27 / 41
【27】糸杉の庭の思い出
しおりを挟む糸杉の庭は属国の人質の王子と将来有望な小姓達を育てる場だ。
人質の王子もまた小姓として、帝国の王子や高官たちの身の回りの世話の仕事を与えられていた。
小姓は見目麗しいものが好まれる。ハレムの女達はすべて帝王のものであり、宮廷の男達は美しい少年達をその代わりとしていた。そんな繋がりもまた、将来の帝国へ忠誠と自国の為になると推奨されていたほどだ。
人質として帝国にやってきて一年半ほどの時が過ぎていた。そのあいだラドゥにはなんの役目も与えられていなかった。午前の授業が終われば、午後は図書室から借りてきた本を読む日々だ。
本は貴重品だ。文字は師父から教わっていたが、ひとつ神の教えの書以外、ラドゥはここに来るまで他の本を読んだことはなかった。
宮殿の図書室には東と西、双方の大陸の知が詰まっていた。ラドゥはそれをむさぼり読んだ。
国のため……とラドゥには考えられない。父王には荒野に捨てられ、自分を育てたのは師父だ。世間の冷たい目にも、とてもあの国の民を守るだなんて気も起きなかった。
国を出るときに初めてあった父王も醜悪な男でしかなかった。
それでもここで“学ぼう”と思うのは師父の言葉があるからだ。
お前は将来この国の王となると、ラドゥが幼い頃から彼は言った。
「俺を捨てた国の王に俺がどうしてならなければならない?」
「国はお前を捨ててないさ。俺が拾ってこの国で育てたんだからな」
「…………」
ひとつ神の教えでは、家を継ぐのは一番最初に生まれた男子だ。この順番は王であろうと覆せない。だから、死なないラドゥを荒野に捨てながら、あの父王は彼を廃嫡出来なかったのだ。
「王の子に生まれた者は王となる。逃げ出したって構わないが、ラドゥよ。お前を捨てた親父への“嫌がらせ”に一度ぐらい、その頭に王冠を乗せてみないか?」
「そして、出来るなら“良い王様”になって欲しいというのは、俺の勝手な言い分だな」師父はそう言って笑った。
師父の命と引き替えに人質としてこの帝国にやってきた。そのときにラドゥはもう一つ決意していた。
国に必ず帰り、自分が王になると。
“良き王”になるためにはこの帝国から学ぶだけ学ぶと。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
今日も糸杉の庭の一角で本を読んでいると、大きな影が差す。暗くて本が読めないと顔を上げれば、宦官長のベルガンが自分を見おろしていた。
シニチェリあがりのこの宦官はラドゥ達、人質の王子や小姓達の剣の師範であったが、その役目を数日前におりていた。戦場で傷をおった足がひどく痛むようになったという。
やたらに豪奢なカフタンの上からでもわかる、美食ででっぷり太った身体から、さもありなんとは思うが、ラドゥは別の理由があるのではないか? と思っていた。
剣の稽古でこの男は口先ばかりで剣を振るった姿など一度も見たことがないからだ。もっとも、それでシニチェリからまともな師範がやってきたので、ラドゥはこれでやっと身になる稽古が出来ると思っている。
「お前の仕事が決まったぞ」
ベルガンは相変わらず偉そうな態度でラドゥに言った。
それは“老婆”に食事を運ぶことだった。
老婆? とラドゥは思った。ここは糸杉の庭。暮らすのは属国からの人質の男子と将来有望な小姓のみ。そこに女性? と。
しかし、訊ねることなど許されず「早く行け!」と言われた。小姓としての仕事もまた、人質として成すべきことだ。ラドゥは逆らうことなくその場を離れた。
そのラドゥの姿をニタリと嫌な笑みを浮かべながらベルガンは見送った。そんなベルガンの後ろに従っていた宦官が口を開く。
「わざわざ、あの子供に“秘密の方”の食事を運ばせるなど……」
この糸杉の庭に暮らす“老婆”はいつのまにか“秘密の方”と呼ばれるようになっていた。その存在や名を口にすることも忌避されるという意味で。
「“殿下”がお知りなればお怒りになるかも知れませんよ」
「ご不快に思われたところでそれがどうした? このハレムの差配はワシに任されている。王子といえど口は出せんさ」
「それで“秘密の方”の給仕はあの醜い人質の王子で十分と?」
「そもそも殿下が、あんなものに目をかけたんだ。逆に文句は言われまい?」
「醜いモノは醜いモノ同士仲良くすればいい」とベルガンが続けるのに「本当にお人が悪い」と宦官も楽しそうに同じく下卑た笑みを浮かべる。
「小姓達の剣術の師範の役目を取り上げられたこと、そんなにお気に召さなかったので?」
「小僧共の棒振りなど見ていてもつまらん。だいたい、属国の人質の王子共などが下手に強くなってもらっては敵わんのだ。腰抜けのお飾り剣ぐらいでちょうどいいのに、あの王子が余計な口を挟んで、シニチェリから師範を送るなど」
「まだお若くとも武人として、あの殿下は名をあげていますからな」
「それも戦場においてのことだ。勝てば良し、負けて死んでくれたらなおよしと考えている方々が、この宮殿にはいかに多いことか」
「宦官長……」とそれはさすがに言い過ぎだとたしなめる宦官に、ベルガンは「なにを怖れることがある。それを一番願っているのは旧宮殿に住まうお方よ」と暗に母后がそれを望んでいると、口許をゆがませた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
大浴場と同じく、内廷と外廷の境に位置する大膳部に近づくことも、ラドゥは許されていない。
宦官長曰く「お前のような者のせいで、陛下や高官様方に出すお食事が穢れてはたまらん」というのだ。
“老婆”に給仕する食事は大膳部より、それを運んできた別の小姓から渡された。彼はラドゥの顔を見るなり明らかに不快そうに顔をしかめた。
「やっとあの“お化け”に食事を運ばなくて済むと思ったら、お前に渡すのかよ! ま、包帯でその醜い顔が隠れている分、マシだけどな」
食事の入った駕籠を押しつけられて、ラドゥは小姓より教えられた糸杉の庭の一角に向かう。
そこはハレムの壁寄りの区画で、近寄ることを宦官達により禁じられていた場所だった。
「お化けが出るぞ」との脅し文句に、他のまだまだ精神が幼い人質達は震えていたが、ラドゥは怖くもなんともなかった。
ただ、人質の身としてあえて禁じられている場所に近づかなかっただけだ。
糸杉の林を抜ければ、そこは噴水がある小さな中庭を2階建ての建物が囲む、独立した邸宅のような場所だった。噴水の周りの花壇はよく手入れされて、チューリップの花が揺れている。
とてもお化けがいるような場所には見えない。
そのとき回廊から中庭にふらりと出てきた、細い姿があった。
結い上げもせず下ろした髪はまっ白で、老婆のようだった。頭からかぶった薄いベール越しの顔は、人が見たら顔を背けるものだろう。
だが、ラドゥは真っ直ぐにその女性を見つめた。彼女は夢をさまようような足取りで噴水の周りをふらふらと周り、そして歌を歌っていた。
その声もまたしわがれてガサガサとした耳障りなものだ。
だけど、その“子守歌”がなぜか優しく聞こえた。
彼女はラドゥに気付いたのか、ふいにこちらを見た。そして、ベール越しの顔をゆがませる。他の者には恐ろしいと感じるだろうその表情に、ラドゥは微笑んでいるのだとわかった。
「ぼうや……」
かさかさとした声でつぶやき、彼女は枯れ枝のような手を伸ばして、ラドゥの包帯でおおわれた頬を優しく撫でた。誰かと間違っているのはわかったが、ラドゥはなすがままだった。
「なにをしている!?」
鋭く厳格な声に、ラドゥは振り返り逆光越しのその長身に目を細めたのだった。
75
あなたにおすすめの小説
不遇の第七王子は愛され不慣れで困惑気味です
新川はじめ
BL
国王とシスターの間に生まれたフィル・ディーンテ。五歳で母を亡くし第七王子として王宮へ迎え入れられたのだが、そこは針の筵だった。唯一優しくしてくれたのは王太子である兄セガールとその友人オーティスで、二人の存在が幼いフィルにとって心の支えだった。
フィルが十八歳になった頃、王宮内で生霊事件が発生。セガールの寝所に夜な夜な現れる生霊を退治するため、彼と容姿のよく似たフィルが囮になることに。指揮を取るのは大魔法師になったオーティスで「生霊が現れたら直ちに捉えます」と言ってたはずなのに何やら様子がおかしい。
生霊はベッドに潜り込んでお触りを始めるし。想い人のオーティスはなぜか黙ってガン見してるし。どうしちゃったの、話が違うじゃん!頼むからしっかりしてくれよぉー!
神様の手違いで死んだ俺、チート能力を授かり異世界転生してスローライフを送りたかったのに想像の斜め上をいく展開になりました。
篠崎笙
BL
保育園の調理師だった凛太郎は、ある日事故死する。しかしそれは神界のアクシデントだった。神様がお詫びに好きな加護を与えた上で異世界に転生させてくれるというので、定年後にやってみたいと憧れていたスローライフを送ることを願ったが……。
ドジで惨殺されそうな悪役の僕、平穏と領地を守ろうとしたら暴虐だったはずの領主様に迫られている気がする……僕がいらないなら詰め寄らないでくれ!
迷路を跳ぶ狐
BL
いつもドジで、今日もお仕えする領主様に怒鳴られていた僕。自分が、ゲームの世界に悪役として転生していることに気づいた。このままだと、この領地は惨事が起こる。けれど、選択肢を間違えば、領地は助かっても王国が潰れる。そんな未来が怖くて動き出した僕だけど、すでに領地も王城も策略だらけ。その上、冷酷だったはずの領主様は、やけに僕との距離が近くて……僕は平穏が欲しいだけなのに! 僕のこと、いらないんじゃなかったの!? 惨劇が怖いので先に城を守りましょう!
あなたがいい~妖精王子は意地悪な婚約者を捨てて強くなり、幼馴染の護衛騎士を選びます~
竜鳴躍
BL
―政略結婚の相手から虐げられ続けた主人公は、ずっと見守ってくれていた騎士と…―
アミュレット=バイス=クローバーは大国の間に挟まれた小国の第二王子。
オオバコ王国とスズナ王国との勢力の調整弁になっているため、オオバコ王国の王太子への嫁入りが幼い頃に決められ、護衛のシュナイダーとともにオオバコ王国の王城で暮らしていた。
クローバー王国の王族は、男子でも出産する能力があるためだ。
しかし、婚約相手は小国と侮り、幼く丸々としていたアミュレットの容姿を蔑み、アミュレットは虐げられ。
ついには、シュナイダーと逃亡する。
実は、アミュレットには不思議な力があり、シュナイダーの正体は…。
<年齢設定>※当初、一部間違っていたので修正済み(2023.8.14)
アミュレット 8歳→16歳→18歳予定
シュナイダー/ハピネス/ルシェル 18歳→26歳→28歳予定
アクセル 10歳→18歳→20歳予定
ブレーキ 6歳→14歳→16歳予定
冷徹茨の騎士団長は心に乙女を飼っているが僕たちだけの秘密である
竜鳴躍
BL
第二王子のジニアル=カイン=グレイシャスと騎士団長のフォート=ソルジャーは同級生の23歳だ。
みんなが狙ってる金髪碧眼で笑顔がさわやかなスラリとした好青年の第二王子は、幼い頃から女の子に狙われすぎて辟易している。のらりくらりと縁談を躱し、同い年ながら類まれなる剣才で父を継いで騎士団長を拝命した公爵家で幼馴染のフォート=ソルジャーには、劣等感を感じていた。完ぺき超人。僕はあんな風にはなれない…。
しかし、クールで茨と歌われる銀髪にアイスブルーの瞳の麗人の素顔を、ある日知ってしまうことになるのだった。
「私が……可愛いものを好きなのは…おかしいですか…?」
かわいい!かわいい!かわいい!!!
【本編完結】転生先で断罪された僕は冷酷な騎士団長に囚われる
ゆうきぼし/優輝星
BL
断罪された直後に前世の記憶がよみがえった主人公が、世界を無双するお話。
・冤罪で断罪された元侯爵子息のルーン・ヴァルトゼーレは、処刑直前に、前世が日本のゲームプログラマーだった相沢唯人(あいざわゆいと)だったことを思い出す。ルーンは魔力を持たない「ノンコード」として家族や貴族社会から虐げられてきた。実は彼の魔力は覚醒前の「コードゼロ」で、世界を書き換えるほどの潜在能力を持つが、転生前の記憶が封印されていたため発現してなかったのだ。
・間一髪のところで魔力を発動させ騎士団長に救い出される。実は騎士団長は呪われた第三王子だった。ルーンは冤罪を晴らし、騎士団長の呪いを解くために奮闘することを決める。
・惹かれあう二人。互いの魔力の相性が良いことがわかり、抱き合う事で魔力が循環し活性化されることがわかるが……。
転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
【完結】王子様たちに狙われています。本気出せばいつでも美しくなれるらしいですが、どうでもいいじゃないですか。
竜鳴躍
BL
同性でも子を成せるようになった世界。ソルト=ペッパーは公爵家の3男で、王宮務めの文官だ。他の兄弟はそれなりに高級官吏になっているが、ソルトは昔からこまごまとした仕事が好きで、下級貴族に混じって働いている。机で物を書いたり、何かを作ったり、仕事や趣味に没頭するあまり、物心がついてからは身だしなみもおざなりになった。だが、本当はソルトはものすごく美しかったのだ。
自分に無頓着な美人と彼に恋する王子と騎士の話。
番外編はおまけです。
特に番外編2はある意味蛇足です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる