オットマンの上で

刺客慧

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第五話:俺の考えたブルース・シスターズ(エピローグ)

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(エピローグ)

「サークル珠子亀たまこがめマダムズの新刊でーす」

「天下一の間抜けずら男子新作でーす」

「今回はかわいい生徒を人質にとられローション相撲ずもう凌辱りょうじょくの嵐、北センチネル島で原住民げんじゅうみん百八本勝負の二本立てでーす」

 少々タイトな女子高生のコスチュームに身を包んだボストンテリアのぬいぐるみはひときわ積極的に来場者に声をかけていた。

 サークルのブースは特に人であふれかえるわけでもなく、常連じょうれんらしい人たちがちらほら買っていく程度だ。先輩せんぱいたちに聞くと、それがいつものことらしい。

 ……。
「お疲れさまでしたー」

「ジェンちゃんご飯食べて行かないー?」

「あ、わたし、自転車で来たんで」

「ビッグサイトに自転車で来たの? あなた、すごいわねえ」

「アタシ、きたえてますから」

 セミの声すら少なくなった日本の夏。熱気ねっきというより熱波ねっぱおそってくる。

 入道雲にゅうどうぐもをめざしてジェインはマウンテンバイクをひたすらこいだ。

 かつて北センチネル島で使用していたもの、つまりかっぱらったものは持ち主に弁償べんしょうした。今は自前じまえのものをこいでいる。かつて振居ふりいが住んでいたアパートまで四十キロの距離を自宅までこいで帰ったらジジイの生存確認をチャットでして、今日はさっさと寝てしまう予定だ。

 そんな感じで、ジェインはひたすら練習をしながら日々自分を鍛えている。

 エルザの死を受け入れてしまうまで、案外早かった。

 日本に戻りしばらくは泣いていたが、それはエルザの死に対してだけではなかった。むしろ、誰に対して泣いているのかわかっていなかった。それだけめちゃくちゃだったが、泣き始めて2日がたった時、空腹が悲しみやムシャクシャにあっさり打ち勝った。

 空港で別れたジジイを呼び出して飯を食わしてもらった後、ジジイいきつけのスナックで『ふたり酒』と『木綿もめんのハンカチーフ』と『イエスタデイ・ワンス・モア』を歌い、『スムース・クリミナル』を流しみんなでマイケルごっこをした後、『アップタウンガール』を歌っていると、不意にあの死体はやっぱりエルザだったんだ、と悟った。

 笑顔で新堂しんどうと手をつなぎながらくたばっているエルザを思い出し、歌の途中だったが一言つぶやいた。

「あんた、やっぱり勝手だったよ」

 ……。それからは来年の本番に向けていそがしい毎日を送っている。

 早朝は日替わりで15キロランニングか、50キロバイク走。土方どかたの労働を終えた後は、プールにおもむき2キロ遊泳ゆうえい。そして奥様方との同人グループ活動。

 毎日くたくたで床にくためか寝苦しい夜が無くなった。

 最近はよく夢を見る。

 北センチネル島の海岸、振居はジェインを見上げながらゆっくりと息を引き取る。ジェインは人間の視線、人間の手足を得ていた

 サマーにしてやれなかった膝枕ひざまくらをしながら、ジェインはゆっくりと振居から顔をはなして、そのほほをで、陽光をもってしても輝くことのないひとみしみない眼差まなざしを与える。

 ヘビーな夢だが、不思議と寝起きはさわやかだ。

 振居は案外向こうで上手くやっていけているんだろうと毎日想像している。

 あの日、背後に忍び寄っていたボランティアたちにいち早く気付いた振居は自分だけが監視かんしに警告されていることを利用してジェインを気絶させ、ダッチワイフの中に隠したのだ。おかげで中に残っていたアレだらけで後でかゆかった。

 島の住民となった振居に会うことが日に日に怖くなっているが、知恵の実を食わせた後は無理やりにでも引きずってやろうと考えている。

 取り戻したとして、逃げる時はどうしよう……。なにせ人間二人だ。ダッチワイフに入るというやり方はもう使えない。思いつかないからみんなおぼれさせてやろう。

 ジェインはクローゼットを開けて、奥の特注シリンジを見た。島ごと浣腸かんちょう液につけてしまおう。そしてボラみたいに息をしている奴らを尻目しりめにボートで逃げればいい。

 少し震える。けど、こぶしを握る力は強かった。


***

 北センチネル島。

 昼寝から目覚めたナハシュは仲間より一足先に知恵の木に向かった。

 生いしげる草をかきわけ、腰蓑こしみのを揺らし木々を伝うことにより泉を抜け、鳥の叫喚きょうかんを通り過ぎ、獣と目を合わせ、岩山を飛び跳ね上がり、上がった先にあるおかをさらに駆け上がった。

 そしてナハシュが頭上に手を伸ばしたくらいの背の低い知恵の木、そのこじんまりとしながらもおごそかな姿を見る。

 指先ほどの大きさの金色(こんじき)はあわい光を放ち始めている。

 杞憂きゆうに顔をかげらせた。また、数多くの者がこの島に来て命を散らせようとしている。

 しゃがみこみ、短い昼寝を再び始めようとした矢先、ナハシュは知恵の木から少し離れた位置に刺さったままの槍に気付いた。

 立ち上がりナハシュはその槍を手に取った。

「友よ、我が友よ……」

 かつてそう言ってナハシュに歩み寄った男は仲間の矢により死にひんしていた。

 彼に生命の実を食べさせたのはナハシュだ。

 その時初めて生命の実に触った。触れることに気付いた。

    闇に自分の姿を吸われ、新たな島の住民レヴは生まれた。

    仲間たちからそのことについてナハシュはとがめられることも、糾弾きゅうだんされることもなかった。

 思い出しながらナハシュは笑みを浮かべた。それはどこか満足げでどこか不敵ふてきだった。

「ナハシュよ」
 空から飛び降りたようにも見える軽やかな着地で、男はナハシュの背後に立つ。生命の木の管理者ヤシャは岩山をひとっ飛びで来たのだ。

 じっと木の棒をにぎめたまま背を向けるナハシュをヤシャは不思議がる。

「どうしたのだ……?」

「いや、何も」
 ナハシュはレヴの槍をあっさりと放り投げ捨てた。

   ……。
 時はトライアスロンの日までさかのぼる。

 知恵の木の周りは大粒の雨が降り始めていた。

「動くな!」

「……、……」
 振居は何も言わず両手をあげて振り返った。ボランティアたちは鬼の形相で彼をにらみつけている。

「一人見つけた」

「了解、日焼けした間抜け面か?」

「そうだ」

即刻そっこく、射殺しろ」

 トランシーバーで何者かとやり取りしたウィークエンド・アイスホッケーはガトリングを振居に向けた。

「サル共、どけ、ジェニファーのうらみは後だ」

 振居の後ろにいる原住民たちに怒りをさらに募らせるボランティア達。振居の足は、がくがくと震えていた。

 どこからともなく一人の男が振居とボランティアたちの間に舞い降りた。

「何者だ!」

「どけ!」
 ナハシュは手に持った白銀はくぎんを高く上げて、目でボランティアたちを威圧いあつした。その瞬間重火器を持った男たちは大きく吹き飛ばされた。

 戸惑いながら突然表れ自分を救った原住民の男の背中を見ている振居。振り返ったその男の形相は神秘性を持ちながら、暗闇で見るおかめ顔のように言いようのない不気味さも秘めていた。

「サ、サンキュー……、ベリーマッチ……」ぎこちなく礼を言う。

 ナハシュは彼に生命の実を差し出した。歯からカチカチ音を出しながら振居は受け取った。すでに頭のメモリはオーバーフローしている。

 実を受け取り、驚愕きょうがくした。
表面がツルツルのなしだ。雨粒に当てられながらも強力な撥水はっすい処理をされたようにそれを弾き、鏡面きょうめんを見せる。そこには自分の顔が映っていた。

 驚いたのはそこだけではない。自分の顔だと思ったものが新堂しんどうの顔だった。そして他の白人男性の顔にも変化する。様々な男女の顔を経て、再び映るのは自分の顔へと戻る。

 人間振居としての記憶はそこで途切れる。

 闇に姿を吸われ、新たな仲間が生まれた瞬間をナハシュは歓迎かんげいした。

「ヤシャ」
 名は即座に思いついた。

 ヤシャとナハシュ、そのほかその場の光景を見ていた原住民たちは一斉いっせいに知恵の木の下から飛び去った。

 ……。
 雨にあてられ、ヤシャは友たちと木々を飛び跳ね、空を渡りながら集落へ向かう。振居の記憶の残滓ざんしなるものはわずかに残っていたが、消えつつある。

 最後に残った中から彼はこの島に来た時の光景をしぼり出した。

 海の中、自分を食おうとする巨大なイカとワニ、回避した先にある人間の強敵、共に海をく仲間たち、島の土を踏んだ先に見える二足歩行の犬と猫。自分は笑顔で二匹のもとへ走った。

 奇妙きみょうなこともあったものだ。

 記憶の残滓も消え去り、完全にヤシャとなった瞬間、彼は雄たけびをあげた。

-了-
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