チャリンコマンズ・チャンピオンシップ

古城ろっく

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第6話 気まぐれおじさんとロードトレーラー

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『今、グレイトダディ&クールキッドのリタイア宣告を受け取りました。スタート直後にトップを独走した選手の離脱、残念です』
 ミスり実況は相変わらず、スマホやパソコンにネット中継を流し続けている。まだスタートから3時間。人によっては休憩を取ることが増えてくる時間だ。
『現在トップはタダカツさん。完全独走ですね。2位につけているフェニックス・スリーさんとのタイム差は15分。距離差はざっと10km近いです。もうプロ並みの速度なんですけどね。もしかして私が知らないだけで、元プロだったりします?』
 ミス・リードの疑問に答える者はいない。電凸機能は参加者側からミス・リードにかけることは出来ても、逆は出来ない仕組みになっている。真剣に走っている最中の人を妨害しないようにという配慮だ。
「なあ、ミス・リード。今のアタイらの順位や、トップとのタイム差は分かるか?」
 茜が電凸する。その言葉はそのまま放送されるようで、寸分遅れて自分の声が返ってくる。
(アタイはこんなに声が低かったのか……)
 などと、改めて自分の声の質を気にする茜だったが、実際には思うほど低くはない。通信の際にデータを削減するため、必要な倍音成分が消されているのだろう。
『えっと、茜さんの順位は現在、24位タイですね。空さんと一緒ですよ。ちなみにトップとのタイム差はおよそ36分ほどだと思います。あ、ちなみにカメラや測定器はそこら中にあるので、間違っても自転車に乗りながら着替えたり、おしっこしたりはダメですよ。そういう趣味があるなら別ですけど』
「うるせぇありがとう」
 実際にこの電凸機能は役に立つ。欲しい情報は全部入ってくるし、今試した通り、ミス・リードも年中ふざけているわけじゃないらしい。
「くそっ、最初の妨害作戦で体力を大きく使っちまったのは、どうやらアタイの方らしいな」
「茜。ここは無理しないで休憩しない?」
「それも有りかもしれないが……うーん、アタイもよく分からん」
 一見すると経験豊富に見える茜だが、あくまで中学生だし、この間までエントリーモデルのMTBに乗っていただけのホビーライダーに過ぎない。レースもブルベも経験のない少女にとって、ペース配分や策略は専門外だった。
(まして普通のレースなら休憩って概念自体がないからな。その辺、チャリチャンは特異だ)
 このレースの難しさを改めて思い知る。ルールを果てしなくシンプルにした結果、何が起きるか予想のできない勝負になっている。
『あ、茜さん。面白い情報もありますよ』
 ミス・リードが語り掛けてくる。彼女も暇なのだろう。特にスタート地点のごたごたが収まった後は、順位もさほど変動しないため、非常にゆとりがある。
「で、面白い情報ってなんだ?」
『茜さんは前からと後ろから、どっちが感じちゃいますか?多分、前からがお好きですよね?』
「いい加減にしろ。第一アタイには経験がない。まだ14だぞ」
『皆さん。聞きましたか?茜さんはローティーンで処女ですよ』
「いつか殺すぞ。ミス・リード」
『ゃん。怖いこと言わないでくださいよぉ。それに、茜さんは何か勘違いしていませんか?私が言ったのは、レースの話ですよ?』
「は……?」
『うふふっ。かわいい勘違いですね。おませな茜ちゃん(14歳処女)』
「次にその呼び方をしたら殺す。レース直後に殺す」
 そもそも紛らわしい言い方を、ましてミス・リードがするから、誤解するのも無理はない。誰もがそう思っていたが、茜はそれでも恥ずかしくなってきた。
「それで、前からどうしたって?」
『いえ、前には何もありませんよ。あったら茜さんが感じちゃうでしょう?来るのは茜さんが感じない方。後ろですよ』
「後ろ?何が来るんだ……」
 振り返ってみたが、さっき曲がった角以外に何も見えない。森の中の道を走るこのルートは、平坦な道だがコーナーは多かった。

『えっと、今接近しているのは、エントリーナンバー924 ユークリットさんですね。現在26位の選手です。
 タイム差は1分未満。なんなら可能な限り正確に秒読みしましょうか?って言っても、その辺はカメラも少ないですし、GPSだけでは難しいですが……』

「おいおい、そこまで接近しているのかよ」
 自然と、茜のペースが上がる。無意識の行動だった。
「ねえ、茜。もう遅いかも……」
「はあ?」
 空がミラーで後ろを確認しながら言う。そこにちらりと、自転車が見えた。
 黒い車体に、ドロップハンドル。空のエスケープよりも細いタイヤ。その車体は間違いなく、
「ロードレーサーか。逃げるぞ」
「え?逃げるの?」
 空がワンテンポ遅れて反応する。しかし、逃げ切れない。相手も速度を上げてきたようだった。
「敵意むき出しかよ。アタイらをどうしても追い抜かして、勝ち誇りたいってか」
「いや、様子が変だよ。どっちかっていうと、僕たちに追いつきたいだけなのかも……」
「はぁ?何がどう違うんだよ。結局アタイらは喧嘩売られているって事だろう?」
「ううん。逆。だって凄く楽しそうだもん」
 空が言う通り、そのロードレーサーの男は楽しそうだった。ちょっとヤバい薬でもキメているのかと疑うほどには……
(そういえば、この大会にはドーピング検査がなかったな)
 などと考えているうちに、みるみる追いつかれていく。
「あっ――」
「今度はなんだ?空」
「あれ、後ろに何かついてきている」
「ああ、ロードレーサーはトレインを組んで走るのが当然なんだ。多分それじゃないか?」
 ある程度の速度が出ている自転車にとって、前方からの風――すなわち空力抵抗は大きな敵である。それに対抗するために、前の選手を風よけに使う手段はロードレースでも広く採用されている。
 それが、通称トレイン。一列になってぴったりくっついて走る方法だ。
 しかし――
「いや、違うよ。後ろについてきているのは自転車じゃない」
「じゃあ何だって――何だアレ?」
 茜も驚く。後ろから追い上げてきた車両は、確かに一台だけだった。ロードバイクの後輪から、もう一本のフレームが後ろに伸びている。そしてそれは、台車のような装置につながって、最後尾には黄色い旗を立てている。
「リアカー?」
 空が恐る恐る聞くと、その答えが後ろから帰って来た。
「そう!リアカーだ。君たちが空君と、茜ちゃんだね。会えてうれしいぜ」
 リアカーを牽いたロードバイクの男は、そのまま空に接近する。
 見た感じは30歳前後の男性だ。ヘルメットなどは着用せず、(空や茜も着けていないが)背中まで届く金髪をなびかせている。
 その男性が、大声で名乗った。
「僕はユークリット。しがない遊び人さ。もしよかったら、少し話さないか?なぁに、道中は長いんだし、こういう時はこまめに休憩を取った方が有利だ」
 ユークリットが誘う。
「あ、えっと、じゃあ一緒に休憩、しましょうか?」
 そう言ったのは空だった。茜はやれやれと頭を振ると、上体を起こして二人に並ぶ。
「おい、ユークリットとか言ったか……どうしてアタイらを知っているんだ?」
「ん?ああ、さっきミス・リードが放送で言っていただろう?『茜さんの後ろからユークリットが来る』って。つまり僕の前に茜ちゃんがいるんだ。って思ったからさ。思わず追いつきたくて、柄にもなく本気を出しちゃったよ」
 いったいどれほどの重量があるのか知らないが、このリアカーを引きながら空たちに追いついたアタックは大したものかもしれない。空たちが疲労していたことも込みだろうが。
「ミス・リード。この辺で休憩できるところってない?」
 空が言うと、ミス・リードが答える。

『えっとですねぇ。ごめんなさい。そもそも街自体がしばらくないですぅ。コンビニとか公園でいいのでしたら、2kmほど先に小さな公園が、3kmほど先にはローソンがありますが、どうしましょう?』

「いいね、公園。僕は公園が大好きだ」
 ユークリットが言った。
「仕方ない。アタイらについてこれたらな」
「ああ、ありがとう。それじゃあ公園まで競争しようか。あっはっは」
 冗談のように言ったユークリットは、それから冗談とも思えない加速を見せた。ギアを大幅に下げてからケイデンスを上げ、確実に速度を上げていく。
「って、そうなっちゃうの!?」
「空、アタイらも行くぞ」
 茜に言われて、空が意外と本気でペダルを漕ぐ。茜も言わずもがな本気でアタックを仕掛けた。しかし……
「おいおい、どうして追いつけないんだ?」
「は、速い……」
 空がサイコンに目を落とす。現在36km/hと表示されていた。さほどの傾斜もない平坦な道で、コーナーが多いにもかかわらずこの速度。ロードバイク単品の巡航速度で考えても十分速い。
「一度慣性がついてしまえば、巡航速度は十分維持できるからね。スタートでは大きく不利になる重量も、スピードに乗ってしまえば大して問題ない」
 ユークリットが余裕を見せつけるように答える。コーナーに入るたびに、大きく体を傾けてリーンイン。重い車体を揺らすことなく、まるで空を飛ぶように走っていく。
 トレーラーは大きな内輪差もなく、ユークリットの後ろをついて回る。彼がマンホールをよければ、まったく同じライン取りでトレーラーもマンホールをよける。彼が車体をわずかに揺さぶれば、時間差もなく一緒に左右に揺れる。
「気持ち悪い動きだな――」
「そう?かっこいいけど」
 空の好みはさておき、茜の言う気持ち悪いとは不愉快という意味だけではなく、不気味という意味もだ。
 コーナーにおいては生き物のようにうねる。ストレートでは溶接されているかのように追従する。こんな自転車は見たことがない。いや、どんな乗り物でも見たことがない動きだ。
(だが、抜ける……今だ!)
 茜がここを勝負どころと見定めたのは、道がわずかに荒れてきたからだ。
 ユークリットは後輪に自分の体重の半分と、荷物の重量の半分、さらに車体の総重量の半分を預けていることになる。結果として、後輪が地面に強く押しつけられている。
(目測だが、あいつが使っているタイヤは25cだろう。空より細い。もちろんアタイよりもな)
 アスファルトの表面が削れ、ザラザラした砂利のようなものがむき出しになる。この路面を細いタイヤで、しかもあの重量で走るとなれば、転がり抵抗は大きくなるだろう。
(これは拙いね。まるでブレーキをかけながら走っているようだ。茜ちゃんも近づいてきているし、これは僕の負けかな)
 ユークリットが少し諦めかけた。その気持ちが走りに出たのか、さらに速度が下がる。
「アタイの勝ちだな」
 茜がさらに速度を上げる。ついにトレーラーの後輪と、茜の前輪が並んだ。
 道路は見通しのいい直線。道路脇には木々が生い茂っている。茜は右側から、ユークリットを抜きにかかる。
(しかし、長いな。この車両)
 ユークリットが操る車体の全長は、通常の自転車の2倍。一般的な自動車よりも長い。これを一息に追い越すのは難しい。たとえて言うなら2台の自転車をごぼう抜きにするようなものだった。
 じりじりと、茜が追い越しをかけ続けている……はずである。ようやくユークリットの本体後輪と、茜の前輪が並ぶ。トレーラーの後輪を、茜の後輪は追い抜いていた。
(おお、茜ちゃん頑張るね。僕の後部を追い越したか)
 コースが大きく右に曲がる。ユークリットは無意識に体を右に倒して、茜のいる方に車体を寄せてしまった。

(しまった――)
「てめぇっ、危な――」

 茜がとっさにブレーキをかけて減速する。ユークリットの幅寄せに合わせて、トレーラーも茜に幅寄せしてしまった。
「すまん。わざとじゃなかった」
「……気をつけろ」
 もっとも、茜もスタート直後に走行妨害をした後ろめたさから、あまり他人にとやかくは言えない。わざとじゃないだけユークリットの方がマシかもしれない。
(それはそうと、この車体。簡単には抜かせてくれないな)
 茜は認識を改める。意外に厄介な敵だ。
 巡航速度は30km/hと、本当に信じられない速さ。それに加えて巨体である。
「でも、やっぱり加速は苦手ですか?」
 と、ユークリットの左隣から、空が尋ねる。
「ああ、そうだね。急加速、急ハンドル、急ブレーキ……とにかく急な動作は苦手さ。こういう道路貸し切りのイベントはともかく、信号が多い道とかは疲れるね」
「大変なんですね」
 空が感心したように言う。そんな空の中性的な顔立ちを見ていると、なんだか話しやすい。何を話しても聞いてくれるような、やわらかい雰囲気をまとった少年は、
「……ところで、いつの間に追い付いてきたんだい?」
 ユークリットのすぐ左隣、つまり横並びの位置で話している。
「え?いや、さっき茜がブレーキかけた辺りで」
 自分のしていることに無自覚な空が言う。
 ユークリットは、いつも公道を走っている癖でつい、左に寄りながら走っていた。そのさらに左となると、わずか1メートルくらいしか開いていない。その隙間を、いつ車体同士が接触するか分からない状態の中、空は進んできたのだ。
 もしかすると、道の横から枝が飛び出していたり、マンホール周辺に大きな段差があったり……それだけで事故につながる緊張感の中、それでも空は、狭い隙間をすり抜けてきた。
「おじさん、びっくりしちゃったなぁ」
 軽く言うユークリットだが、実際にはとても驚いている。そもそも、左から自転車に抜かされるという経験自体、ユークリットの10年以上ある自転車歴の中で初めての事だ。
「空、そのまま進め。そいつを追い抜くんだ」
 後ろから、茜の怒号が飛ぶ。
「え?どうして?」
「バカか。さっき言ったろう。公園まで競争だって」
「うん。そうだけど……」
 もともと口約束の競争なうえに、空たちが勝っても何の得もない。争いごとを好まない空としては、まったく気にしてなかった。


 森を抜けて住宅地――といっても間隔をあけて家が建っているような町に出る。さほど大きくもない庭を持つ平屋が軒を連ね、その間を細い路地が通る、いわばどこにでもある田舎だった。
 その一角に、ミス・リードの言っていた公園があった。こちらも東北ならではの雄大な山々を生かした自然公園……などではなく、ただの公園だ。
「結局、空君の一人勝ちかな?」
「嘘だろ。アタイが……」
「うん。何かごめん」
「謝んな。せめて嬉しそうにでもしてくれ」
 住宅にしたら数軒分しかなさそうなスペースに、滑り台や雲梯などを複数組み合わせた遊具が置かれ、その横にブランコが設置されている。あとは砂場とベンチがあるのみの、普通の公園。
 外周を木々が覆っているが、こちらも季節がら葉をすべて落としている。週末の夕刻だというのに、子供すらいない。寒いからか、もう暗いからか。
「おお、これはこれは……素晴らしい公園だな。実に僕好みだ」
 ユークリットは楽しそうに言うと、自転車を降りて入っていく。空と茜もそれに続いた。
「変な趣味だな。こんな公園なら、どこにでもあるだろう」
 茜が言う。とりあえず手近なところにベンチを見つけたので、それに自転車を立てかける。空も適当なところでスタンドを下した。
「ふむ。確かに普通はこんな公園に興味を持たないよね。でも僕は好きなんだ。なぜか安心感がある」
 少し落ち着いた様子で語るユークリットは、続いてトレーラーのジョイントに手をかけた。根元のグリップを後ろに引くと、少しひねってロック。そのまま上に持ち上げるようにして、本体からリアカー部分を外す。
「一応、自転車本体にはスタンドをつけているんだが、トレーラーの重さに耐えうるものではなくてね」
「へぇ。それでリアカーを外してから、スタンドを立てているんですね」
 空が感心する。
「このリアカーって、元々が自転車の後ろにつける設計なんですか?」
「ふふふっ、リアカーとは自転車のリアにつけるからリアカーなのさ。自転車につけられないリアカーなど、この世に存在しないよ」
 ユークリットは意地悪っぽく笑みを作った。
「とはいえ、僕のは見ての通り、MTBなどのクイックリリースを抜いて、そこに専用のジョイントとボルトを通す仕組みだ。つまり、スポーツバイク専用のサイクルトレーラーって事になるね」
「サイクルトレーラー?」
 空が首を傾げた。茜が答える。
「たしか、自転車で牽引する車両の事を言うんだよな。アタイも実物を見るのは初めてなんだけどさ」
「そう。その通りだよ。いやぁ、こんな車両を出場させてくれるなんて、やっぱりチャリチャンは懐が広いね」
「まあ、自転車だったら何でもあり。ってルールだからな」
「それはそうなんだけど、法律上はサイクルトレーラーって、自転車以外の軽車両に分類されるからね」
「え?そうなんですか?」
「ほう……アタイもそれは初耳だな」
「まあ、法律の話なんて、実際に運用している人でもないと分からないよね……よし、できた」
 トレーラーとロードバイクを横に並べたユークリットは、自転車の前輪とフレーム、そしてトレーラーのフレームをチェーンロックで繋ぐ。後輪はクイックリリースを外してしまっているので、ダブルループにする必要はない。
「ちなみにこれはTOPEAKのジャーニートレイラーって商品で、一輪の割には大きいのが特徴かな。雨の日にも安心のドライバッグ付き」
「一輪……そういえば、主流は二輪だよな。ドッペルギャンガーとか、クロネコヤマトの使っているやつとか」
「そうだね。二輪は安定感があるから、大きな荷物を積むには便利だ。重量もホイールベースの外に配置できるから、トレーラーヘッドにかかる負担を軽減できるし、何かといいと思うよ」
 ユークリットが自販機でコーヒーを買う。
「せっかくだからおごるよ?」
「あ、ありがとうございます」
「じゃ、お言葉に甘えるか」
 空はいろいろ迷ってから、結局ミルクティーを、茜はコーラを選んだ。

 ベンチに座るユークリットに、空が訊く。
「どうして一輪なんですか?」
 先ほどの話によると、二輪の方が利点が多いように聞こえた。それでもユークリットが一輪を選ぶのには、何か理由があるのだろう。
「ああ、タイヤが少ない分、摩擦抵抗が少ないからね。巡航速度が上がるって利点はある。あとは小回りも聞くし、リーンインもできる。でも、意外と僕が重視しているのは、安定感だ」
「安定感?それなら二輪の方がいいのでは?」
「確かに、平らな路面ならね。でも考えてみてほしい。左右にタイヤがあった時、片方のタイヤだけが段差に乗り上げたら、どうなるかな?」
「え?えっと……」
「ひっくり返るな。確実に」
 迷う空をよそに、茜が答えた。
「茜ちゃんは鋭いね。そう。二輪の弱点はそこだ。一輪なら技量次第で安定させられるが、二輪は本人の技量にかかわらずバランスが決定されてしまう。一度バランスを崩したとき、一輪だったらテクニック次第で立て直せるけど、二輪はどうしようもない」
 ユークリットが、長い金髪をいじりながら言う。自転車といい本人といい、妙に目立つ奴だった。
「でも、これって自転車に負担をかけませんか?」
「確かに、アタイも気になってた。これって割とガチな方のロードだろう?」
 一口にロードバイクと言っても、いろいろな形態がある。茜の乗っているシクロクロスも、元をたどればロードバイクから派生した車体だ。
 ユークリットが乗っているGIANT TCRティーシーアール-2 COMPACTは、そういった派生形ではないロードレース用のエントリーモデル。つまり正当なレーシングマシンのはずだ。軽量化のために剛性を犠牲にした車体は、トレーラーを引くにはいささか脆弱だった。
「ああ、うん。一度調子に乗って重い荷物を引きすぎてね。案の定リアホイール交換とフレームの矯正をかけることになってしまったよ。いやぁ、あの時はマジで焦った」
 ユークリットはそれを笑い話として語る。
(まあ、確かに使用感は抜群だな)
 よく見なくても、純正サドルはとっくに耐久年数を超えてボロボロ。
 何度張りなおしたか分からないグリップテープは擦り切れているし、シフターも左側だけ新型のTiagra 4700に変更されていた。片方だけシフトケーブルがグリップに内蔵されているのが奇妙な印象を受ける。
 トレーラーと同じTOPEAK製のリアキャリアとトランクバッグ。さらにはサドルバッグが、大量の荷物を積みたいという気持ちを体現している。元は無駄を一切省いたレーシングマシンだったはずなのに、その迫力は一切ない。
「これはまだ、アルミフレームだからいい方かもね。フルカーボンだとトレーラーを引く力に耐えきれず、折れてしまう可能性もあるかもしれない。一輪トレーラーでバランスを取り続けるっていうのは、フレームを常にねじっているのと変わりないからね」
「ふーん。でもさ、これってフロントフォークはカーボン使ってるだろ?」
「え?」
 ユークリットが意外そうな顔をする。
「……もしかして、気づいてなかったのか?」
「いや、スペック表にはアルミフレームと書いてあったから……」
「まあ、主原料はアルミだろうけどな。フロントフォークにカーボンコンポジット。そしてボトムチューブには極薄のアルミ材。GIANTがたまにやるんだよ」
 茜が遠慮なくTCR-2の側面を爪で叩く。確かに場所によって音質が違うようだ。
「知らなかった。何年も乗ってきたけど、そもそも気にしたことがない」
「あれ?もしかして僕のエスケープもカーボン?」
「いや、違うぞ。空のは同じGIANTでもアルミだ。さすがにカーボンもそこまで安くなってないさ」
 最近だと、フレームセットで10万円前後のカーボンも出始めたが、相場自体は依然として30~40万を維持している。カーボンバイクはこれから先も、一部の人が欲しがる高級車のイメージを崩すことはないだろう。
 ただ、アルミもかつては高級品だったことを考えると何とも言えない。そういう意見もある。
「まあ、アタイのセンチュリオンはフルアルミだけど、他のシクロならフロントフォークにカーボンを使う車体も珍しくない。カーボンに偏見を持つ人は多いけど、実際にはそれほど脆い素材じゃないかもしれないぜ?」
「茜ちゃんは、本当に詳しいな」
「いや、別に」
 感心するユークリットと、褒められ慣れてない茜。そんな二人をよそに、空はトレーラーの周囲をくりくりと眺めまわしていた。
(この三角形の黄色い旗、トレーラーの車高が低いから立てているのか。自動車からだとボンネットに隠れて見えにくい形状だもんね。フェンダーにはテールランプもついているし、意外と安全には配慮しているのかな)
 興味が出てくると色々気になる。空の一番の長所は好奇心かもしれない。
「あの、これって何が入っているんですか?」
「ああ……空君も、やっぱり気になる?地元を走ってても、よく聞かれるんだよね」
 ベンチから立ち上がったユークリットは、トレーラーにぴったり収まるドライバッグを開いて見せた。
「さあ、どうぞごらん。たいしたものじゃないけど、僕の旅のお供だ」
 その中には、いろんなものが入っていた。しかも、割とどうでもいいものばかりが。
「これって、ギター?」
「いや、ウクレレだね。本当はギターも持ってこようと思ったんだけど、場所を取りすぎるから断念したんだ。でも、元々このトレーラーを買ったのも、エレキギターとエフェクタ―ボードを運ぶためだったな」
「っていうか、大会中にウクレレ必要な時なんかあるのかよ?」
 茜が訊く。てっきりビバークに必要なものでも入っているのだろうと思っていたが、見たところ寝袋やツェルトが入っている様子はない。
「まあ、もともと音楽は趣味でね。チャリチャンの途中に弾きたくなったら困るだろう?」
「困らねぇよ。もしそんなことで困るならチャリチャン出るなよ」
「いいじゃないか。僕は優勝を争う気はないからね。完走も……まあ、できればいいな。ってくらいの気持ちでね」
 仮にも現在986人中24位タイについている人物の発言とは思えない言い草だった。
「PS Vitaもある。ソフトもいっぱい……これもユークリットさんの趣味?」
「そうだよ。途中で疲れた時にゲームがしたくなることもあるだろう?」
「これは……タブレットか?」
「残念。ノートパソコンだよ。いや、実は趣味で小説を書いていたりしてね。まあ、バッテリーの消費が早いのが問題なんだけど」
「このペットボトルは?ラベルがないけど……水と麦茶?」
「それは、空君にはまだ早いかな。お酒だよ。芋焼酎とスコッチウイスキー。瓶のままだと割れちゃうかもしれないから、ペットボトルに移しているんだ」
 ちなみに、チャリチャン開催中のコースは貸し切り扱いのため、コースアウトさえしなければ飲酒運転が許可されている。その他、信号無視や無灯火運転についても許可されているのだが、ルール上明記されているわけでも推奨されているわけでもない。
「フロアポンプやディグリーザーも入ってるんですね」
「まあ、自転車レースだからね。最低限の装備は整えているつもりだよ」
「よかった。ただのアホじゃないのか」
 どんな失礼な言い草も、ためらわず素直に口に出す茜。どうもこのユークリットなる人物には遠慮がいらないというか、何を言ってもいいような気がしてしまう。
「着替えとか使い捨てカイロとか、あと食糧もある。これは経験から言うことだけど、ロングライドに挑むなら最低限の食糧は持っていた方がいいね。日本は山道や田舎が多い。数十キロもコンビニなし、なんて道もあるくらいだ」
 急に真剣な顔つきになるユークリットに、空と茜も一瞬聞き流しそうになってから食いつく。
「数十キロも?」
「ああ、誇張じゃない。それに、そういうところに限って道が悪いんだ。僕の経験で言うなら……あれは実家から東京まで行った時の事。とある国道が、アップダウンの激しい山道に入るんだ」
「それなら、ダウンヒルで勢いをつけて踏破するのが基本だな。パンチャーが得意とする戦法だ。まあ、出来る人とできない人がいるだろうけど」
 ちなみに茜は自分自身をパンチャーだと自負している。常に変速ギアを切り替え、使う筋肉やフォームさえ変えながら走る。まだ自分の走りが定まってないともいうが、山育ちゆえの宿命でもあった。
「ところが、だ。その国道は舗装状態も悪い。亀裂の入ったアスファルトをえぐれるまで放置する。仮に直すにしても適当に補修するから、継ぎ目に幅も深さも10センチ前後の溝ができる。数メートル置きに」
「それ……国道の話、ですよね……?」
 空が訊く。ユークリットは深く頷いた。
「なるほど。それだとスピードを出せば、ロードバイクは破損する。つまりダウンヒルでは速度を落として、ヒルクライムで一方的に体力を奪われるわけだな」
「さすが茜ちゃんだ。その通りなんだよ。もともとがクライマーだったら話は違うかもしれないが、ロードバイク泣かせの道路工事が平然と国の指導の下に行われている。我々の血税でね」
 ちなみに、ずさんな工事になるのは予算の問題と、業者の問題がある。
 前者は年内に必ず使い切らなくてはならない道路特定財源が余った時、適当な場所を予算分だけ、メートル単位で補修するから発生する。大概が切羽詰まってから受注され、即完工しなくてはいけないため雑になるのだ。
 後者はそもそも、道路を補修する知識に乏しい人間が、限られた資材で補修するため発生する。例えば水道管を工事するなら、水道業者がアスファルトを敷いていくわけだ。
 どちらも作業員に罪は全くない(むしろ無茶ぶりされてる分、彼らも被害者かもしれない)が、あまり国民に優しいとは言い難い。
 特に自転車乗りには拷問に等しい。
「日本は、自転車業界を潰したがっているのかもしれないね」
「そんな大げさな……」
 空が戦慄する。が、茜は静かにユークリットを見ていた。
 やがて、ユークリットが笑う。先ほどまでの作った感じの笑いではなく、本気で笑っているらしい。
「――っははははっ、はっ、はっ……いや、冗談だよ空君。僕の言うことを真に受けたのかい?」
「え……?ああ、冗談だったんですか」
「こいつ、平然と人をからかうタイプだな」
 茜が眉間を押さえる。とはいえ、近年の日本の自転車業界は世界レベルで見ても衰退しているし、お隣の中国、台湾が自転車大国なので余計に酷く見えるのもある。
「まあ、国内規模でチャリチャンみたいな大きなイベントを行っているくらいだし、日本の自転車業界も元気さ。何より業界を支えるのは、国の政策じゃなくて、メーカーの努力と、我々ユーザーの愛だからね」
 どこまで本気で言っているのか分からないユークリットは、残っている缶コーヒーをグイっと飲み干した。

「さて、話に付き合ってくれたお礼に、一曲贈らせてもらおうか」
 ユークリットはコンサートサイズのウクレレをケースから出し、プリアンプに内蔵されているチューナーを起動させる。エレアコと呼ばれるシステムならではのチューニング方法だ。
「――と、思ったけど、君たちに時間は残されていないのかな?」
 顔を上げたユークリットが、道路の方を見る。ちょうど、数台のロードバイクが通り過ぎるところだった。
「まさか――」
 茜が慌ててミスり速報を起動する。
「ミス・リード。今通り過ぎて行ったのは参加者か?」
 手短に訊いた茜の言葉を、ミス・リードは正しく把握する。

『はい。現在の茜さんたちの位置を特定すると……茜さんが言っているのは、エントリーナンバー203~211 常海じょうかい大学自転車サークルの皆さんですねぇ。
 チームリーダーはエントリーナンバー203 オールラウンダー赤月さん。ダブルリーダー製で、もう一人のリーダーがエントリーナンバー208 クロノマン・ゴーストピンクさんです。
 ちなみにこの時点で、茜さんたちの順位は24位タイから33位タイに転落ですぅ。後続からもう3人迫ってきていますよぉ』

「やっぱりか」
 自分たちが休憩している間にも、当然走っている人はいる。むしろ今まで順位転落しなかった方が不思議なくらいだろう。
「すまない。ユークリットさん。あんたの歌を聞いている時間はなさそうだ」
「ああ、仕方ないね」
 調律の手を休めないまま、しかし名残惜しそうにユークリットが言う。茜は自転車を起こすと、すぐさま跨った。
「行くぞ。空」
「え?あ、えっと……」
 急に言われて狼狽える。空としては、もう少し休憩していきたいような、もう十分なような……
「行っておいでよ」
 ユークリットは言った。ベンチから動く気配はない。それどころか、アドリブらしい何かを奏で始めていた。
「ユークリットさんは?」
「僕かい?もう少し休憩しているよ。気分も乗ってきたからね」
「おい、空。早くしろ。おいてくぞ」
 茜が急かす。もっとも、本当においていく気ならもう走り出していると思うが。
「今行く。それじゃ、またどこかで」
「ああ、またね」
 言っていることとは裏腹に、もう会うことはないだろうとユークリットは思った。自転車は精神論みたいなものが意外に重要になる。そこで負けている自分が、空や茜に追いつくことはない。
 自転車を起こしてスタンドを上げる空に、ユークリットは言った。
「最後のアドバイスだ。こんな感じの公園を見たら、休憩することを思い出してくれ」
 その声は、空だけでなく、茜の耳にもしっかりと届く。
「ありがとう」
 スタンドを蹴って、走り出す空。茜もそれを見てようやく走り出す。

 体が軽い。なんだかんだで10分くらいは休憩できた。そのたった10分のリフレッシュが、巡航速度を格段に上げる。
「公園を見たら休憩を思い出す……」
「あながち、間違ってないかもな。とくに翌日に疲れを残せないチャリチャンなら」
 目の前に、ロードバイクの集団が見えた。先ほどの常海大学で間違いない。
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