三日で恋心がリセットされる呪いをかけられてしまった夫大好き妻とその夫の話

夏八木アオ

文字の大きさ
4 / 4

第四話【最終話】

しおりを挟む
 彼の熱を受けとめて、そのあともう一度して、二人で湯浴みして。
 マチルダは夕飯を作りながら、いつもと違う順番で夕方を過ごすのはなんて素晴らしいのだろうと思っていた。

 緩む頬を緩みっぱなしにしながら、カイルが好きなチーズ入りのハンバーグを焼いている。

「マチルダ」
「ひゃあ!」

 後ろから急に抱きしめられて、マチルダは悲鳴を上げた。

「ごめんね、びっくりした?」
「びっくりしたけど大丈夫! 嬉しいわ。あ、そうだ……薬を飲まなきゃ。それに、リリアーナ様にはお礼をしなきゃ!」

 マチルダは、テーブルに置きっぱなしになっている瓶に視線を投げた。恋する気持ちがリセットされてもまたすぐ恋に落ちることが分かったし、カイルの気持ちも言葉で知ることができたし、リリアーナにも感謝しなければならないと思った。

「それにしても、カイル、どうやってリリアーナ様にお会いできたの? なかなかお約束もできない方だと聞いていたけれど」
「リリアーナ様の幼馴染が、僕の学生時代の友人なんだ。それにいつも発注をくれる騎士で、頻繁に連絡を取ってる」
「そうなのね」

 マチルダはカイルの手を握って、彼の榛色の瞳を見つめた。

「いつもわたしのことを助けてくれてありがとう」
「ううん」
「わたしはカイルに助けてもらっただけなのに、あなたがわたしにひと目惚れしてくれたなんて知らなかった」

 指を絡ませるようにして甘えると、カイルは軽く目を見開いた。

「あー……」
「どうしたの?」
「いや、えーと、僕が君を初めて見たのは薬局で仕事をしていたときじゃないよ。その前の仕事」
「その前?」

 マチルダは、薬局で勤める前は、魔法律事務所の事務員をしていた。知人の紹介で入った会社だけれど、人と話すことがほぼなく、厳密な仕事ぶりを求められる職場が合わず、その上クライアントや上長から仕事と関係のないアプローチを受けることが多くて、それを同僚にも誤解されて、困って退職してしまったのだ。

 しかしそこで働いていたときに、カイルと顔を合わせた覚えはない。マチルダは一度会った人の顔はたいてい覚えているので、もし一度でも挨拶をしたなら、薬局で再会したときに初対面だとは思わなかったはずだ。

「僕のお客様が、修理代を払えなくなって、その対応をそこの事務所にお願いするって言ったんだよね。それで話をしにいったんだけど……」
「そうなのね。ごめんなさい、気づかなくて」
「いや、全然……ちゃんと顔も合わせてないよ。そこで君と同僚が話しているのを聞いて」

 マチルダは顔を引き攣らせた。
 あの事務所の同僚は、マチルダにあたりがキツかった。色々と誤解を受けていたので、その会話を聞かれたとしたらいい話題ではなかったはずだ。

「そのとき君は話の途中で多分上長に呼ばれて、部屋を出ていったと思うんだけど、笑顔だったから印象に残ってた。でもそのあと、僕が建物の外に出たら、君が一人で泣いてるのを見てしまって……知らない人に声をかけられても怖いかなと思って何もできなかったんだけど、なんとなく気になってて」

 マチルダの表情がまた固まった。
 大人として恥ずかしいから、いつもは家の外で泣かないようにしていた。マチルダが職場で泣いたのは一回だけだ。

 一生懸命対応処理した仕事にミスがあることが発覚したのだが、それは別の同僚がマチルダに誤った資料を渡していたからだと分かった。しかもそれがわざとだと知って、とてつもなく虚しくなったのだ。
 ちょっと誤解を受けて嫌味を言われても、真面目に仕事をしていれば認めてもらえるものだと思っていた。
 それも求められていないのだと思ったらなんのためにこの場所にいるのか分からなくなってしまって、そのあとすぐ退職届を出してしまった。

「そのあと何度か事務所に行く用事があったけど、二度と会えなくて、幻だったのかと思ってた。そしたらある日、街中で君を見かけたんだよ。制服を見て祖母が通っている薬局だなって分かったんだ。だから頼まれてもいないのに祖母に付き添って、君に話しかけました」

 マチルダは突然の告白に驚いてしまって、口をぽかんと開けて何も言えなかった。

「一生言わないつもりだったけど、マチルダを不安にさせるくらいなら、ストーカーだったってバラすほうがいいのかなと思って。怖い? 大丈夫?」

 マチルダは何度も頷いた。その程度でストーカーを名乗るなんて、カイルは甘すぎる。

「大丈夫! わたしもカイルのことをストーカーして、何度も偶然を装って鉢合わせたから!」
「そうなの?」
「ええ、街で偶然会ったことなんて一度もないわ」
「そっか、じゃあ……お互い様だからいいかな?」

 カイルが軽く笑った。
 眉を下げて、困っているようにも見えるその笑い方が、マチルダは大好きで、また自分の胸がときめくのを感じた。

「僕は結構、こうしたほうがいいかなって思っても、やらない理由ばかり考えちゃうんだ。だから君が目が合うと笑いかけて、声をかけたら楽しそうにしてくれることに、勇気をもらって、すごく助けられてたよ」

 カイルは少し身を屈めて、マチルダに軽い口付けをした。

「これからは、自分からもっと動くね。今までの分もたくさん返せるように」

 離れた唇がもう一度重なった。
 カイルがマチルダの手を取って、ぎゅっと握る。

 急に増えたスキンシップに、マチルダの心はいっぱいいっぱいになる。顔から火が出るんじゃないかというくらいに熱くなって、彼女の目には涙が滲んだ。

 彼女の潤んだ目のきわを、カイルの親指が優しく拭った。お互いに吸い寄せられるように唇が重なる直前で、雰囲気を壊すような乱暴な音がした。

 ドンドンドンドン、と力任せに扉をたたき続ける音だ。

「な、何⁉︎」

 マチルダは不安げにカイルを見上げた。夫がマチルダを庇うように移動したことに嬉しくなってまたどきどきしてしまう。

「確認してくる」
「危ないわ」
「とりあえず覗き窓から見るだけだから大丈夫」

 カイルは迷うことなく扉に近寄り、玄関の覗き窓から客人の顔を確認した。
 そしてすぐに鍵を開けた。

「カイル……⁉︎」
「カイルお前、殺すぞ!」

 王宮の騎士団と思われる赤髪の男が、暴言を吐いて部屋の中に侵入してきた。
 マチルダが悲鳴を上げると、その男――ダニエルが眉を顰めた。

「やべ、すまん、怖がらせるつもりはなかったんだが、あんたの旦那は悪魔に魂を売ってるんだ。これは男二人の問題だから黙っててくれ。別に物理的に傷つけようだなんて考えてない。殺すとは思ったが」
「物理的に傷つけずに殺すってことは社会的に?」
「比喩だよ。うるせぇな! 変なもの飲ませやがって殺すぞ」
「変なものは飲ませてない。リリアーナ様が作った薬で安全性は保証されているよ」

 カイルが落ち着いて回答すると、ダニエルは目を細めてカイルを睨んだ。

「自白剤を飲ませていいのは騎士団の尋問専門の部隊だけだって法律で決まってるんだ。この犯罪者」
「その法律で定義されている自白剤とは機序が違うから僕とリリアーナ様が罰せられることはない。心の底から言いたくないことは口から出ないようになってる。そんなことより、ちゃんと言えたの? 僕はリリアーナ様に彼女が一番欲しいものを渡す代わりに呪いを解いてもらうことを了承してもらったから、君がちゃんとしてくれないと困るんだよ」

 ダニエルは口を大きく開けて、閉じた。そしてまた開いた。

「一番欲しいものって……」
「彼女だけを心から愛してくれる人。告白した?」
「したよ! 馬鹿、余計なことするな!
俺は次のリリアーナの誕生日に告白するつもりで計画練ってたのにお前のせいで台無しだろうが! とは言っても当日誘えてなかったし去年も同じことを考えてたけどできなかったから、感謝するべきかもしれないけどお礼は言いたくないんだよ!」

 カイルはダニエルの叫び声を聞いて、目を丸くしていた。
 マチルダは、どうやら自分は男性を紹介しなくてもよさそうだと悟った。

「すごい効果だね。さすがリリアーナ様……どういたしまして」
「黙れ。それでお前のほうはちゃんと解決したのか!」
「うん、おかげさまで。……多分君は本気で怒っているんだろうけど、口からは気遣いの言葉が出てくるなんてすごく不思議だ。どういう仕組みなのか本当に気になるな」

 カイルがダニエルをじっと見つめると、ダニエルは気味が悪そうに顔を顰めた。

 カイルはものの仕組みを知るのが好きだ。まるで仕事で直す魔導具を見つめるように、ダニエルを見つめている。

「カイル」

 マチルダはカイルの手を後ろから握った。

「もう遅いから、お話するなら中でゆっくりしていただいたら? 夕飯を三人で食べてもいいし」

 この提案には、ダニエルが首を横に振った。

「いや、そこまで世話になるつもりで来てない。顔見て文句言いたかっただけだ。夜に邪魔して悪かったな。一人だけ涼しい顔してほんとにムカつくなお前!」

 ダニエルはもう一度カイルを睨んだ。

「お幸せにな!」

 幸せを祈っている顔には見えないが、そんなことを言って、出て行った。カイルがダニエルの背中に向かって叫ぶ。

「君もね!」
「うるせぇんだよ、まだ返事もらってねぇよ!」

 ダニエルの怒鳴り声が夜の空に響く。扉が閉まると、カイルは声を出して笑い出した。

「はぁ、おかしい。リリアーナ様はダニエルのことは悪く思ってないはずなんだ。きっと近いうちに結婚式の招待状が届くよ」

 マチルダは、夫が声を出して笑うところをあまり見たことがない。それに、友人から「悪魔に魂を売っている」なんて言われるような性格をしていることも知らなかった。
 マチルダの前ではいつも優しくて、控えめで、人のいい夫だ。ちょっとだけ仕事にのめり込みすぎているところはある。

 カイルと目が合った。目が合うと彼はいつも優しく微笑んでくれる。
 マチルダはその表情が大好きでとても幸せな気持ちになるが、今日はいつも以上にドッと心臓が跳ねてしまった。

 そういえばまだ薬を飲んでいなかったのだと思い出して、薬瓶に目を向けると、その視界を遮るようにカイルが手を伸ばした。

「薬を飲む前にちょっとだけ……」

 カイルがマチルダの手を取ってその指先に口付けした。びっくりして飛び上がってしまった。

「なっ、なんで⁉︎」
「君がどきどきしてくれると嬉しいから」

 指先を甘く噛まれて、マチルダは目を丸くした。もしかしたらまだ自分は夫のことをよく知らないのかもしれないと思ったけれど、新しい顔を知ってもきっとまた恋に落ちるだけなので、あまり心配しないことにした。

 でも一つ、訂正しておかなければならない。呪われていてもそうでなくても、マチルダは毎日カイルにどきどきしている。それが伝わっていないということは、マチルダも自分の気持ちを伝えきれていないということだ。これからもっと好きだと伝えなくては、と決意したのだった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

真面目な王子様と私の話

谷絵 ちぐり
恋愛
 婚約者として王子と顔合わせをした時に自分が小説の世界に転生したと気づいたエレーナ。  小説の中での自分の役どころは、婚約解消されてしまう台詞がたった一言の令嬢だった。  真面目で堅物と評される王子に小説通り婚約解消されることを信じて可もなく不可もなくな関係をエレーナは築こうとするが…。 ※Rシーンはあっさりです。 ※別サイトにも掲載しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

淡泊早漏王子と嫁き遅れ姫

梅乃なごみ
恋愛
小国の姫・リリィは婚約者の王子が超淡泊で早漏であることに悩んでいた。 それは好きでもない自分を義務感から抱いているからだと気付いたリリィは『超強力な精力剤』を王子に飲ませることに。 飲ませることには成功したものの、思っていたより効果がでてしまって……!? ※この作品は『すなもり共通プロット企画』参加作品であり、提供されたプロットで創作した作品です。 ★他サイトからの転載てす★

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

狼隊長さんは、私のやわはだのトリコになりました。

汐瀬うに
恋愛
目が覚めたら、そこは獣人たちの国だった。 元看護師の百合は、この世界では珍しい“ヒト”として、狐の婆さんが仕切る風呂屋で働くことになる。 与えられた仕事は、獣人のお客を湯に通し、その体を洗ってもてなすこと。 本来ならこの先にあるはずの行為まで求められてもおかしくないのに、百合の素肌で背中を撫でられた獣人たちは、皆ふわふわの毛皮を揺らして眠りに落ちてしまうのだった。 人間の肌は、獣人にとって子犬の毛並みのようなもの――そう気づいた時には、百合は「眠りを売る“やわはだ嬢”」として静かな人気者になっていた。 そんな百合の元へある日、一つの依頼が舞い込む。 「眠れない狼隊長を、あんたの手で眠らせてやってほしい」 戦場の静けさに怯え、目を閉じれば仲間の最期がよみがえる狼隊長ライガ。 誰よりも強くあろうとする男の震えに触れた百合は、自分もまた失った人を忘れられずにいることを思い出す。 やわらかな人肌と、眠れない心。 静けさを怖がるふたりが、湯気の向こうで少しずつ寄り添っていく、獣人×ヒトの異世界恋愛譚。 [こちらは以前あげていた「やわはだの、お風呂やさん」の改稿ver.になります]

夫が初夜をやり直したいと言い出したのですが、二十四年も前のことなんて覚えてません!

夏八木アオ
恋愛
四十代夫婦の仲良しほのぼのハピエンです。 よろしくお願いします。

初夜った後で「申し訳ないが愛せない」だなんてそんな話があるかいな。

ぱっつんぱつお
恋愛
辺境の漁師町で育った伯爵令嬢。 大海原と同じく性格荒めのエマは誰もが羨む(らしい)次期侯爵であるジョセフと結婚した。 だが彼には婚約する前から恋人が居て……?

処理中です...