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決戦
しおりを挟むほぼ無人である事は一階と同じだが、そこは明かりで満たされていた。
そこは巨大な一つの空間だった。
二階建ての吹き抜けの広間になっていて、一階にはいくつものベッドと機材が並べられていて、二階には個室らしきものが見受けられた。
置かれている機材は病院で見るようなものと似ていた。
一階部分に点在する、カーテンで区切られた個室らしき空間も、病院で見るそれと同じものだろう。
災害が発生した際の臨時の病院、などと言われば、ある程度は納得できるだろう。
けれど、ここは秘密の地下施設で。
だから無人のベッドと、そこにある黒ずんだ染みの理由を邪推せざるを得ないのだ。
「まさか」
その空間は、ほぼ無人だった。
だから少しは人がいて、その内の一人であるその男は、広間の中央に置かれたベッドの傍に立っていた。
ベッドの上では、風許が眠っていた。
上下する胸を見て、彼女が生きていることを確認して、宗助は静かに安堵する。
「失敗作が、ここまでしてくれるとは」
男が言葉を続ける。
黒いスーツ。銀縁の眼鏡。後ろに流された黒髪。
冷たい瞳が宗助を射貫く。
その瞳の中に、おおよそ人間の感情らしいものは見受けられなかった。
まるで機械のような無機物の冷たさだけが、そこにあった。
「山未宗蓮《やまみそうれん》」
真理が男を見返しながら言う。
「お前が――ワタシの敵だな」
「園部沙耶……ではないのだったか。アノマリーのオリジナルか」
男――山未宗蓮が真理を見つめ返す。宗助には目もくれず。
「それで、お前たちは何をしに来たのだ」
「――聞きたい事がある」
一歩、宗助は真理の横に出て、宗蓮と向かい合う。
「ここで何をしてるんだ。風許をどうしようとしてるんだ」
しばらく静寂があり、続いて宗蓮のため息がそれを破った。
「ここはアノマリーの研究施設で、この街のアノマリーを攫い、監禁し、研究し、処分してきた。この娘にも、今から同じことをする」
やれやれといった風に宗蓮が言い、上着の内側から、拳銃を取り出した。
「全て知ったうえで、ここに来ているものと思ったが」
「……あぁ、知ってたさ」
「ならばなぜ聞く。その事実に一抹の揺らぎがあると、そう期待したのか」
宗蓮が銃を構える。その先には宗助がおり、指先はすでに引き金にかけられていた。
「くだらん。やはりお前はつまらん奴だよ。私のナユタを殺したあの日から、お前だけはずっとずっと嫌いだった」
「やめるつもりはないのか」
「それだけはありえない」
乾いた音があり、何かが落ちる音があった。
弾丸は発射され、その先に宗助はいた。
けれど、弾丸が宗助に到達することは無かった。
二つに割れた弾丸が、床に転がっていた。
真理が伸ばしていた腕を戻していた。
「なるほど、そういう芸当も出来るのか」
弾丸を斬った真理に向かって、特別驚いた様子もなく宗蓮が言う。
――こうなることは知っていた。
母からの手紙で、父が自分をどう思っているのか。
おおよその見当はついていた。
けれども、それでも心は悲鳴を上げて。
だからそれを押さえつけるために、宗助は持った拳銃を強く握りしめた。
「宗助」
前に立つ真理が、声を張り上げる。
「やっちまおう」
真理が腰を落とす。
「あぁ。――やっちまおう」
宗助が拳銃を構える。かちゃりと音が鳴った。
それが合図だった。
再び宗蓮が銃を構える。
引き金が引かれんとしたその時、真理はすでに跳躍していて、細く鋭く伸ばした腕をしならせて、今度はその銃身を切り裂いていた。
宗蓮がとっさに身を引く。
その手が上着の内側へと伸びる。
真理が伸ばした腕を元に戻して、次に備える。
――もう一丁、予備が来る。
直進していた真理とは別で、左側から回り込むように走り出していた宗助は、次に起こることを理解し、真理の対応がそれに間に合わないことを悟った。
だから、ほとんど脊髄反射のようなソレで、手にしていた拳銃の引き金を引いて、でたらめに宗蓮に向けて発砲していた。
当たらずとも良い。
ただ、宗蓮の次の動きを、ほんの少し止められれば良い。
それで真理の行動が間に合う。
だが。
カツンという金属音と共に、その銃弾は宗蓮の頭部に命中していた。
「――は」
宗助には、その一瞬がスローに見えていた。
横から撃たれた形で、少し浮いたように吹っ飛ぶ宗蓮。
そして、そのまま横向きに倒れ込む。
部屋の中に静寂が訪れ、宗助の荒い呼吸音だけが部屋に響いていた。
「お……わり?」
倒れたまま動かない宗蓮を見て、宗助がぽつりと漏らす。
頭の中をこれまでの日々が駆け巡る。
父との関係。
夢女。
アノマリー。
真理との日々。
それら全てに対して、今まさに決着が訪れたのだ。
まぐれではあったものの、果たして世界の平和は――。
おかしい。
大部分は興奮で熱くなっている頭の、ごく一部の異様に冷めた個所がそう告げる。
そもそも、宗蓮は自分たちがここに来ることを知っている風だった。
正直、おおよその見当はつく。
自分がハッキングしていたのは、この会社が街に張り巡らせた監視カメラだ。
ハッキングしているのが自分だという事にも気づくだろうし、逆にこちらの動きを探ることも出来たのだろう。
だから、あそこでああして待ち構えていたのだ。
そして、無策ではなかったはずだ。
あの拳銃がそれだったのだろうか。
いや、それだけではないはずだ。確かにやって来るのは中学生の子供二人だが、うち一人はアノマリーの大本で、夢女を倒している。
あれ以上の化け物と考えているはずだ。
例えば戦闘要員を配備しておいたり、それこそ夢女のような化け物を用意していても良かったはずだ。
しかし、ここにはそのどちらもない。
ならば、この男はどうやって自分たちを処理するつもりだったのだろうか。
警戒しつつ、倒れている宗蓮に近づいていく。
――ふと、その撃たれた頭から血が一滴も流れていないことに気づいた。
倒れている宗蓮の目が、ぎろりと宗助をにらんだ。
それと同時に、宗蓮は床を強く叩いて起き上がり、そのまま床を蹴って宗助のほうに駆け出した。
それは人間の速度ではなかった。
関節が駆動する度にモーターが駆動する音が聞こえる。
床を蹴る足の裏からは行き場のない雷がのたうち回っていた。
そして、撃たれた側頭部からは、わずかに火花が出ていた。
「機……械」
迫りくる宗蓮に銃口を向ける宗助。
しかし、轟という音と共に、その姿が目の前から消える。
「もう四年早く、そのアノマリーに出会っていれば、私も自分をこんな風にはせず、別の在り方を模索していたのかもな」
その声は背後から聞こえていた。
とっさに振り返ろうとして、宗助は自分の胸の中に何かが入り込むのを感じた。
ふと視線を下におろすと、そこにあったのはスーツに包まれた腕だった。
それが、自分の胸に突き刺さっている。
続いて何かが自分の喉を駆けあがってきて、我慢できずに吐き出すと、それは赤黒い血だった。
耳鳴りがして、体から力抜けていき、徐々に立てなくなる。
後ろで真理の叫び声が聞こえるが、それもうまく聞き取れない。
今はただ、自分を見下ろす冷ややかな瞳だけが見えているだけだった。
「くだらん」
一言。
そう吐き捨てられて。
腕が引き抜かれ、支えを失った宗助はそのまま膝から崩れ落ちた。
冷たい床の上に倒れ込み、自分の血が広がっていく様だけを、ただぼんやりと見ていたが、やがてその視界も徐々にぼんやりとし始めて――。
ほどなくして、その視界は黒一色に塗りつぶされた。
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