露雫流魂-ルーナーリィウフン-

媛貴

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第五話「夢見の楽園!『金波の琥珀亭』へようこそ!」

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陽は静かに地平へと旅立ち、街は茜色の魔法に包まれる。
落陽が最後の光を振りまき、街を紅の絵の具で塗り替える頃、商業都市リト・エイデスは昼間とは違った顔を魅せるのだった。
街の声が少しずつ落ち着き、代わりに弦楽器や笛の音がどこからともなく流れてくる。
昼間は商売に必死だった者たちも、夜には笑顔で杯を交わし、情報や噂話が酒と共に飛び交う様子もあちこちで見受けられる。
露店は布を巻き上げ、色とりどりのランプを吊り下げる。
香辛料と酒の匂いが夜風に溶け、石畳を照らす灯りは金と紅の影を踊らせる。
大道芸人の火が宙を裂き、賭場の笑い声が細い路地から漏れ聞こえる。
商人たちは昼間の顔を脱ぎ捨て、甘い囁きや禁断の商いを交わす。
昼の商売は終わっても、夜の取引は始まったばかり。
誰もが得体の知れぬ何かを欲しがり、街全体がひそやかに、しかし賑やかに脈動を続ける。
そんな中、ハイリンたちが訪れたのはジルドレおすすめの酒場「金波の琥珀亭」だった。
「『金波の琥珀亭』…!!一度来てみたかったのよねー!!」
と目を輝かせるキャスカ。
『金波の琥珀亭』は市場から少し離れた立地ではあるが、料理長が元王都の料理人で、商人が持ち込む珍しい食材で特別メニューを作る事があり、噂が噂を呼んでそれを目当てに通う客も多い。
店内は金色の細かい装飾や美しい木彫り細工が施され、なかなかに豪奢な雰囲気だが、庶民でも手の届く価格帯というのがまた嬉しい。
一皿ごとの料理は高級食材を少量ずつ使い、多くの種類を楽しめる「小皿式」。
酒は高品質な樽酒や輸入酒を揃えつつ、少量ずつ頼める試し飲みセットが大人気。
商人向けの「取引割引」など常連向けの割引制度もあるので客足が途絶える事がないという。
「あーん、どれにしよう?!まよっちゃう~!!」
キャスカは瞳をきらきら輝かせながら、まるで宝物でも探すようにメニューを抱え込んでいる。
「まずは飲み物だろ。ハイリン姉さんは酒はイケるクチかい?」
ジンウァンが苦笑まじりに言いながら、手元のメニューをひらりと差し出す。
「それなりでありんすなぁ」
ハイリンは、扇をぱたりと閉じるようなしぐさで、のんびりと答えた。
ちょうどその頃、マリンブルーの給仕服に白いエプロンを身につけた女性が、小走りにこちらへやってくる。
「こんばんわぁ~!! 『金波の琥珀亭』へようこそ! 皆さん初めて見るお顔ね?」
声を弾ませて問いかけてきたのは、キャスカより二、三歳年上に見える娘。
緋色の赤髪を肩より少し短く揃え、ふわりと外ハネ気味の軽やかなボブが揺れるたび、まるで灯火のように艶めく。
大きなアクアマリンの瞳が興味津々にこちらを覗き込み、愛嬌たっぷりに笑っていた。
「ええと、俺っちたち、ジル姐さんの紹介で…」
とジンウァンが言いかけると、彼女は手をぱんっと叩いて声を上げた。
「ああ! 聞いてる聞いてる!! デカい熊みたいな男と猫みたいに目の大きな女の子、それと全身宝石クラスの美人が来るって!」
「なんだそりゃ」
ジンウァンがガハハと笑ってみせる。
「あははっ、ジル姐さんの言ってた通り! 面白い組み合わせね、あなたたち!」
彼女の名前はマリナ。とにかく人懐っこく、笑顔を振りまく様子がいかにも看板娘らしい。話しているうちにすっかり打ち解けた三人に、マリナはウインク混じりににっこり笑う。
「とりあえず、一杯乾杯しとく? ジンウァンにはウチの看板酒の『琥珀樽酒』、キャスカとハイリンには女性に人気の『銀露酒』がオススメだよ!」
「じゃあ、それもらうか」
ジンウァンが頷く。
「わっちも、それにしんす」
ハイリンもゆるやかに笑う。
「あのっ! あたし、『妖精の花蜜酒』っていうの、飲んでみたいんだけど!」
キャスカが思わず手をぴんと挙げる。瞳は希望で輝いているが、どこか緊張した面持ちだ。
「了解っ!」
マリナは可愛らしく敬礼すると軽やかにくるりと踵を返し、厨房へと小走りで去っていった。
マリナの姿が見えなくなると、キャスカはふぅーっと小さく息を吐く。
「キャスカはお酒は苦手でありんすか?」
ハイリンが穏やかに尋ねる。
「ち、違うわよ! ちょっと変わったメニューだったから気になっただけだってば!」
キャスカが慌てたように早口で答えると、ジンウァンが笑いながら横から口をはさむ。
「ハイリン姉さん、こいつ結構飲むぜ? 俺っちと大して変わんねぇ。」
「ほうほう?」
ハイリンが興味深そうに片眉を上げる。
「伊達に商家の娘やってないわよ! お酒ぐらいそれなりに飲むもん!」
「飲んだ翌日二日酔い決定だけどな」
「もー、ジンさん! 余計なこと言わないの!」
キャスカが顔を真っ赤にして抗議する。
そのやりとりをハイリンは、目を細めて微笑ましく眺めていた。
だがふと、何か思い出したように首を傾げる。
「キャスカは商家の出身でありんすか?」
「そ、そうよ…文句ある?」
商家のいい年をした娘御が、縁談もなしに冒険者をしているとは珍しい。
精霊の森から出てきたばかりのハイリンにそこまでの考えは及ばなかったが、「商家」という単語につい興味が沸いてしまったのだ。
商家というからには何かしら商いをしているのだろう。
どんな商いで、どんな品物を扱っているのだろうか?
どんな街の、どんな家に住んでいて、どんな家族なのだろう?
ポンポンととりとめなく好奇心がうずく。
と、そこへ。
「お待たせしましたーーーーーーーーーー!!」
勢いよく声を張り上げ、マリナが盆を掲げて戻ってきたのだった。
木目の美しいジョッキになみなみと注がれたのは、ジンウァンの『琥珀樽酒』。
黄金とも橙ともつかぬ深い琥珀色が、卓上の灯りを受けてゆらりゆらりと波打ち、まるで炎が宿る液体のように輝く。
ひとたび口を近づければ、甘く芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、飲む者の胸の奥に熱を灯す、力強い酒だ。
一方、ハイリンの『銀露酒』は、夜空を閉じ込めたかのような深い青。
その液体の中では、微かな動きに合わせて細かな銀箔がきらきらと舞い踊り、まるで星屑が流れる天の川をグラスの底に映したようだ。
その輝きは幻想的で、ひとくち口に含むと、ほのかに甘く、澄んだ冷気が舌の上を流れ、飲む者をひそやかな高揚へと誘う。
ジョッキに注がれたキャスカの『妖精の花蜜酒』からは、薄桃色の光がふわりと溶け出すように漂い、蜜のような甘い香りが周囲を満たす。
その香はどこか妖しく、瞳の奥に幻の花々を咲かせ、飲む者を浮遊するような心地へと誘うのかのようだった。
「すごいいい匂い…美味しそう~!」
「それでは皆様、ご準備はよろしいですか?」
にゅっと湧き出たのは琥珀樽酒をなみなみと注いだジョッキを片手に満面の笑顔のマリナ。
「おいおい、仕事中に飲むのかよ?」
「こんなのジュースだよー。じゃあハイリンもキャスカも!ジョッキ持って!!せーの」

「「「「かんぱーーーーい!!!」」」」

ゴツンと景気のいい音がし、4人の盃が交わされる。
琥珀樽酒をひと口、ジンウァンが唸る。
「かぁー…!こいつぁ美味ぇ!」
ひと口、冷たい液体が舌を撫でた瞬間、森を駆け抜ける風のような清涼感が広がる。
ほのかに甘く、すぐさま鋭い苦味が後を追いかけ、余韻はまるで深い森の奥に残る静けさ。
飲み干す頃には、心も少しだけ冒険へ誘われているという。
「っておい?!」
ジンウァンがジョッキの半分を飲んで一息ついている間に、マリナのジョッキが空になっていた。
「あたしの分はジル姐さんからお代頂いてるから大丈夫よ♥」
「いや、そうじゃなくてだな…」
大の男のジンウァンですら耳が熱くなるような高揚感があるというのに、マリナときたら微塵も感じさせず二杯目を飲み干してみせる。
「銀露酒…変わった香りでありんすなぁ…」
うっとりと呟くハイリン。
盃を口にすれば、淡い泡が花の香りを運び、やさしい甘みが舌にほどける。
銀露酒は、春風みたいに心をくすぐる酒だった。
「3種類のお花をエッセンスで加えているのよ。イランイランとラベンダー…あとはシオジットリリー」
とっておきの秘密を告げるかのようにマリナが囁いた花の名前に、キャスカが「えっ」と声を上げる。
「カフジ高原にしか咲いてない珍しい花じゃない!そんなものまで扱ってるの?」
カフジ高原とは、このスカボ・オレイル魔法公国の首都シグリッドを擁する高原で、ここリト・エイデスから徒歩で2週間ほど。
乗合馬車が定期的に出ているのでそれに乗り継げば一週間ほどで着くだろう。
スカボ・オレイル魔法公国最大の山地湿原であるレット湿原や、火山堰止湖であるポトル沼、その周囲の山稜などで構成されている。
近年には国立公園に指定され、夏場には観光客も多いと聞く。
高原に数か所に大公の許可証を交付された農園があり、高原でしか育たない植物や農作物を作っているのだという。
その一つがシオジットリリーで、甘くフローラルな香りが特徴なのだが、上品で優雅な香りで、清楚感、華やかさを連想させる「大人の女性」のようなものが感じられる。
それとは対照的なのがキャスカの『妖精の花蜜酒』。
甘くみずみずしい柑橘系の香りがぱっと広がり、陽光を思わせる明るい印象だが、いざ飲んでみると…?
「…甘さのあとに、ちょっとした苦みみたいなのが感じられるわ…でもエグみじゃない、厭味のない苦み…」
「それはズウムーリュイのエキスよ。カップの中に親指大くらいのズウムーリュイが入ってるでしょ?
そのエキスがお酒に出てきてるの。こっちも数種類のハーブをワインと一緒に発酵させたお酒になるわ」
ズウムーリュイは「風翠玉」の別名で、エメラルドの原石ような石のことである。
パワーストーンを飲み物に入れて飲むのはクラ・フ・ファーゼではポピュラーな飲み方で、
単純に見た目を楽しむだけのものだったものが、冒険者たちが英気を養う為に石のパワーを飲み物に溶かして飲むのが通な飲み方となっている。
ホットドリンクの場合は原石を特殊な魔法炉で焦げ目がつくギリギリまで熱し、飲み物に入れる。
『妖精の花蜜酒』のようなコールドドリンクの場合は原石を精霊の森の付近や精霊素(マナ)の濃い地域で汲み取った清水で一日清め、飲み物に入れるだけの一見簡単な製法なのだが、熟練の料理人でないと石の融解点や石の純度・清水の魔力含有量の見極めが難しい。
その為「魔石調理免許」なんて資格があるほどだ。
そのあたりの解説をマリナからレクチャーされ、一人「ほあーっ」と感心するハイリン。
「石を飲み物に…でありんすか」
精霊の森にもパワーストーンに準ずるものは存在する。
むしろゴロゴロしてるぐらいだ。
「精霊の森ではマナが充満してるからなぁ、そもそもそんな飲み方してマナを摂取する必要がないんだろうな」
とジンウァン。
神々が住まう神界と人間界の中間に位置し、マナの源泉ともいわれている精霊の森では、「パワーストーン」だとか「パワースポット」だとかいう概念がない。
石にマナが宿っているのは当たり前だし、それは石に限った話ではない。

大地に、木々に、風に、光に。

精霊の森すべてに精霊素「マナ」が宿っている。
マナは別名「女神たちの吐息」とも言われており、神界から流れでて人間界を薄く覆っている結界で、地底の深淵・魔界から人間界を守るために女神たちが施した防波堤なのだという。
その門番の役割を果たしているのが「精霊の森」だともいわれているが、すべては口伝や伝承の域を出ない。

(ハイリンが、結界の門番????)

思いを巡らせていたキャスカが怪訝な顔で『妖精の花蜜酒』を飲んでいた手を止める。

目を見張るほどの美人ではあるけれど、こんな世間知らずでポワポワして風でも吹いたら飛ばされそうな頼りないハイリンがそれほどの重要人物には見えないし、そもそもそんな重大な使命を担っている人物がホイホイ森から出てきて旅をしてもいいものなのだろうか?
渋い顔をしたキャスカだったが気を取り直してクピクピと酒を進める。
そして思い出したかのようにメニューをペラペラとめくる。
「深淵魚の漬け冷燻!美味しそう!!」
「俺っちは紅月茸と霧肉の土鍋煮で決まりだな」
「夢霧の甘露焼き…ねぇマリナ、これってなあに?」
「香りで眠気を誘う夢霧茸を細かく刻むんだけどね、甘露蜜と練ってから小さく成形して、炭火でさっと炙るの。星砂糖をまぶして仕上げ、食べると穏やかな眠気がくるからお帰りの前のデザートかお持ち帰りで宿屋で食べるのがオススメね」
「へぇー、それ美味しそう!!帰りに一つ頂いていい?」
「オッケー、覚えておくわ」
「光魚の涼風巻き…ああ、こいつぁ夏限定だったか。もうちっと早く来れればなぁ」
「そうねぇ、今夜のオススメだったら今月は竜髄だしのおこげ飯なんてオススメだわ」
「竜髄?!貴族の高級食材じゃねぇか!」
大げさに驚くジンウァンに、マリナは喜色満面。
「下処理の際に出る「端骨」を安価で仕入れてるのよ。だからこのお値段で提供できるってワケ」
舌を巻くジンウァンは上機嫌でジョッキを仰ぐ。
「とりあえずその3つと…あっちの野菜と肉の串焼き、干し魚と香草オイル、あとギルド盛り頼む。
ハイリン姉さんは何を食べたいんだ?」
「えっ」
問われ、困ったように首をかしげるハイリン。
首をかしけるとの同時に、黒曜石のような髪がさらりと額に落ちる。その所作一つ一つが美しい。
「ええと…うーーーーん…」
散々迷ったあと、玩具でも見つけた子供のように嬉しそうにとある一品を指さす。
「これがいいでありんす」
「何なに…?香焼き根と漬け薬草の盛り合わせ?
ちょっと、コレってただの野菜チップスと漬物じゃない。こんなのじゃお腹膨れないわよ?」
目くじらを立てるキャスカに「お昼に屋台で焼き鳥なるものを頂いたので」と困ったように断るハイリン。
「その焼き鳥もひと口しか食ってなかったよなぁ…ズゥフって本当に食べないんだな」
一体いつから遠目で見ていたのか、ジンウァンが感心したように言う。
「ジンウァンのお母上もズゥフだったのでありんしょう?お母上は?」
「お袋は人間界が長いし冒険家だったからなぁ。肉も魚も食うし、グルメな人だったよ」
「あ、でも」と付け加える。
「詩魔法・謳(オー)を発動させたことは見たことないんだよなぁ…狩猟笛つってさ、ぶん回して風を起こすことで鳴らすでけぇハンマーみたいな笛があるんだけどさ。そいつをぶん回してモンスター殴ってたなぁ。
どちらかというと歌うっていうより狩猟笛を鳴らすことで親父やパーティーの支援してた感じだったぜ」
「なんと…お母上は狩猟笛の使い手でありんしたか」
前のめりになるハイリンを横目で見ながらマリナが厨房にオーダーを通す。
「狩猟笛はその名の通り、狩りをする為の楽器-わっちらは奏具と呼んでおりんす。
わっちのリシャンと同じく、精霊の森に生息する木々や鉱物から造られたものではあるものの、非常に珍しい演奏方法でありんしてな。ジンウァンの言うとおり、振り回して風を起こすことで鳴らす奏具でありんす」
「でもお袋は声に出して歌ってなかったぜ?なんか掛け声はしてたけど」
「謳うことだけがオーとは限りんせん。精霊の森の素材で作った奏具で、なおかつ使い手自身がズゥフであるならば…楽器と作り手の魂が呼応して、旋律や発した単語の波動がマナに乗り共鳴すれば、詩魔法として発動は可能でありんすよ」
「へぇ~…結構お手軽なのね、オーって」
とキャスカが評するのも無理はない。
人間界で詩魔法や詠唱魔法を習得するのにはまず天性の肉体がものを言う。
血筋、骨格、そして何より生まれ持った声帯が最重要項目となる。
声は、肺から出た空気が声帯を通過する際に声帯が振動し、声の元となる音が発生する。
その振動がマナと共鳴できるか。
マナとの共鳴はすなわち精霊や女神との相性や契約にも繋がる。
精霊たちが共鳴を心地よいものだと感じれば契約が成立するが、その確率はそうそう高いものではない。
元々人間はハイリンたちズゥフに比べると体内のマナエネルギーの純度が希薄である。
精霊たちのもつマナエネルギーと相性がいいマナエネルギーを発する確率はズゥフたちの半分以下と見ていい。
そんな中、だいたい16歳までに発現する「穢れなき声帯」だけが詩魔法を紡げるのだという。
それこそ何万人に一人の確率だ。
それを考えれば、生まれがマナの純度が高いズゥフというだけで。
自分の作った、これまたマナ純度の高い奏具を奏で謳うだけで。
詩魔法が発動するとなると、人間であるキャスカからすれば「お手軽」なのだろう。
そこでキャスカが「はい、質問」と手を上げる。
「オーには音階や言葉並びの制約とかないの?」

キャスカの指摘はもっともで、人間界の詩魔法には音階や呪文となる言葉並び(単語作り)に制約がある。

母音と子音についてなのだが、いち子音に対していち母音が必須となっており、「Ta」や「Yu」のような並びが基本であるとされている。
炎を意味する「フランメ」の綴り一つにしても「furanme」または「fulanme」が正しく、「frannme」や「flanmme」など、子音だけが続くと人間の発する発声とマナエネルギーが絡み合わず、音として「フランメ」とは発音できるものの、詩魔法としては発動しない。
この発音法は別名「女神旋律」とも言われ、「古パルス語」として人間界で知られている。
女神だけが子音の発するマナエネルギーを自在に制御でき、組み合わせることで世界を構築するほどの偉大な詩魔法として確立させることができているのだという。
その点、ハイリンたちズゥフが操るとされているオーはといえば。
「ズゥフ文字、またはズゥフ語という特殊な文字がありんしてな…これがだいたい五万文字といわれておりんして」
「五万!!?」
驚いたのはいいものの、それが多いのか少ないのか計りかねて、キャスカはジンウァンを肘でつつく。
「私たちの大陸共通語の単語ってどれくらいなんだっけ?」
「んー…推定でいやあ百万以上たぁ言われてるけど、古語も含んだものだからなぁ。
会話に必要なのは三千~四千語。成人で知ってる単語数は二万から三万五千だって話を昔聞いたことがあるぜ」
「へぇ、じゃあ多いほうなんだ?」
「こちらも古語や特殊文字を含んだ数でありんして。実際にオーとして発動させる単語や文字としてはその半分ぐらいでありんしょうか」
「それでも二万五千かぁ…それをどうやって組み合わせるの?」
キャスカの言葉に、ハイリンはうーんと唸る。
「大陸共通語の意味に近いものや…わっち自身が感じた想いの形が何より大事ではありんすが…
あとは音の響きや韻を踏んだものでありんしょうなぁ」
「そんな適当なの?」
「割合適当でありんすね」
「言われてみればそれもそうだ」とハイリンが頷いたところでマリナと給仕の女の子たちが料理を運んでくる。
「はぁい、お待ちどお様!!深淵魚の漬け冷燻と紅月茸と霧肉の土鍋煮!」
「こちらは竜髄だしのおこげ飯と秋野菜と鹿肉の串焼きでぃ!」
「あとは干し魚と香草オイルとギルド盛り。あと香焼き根と漬け薬草の盛り合わせね。
帰りに夢霧の甘露焼きで、ご注文はお揃いかしら?」
できたてホヤホヤ。したたる脂もアチアチ。
厨房から運び込まれて香り豊かな湯気の立ちのぼる料理に、ジンウァンとキャスカの目の色が変わる。
「おおっ、うんまそ~~~~!!ひっさしぶりのあったけぇ飯だぁ~!!」
「きゃ~~~~!!!めっちゃ映えるゥ~~!!!テンション上がっちゃう!!!」
「「いっただきまぁ~~~~~す!!!!!!」」
行儀よく合掌し、大地母神シトラナヴィーゼに実りと、並べられた美味し糧への感謝を捧げそれぞれにフォークやスプーンで食事にありつく。
そのどれもがハイリンには真新しく、見たことのない色彩、嗅いだことのない香り、感じたことのない熱気にあふれていた。
その好奇心いっぱいの瞳があまりにも純粋で、食い入るようにジンウァンとキャスカを瞠目していたので2人の手が止まる。
「…な、何よ。食べたいの?」
問われるが、どの料理も量を食べれそうにない。
が。
好奇心のほうが勝ってしまう。
どんな味で、どんな食感で、どんな香りなのか。
「スプーンにちょこっとずつぐらいならイケるんじゃね?」
と白くほぐれた霧肉をちょこっとスプーンですくってみせる。
「それくらいなら」
と花が咲くようにハイリンが微笑む。
「しょ、しょうがないわねぇ…ホント手がかかるんだから」
とぶつくさ文句をいいつつ薄く削がれた深淵魚の深藍の切り身を少し小さめのひと口大にナイフで切り分けるキャスカ。
案外面倒見はいいのかもしれない。
ジンウァンがマリナに大き目の皿を一つ追加してもらい、その上のジンウァンとキャスカが切り分けたり、ハイリンが自分で「このくらいの量なら」と取り分けた料理が並ぶ。
「おお…これはもしや…ビュッフェ???」
昔ハイリンに人間界のことを教えてくれた人間の女性が言っていた、食事形式を表す単語を思い出す。
「全然セルフじゃないでしょ!ほとんど私とジンさんが盛ってあげたじゃない」
「どちらかというと食べ放題のバイキングだなぁ…食べ放題って量でもねぇけど」
豪快に笑いながらジンウァンは紅月茸と霧肉の土鍋煮をスプーンですくって頬張る。
温かな香草と茸の出汁がジンウァンの胃袋に沁みる。
「くぁ~!コレコレ!これがあるからここに戻ってこれるんだよな!」
その様子を見てハイリンもよそってもらった霜肉を口にする。
口の中でとろりとほぐれ、あっという間に溶けてしまい、ハイリンの中の「肉」の概念も崩れてしまった。
「肉…?溶け…????」
硬く、噛み応えのある干し肉と、熱さで舌を火傷するところだった揚げ鶏のどちらとも違う。
ハイリンの反応が面白かったらしく、キャスカが「こっちの切り身も食べてみてよ!」とフォークを勧める。
「漬け冷燻」という特殊な調理法を知らないハイリンは、不思議そうな顔でフォークに刺さった切り身を見ていたが、おもむろに口に運んでみる。
燻された香りがふわりと立ち、冷たい煙が空気を撫でた。
そんな感覚に陥る。
こちらも冷たいまま、舌の上でとろけて消えた。
人間界の食事の不思議さに、ハイリンは目をパチパチさせる。
「???????」
首を捻るハイリンにキャスカとジンウァンが思わず噴き出した。
「な!夢でも見てるみたいだろ?この酒場・『金波の琥珀亭』が別名で呼ばれるのも頷けるぜ」
「別名?」
豆鉄砲を食らった鳩のようにきょとんとするハイリンに、ジンウァンとキャスカは目配せをする。
「『金波の琥珀亭』といえば『夢見の楽園』!地元の人から遠方の冒険者まで誰もが憧れる酒場なんだから!」
「まだまだこんなもんじゃすまねぇぞハイリン姉さん!」
ずいっと差し出されたのはいハイリンが頼んだ「香焼き根と漬け薬草の盛り合わせ」。
長皿に美しく並んだのは、炙った山根菜の薄切りと、瓶詰めから引き上げた漬け薬草の色とりどりな葉。
根菜は香ばしく、歯ごたえがあり、舌の上に残る土の甘みが特徴的。
薬草の方は、酸味と苦味が交互にきて、不思議と酒が進む。
色彩も美しく、思わず静かに食べたくなる品だ。
細く盛られた香焼き根をひと摘み、ハイリンは口に含む。
かりかりとした軽い食感に、地味だが滋味深い、淡い酸味と土の甘味。
そこへ銀露酒をちびりと舐めるように飲む。
「…わっちは大地の精霊を食しているのでありんしょうか…?」
そんな錯覚に陥ってしまうような深みのある味だった。
ハイリンの反応にしたり顔のジンウァンとキャスカ。
ちょうど、ハイリンの後ろを通りかかったマリナが「あら?」と声をかける。
「ハイリンさん、これってもしかして楽器?」
マリナが指差したのはリシャンが入った大袋だった。
「よく分かりんしたな」
「伊達に酒場の看板娘やってないわよ、形からしてそうかなーって。だったら一曲弾いてみない?」
誘われ、ハイリンは「そういえば」と気づく。
精霊の森を出てからこれでまだ二度目の演奏だ。
一曲目はリーデン村から乗合馬車に乗り、同席したエルクに催促されて演奏したものだ。
歌に至ってはまだ一度も歌っていない。
そう思うと急に歌いたくなった。
「では一曲よろしいでありんすか?」
「ぜひぜひ!ねぇみんな!!」
マリナの呼びかけに気づいた客の誰かが「景気づけに頼まぁ!!」と声援を飛ばしてくれる。
(陽気な酒場といえばあの曲でありんすな)と、ハイリンはリシャンを荷物袋から取り出し、弓を高々と掲げる。
おおっとジンウァンやキャスカまでもがどよめく。
ルゥ…と流麗な旋律が流れ、ハイリンの唇から誰もが知る口上が紡がれる。

「さあ今宵は 琥珀の宴!
剣も魔法もいらんのさ!
勝者は誰だ? 負けた者か?
いいや、ここに座ってる君こそ――英雄だ!」

馴染みの口上に客たちがワッと歓声を上げる。

ハイリンが口にしたのは大衆向け酒場でよく謳われる詩で、酒場に立ち寄り一人飲みする客も、疲れを癒す冒険者も、誰もが主人公になれる最強の詩だ。
リシャンの弓がしなり、朗らかな旋律が場に満ちる。

~金波の酒が 笑ってる
灯りの影も 踊ってる
背を丸めた君の肩に
今日も一日、お疲れさま!

この夜、君が主役さ
うまくいかなくても構わない
笑ってくれりゃ それでいい
飲み干せ、グラスの中の太陽!~

陽気な詩と旋律に、店内の客たちが自然と食事や飲んでいた手を止めハイリンたちを向き直る。
手拍子や一緒に歌いだす者、笛や弦楽器、太鼓を鳴らす者まで出てきて、「金波の琥珀亭」が一層賑やかに盛り上がる。

~職人、農夫、旅の女
傭兵、商人、語り部に
誰かの人生 乾杯だ
それぞれ違う英雄譚(ヒストリア)

この夜、君が讃えられる
歌にならずとも 価値がある
金波の酒場で 響かせよう~

「「「「「「よく来たな、名もなき英雄よ!」」」」」」

オーラスで曲が終わりに近づき、酒場のボルテージは最高潮に達する。

~この夜、君が主役だ!
灯りの数だけ 物語がある!
金波の琥珀に 名を刻め!
さあ飲め、笑え、生き抜け!~

酒場全員で雄たけび、派手にジョッキを掲げぶつけ合う。
気がつけば知らない者同士で肩を組み、歌い踊り、誰もが料理に、酒に、歌に酔いしれていた。
その様子を見ながら、ハイリンも異様な高揚感を感じていた。
銀露酒のせいだろうか。身体が熱く、心地よい。
こんなにも大人数で賑やかに歌ったのは何時ぶりだろう。
精霊の森では毎日のように詩を紡ぎ、謳い、同族たちと笑い過ごしていた。
数少ない同族たちは、一番の年下であるハイリンを可愛がり、色んな詩を教えてくれた。
豆のスープが美味しくなる詩、洗濯物が早く乾く詩、長老の小言が減る詩、探し物が見つかる詩ー。
そしてハイリンが一番好きな詩が「みんなと仲良くなれる詩」だ。
曲が終わり、ご機嫌な客たちの間に聞きなれない旋律が流れる。
明るく優しいそれに、二曲目の気配を感じた一同は手拍子を叩きながら、ハイリンの唇が動くのをわくわくと待つ。



ーYi kou qì, qing qing de xi
    Liang zhi yan, man man de wang
          San fen xiao, zhen xin de shuo——

聞いたことのない不可思議な単語並びに、人々は顔を見合わせる。

「…ズゥフ語だ…」
手拍子も忘れ、呟いたのはジンウァンだった。
「ジンさん、分かるの?」
「えっと…全部は分からんし何を言ってるかうろ覚えだが…」

ーWo a、Shì wei le he ni men cheng wei peng you er lai de!

「んー…【私はみんなと、仲良くなりたい】…?的な感じか?」

「ズゥフだって」
「絶滅したんじゃなかたのかい?」
「あの姉ちゃん、よく見たら耳がとがってら」
「楽器もちょっと変わってねぇか?」
声もひそめず人々がハイリンに注目する。
当のハイリンはそんな事も気づかず謳い奏でる。

.Ke yi zuo ni pang bian ma?
  Ge yi ge wei zi ye ke yi de!
    Ru guo ni ji zhu le wo de míng zi,
       Xia yi bei jiu rang wo qing ni ba!

「何て言ってるかわかんないけどさ…うん」
「いい曲じゃねぇか、なぁ!」
「マリナ!酒だ!!酒を持ってきてくれ!!」
「あ、はーーーい!喜んで!!!!!」
バタバタと急に店内が忙しくなってきた。

Ru guo zhe ge “chu ci jian mian” de ye wan,
    Neng huan lai ni yí ge wei xiao,
        Na wo de ge sheng,

食事を楽しみながらハイリンの詩に耳を傾ける者、見知らぬ曲なのにでたらめなメロディを歌う者。
ジンウァンは翻訳する事を諦め、キャスカと再び乾杯する。
元々そんなに頭が器用なほうではないし、母親から「考えるものではない、感じなさい」と言われてきた。
詩の意味は分からなかったが、ハイリンの声とリシャンの音色が心地よい。
そして何より久しぶりの酒が美味い。
それで充分だった。

Jiu hui zai zhe li, chang jiu de hui xiang zhe——Deng zhe zai jian ni!

その夜、聴きなれない不思議な歌声が『金波の琥珀亭』を包み、通りの人々が思わず足を止めたり、
導かれるように店内に足を踏み入れ、まさかの立ち飲み客で店内が溢れることになり、店の売上・入店人数を更新したことになったのは、また別のお話しー。
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