかけて、そのままベッドになだれ込んだ。
司はベッドのカーテンを閉めて、僕にのしかからないように僕を支える。

「司……キス、して」
「サクラ………」
「キス、だけでいいから………お願い」
「キスだけじゃ………終わらない、かも」

ベッドに横になると、身長差や体格差なんて関係なくなる。
僕の小さな唇は、司のソレに全て覆われて………一瞬でキスが熱く深くなるから………涙が出そうになるくらい、体の感覚を全て鋭くして司の一つ一つを刻み込む。

「んっ………んっ、んん」

司の暖かくて滑らか手が、僕のポロシャツをめくって、僕の小さな小さな胸の膨らみを愛撫した。

「………あ、…っつ、かさぁ………や、やぁ」
「サク………サク…」


……こんな、こんなトコで。


朔の僕は大人だけど、紗久は子どもで………。


セックスに耐えられるかも、分からないし。


誰かに見らたりしたら………ダメ、なのに。


ダメなのに………狂おしいほど、司が欲しい。


司が………欲しい………。


司の指が、紗久の胸から細いお腹を掠めて、ゆっくり僕の下着の中に入ってくる……。


『伊藤先生』


もう少しでってところで司の指が止まって、僕ははだけたポロシャツを瞬時に元に戻した。


「はい、何でしょうか。長谷川先生」
『春山君、大丈夫かな?』


気を使っているのか、それとも僕たちの雰囲気を野生的なカンで感じとったのか。
長谷川先生は、ドアごしに僕の様子を伺う。
司は僕の口を優しく手で塞ぐと、人差し指を口の前で立ててにっこり笑った。

「久しぶりの学校で疲れがたまっちゃってたみたいで。今、少し眠ってます。あまり無理をさせたくないから、このまま寝かせといていいですか?」
『うん、わかったよ。………伊藤、先生』
「何ですか?」
『春山君、何か言ってなかった?』
「何って………何ですか?」
『いや、なんでもない。じゃあ、春山君が目を覚ますまでお願いできるかな?伊藤先生』
「はい、大丈夫です」
『よろしく、ね』


ドアの向こう側から、人の気配が消えて。


僕は、顔をすっぽり覆う司の大きな手の中で、ホッと息を吐いた。


………長谷川先生は。
「何か、を。隠してる」


僕が思っていることを、そのままストレートに司が声に乗せて、僕は小さく息を止めた。

………司でさえも感じとる、長谷川先生の違和感。

僕はたまらず司に抱きついたんだ。


僕は、一人じゃない。


紗季のことも、長谷川先生のことも、一人で悩まなくていいんだ。


だって、僕には司がいる。


………さっきの、答えが………うっすらながら、見つかった気がした。


あの頃の、義父に犯されてた中学生の朔は一人だったから………。
多分、どんなに勒に「大丈夫だよ」と言っても、同じことになっていたと思う。
逃げ道がなかったんだ、あの頃の朔には。
だから、どんな選択肢を選んだとしても、結局は同じ結末になっていたんだ。


………それ、なら。


一度、堕ちた人生を経験している僕は、その経験を活かすことができるんじゃないか……?


本来なら死ぬべきではなかった紗久の魂を、救うことができるんじゃないか……?


神様は多分、僕を試しているに違いない。


その試練こそ、真に僕の願いを叶えてくれる足がかりになるはずだ。


だから僕は………僕にできることをしなきゃいけないんだ………!!


「………司」
「何?サクラ」
「明日の夜、僕と会ってくれない?」
「夜なのに、大丈夫?だって、君は………」
「うん、大丈夫。明日は紗久の両親は、病院の記念パーティーに行く予定だから」
「そっか………なら、少しは大丈夫だね」
「………必ず、司のとこに行く。だから………だから、待ってて。絶対………だよ?約束だからね?」
「………うん、分かった。待ってるよ、サクラ」

そう誓って、僕は司の肩に腕を絡めると、熱くて貪るようなキスをした。











「あなた、ケルベロスでしょ?」

通学路でたまに見かける、黒い服を着た若い男に僕は戸惑うことなく声をかけた。
紗久の家まであと数十メートルのところにある公園のベンチで、目を合わすことなく座る男が、僕の声に微かに反応して顔を上げる。

耳たぶの下半分がない。

耳をピンと立たせるために、その威厳ある姿を、その恐怖を具現化する姿を誇示するために。


その耳は彼らのトレードマークであり、〝番犬〟としての誇りなんだ。


「なんで分かった?」
「………カン、かな?」

僕は今だに懐かしく思うランドセルを背負ったまま、ケルベロスの横にドカッと腰掛けた。

「ねぇ、紗久が死を選んだ理由を教えて」
「何を………」
「一度死んだ人間が、すんなりと他人の体に入れるワケがないんだよ。僕は試されてる………そうでしょう?」
「…………」

ケルベロスは相変わらず、目を合わさず僕の話を黙って聞いている。

「どうして、紗久が死んだのか教えて。紗久が何に苦しんで、何に心を痛めたのか教えて。………僕は、僕の仕事をしなきゃ。そうでしょ?ケルベロス」
「………それで、いいのか?」
「………うん」
「おまえがその責務を果たすと、喉から手が出るほど欲していたおまえの望みは、そこで途絶えてしまうんだぞ?」
「………分かってる」
「なら、何故」
「………やっぱり、ちゃんとした僕でいたいんだ。
紗久の体を奪っても、どんなに司を思っても。
紗久は朔にはなれなかった。
また、秘密を抱えて生きるより、ちゃんと司に向き合いたい。
………そして………。
そして、紗久には生きて欲しい。
こんな僕でさえ、少しは楽しいことがあって、幸せなことがあったんだ。
紗久にも、これから先の幸せを感じて欲しい。
紗久には、きっと楽しいことがたくさん待ってるはずだから」


ケルベロスは、この時初めて僕と目を合わせた。


オレンジ色の、煉獄の炎のような……全てを焼き尽くすような瞳が、僕をとらえた。


「2度も………傷つくことに、なるんだぞ?おまえも………おまえの思い人も。それでも、いいのか?」

僕は笑って答える。

「現世じゃなくてもいい。
輪廻や転生を繰り返してでも、僕は司を探し出す。司に会いに行く。
………本音を言えば、今の司とずっと一緒にいたいけど………それは紗久じゃない。
きっと司も同じことを思ってるよ。
偽りの〝紗久の中の朔〟じゃなくて、本物の朔に会いたいはずだ。
だから、大丈夫。僕は………大丈夫」


笑ってるのに………涙が、溢れて止まらない。


そう決めたから、自分でそうしなきゃって決めたから、後悔はないはずなのに………。


………司の笑顔が瞼にちらついて、司の手の感触が僕の肌にぶり返して。


涙が、止まらない………んだ。


ケルベロスは、泣き止まない僕の頭にソッと手を置いた。


「あの白い変わったネコの言ったとおりだ」
「………え?」
「芯が強くて、優しくて。
なんでも我慢してしまうけど、やると決めたらちゃんとやる人だって………。
おまえが幸せなら、バレようがどうしようが黙っているつもりだったんだ。
………でも、やはり、自己犠牲で………。
おまえは自らを追い込んで苦しい道を選ぶんだな。
辛いだろうが………紗久の魂を救ってやれるのはおまえしかいないんだ。朔………」
「………うん、分かってる。ありがとう」
「………よく聞け、朔。今から紗久が死んだ理由を教えよう。一回しか言わない。だから、心して聞け。………そして、紗久の魂を連れ戻すんだ。朔!」
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