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第三章 怪奇、幽霊学習塾! 退魔剣客ふたたび
第30話 濡れる遥
しおりを挟む「天宮さん、お疲れさまです」
と、遥。薄暗い建物内で見るこの娘は、やはり猫に似ている。久美子同様、修道服を着けたシスタールックだ。被ったヴェールの下にある可愛い目が、キラキラと光っているが、それは“愛しの人"の前だからである。
「ゆうべ、バロンとの戦闘になったそうですね。奈美坂の“研修生さん"も一緒だったとか。お怪我はありませんか?」
バーニング・ゼミナールに電話連絡をしたのは彼女だった。情報が早い遥。特に久美子に関する事柄は、真っ先に聞きつける。
“心配してくれてありがとう。私は大丈夫だ。君の連絡に感謝する"
無口な久美子は、そんなことは思っても言わない。その代わり、遥のセミロングヘアを撫でてやった。この娘、そうしてやると大変に喜ぶ。
「ゴロゴロ、ふにゃ~」
久美子の手のひらの温度を頭頂にて確認し、本物の猫みたいな声をあげる遥。身体をすり寄せてきた。相変わらず反応がおもしろい。次に顎のあたりをくすぐった。
「にゃ~、にゃ~」
そこは性感帯なのか?遥は恍惚の表情を浮かべ、懐く。現在、17歳。久美子の身長は日本人女性の平均程度だが、この娘はもっと小柄だ。
(やだ、濡れてきちゃった……)
黒い修道服の下に穿く純白のパンティの奥に異常を感じ、遥は身を離した。大好きな久美子の手の感触は自身の劣情と発情を生む。このままでは、今宵の夜勤に差し障る。
「あ、天宮さん……」
立ち去ろうとする久美子の背中に、遥。
「神のご加護が、あらんことを……」
と言った。久美子は頷き、階段を降りた。
(お姉様……ああ、愛しの久美子お姉様……)
踊り場に一人、残された遥。今宵、崇拝の対象である女の美しい姿を見てしまった。以前は久美子に会い、話し、そして触れただけで満足だった。だが、最近は物足りなさを感じていた。もっと“先"に進みたい。心のどこかで、そう思っていた。いやらしい肉体関係を持ちたかった。
(お姉様は“ノーマル"なのですか?汚らわしい男性のほうがお好きなのですか?)
その質問は、久美子に届くことはない。
(わたしは、久美子お姉様のことが……)
その告白も、また然り。
「遥……」
声がした。見上げると、昇り階段の中ほどに長身の少女が立っていた。久美子や遥と同様にキリスト教式の修道服を着ているが、こちらはヴェールを被っていない。ショートヘアの後ろを男のように刈り上げていた。
「信子ちゃん……」
と、遥。長身の少女の名は宇都信子という。退魔士であり、同じく17歳。
「また、あの天宮って人と話してたの?」
と、訊く信子。細長い身体のシルエットと、どこかボーイッシュな雰囲気は神霊ジャーナリスト、花ノ宮奈津子と共通する。だが、奈津子ほどに美しくはない。健康的な肌の色と顔のソバカスが特徴の娘だ。
「う、うん……」
などと答え、遥は目を伏せた。なぜ、そうしたのか?
「好きなの?」
信子の表情が曇る。嫉妬しているように感じられるのは気のせいではないだろう。
「そんなんじゃないよ。ただ、憧れてるだけ。わたしも、あんなふうになりたいな、って……」
と、遥が答えた。
「ふぅん……」
と、鼻のあたりを人差し指でかきながら、信子が近づいてきた。
「な、なに……?」
ただならぬ空気に、遥が一歩、後ずさる。小柄なその身体を、信子は壁に押し付けた。
「遥……」
そして名前を呼び、花びらのように可憐な遥の唇にキスをした。
「んッ……!」
舌を入れられ、苦しそうに呻くも、遥はなんとか口を離した。
「や、やめて……誰かに見られるよ」
「誰もいないよ」
と言って、再び信子は口づけた。またも、舌を入れてくる。この少女たちは、“恋人同士"であった。
「んぐっ……!」
押しに弱い娘なのか?遥は応じ始めた。唾液にまみれる互いの舌が粘度を増し、いやらしく絡み合う。ふたりの身長差はかなりある。
「天宮には近づくな、って前に言ったじゃん。あの人、こないだの“失敗"で微妙な立場なんでしょ?」
至近距離で見下ろす立場の信子が言った。昨年夏、首払村で“神"に敗北した久美子は数日間の謹慎の後、退魔連合会鹿児島支部の剣術指南役の肩書きを外された。応援を待たず独断専行で行動したことが響いたが、若い彼女が大役についていたことを快く思わない連中が上層にいたことも事実である。出る杭を打つには充分な理由だった。
「あの人は……素敵な人だよ……」
再度、口を離し、遥が言った。融合した互いの唾液が、花びらのように可憐な唇の端から落ちた。
「出世コースから外れた女だよ?」
と、信子。それにつき、遥が何かを言うことはない。久美子を愛するうえで、将来性など、なんの障害になろうか?
「夜勤明けたら、部屋に行っていい?」
信子の言葉は、セックスの誘いである。同性愛を好む少女たちは、その想いを確かめあうため。そして充足するため、互いの肉体を必要としていた。
翌日、出張所にて退魔士としての“通常業務"を終えた久美子がOLルックに着替え、バーニング・ゼミナールに到着したのは午後四時より少し前のことであった。
「あら?早いわね」
受付を兼ねた一階の事務局で、塾長の中久保初美が言った。数人いるパート講師たちが出勤するのは、もう少し後の時間である。
「“やる気"があるみたいで助かるわ」
という初美の言葉。その“やる気"とは、講師業のことを指すのか、それとも退魔業のことを指すのか。どちらなのかはわからなかった。久美子が“幽霊調査"にかり出された退魔士であることを知るのは、依頼人の彼女だけ、のはずである。戦う姿を誰にも見られていなければ……
デスクに座り、黙々と仕事をしている事務員の裏山松子は、こちらを一瞥しただけで、挨拶もなかった。好かれていないことは久美子にもわかっている。そして、またも、ハンサム講師、元木の姿が見えない。今日も休みであろうか?
二階に上がった。まだ、生徒たちの姿はまばらな時間帯だが、それでも数人はいる。その中に東郷隼人と友村早苗の姿があった。ふたりは、廊下の脇に設置された長机の椅子を横に向け、対面して座っている。
「では、問題よ。火を燃やしたあとのびんの中に( )を入れてふると、白くにごりました。さて、( )の中に入る言葉は何でしょう?」
と、早苗。
「フッ、そんなの決まってるさ」
とは、隼人。そして、自信満々にこう言った。
「答えは“せっかいすい"だよ」
偉そうに腕組みをしている。少しは勉強しているのか?会心の解答に努力のあとが垣間見える。
「そうね……」
言って早苗は、紙と鉛筆を差し出した。
「わかっていても、実際のテストでは口で答えるわけじゃないわ」
つまり“書いてみろ"ということであろう。隼人は、言われたとおりにした。
「フフン、どうだい?」
そして、勝ち誇った。だが、次の瞬間、早苗の筆箱が落雷の如く頭に落ちた。ポカリ!
「ぎひゃっ……!」
「“山"が余計よ!白く濁るどころか、真ッ黒になるじゃないの!」
どうやら隼人は“石炭水"と書いたようである。
「勉強が足りない!今日から家で最低三時間は机に座んなさい!」
「そ、そんなぁ……テレビが見れなくなっちゃうよぉ」
「そんなもの、見なくてよろしいッッッ!」
そんな少年少女のやり取りを久美子は立ち止まり、見ていた。自分にもこんな子供時代があっただろうか?思い出そうと美しい目を細めた。
「やれやれ、子供ってのは呑気でいいですねぇ……」
背後で声がした。振り返ると、そこにいたのは、ハンサム講師、元木だった。
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