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第30話 失意と希望

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 ボクはコベナンント博士のモルモットだった。

 キース、エマ、ソーンの身体能力を植え付けられたあの時からずっと。ボクが自身の研究を始めたのも博士に植え付けられた技能が原動力となって、あたかもボクがそれに興味を持ち、自ら研究していたかのように錯覚していたのだ。
 もちろん、ボクの自力によるところも少なからずあった。別に洗脳されてた訳でも無いので、ボク自身の探求心が博士が植え付けた基礎知識や技能を糧に発展させたのだ。

 博士の実の娘であるマリエッタの話は、ボクには衝撃しかない話だった。科学に狂った国の狂人たちの行動の産物にボクとクラリッサは巻き込まれていたのだった。

 博士はバチスカン公国の王族で、圧倒的な科学力で世界の覇権を狙う国策を導引する立場にあった。博士はボクのような素体を世界中に持っていた。その中でボクはひと際、優秀な素体のひとつだったのだろう。

 博士と初めて会った時、彼が異様な歓喜に満ちた表情をしたのを覚えている。あれは、自分の研究材料に出会えたことに感動を覚えていたのだ。彼は実験に成功するたびにああいう顔をよくしていた。

「キースくん、凄いぞ。この成果は! 君は優秀だ。よくぞここまで、いやー大したものだ」

「いえ、ボクはまだまだです。博士の指導の賜物です」

 ボクは博士のほめ言葉を真に受けていた。今更、悔やんでもしょうがないが、ボクはとてつもないお人好しで、愚かだった。

 爆撃を受けたキース、エマ、ソーンは細切れになったというのも嘘だった。彼らはその優れた身体能力のおかげで、超人的な勘が働き、緊急避難壕に飛び込み、一命をとりとめていた。だが、治癒しても数週間での戦力復帰は不可能な程度には負傷していたのだ。
 博士はせっかく養った素体の情報を生かすために、彼らと年齢の近いボクに目を付けたということだ。ボク以外にも数名の少年、少女兵が同様の施術を受けた記録はあったそうだが、全ては話してはもらえなかった。

 そして、キース、エマ、ソーンの3人がその後、どうなったのかは記録が無く、分からないとのことだった。
 戦闘兵士の素体としてのボクの情報は、都度データがとられていたので、終戦後、ボクは拘束もされることもなく、莫大な額の報奨金をもらって退役した。実家は全壊したので、家族の墓を作り、父さんの弟のゲオルグ叔父さんの家族の支援を受けながら、この20年を生きて来た。

 コベナント博士はといえば、人体能力の向上研究を更に昇華させ、天才的な超人の開発に着手していたんだ。
 バチスカン公国が独裁国家であることは世界に大きく知られた周知の事実である。そこには国際法も適用されていない、彼らは大災害後に設立された国際連盟には所属していないからだ。
 かの国には、科学的なタブーもなく、非人道的な実験すら行われているという話は、巷では良く知られていることだった。

 そして、彼らは行ってしまった。世の天才たちのクローン化と、能力移植を使って、科学技術の底上げを促進させたのだ。公国の研究機関には、世界の才人たちのクローンが居て、莫大な資金力を元に先進的な技術を作り出し、科学主権国家を形成していた。
 火星までの移動が可能になったのも公国の技術革新が底上げした結果なのだ。

 現在の公国の科学省の最高責任者は、クラリッサ・ワイルダーのクローンなのだという。ワイルダーの一族は、突発的な天性の発想力で、様々な業種の企業経営、技術革新をことあるごとに起こしていた。それもまるで思い付きのように突発的にだ。
 クラリッサも幼少時からIQ200を超す優れた知性を示し、その身体能力も同年代の子供たちとは群を抜いていた。裏事情に精通する公国の科学省は、医療機関の情報網などを通じて、クラリッサにも目をつけ、遺伝子情報を盗んでいたのだ。

 能力移植を併用したクローン科学者の育成は、17年前に始まった。対象の遺伝子はクラリッサを含め50人は居たらしい。クラリッサのようにまだ成人に達していない子供の遺伝子を育成させたのも、新しい試みだった。

 当のクラリッサは、科学者として才能を発揮したのは5年前までで、彼女の生活環境や自由奔放な性格が科学への探求心を阻害してしまったのだ。今でも彼女は、IQ300を維持しているが、もはや科学者になるつもりは全く無いようだ。

 公国に居るクラリッサのクローンであるトロイメライは、博士の次女の立場を与えられていた。これは家族であるマリエッタも知らされていなかった。トロイメライは、博士の妻の子宮から生まれる施術を施したので、マリエッタもトロイメライを実の妹として疑うことは無かった。
 ただ、両親にも自分にも似ていないという疑念は、彼女の成長と共に感じてはいた。

 やがて、マリエッタは、5年前に父である博士と共にトロイヤの組織に入り、2年前にクラリッサと対面したとき、彼女が妹に似ていたことには大きく戸惑はなかったという。 年齢は3歳も違う上に、育った環境が異なるためか、アスリート体型のクラリッサでは、妹に似てるかな程度の感じ、所謂、他人の空似程度にしか思わなかったからだった。

 トロイヤにおけるクラリッサの任務は、地下研究室閉じ込められたトロイメライをフェイクのクーデターの最中に公国から救出することだった。

 しかし、博士はせっかく育て上げたトロイメライの殺害を企てた。博士はトロイメライに細心のケアで従順になるよう育て上げたつもりだったが、ワイルダー家の血筋が災いしたのか、トロイメライは、徐々に自分の生い立ちを知りはじめ、徐々に博士に逆らう行動を取るようになっていった。
 そして、公国の科学省の最高責任者となる実権を握った途端、父親に反旗を翻し、公国が十数年間に渡って、世界各国に仕掛けて来た他国への政治支配や経済支配、科学、文化、芸術、スポーツなど様々な分野で支配権を握るための仕掛けをひとつ解き放ち始めたのだ。

 公国が秘密裏に建造した研究施設の破壊、企業の倒産、エージェントの暗殺、株価の暴落と、何の前触れもなく突発的でありながら、事故を装い、公国の体制に徐々に打撃を与え続けたのだ。

 博士はまさかその首謀者がトロイメライであるとは、あの瞬間まで疑っていなかった。彼女が父親に宣戦布告を宣言したその日までは。

「お父様、アナタは恐ろしい人です。わたしという化け物を生み出した。わたしは、純粋で愚かでした。世界を不幸を齎したこの償いをわたしはしなければなりません。
 その前に、お父様にいただいたこの権力と施設を使って、その償いを実行いたします。わたしを止めたければ、ここへ来てわたしを殺す以外、方法はありませんよ」

 地下研究所は核シェルターとかいうレベルで無く、地下都市に匹敵する規模で、ほぼ全自動化されている。修復機能もあり、酸素や食料も作り出せ、廃物のリサイクル、廃エネルギーの再利用、衛星のコントロール、無人軍事施設のコントロールなど、ありとあらゆることがオペレートできてしまう。

 博士の最大の失敗は、地下研究室への扉の認証を博士とトロイメライの生体認証しか受け付けなくしたことだった。博士が直接、地下研究施設に行くなど出来ない。行くまでの通路は長く複雑で、ひとたび防衛装置が働けば、護衛が何十人付こうが袋の鼠である。
 博士はもしものことを考え、同一人物のクローンは2人造っていたらしいが、それは、病気や死亡時における入れ替え用で戦闘に特化したものではなかった。

 オリジナルであるクラリッサ本人がトロイヤのエージェントになったのは、本当に偶然だった訳だが、博士は自分はついていると思ったに違いない。本心を決して表に出さないあの性格が幸いし、トロイヤの組織そのものを騙したのだから。

 その彼もついにツキが落ちたようで、今は、光も音も無い地下の独房で幽閉される身となった。食事はチューブからの注射。排せつは膀胱や腸につないだチューブから吸い出され、尋問されることもなく、博士自身の発明により、意識のあるままに記憶を読み取られるという有様だ。なんとも哀れな末路だ。



 ドンたちの話は彼是、3時間もあった。いろいろ衝撃的過ぎて既に頭はパンク状態だった。話が終わってしばらく、ボクは茫然となった。
 周囲もボクに気を使ってくれて、声をかけず、クラリッサが用意した客間へ向かったようだ。

 ボクは部屋のあった展望台への案内板が目にとまり、展望台へ出た。そこには広大な街と緑の山々と海の風景があった。もちろん、ここはビルの中だ。風景はすべてフェイクなのだが、涼し気な風も吹き上げ、本物と錯覚するほどの風景だった。
 ここへ来たときは昼の状態だったのにいつのまにか夜になっていたようで、今は、徐々に日が山の向こう側から昇り始めようとしていた。

 展望台から見える風景はすべて作り物なのに、ここで作り出されてる嘘は、なぜか心地よく、心を穏やかにさせてくれた。
 ほんの一瞬、ボクは展望台から飛び降りてしまうという考えが頭をよぎったのに、この風景がそれを抑えてくれたのだ。それどころか、正体の分からない明るい希望のようなものを感じ始めている。

「あら、ここにいらしたのですか? キースさん」

 振り返ると、クラリッサがそこに居た。
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