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鳴かない兎は銀の公子に溺愛される【シルヴァ×プルプァ編】

【5】全部全部が初めての……

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 あの小さな部屋しか知らないプルプァにとっては、初めて見るものばかりだった。
 薔薇色だった朝焼けの空が徐々に抜けるような青になっていくのも。行き交う大勢の人に声も。
 それでも怖くなかったのは、シルヴァの腕の中にいたからだ。ここに包まれていればなにもかも安心できる。
 そして初めて見た馬。シルヴァが白銀の馬に近づいて「セレブロだ。私の馬だよ」とプルプァに紹介した。

「セレブロ、プルプァに挨拶をして」

 その言葉に白銀の馬はプルプァに向かって首を軽く上下させた。「触ってみるかい?」とプルプァの手をもって、シルヴァがその長い鼻面に触れさせてくれた。温かい。
 「怖くないね?」という言葉にこくりとプルプァがうなずくと「じゃあ、この子の背に乗るからちょっと高くなるが、私がしっかり抱いているから大丈夫」と告げられる。
 ふわりと身体が浮いてシルヴァに抱かれたまま、プルプァは馬の上にいた。正確にはシルヴァがまたがった鞍の前に、横抱きにされるようにして。

 とっとっと早足で歩き出した馬の上は、少し揺れたけれど、シルヴァがしっかり抱いていてくれていたので少しも怖くなかった。それに流れていく外の景色も頬にあたる風も、なにもかもすべてが初めて見ること感じることで、プルプァはただただ菫色の瞳を見開いて、きょろきょろと周囲を見回しているうちに、大きな石造りの建物に到着した。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 そこは小国の城塞だった。プルプァを片腕に抱いたまま馬から降りたシルヴァは、さっそく城の神官を呼んでプルプァを診せた。

「身体に傷はまったくありません。過去にうけたものもないようです」
「そうか」

 それは“商品”として丁寧に扱われていたということだろう。といっても彼らがプルプァにしていたことは、とうてい許されることではないが。

「お声が出ないことは私にはわかりかねます。おそらくは精神的なものかと思われますが、グルム大神官長様ならばあるいは……」
「そうだな。グルム殿ならばもっとおわかりになるだろう」

 シルヴァの膝の上できょとりとこちらを見上げる、プルプァの頭をなでながら答える。勇者である父ノクトとともに災厄を退治した四英傑の一人グルムは、いまや大陸のすべての神殿を束ねる大神官長となっていた。
 シルヴァはもとよりプルプァをサンドリゥムに連れ帰る気でいた。王都の大神殿にはそのグルムもいる。
 神官の診察を受けたあと、白いガウン一枚きりのプルプァをそのままの姿にしてはおけないと、城の侍女に声をかけて服をもってきてもらう。もちろん男子のものだ。

「髪も長すぎるな。とはいえばっさり短くしてしまうのも、綺麗な髪がもったいない」
「ならば、肩を過ぎたあたりで切りそろえるのはいかがでしょう?」

 その侍女の言葉にシルヴァはうなずき、プルプァに「君の髪をここぐらいで切ってもいいかい?」と確認する。それにプルプァがこくりうなずいた。
 髪を肩で切りそろえて、赤い色のチュニックにキュロットを侍女の手で着せてもらったプルプァは、すっかり普通の……いや、普通というには綺麗すぎるが、ともかく少年の姿となった。白いガウン一枚きりよりも、それだけで元気に見える。

「そうしていると、アーテルに少し似てるかな? いや、静かな雰囲気はジョーヌか。小柄なのはザリアを思い出すけれど、あれは君よりだいぶお転婆だからなあ」

 プルプァが首をかしげるのに「ああ、私の弟達の名前だよ」と答える。

「君と同じ兎族だからね。会えばきっとよい友達になれると思うよ。母のスノゥも君も気に入るだろう」

 とはいえ、あの兎達に会わせるのは少し先のほうがいいか? とシルヴァは考える。きっと会わせたら最後、しばらくはこの可愛い兎をとられて、かまいまくるだろうから。

「もしかしたら君と一番気があうのは、ブリーかもしれないな。ブリーは私の弟のカルマンの番なのだけどね。君と似ておっとりしていて……いや、たまに話していることが、次元が違いすぎてわからないときがあるんだけどね……」

 あれであの気の短いカルマンが、あの番の話だけは根気強く最後まで聞けるのだから、夫婦というのは不思議だと、シルヴァは思い出し笑いにくすりと微笑んだ。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 山犬の城主の館には、川向こうのもう一国の小国の大山猫の城主も来ていた。中州の城館は両国が領土権を主張してどっちつかずの状態だったがゆえに、どちらも手を出せずにいたのだ。
 その城主のサロンにて、さっそく中州と残された城館の権利について、城主二人が腹の探りあいをしていたがシルヴァは関与するつもりはない。
 自分の役目は大陸条約に違反していた城館の取締であって、領土権云々の“調停”は次の大陸会議にでもかけて欲しい。
 シルヴァがプルプァの身を預かると申し出れば、山犬の領主は。

「幾人もの男と家を破滅させた毒姫です。たしかにこちらで預かるには荷が重い。そちらにお任せしましょう」

 と、あきらかにホッとした顔となった。“毒姫”などとあのあどけないプルプァの顔を思いうかべれば苦い気持ちとなる。しかしそれだけ怖れてあっさりと、こちらに任せてくれるならば、それはそれで好都合だ。
 大山猫の領主も「たしかにかの傾城であっても、高潔なサンドリゥム王宮騎士団長殿にお預けすれば、安心でしょう」といったあとに、口の端をニヤリと思わせぶりにつり上げて。

「しかし、その虜になるのは怖いですが、どれほどの美姫なのかは気になりますな。せめて遠くからでもちらりと見るだけならば……」

 大山猫の城主がそんなことをいえば、山犬の城主も「そうですな、少しだけならば……」と男としての欲を覗かせるのに、シルヴァは内心の不快を押し殺して、穏やかに微笑する。

「破滅した男達もまた、自分こそは虜にならないと、ただひと夜、噂の姫君と夢みるだけという気持ちだったのでしょうな」

 それだけで十分だった。両方の領主はぞくりと身を震わせて、双方首を振ったのだった。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 疲れる大人達との話し合いを終えて、シルヴァが城塞にあてがわれた客室に戻れば、小さな身体がぶつかってきた。

「これはこれは、髪を切ったらずいぶんと元気になったようだね」

 ひょいとプルプァを片腕で抱きあげてやれば、ぎゅっと首にしがみついて、寂しかったと身体を擦りつけてくる。
 この部屋を出るときに「しばらく離れるけれど、必ずここに戻ってくるからね」とは言い聞かせておいた。守り役を頼んでいた侍女に目配せすれば「いままで大人しく過ごされていました」と微笑む。

 侍女が一礼をして部屋を出て行く。プルプァの部屋も用意してもらおうかと思ったが、どうせ一晩限りで明日にはこの城館を出る。なによりプルプァが自分と離れたくないとばかりにしがみついてくるのだ。

「さあ、今夜はもう寝よう。明日はまた別の世界を君に見せてあげるよ」

 客間の天蓋付きの広い寝台に横たわり、身体を擦りつけてくる小さな子の身体を抱いて寝た。








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