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終の恋、夜明けの追想*
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この夜を覆う霧雨は月を御簾で隠している。
朝も、昼も、陽の光はこの国には届かない。
人が暮らす地から遠く離れた神が統べる天に来た周は、空より伝う滴を以前よりさらに好ましく思うようになっていた。
今夜の調べは箏のように感じる。障子越しの音楽は日毎に奏でる楽器を替えるのだ。
横で眠る夫はまだ嫁いで間もない頃、夜になるたびに泣いていた周へと襖越しに十七絃を爪弾いてくれた。
あのとき夫がどのような顔をしていたのか、周には余裕がなく、考えられはしなかった。
「優しい方」
目を閉じていると端正さが際立つかんばせに触れてから、白小袖の衿合わせを撫ぜて心の臓へと耳を当てた。
愛しい方が生きている事への歓びで、夜半に独り目覚めてしまった物寂しさを慰める。
「周──?」
「起こしてしまいましたか」
意識を浮上させた夫に幾ばくの申し訳なさはあったが、名を呼ばれると眦が垂れてしまう。
うつらうつらとしている霖哉は周を抱き寄せてから、妻の機嫌に気づいたようで甘く鼓膜を震わせる。
「揺すってくれればよかったのに」
「お疲れだと思って……。霖哉様、わたくし、何かを恐れているのではございませんのよ」
「ああ、分かっている」
未だに霖哉からの恋情滴る眼差しに不慣れな周は、そっと視線を逸らしながらもぬくもりに包まれている。
「不在にしていたあなた様がお帰りになったら、話したいと思っていた事が沢山ありますの。たとえば、わたくし、花心の花嫁ですが──」
「誰がそのような無礼を言った」
途端に眉を顰めて腕の力を強めた霖哉に、周は慌てるあまりに自分も粗忽だと照れ笑いにも似た恥じらいを覚えて口をつぐんだ。
嫁ぐはずだった方とは違う殿方と夫婦になり、契りを交わした周は文字通り花心の持ち主である。
『義姉上』と慕ってくれる義理の妹は心移りを揶揄したのではなく単純にうっかりしていただけでここからが本番の話だが、真剣な双眸に体温が上がって言葉が上手く出てこない。
指を絡められてようやく緩く息を吐く。
「周」
「笑い話なので、続きを聞いてはくれませんか?」
「誰だ。周」
「夕立様です」
「……あの莫迦は。物知らずな妹が失礼をした」
「お叱りになってはいけませんよ、花嫁泥棒様」
「それを言ったのは風花姉上だな? 二人して貴女を困らせる……小姑に囲まれて窮屈だっただろう」
「大変よくしてくださいましたよ」
対照的だがどちらも優しい義姉と義妹に対して、霖哉こそが憎まれ口を叩く。女きょうだいに挟まれた男は立場が弱いとは本人の言。
嫁いだ家の皆々は、周が不調にならないかと気に掛けてくれる。
神々にも雨は憂鬱という共通の理解はあるようで、人の子の周に悪影響がないかつねに心を砕いてくれるのだ。
「忙しくしてしまってすまない」
「代替わりをした後は慌ただしいと聞いております。いずれ落ち着きますのでしょう? 妻たる者、泰然とお帰りを待っておりますわ」
昼に催す哀しみは義姉妹が昔語りで埋めてくれ、目の前の方への恋しさは募りに募って周を惑わせる。
「もっとわがままを言ってほしいと言ったら困らせるか?」
「……わたくしからねだらせるような、はしたない真似をさせないでください」
「起こすのはよくて、これは駄目か。女心とは難しい」
行灯の橙の明かりが部屋の隅を照らし、霖哉が周の背を浮かせた。
久方ぶりのくちづけだ。薄い唇の柔らかさと熱さが周に刻み込まれていく。頬を包まれると胸が高鳴り、口唇の間から忍び込んだ舌に思慕が昂る。
肩の下まで伸びた黒絹糸は横に流せるほど長くはない。少しずつ丁寧に伸ばされている髪を霖哉が愛しく思ってくれているのを知っている。
本来ならば夫婦になる事はなかった二人がこうして情交を結んでいる。
これも神の試練、神の愛と言えた。
「周、私はこの瞬間が好きだ。貴女に許されるのを幸福と感じる」
「伊達締めを解くときに、そのような事を仰らないでくださいな……」
「貴女の肌に触れられるのは奇跡なのだ」
かつては姿も声も知らぬ許嫁を愛していた。霖哉の双子の兄に焦がれていた。今にして思えば周の存在意義ゆえの執心だったのかもしれないが、彼の方と周に縁がなかったとは否定しない。
霖哉は叶わぬ恋に長きに亘って苦しみ、機運に恵まれてしまったがために周を立場上手に入れた。彼の物憂い筆舌に尽くし難い。
周ができる事と言えば、拒絶をせず、傍にいて、夫を瞳に宿すのみ。
「あなた様の日常にわたくしが溶け込むまで、お好きなだけ触れてくださいな」
「周殿……。貴女は時に大胆が過ぎる」
「大雨之神様の妻ですから」
形ばかりの妻だった女への呼び名がぶり返すくらいに驚いたのだろう、目を瞠った後、霖哉は鼈甲細工を扱うように丁重に襦袢を開く。
節榑だった指が柔らかな双丘に埋まる。
日光に当たらぬこの国の神々は肌の色が明るいが、その中でも周は白雪の肌をしている。
雨の国の頂点に立つ夫に周は染められ、火照らされていく。
「あぁんっ、あぁ──っ」
「新妻は可愛いかと行く先々で聞かれた。当たり前だろう」
「恋しく、想ってくださいました?」
言わずもがなな問いには首筋への接吻で返され、胸の先を指で上下から押された。周の緊張を和らげ快感を引き出す動きはあくまで穏やかで、やがてもどかしさが強くなっていく。
霖哉は周の反応に目を凝らし、わずかにでも嫌な気にさせまいと配慮する。優しくて濃やかな大胆からはかけ離れた方。
今夜はまだ控えめでいる夫に伝えたい。
「霖哉様……、痕をつけていただいても」
「何を吹き込まれたかは知らないが──」
「妻は貞淑であるべきだと考えておりました。ですがわたくしが物怖じしていては、霖哉様はいつまでも遠慮なさってしまうでしょう。目に見える証をつけてください。周は身も心も旦那様のものですよ」
露わになっている左胸を押さえ、皮膚が薄い位置を探って求めるように見上げると、霖哉は相好を崩して周と唇を重ねてから、強く烈しく紅を残した。
「周、今日は性急になってしまう。許してくれるか」
「霖哉様のそのお顔は、初めて見ますわね──悩まれている瞳」
「よき夫でありたいからな」
腰帯を解いて前を白小袖を寛げると、霖哉は周から着物を奪って一糸纏わぬ姿にさせてから軽々と抱き上げて太腿の上に座らせた。
胡座を掻く夫に半ば跨がる形になると、胸への愛撫だけで愛蜜が零れているのが見つかってしまう。
灰青の光とぶつかり、何を言えばいいか困ってしまった周は、彼の背まで伸ばされていた脚を折り畳んでその厚い胸板へと身を寄せた。
「少し、待って──誤解が生じぬよう、言える事でしたらお話しになってください」
「……周は大雨之神の妻の勤めを重んじている。子を成す事が天に上がった人の子の役目であると、貴女は巫女姫の立場から逃れたりはしなかった」
「まるで義務感から受け入れているように仰いますのね。酷い御方。そうまで深刻なお顔をされるほど何を言われてきたのです?」
「早く子をもうけろと。しかし私はしばらく貴女と二人がいい。周の愛情を独占していたいのだ」
切なる願いに胸が締めつけられ、縋るような目線に手を取り合った。
周も夫と同じく、今はこの愛を分散させるつもりはなかった。
訳あって狸とはつけないが、そうした古株の面々に『子はまだか』『できるだけ早く』といった内容を散々聞かされるだろうとは義姉から忠告で知っていた。
生真面目な霖哉を急かす事はしないでほしい。
神々の時間は長く、神の精を注がれ妻になった人であり人ならざる周も悠久の時を生きるようになる。
その最初の数年、数十年、数百年を、霖哉だけを想って暮らしていたいのだ。
「霖哉様とのややこは愛しくてたまらないでしょう。けれど、わたくしは妻になったばかりであなた様との時間が足りません。わたくしだって霖哉様とまだ二人きりでいたいのです」
「そう言ってもらえると、安心する」
「あなた様には欲深くなっていただきたいものですね。──どうすれば」
『貴女はよく頑張っている』と頭を撫でてくれた日から、周の心に確固たる恋が生まれた。
宿命に翻弄されながらも惹かれ合った二人は未熟者同士の夫婦だ。過去を糧にして、まずは言葉にしてから行動に移すのが決まり事。
「脱がしてくれ」
「あっ……はい……」
「周。指先が熱い」
「霖哉様──、夫婦はややこを作る目的がなくとも肌を重ねるのですか?」
「私はそうしたい。貴女は?」
「わたくしも……」
乾いた衣擦れの音がして逞しく見事な身体が現れる。
膝を撫でられて小さく頷くと、夫の囲いの中で隠していた上半身を薄らと汗ばんだ肌につけた。
一段と明るくなった部屋では周の濃い桃色の乳暈は際立つようで、霖哉の温度や匂いや視線に浮かされ敏感になっていた。
片手で腰を掴まれ、もう片手は顎へと添えられる。
くちづけをすると睫毛まで交わるのだと恍惚としていれば咥内を柔く刺激されて尻が跳ねた。
「笑わないでくださ──ぁ……んん……」
舌が蕩けてしまう。ここだけ独立した生き物のようだ。飲み込めない唾液に涙が滲むのにやめたくないと絡み合っている。
情けない仔犬の声が出ているが、冴え冴えとした美丈夫の情欲の拍動を直に受けると夢中で縋りついていた。
「久しぶりになってしまったから痛みがないようにしないとな」
その一言で疼きが始まってしまう。
蜜壷はしとどに濡れそぼり、すぐにでも繋がれてしまいそうだ。
初めての交合の夜にも破瓜の痛みはなく、霖哉から齎されるのは快感だけだ。彼のためにあつらわれた肉体のように自然と一つになれる。
前戯がなくても子を成せるべく神の妻になるときに変わったのか、相性がいいだけなのか、周が卑しいだけなのか、誰にも聞けずにいる。
「霖哉様……わたくし」
「いけないよ周。急かしてはならない」
「旦那様──あなた様になら……早く」
「可愛いね周。私の愛し子。時間を掛けたい私の気持ちも分かってくれないか」
「んう……っ! あ……あぁっ、あっ、ああぁ!」
「周、可愛いな周」
「旦那様──、霖哉様、あぁん! ああっ、同時に、しないでっ」
花芯は肉棒で舐られて、指は膣内を甘やかす。体勢から奥までは至らず、淫靡な音を立てて分け入った指は内側の浅いところでちゅこちゅこと水遊びをしている。
内壁は物足りなさにうごめき、荒い息を抑える夫の剛直にたまらず喘ぎ、収縮し、法悦に至っても尚ちゃぷちゃぷちゅくちゅくとまさぐられている。
赤くなった額に唇が寄せられた。膨らんだ乳頭は汗のぬるさに震えるのにお構いなしだ。
「周の中は温かい」
「あぁあん、あんっ、あぁあ、あ、ああっ……! 霖哉様、お願いします、夜が明けてしまいます」
「昼過ぎまで二人で寝ている事にしよう」
「霖哉さま! ください、あなたが欲しいのです、霖哉様、お約束はゆるがせにいたしませんから、なにとぞご慈悲を……!」
口走った周に霖哉は静かに目を閉じてから、ふっと口の端に笑みを浮かべて楔を握らせる。
突然の事に言葉を失いながら、周は初めて持った熱源に瞳を潤ませた。
閨教育はまっさらなままで神々の地を訪れた。たったひとりの殿方に明け渡す事は幸福であると聞いた話は真実だった。
「慈悲ではない。周、私達は夫婦だ。私は貴女を愛している」
「わたくしも愛しております、愛しています、旦那様」
「自然と、そう呼ぶようになっていた。照れるな」
「旦那様ですもの。わたくしの愛しい御方──。強引になっても、いいのです、霖哉様なら」
掌中のそそり立つ陰茎に周波を送って伏し目がちに睦言を告げると、こめかみにくちづけを受け、しっとりと上気した臀部を包まれた。
「困った子だ……」
「本当に困っていらっしゃるときは、わたくしを子ども扱いなさいますね。妻ですよ」
「ああ──、この上なく愛おしい伴侶だ」
「ぁ……んんっ……! あ、あぁっ──あああんっ!」
自重も加わりぬかるみが抵抗なく夫を迎え入れる。
あんなにも大きく聳えていた肉芯が胎の中に収まっている。
とても差し入れられている秘部を覗き込めないが、頭を撫でて待っていてくれる夫に、次第に女の欲が掻き立てられる。
「霖哉様……わたくしつねづね、あなた様には強引さが足りないと思っておりますの」
「臆病な私には闊達で朗らかで導いてくれる貴女が必要なのだな。周、動いていいか」
「遠慮、なさらないで……っ」
いつまでもお優しい方でいなくていいのに、神だというのに人の子の周を慮る。
これから変わっていきたいと唇をせがむが、突き上げる律動とともに全身を揺さぶられて霖哉に届かなくなってしまう。
「霖哉様! あぁん、あ、霖哉様、接吻を、あっ、ああん! あん、あぁん! 霖哉さま、わたくし、あん、ああぁん!! なぜ……!」
「貴女といると、意地が悪くなる」
「よいのです、わたくし、もっと、もっと、あなたを知りたい──!」
高貴な身分の方らしからぬ古傷のある手が周の細腰を支えている。
吐息を織り交ぜて汗を散らし、与えられる快楽に啼いてしまう。
どんなにつれなくてしても周を求めてくれた男の国で、雨の音は遠く、息遣いと淫欲が高らかに唱っていた。
「周……っ、あまね、周!!」
「あ、あっ、あぁっ……ああぁあ…………っ!!」
烏の濡れ羽色をした御髪が汗で額に貼りついている。
絶頂を迎えて刹那に白い靄へと飛ばされた周は、腕を広げてくれる霖哉に穏やかに身を預ける。
「辛くはないか?」
「えぇ──霖哉様こそお辛くないですか?」
「大事ない。心地よいくらいだ」
周の毛先の雫を弾いてはにかむ霖哉に胸が熱くなる。
別の方を想って伸ばし続けた髪は一度切られた。そして夫が結い上げられるまでに伸ばすと約束をしている。
多くの誓いを交わして周と霖哉は真の夫婦になった。子を宿す決意が悲壮な覚悟であったのは遠い昔の事のようだった。
「先ほどややこは当面先がいいと申しましたが、こうしていると惜しくなってしまいますね」
「私のために少しばかり我慢をしてほしい。頼まれてくれるか、周殿」
「ええ、ええ──! 霖哉様がわたくしに我慢を望むだなんて、本当に、今日はよき日ですわね」
本心を殺して尽くしてくれようとした夫が、自我を押し通そうとするのが涙ぐむほど嬉しかった。
周の泣き顔に格別の笑みを浮かべる霖哉の優しい面差しが、この方に嫁いで幸せだと思わせる。
◆◆◆
どの時代にも言われる通り、大雨之神に嫁ぐ巫女姫は幸せになる。
周の恋も、少女の時代を終えたから今がある。
遠い昔の笑い種。
それは、大雨之神とその伴侶の始まりが、悲恋であったという話。
朝も、昼も、陽の光はこの国には届かない。
人が暮らす地から遠く離れた神が統べる天に来た周は、空より伝う滴を以前よりさらに好ましく思うようになっていた。
今夜の調べは箏のように感じる。障子越しの音楽は日毎に奏でる楽器を替えるのだ。
横で眠る夫はまだ嫁いで間もない頃、夜になるたびに泣いていた周へと襖越しに十七絃を爪弾いてくれた。
あのとき夫がどのような顔をしていたのか、周には余裕がなく、考えられはしなかった。
「優しい方」
目を閉じていると端正さが際立つかんばせに触れてから、白小袖の衿合わせを撫ぜて心の臓へと耳を当てた。
愛しい方が生きている事への歓びで、夜半に独り目覚めてしまった物寂しさを慰める。
「周──?」
「起こしてしまいましたか」
意識を浮上させた夫に幾ばくの申し訳なさはあったが、名を呼ばれると眦が垂れてしまう。
うつらうつらとしている霖哉は周を抱き寄せてから、妻の機嫌に気づいたようで甘く鼓膜を震わせる。
「揺すってくれればよかったのに」
「お疲れだと思って……。霖哉様、わたくし、何かを恐れているのではございませんのよ」
「ああ、分かっている」
未だに霖哉からの恋情滴る眼差しに不慣れな周は、そっと視線を逸らしながらもぬくもりに包まれている。
「不在にしていたあなた様がお帰りになったら、話したいと思っていた事が沢山ありますの。たとえば、わたくし、花心の花嫁ですが──」
「誰がそのような無礼を言った」
途端に眉を顰めて腕の力を強めた霖哉に、周は慌てるあまりに自分も粗忽だと照れ笑いにも似た恥じらいを覚えて口をつぐんだ。
嫁ぐはずだった方とは違う殿方と夫婦になり、契りを交わした周は文字通り花心の持ち主である。
『義姉上』と慕ってくれる義理の妹は心移りを揶揄したのではなく単純にうっかりしていただけでここからが本番の話だが、真剣な双眸に体温が上がって言葉が上手く出てこない。
指を絡められてようやく緩く息を吐く。
「周」
「笑い話なので、続きを聞いてはくれませんか?」
「誰だ。周」
「夕立様です」
「……あの莫迦は。物知らずな妹が失礼をした」
「お叱りになってはいけませんよ、花嫁泥棒様」
「それを言ったのは風花姉上だな? 二人して貴女を困らせる……小姑に囲まれて窮屈だっただろう」
「大変よくしてくださいましたよ」
対照的だがどちらも優しい義姉と義妹に対して、霖哉こそが憎まれ口を叩く。女きょうだいに挟まれた男は立場が弱いとは本人の言。
嫁いだ家の皆々は、周が不調にならないかと気に掛けてくれる。
神々にも雨は憂鬱という共通の理解はあるようで、人の子の周に悪影響がないかつねに心を砕いてくれるのだ。
「忙しくしてしまってすまない」
「代替わりをした後は慌ただしいと聞いております。いずれ落ち着きますのでしょう? 妻たる者、泰然とお帰りを待っておりますわ」
昼に催す哀しみは義姉妹が昔語りで埋めてくれ、目の前の方への恋しさは募りに募って周を惑わせる。
「もっとわがままを言ってほしいと言ったら困らせるか?」
「……わたくしからねだらせるような、はしたない真似をさせないでください」
「起こすのはよくて、これは駄目か。女心とは難しい」
行灯の橙の明かりが部屋の隅を照らし、霖哉が周の背を浮かせた。
久方ぶりのくちづけだ。薄い唇の柔らかさと熱さが周に刻み込まれていく。頬を包まれると胸が高鳴り、口唇の間から忍び込んだ舌に思慕が昂る。
肩の下まで伸びた黒絹糸は横に流せるほど長くはない。少しずつ丁寧に伸ばされている髪を霖哉が愛しく思ってくれているのを知っている。
本来ならば夫婦になる事はなかった二人がこうして情交を結んでいる。
これも神の試練、神の愛と言えた。
「周、私はこの瞬間が好きだ。貴女に許されるのを幸福と感じる」
「伊達締めを解くときに、そのような事を仰らないでくださいな……」
「貴女の肌に触れられるのは奇跡なのだ」
かつては姿も声も知らぬ許嫁を愛していた。霖哉の双子の兄に焦がれていた。今にして思えば周の存在意義ゆえの執心だったのかもしれないが、彼の方と周に縁がなかったとは否定しない。
霖哉は叶わぬ恋に長きに亘って苦しみ、機運に恵まれてしまったがために周を立場上手に入れた。彼の物憂い筆舌に尽くし難い。
周ができる事と言えば、拒絶をせず、傍にいて、夫を瞳に宿すのみ。
「あなた様の日常にわたくしが溶け込むまで、お好きなだけ触れてくださいな」
「周殿……。貴女は時に大胆が過ぎる」
「大雨之神様の妻ですから」
形ばかりの妻だった女への呼び名がぶり返すくらいに驚いたのだろう、目を瞠った後、霖哉は鼈甲細工を扱うように丁重に襦袢を開く。
節榑だった指が柔らかな双丘に埋まる。
日光に当たらぬこの国の神々は肌の色が明るいが、その中でも周は白雪の肌をしている。
雨の国の頂点に立つ夫に周は染められ、火照らされていく。
「あぁんっ、あぁ──っ」
「新妻は可愛いかと行く先々で聞かれた。当たり前だろう」
「恋しく、想ってくださいました?」
言わずもがなな問いには首筋への接吻で返され、胸の先を指で上下から押された。周の緊張を和らげ快感を引き出す動きはあくまで穏やかで、やがてもどかしさが強くなっていく。
霖哉は周の反応に目を凝らし、わずかにでも嫌な気にさせまいと配慮する。優しくて濃やかな大胆からはかけ離れた方。
今夜はまだ控えめでいる夫に伝えたい。
「霖哉様……、痕をつけていただいても」
「何を吹き込まれたかは知らないが──」
「妻は貞淑であるべきだと考えておりました。ですがわたくしが物怖じしていては、霖哉様はいつまでも遠慮なさってしまうでしょう。目に見える証をつけてください。周は身も心も旦那様のものですよ」
露わになっている左胸を押さえ、皮膚が薄い位置を探って求めるように見上げると、霖哉は相好を崩して周と唇を重ねてから、強く烈しく紅を残した。
「周、今日は性急になってしまう。許してくれるか」
「霖哉様のそのお顔は、初めて見ますわね──悩まれている瞳」
「よき夫でありたいからな」
腰帯を解いて前を白小袖を寛げると、霖哉は周から着物を奪って一糸纏わぬ姿にさせてから軽々と抱き上げて太腿の上に座らせた。
胡座を掻く夫に半ば跨がる形になると、胸への愛撫だけで愛蜜が零れているのが見つかってしまう。
灰青の光とぶつかり、何を言えばいいか困ってしまった周は、彼の背まで伸ばされていた脚を折り畳んでその厚い胸板へと身を寄せた。
「少し、待って──誤解が生じぬよう、言える事でしたらお話しになってください」
「……周は大雨之神の妻の勤めを重んじている。子を成す事が天に上がった人の子の役目であると、貴女は巫女姫の立場から逃れたりはしなかった」
「まるで義務感から受け入れているように仰いますのね。酷い御方。そうまで深刻なお顔をされるほど何を言われてきたのです?」
「早く子をもうけろと。しかし私はしばらく貴女と二人がいい。周の愛情を独占していたいのだ」
切なる願いに胸が締めつけられ、縋るような目線に手を取り合った。
周も夫と同じく、今はこの愛を分散させるつもりはなかった。
訳あって狸とはつけないが、そうした古株の面々に『子はまだか』『できるだけ早く』といった内容を散々聞かされるだろうとは義姉から忠告で知っていた。
生真面目な霖哉を急かす事はしないでほしい。
神々の時間は長く、神の精を注がれ妻になった人であり人ならざる周も悠久の時を生きるようになる。
その最初の数年、数十年、数百年を、霖哉だけを想って暮らしていたいのだ。
「霖哉様とのややこは愛しくてたまらないでしょう。けれど、わたくしは妻になったばかりであなた様との時間が足りません。わたくしだって霖哉様とまだ二人きりでいたいのです」
「そう言ってもらえると、安心する」
「あなた様には欲深くなっていただきたいものですね。──どうすれば」
『貴女はよく頑張っている』と頭を撫でてくれた日から、周の心に確固たる恋が生まれた。
宿命に翻弄されながらも惹かれ合った二人は未熟者同士の夫婦だ。過去を糧にして、まずは言葉にしてから行動に移すのが決まり事。
「脱がしてくれ」
「あっ……はい……」
「周。指先が熱い」
「霖哉様──、夫婦はややこを作る目的がなくとも肌を重ねるのですか?」
「私はそうしたい。貴女は?」
「わたくしも……」
乾いた衣擦れの音がして逞しく見事な身体が現れる。
膝を撫でられて小さく頷くと、夫の囲いの中で隠していた上半身を薄らと汗ばんだ肌につけた。
一段と明るくなった部屋では周の濃い桃色の乳暈は際立つようで、霖哉の温度や匂いや視線に浮かされ敏感になっていた。
片手で腰を掴まれ、もう片手は顎へと添えられる。
くちづけをすると睫毛まで交わるのだと恍惚としていれば咥内を柔く刺激されて尻が跳ねた。
「笑わないでくださ──ぁ……んん……」
舌が蕩けてしまう。ここだけ独立した生き物のようだ。飲み込めない唾液に涙が滲むのにやめたくないと絡み合っている。
情けない仔犬の声が出ているが、冴え冴えとした美丈夫の情欲の拍動を直に受けると夢中で縋りついていた。
「久しぶりになってしまったから痛みがないようにしないとな」
その一言で疼きが始まってしまう。
蜜壷はしとどに濡れそぼり、すぐにでも繋がれてしまいそうだ。
初めての交合の夜にも破瓜の痛みはなく、霖哉から齎されるのは快感だけだ。彼のためにあつらわれた肉体のように自然と一つになれる。
前戯がなくても子を成せるべく神の妻になるときに変わったのか、相性がいいだけなのか、周が卑しいだけなのか、誰にも聞けずにいる。
「霖哉様……わたくし」
「いけないよ周。急かしてはならない」
「旦那様──あなた様になら……早く」
「可愛いね周。私の愛し子。時間を掛けたい私の気持ちも分かってくれないか」
「んう……っ! あ……あぁっ、あっ、ああぁ!」
「周、可愛いな周」
「旦那様──、霖哉様、あぁん! ああっ、同時に、しないでっ」
花芯は肉棒で舐られて、指は膣内を甘やかす。体勢から奥までは至らず、淫靡な音を立てて分け入った指は内側の浅いところでちゅこちゅこと水遊びをしている。
内壁は物足りなさにうごめき、荒い息を抑える夫の剛直にたまらず喘ぎ、収縮し、法悦に至っても尚ちゃぷちゃぷちゅくちゅくとまさぐられている。
赤くなった額に唇が寄せられた。膨らんだ乳頭は汗のぬるさに震えるのにお構いなしだ。
「周の中は温かい」
「あぁあん、あんっ、あぁあ、あ、ああっ……! 霖哉様、お願いします、夜が明けてしまいます」
「昼過ぎまで二人で寝ている事にしよう」
「霖哉さま! ください、あなたが欲しいのです、霖哉様、お約束はゆるがせにいたしませんから、なにとぞご慈悲を……!」
口走った周に霖哉は静かに目を閉じてから、ふっと口の端に笑みを浮かべて楔を握らせる。
突然の事に言葉を失いながら、周は初めて持った熱源に瞳を潤ませた。
閨教育はまっさらなままで神々の地を訪れた。たったひとりの殿方に明け渡す事は幸福であると聞いた話は真実だった。
「慈悲ではない。周、私達は夫婦だ。私は貴女を愛している」
「わたくしも愛しております、愛しています、旦那様」
「自然と、そう呼ぶようになっていた。照れるな」
「旦那様ですもの。わたくしの愛しい御方──。強引になっても、いいのです、霖哉様なら」
掌中のそそり立つ陰茎に周波を送って伏し目がちに睦言を告げると、こめかみにくちづけを受け、しっとりと上気した臀部を包まれた。
「困った子だ……」
「本当に困っていらっしゃるときは、わたくしを子ども扱いなさいますね。妻ですよ」
「ああ──、この上なく愛おしい伴侶だ」
「ぁ……んんっ……! あ、あぁっ──あああんっ!」
自重も加わりぬかるみが抵抗なく夫を迎え入れる。
あんなにも大きく聳えていた肉芯が胎の中に収まっている。
とても差し入れられている秘部を覗き込めないが、頭を撫でて待っていてくれる夫に、次第に女の欲が掻き立てられる。
「霖哉様……わたくしつねづね、あなた様には強引さが足りないと思っておりますの」
「臆病な私には闊達で朗らかで導いてくれる貴女が必要なのだな。周、動いていいか」
「遠慮、なさらないで……っ」
いつまでもお優しい方でいなくていいのに、神だというのに人の子の周を慮る。
これから変わっていきたいと唇をせがむが、突き上げる律動とともに全身を揺さぶられて霖哉に届かなくなってしまう。
「霖哉様! あぁん、あ、霖哉様、接吻を、あっ、ああん! あん、あぁん! 霖哉さま、わたくし、あん、ああぁん!! なぜ……!」
「貴女といると、意地が悪くなる」
「よいのです、わたくし、もっと、もっと、あなたを知りたい──!」
高貴な身分の方らしからぬ古傷のある手が周の細腰を支えている。
吐息を織り交ぜて汗を散らし、与えられる快楽に啼いてしまう。
どんなにつれなくてしても周を求めてくれた男の国で、雨の音は遠く、息遣いと淫欲が高らかに唱っていた。
「周……っ、あまね、周!!」
「あ、あっ、あぁっ……ああぁあ…………っ!!」
烏の濡れ羽色をした御髪が汗で額に貼りついている。
絶頂を迎えて刹那に白い靄へと飛ばされた周は、腕を広げてくれる霖哉に穏やかに身を預ける。
「辛くはないか?」
「えぇ──霖哉様こそお辛くないですか?」
「大事ない。心地よいくらいだ」
周の毛先の雫を弾いてはにかむ霖哉に胸が熱くなる。
別の方を想って伸ばし続けた髪は一度切られた。そして夫が結い上げられるまでに伸ばすと約束をしている。
多くの誓いを交わして周と霖哉は真の夫婦になった。子を宿す決意が悲壮な覚悟であったのは遠い昔の事のようだった。
「先ほどややこは当面先がいいと申しましたが、こうしていると惜しくなってしまいますね」
「私のために少しばかり我慢をしてほしい。頼まれてくれるか、周殿」
「ええ、ええ──! 霖哉様がわたくしに我慢を望むだなんて、本当に、今日はよき日ですわね」
本心を殺して尽くしてくれようとした夫が、自我を押し通そうとするのが涙ぐむほど嬉しかった。
周の泣き顔に格別の笑みを浮かべる霖哉の優しい面差しが、この方に嫁いで幸せだと思わせる。
◆◆◆
どの時代にも言われる通り、大雨之神に嫁ぐ巫女姫は幸せになる。
周の恋も、少女の時代を終えたから今がある。
遠い昔の笑い種。
それは、大雨之神とその伴侶の始まりが、悲恋であったという話。
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※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
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