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本編
7-3 聖女じゃない(お兄様視点)
しおりを挟む『私も、町までついて行っていいですか……?』
アザリアがそんな事を言うようになったのは、いつからだろう。
雪のような白い髪を持つこの儚げな少女が、小さな窓から外の景色を見つめるようになったのは、いったいいつからだろうか。
『お兄様と一緒に、町に行ってみたいです……』
*
古城で暮らし始めた当初のアザリアは、文字通りお兄様のことしか見ていなかった。
古城での毎日は、中庭の土いじりと蔵書室に籠って本を読むこと。料理を作ったり掃除をしたりと、古城の中ではそれなりに動き回っているものの、基本的にはお兄様の隣にいることが多い。お兄様が話しかければ話すし、アザリアから話しかけることもあるが、会話のない無言の時間がほとんど。
静か。文字通りの静寂な空気が、ゆっくりと流れていた。
アザリアがしたいと言い始めた『その行為』も、アザリアから申し出たのは最初の一回だけ。以降は、眠る必要のないお兄様が、うとうとしているアザリアの体に口づけを落として『その行為』の前戯を始め、目覚めたアザリアがそれに応え、二人で果てるというのがいつもの流れ。
古城での日々は、アザリアと彼の二人を中心にゆっくりと動いていた。
年月が流れると、アザリアは昔よりも外に目を向けるようになった。
今までお兄様一人で行っていた食材の買い出しに、同行したいと言い出したのである。
『ああ、もちろんだ』
当時の彼は、アザリアの申し出に嬉しさを感じていた。
彼にとっても、アザリアと共にいることは日常の一つとして組み込まれていた。離れがたいというより、一緒にいるのが当たり前という感覚で。おそらくアザリアも同じ感覚を持っていたのだろう。
お兄様と一緒に初めて町に出かけたときも、彼女はちらちらと辺りを見渡しつつも、目新しいものに飛びつくようなことはしなかった。常にお兄様の一歩後ろを歩き、ぴったりとくっついて離れないようにしていた。
それが日常で、当たり前で。
ゆえに彼は、アザリアが自分を追い越し、花屋に向かって歩き始めたことに動揺を隠せなかった。心がざわめいた。とっさに腕を掴もうとしたが、彼女はまるで蝶のように優雅に飛んでいってしまう。自分の知らない誰かと、楽しげに談笑している姿が彼の目に焼き付いた。
彼女が喋っていたのは、ほんの数分足らず。
人間は、知らない相手でも愛想として笑顔を振りまくことがある。あたりさわりのない世間話で間を持たせることもある。それは彼も知識として知っていた。理解していたつもりだった。
ただ、あの儚げな少女も同じようにするとは思っていなかった。
無意識のうちに、彼女の表情は自分だけが見ることのできる特権のように思っていた。
人形めいた見た目の割に意外と笑ったり頬を赤らめたりするのも、知っているのは……見ることのできるのは自分だけだと、勝手に錯覚していた。
それは彼にとって、足元が崩れたような衝撃があって。
妙な焦りと、不快感が強くて、すぐにでも彼女を花屋から連れ出したくなって。
だが行動に移す前に、彼女が気落ちした表情で店の中から出てきた。
『ダメですね……ないみたいです』
『ない……?』
『紅茶のなかに入れる食用の花のことですよ。ほら、前にお兄様が興味を持ってたじゃないですか。紅茶にも花を入れるなんて、人間は花が好きだなって』
『実際そうだろう。人間の家はどこにいっても花ばっかりだ』
『ヒトは綺麗なものが好きなんですよ』
彼女が微笑む。
こっちを見ている。
そう思うと自然と心が穏やかになっていく。しかし胸の奥に溜まった黒い淀みはそのままで、むしろどんどん大きくなっていく。だがその時彼はまだ、淀みが具体的に何なのか判別できず、不愉快になったという一言で片づけていた。
『お兄様、今日も町に行きますか?』
『お散歩しにいきませんか?』
『髪留めが欲しいです。買いに行ってもいいですか?』
古城の外へ連れ出してあげると彼女は喜ぶが、同時に黒い淀みがどんどん溜まっていく。
アザリアを町に連れ出すことが増えるにつれ、向けられる視線の数も、どんどん増えていった。
最初は子ども、その次は女。男からは特別に強い視線があって、とりわけ鬱陶しい。挙句の果てには働きたいと言い始め、許可すれば周りの人間から聖女だなんだと言い寄られる始末。『どうしたらいいでしょうか……?』と小首を傾げるものの、奉仕活動を辞めるという選択肢は浮かんでいないようだった。
不快。
ほんとうに不快でたまらない。
さっさと辞めてしまえばいいのに。
そうすれば、彼女はまた古城に戻ってくる。
ずっと隣にいるはずだ。
なのにどうして……。
「アザリア……、どうしてだ……」
その日──
初めてアザリアに拒絶された彼は、薄暗い部屋の中で呆然と立ち尽くしていた。
疑問が疑問を呼び、頭の中で膨れ上がっていく。なぜ拒絶されたのか、なぜ嫌だと言われたのか、分からなかった。アザリアはいつも喜んでいたはずだ、嬉しがっていたはずだと、彼は心の中で反芻する。
「聖女じゃない。聖女なんて許さない。……アレは……アレは私のモノだ……私のモノであるはずなのに……」
何かがアザリアを変えた。
そうに違いない。
「……外になんて、出すべきじゃなかったか……?」
口から滑り出てきた推測は、一つの正解にも思われた。
でも完全ではないと、彼は首を振る。
「何か、隠している…………?」
お兄様は部屋の中央にある植木鉢を見つめていた。
すでに枯れ始めているアザレアの花びらが、ひらりと一つ、落下した。
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