Tune the Rainbow

媛貴

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11【2022雛祭りSS】花よ、蝶よ。

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あかりをつけましょぼんぼりにぃ
おはなをあげましょもものはなぁ

そんな歌を口ずさんでいるのは鏡珠だった。
この季節になるとついつい歌いたくなってしまう童謡で、もうすぐ桃の節句が訪れることを知らせてくれる。
探湯家に唯一存在する和室の床の間に、一段の男雛と女雛だけが可愛らしく飾られてある。
零韻たちの祖母である菖蒲が、可愛い孫娘のためにと一式そろえてくれたものだ。
「本当は七段全部飾りたいんだけどねぇ…」
鏡珠のぼやきに、一家の愛娘である零韻が苦笑する。
「私ももう22になったんだし、本当なら成人した時点で飾らなくてもよかったのに」
「あら、そんな事ないわ。貴女が結婚するまで飾ればいいのよ?」
とニコニコと上機嫌な鏡珠。こんなに喜んでもらえると、気恥ずかしさが拭えない。
「それにしても…零韻がもう22なのね…」
と、ふいに母が自分の頭に手を伸ばす。
愛おしそうに、優しく、ただ優しく鏡珠は零韻の髪を撫でる。
その深い黒曜石の目は慈愛に満ちており、「まるでティエポロ作『ゴシキヒワの聖母』のようだ」と零韻は思った。
どこか少女のようなあどけなさを残しながら娘を慈しむその顔は、凛々しくも誇らしげである「母の表情」だった。
「この前生理が来てお赤飯炊いたたんだとばっかり思ってたのにねぇ~」
「や、やめてよ母さん、その話は…」
突然昔の話を持ち出され、そう言いながらも、零韻は鏡珠の手を払うことができない。
小さく息を吐きながら、零韻は当時の事を思い出していた。

あれはそう、夏はとうに過ぎ去った、立冬が近づくとある日だった。

「ただいまぁ~…」
中学生の零韻が鼻の頭を赤くしながら玄関をくぐる。
「おかえりー」と蔵人の声がしたがおそらく台所だろう。
「うー…寒い…」
鼻をすすりながらずりずりとだらしなく靴を脱ぐ。
いつもならこんなに面倒くさがりはしないのに。
(なんか…頭痛いな…やたら腰が冷えるし…?)
予報では11月上旬だというのに12月中旬並みに冷え込むような事を言っていたような。
通りで寒い。マフラーをしていて正解だったが、如何せん女子中学生の制服は足元が冷える。
クラスの子でルーズソックスを穿いている子がいたが、あれは果たしてあったかいのだろうか?
校則規定の普通のソックスは肌に密着していてどうにも寒く感じるが、
たっぷり暖かい空気を含んでいそうなルーズソックスは心なしか暖かそうに見える。
「零韻、カボチャのポタージュとコーンスープ、どっちがいい?」
案の定台所から顔を覗かせた蔵人。
「…カボチャ。湯沸かしポット以外触っちゃダメだよ、兄さん」
2度台所で爆発事故を起こした兄に、零韻は力なく釘を刺す。
「大丈夫か?顔色悪いぞ?」
「大丈夫…外、めちゃくちゃ寒かったから…」
心底疲れたように息を吐く妹の行き先がトイレだと分かると、蔵人は「スープ入れとくからなー」とその背中に投げかける。
「さて。ここで問題だ…」
零韻はトイレの前で独りごちる。
トイレに入る前にマフラーと手袋を外すか。それとも中に入ってから外すか。
「…普通に考えれば中で外せば寒くないってだけなんだけどさ」
またもや盛大な溜息をはいて零韻はトイレに入る。それにしても。
「寒くないか…?兄さん、ヒーター入れてなかったのか…!」
爽やかに笑う兄の顔を浮かべ、零韻は歯軋りする。
スープも嬉しいが、こんな寒い日はヒーターを入れておくべきだろう!
私より先に帰ってきているんだからさぁ!
もう溜息をつくのも馬鹿らしくなって、零韻は下着をするりと下す。
と。
ショーツに見慣れない真紅の広がりが染みついているのを見て息を飲む。
「うわぁああああああ???!!」
思わず叫んでしまってから慌てて自分の口を左手で塞ぐ。
(えっ…えっ??何??何これ?!)
(あっ……生、理…?)
(もしかして…これ、生理…なのか?)
突然のことに頭が付いていかないのと、中学生に上がってもなかなか初潮が来ないでいた心配が解消されたことで足から力が抜け、へなへなと便座に座り込む。
そこへコンコンコンと勢いよくドアがノックされる。
「零韻どうした?ゴキブリでも出たか?」
「兄さ…っ…あ、いや、えっと…ご、ゴキブリは、出てない…。出てないんだ」
「でもすごい悲鳴だったぞ?」
「えっと…あの…母さん、母さんはいる?」
「母さんならさっき買い物に出かけたけど」
(母さあぁぁああああああああんんんんんんんんん!!!!!)
唯一手助けを頼めそうな母の笑顔を思い浮かべ、零韻は泣きそうになる。
ツキン。
ふいに下腹部に鈍い痛みが走る。
気のせいか、だんだひどくなっているような。
「なぁ零韻、大丈夫か?」
「あ、う、うん…その…ちょ、ちょっと…お腹痛くて…」
「腹痛か?下痢止めでも……」
そこで蔵人の声が途切れる。
「…零韻。お前、もしかして…生理?」
確かめるような兄の声に零韻は自分の顔が火が付いたようにボッと紅潮するのを感じた。
顔が耳まで熱い。きっとゆでだこみたいに真っ赤になっているに違いない。
だらだらと嫌な汗までかいてきた。
「…え、えっと…うん…その、初めてで…生理用品とか、どこにあるか分からなくて…その…」
「分かった、待ってろ。すぐ買ってくる」
そう告げるとパタパタと走る音が遠ざかっていく。そして玄関を開けて閉まる音。
「……………えっ…?」
誰にとなく呟く零韻。
「…………えぇぇええええ………?????」

去年からモデル業と俳優業を兼業しはじめた高校生の兄が。
巷ではイケメンモデルとして人気の高いあの兄が。
先月は人気男性誌の表紙を飾ってネットやTVで話題になったあの兄が。

妹の初潮の為に、近所のドラッグストアまで生理用品を買いに?

口からエクトプラズムが抜けるような思いだった。
とはいえ他に頼れる人間もいない。
ヒーターの電源を入れ、零韻は腰が冷えないようにさすりながら蔵人を待つ他なかった。
と。
コン、コン、コン。
トイレのドアが優しくノックされた。
「零韻?大丈夫?お母さんだけど」
「あ…う、うん、今開ける…」
情けない中腰で立ち上がり、トイレのドアを少しだけ開ける。
そこにはいつもの優しい笑みを浮かべた鏡珠がいた。
「はいこれ。お母さん、今帰ってきたところなんだけど、蔵人が買ってきてくれたんですって。
使い方は分かる?」
「あ、うん…授業でやったから、多分…」
「そう。じゃあ一旦閉めるわね」
パタンとドアが閉まったのを確認し、渡された黒いビニール袋を覗き込む。
中身は生理用品と生理用ショーツの一式。
兄はどんな顔でこれを購入したのだろうか。
それを考えかけて零韻は慌ててくだらない妄想をかき消す。
着替え、外の様子を伺いながらそぉっとトイレのドアを開ける。
トイレの外で待っていたのは母だった。
母は屈託なく笑うと、何も言わずに零韻を抱きしめた。
「か、母さん…」
「うふふ、おめでとう!おめでとう、零韻!」
「う…待って…苦しい…!」
「あらあら、ごめんなさいね」
咽る娘を離し、鏡珠は中腰になって零韻の顔を覗き込む。
「大丈夫?どこか痛いところはない?」
「うん…ちょっと腰が冷えるしお腹痛い…」
「今日はよく冷えるものね。お母さんの部屋に行きましょ、用意していたものがあるのよ」
「ほ、ほんと?」
驚く零韻に鏡珠は茶目っ気たっぷりに微笑んでみせる。
「当然じゃない、女の子だもの。いつかは今日みたいな日がくると思ってたわ」

女の子だもの。

母の言葉に、零韻は再び顔面と耳が熱くなるのを感じた。
今まで自分は「子ども」だと思っていた。
それが「女」、ひいては「大人の女性」へと変わっていくのだ。
気にしないようにしていたが、去年あたりから少しずつ胸が膨らんできているような気がしていた。
まだそんなに目立つほどではないが、それらしい膨らみがあるのは実感できていた。
自分の身体が変わっていくのが少し怖いし恥ずかしかった。
母の部屋がある2階の階段を上っていると、下の階にいた兄と目があった。
「ありがとう」と言いたかったのだが、恥ずかしさから「あ…」しか出てこなかった零韻に、蔵人は軽く手を振ってみせ、居間へと入っていった。
母の部屋で腹巻やらショーツをもらい、所謂第二次性徴について分からないことや今後のことについて一通り手ほどきを受け、零韻は自室に戻った。
夕飯の時間になり母に呼ばれて台所に降りてから、テーブルの上にどどんと赤飯が用意されていた時には再び赤面せざるを得なかったが。

「…本当に。本当に、大きくなったわねぇ…」
同じように当時を思い出していたのか、鏡珠も遠い目で雛人形を見つけていた。
「母さん」
「貴方がお腹にいた時…無事に生まれてきてくれることだけを祈ってた…」
ゆっくりと手を伸ばし、鏡珠は零韻を抱きしめた。
母の香りと体温を感じ、零韻は一瞬戸惑ったが、少し恥ずかしい気持ちを抑え、母を抱きしめ返した。
「生まれてからは、元気に笑ってくれればいい…そう、生きててくれればいいって…お父さんも、お母さんも…蔵人だって、そう思っているのよ」
「…ごめんね、心配かけて。でももう大丈夫だって。手術は成功したんでしょ?」
「……そうね」
顔を上げ、見つめた母が少し涙ぐんでいたように見えたのは気のせいだろうか。
「これからは…そうね。零韻が大好きな人を見つけて、その人と幸せになれるようにお祈りしなくっちゃ」
「えぇぇ…?わ、私はその…恋人とかはいいよ。面倒くさいから」
「あら、そうなの?」
驚く母に、零韻は「絵を描いて作品作りをしてる時が一番楽しいよ」と答える。
立ち上がり、和室を出ようと襖に手をかけた瞬間、スッと襖が開き蔵人が入ってくる。
「に、兄さん…」
「あ、ごめん。何か話し声が聞こえたから…ああ、雛人形か」
起きたばかりだろうか。髪にやや寝ぐせが残ったままの兄が、零韻の肩越しに雛人形を見つける。
そのまま何も言わずじっと零韻の事を見つめる。母と同じ、優しいまなざしだった。
「…この22年間、ホント何もなくてよかった。祖母(ばあ)さまの雛人形のおかげかもな…」
「そう。ちょうどそのお話をしていたところだったのよ」
「ああ、そうなんだ」
「零韻が早く素敵な恋人を見つけて幸せになれればいいわねって」
「…へえ」
あくびをしながら相槌を打つ蔵人だが、「こいつ、絵しか興味ないから恋人とか無理なんじゃないの?」と笑って見せる。
「…別に無理じゃない。ラブレターだって週に2~3通はもらってる」
さっきは「恋人は面倒くさい」とか言っていた零韻だが、兄に小馬鹿にされたように思いつい反論してしまう。
「ほほお、さすが俺の妹。モテモテじゃん」
にぃと笑う蔵人が一瞬悪魔のように見えた零韻。
「まぁ、俺の妹と付き合いたいならまずは交換日記から始めてもらわないとな。あとは我が家の親族会議の篩にかけて、さらに俺とタイマン張って生き残れてから、だ」
言ってから再びあくびをする蔵人。昨晩も撮影が遅くまであったらしく、寝起き直後のようだ。
蔵人が趣味で始めたカポエイラと免許皆伝の剣術を組み合わせた「アクロバティック剣舞」に敵う猛者などいるのだろうか。
素人目にも、兄の抜刀術はまさに「目にも止まらぬ速さ」と言っても過言ではないし、遠心力で威力を増すカポエイラの蹴りは練習用の人形の頭を激しく揺らしていた。
ヒットすれば脳震盪は確実ではないだろうか。
「私はそろそろ学校だから出かけるよ、それじゃあ」
そう言って兄の横を通り抜けようとする零韻に向かって蔵人が声をかける。
「零韻」
「…なあに」
「俺も、母さんと同じ気持ちだよ。
お前が生きて、幸せになってくれればそれでいい」
「…うん、ありがとう」
はにかんだ笑みを見せ、零韻は自室へと上がっていった。
主役がいなくなった和室で、鏡珠は立ち上がり、ゆっくりと蔵人と向き合う。
自分よりやや低い母の黒曜石の瞳に見つめられ、蔵人も静かに鏡珠を見つめ返す。
「…ねぇ、蔵人」
「ん?」
「零韻のこと、よろしくね」
「…うん。大丈夫だよ、母さん」
「まだ、お父さんの事…怒ってる?」
父の事を話題に出され、ばつが悪そうな蔵人。
探湯家の大黒柱である探湯星一は今、この家にはいない。
仕事で研究室に籠りっきりで、我が家に帰ってくる事は一か月に一度程度しかない。
その星一と、長男である蔵人はすこぶる仲が悪い。
いや、蔵人が一方的に星一を嫌っていると言っていいか。
「お父さんはね…」
「ごめん母さん、その話は聞きたくない」
鏡珠の言葉を遮り、蔵人は浴室へと向かう。
気だるげにルームウェアを脱ぎ、熱いシャワーを浴びる。
あの日もこんな激しい雨だったっけ。
浮き上がってきた幼少期のトラウマに、蔵人は大きく嘆息する。
(あんな思いはしたくない…もう二度と)
(目の前で誰かが死ぬかもしれないなんて…もううんざりだ)
それが母と妹ならなおさらだ。
蔵人はもう一度大きく息を吐いてシャワーに打たれ続けた。
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