チャリンコマンズ・チャンピオンシップ

古城ろっく

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第9.5話 二人の声優と実況席

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「さあ、チャリンコマンズ・チャンピオンシップも、そろそろ3日目を迎えようとしています。スタートしたのがつい先ほどのようにも、ずいぶん前のようにも感じますねぇ。
 この実況放送も、始まってから34時間が経過しようとしているわけです。実際にはレース開始前からアナウンスしているので、もう37時間もぶっ通し放送しているんですけどねぇ」

 ミス・リードの声が、放送室のマイクに入る。
 東京の某所にある、小さなビル。ここはチャリチャンの本拠地であり、主催者やスタッフたちが集う場所だった。
 4階建てのビル全てを貸し切った当施設は、3階に資材置き場と資料室。そしてこの放送室を設けている。即席の防音設備を組み込んだ10畳ほどの狭い空間には、放送に必要なものだけが置いてあった。
 中央には、ミス・リードの椅子。正面にはコンデンサーマイク。必要に応じて持ち運びできるように、予備のインカムマイクとハンドヘルドマイクも置いてあった。たとえ一つのマイクがトラブルを起こしても、他のマイクが代用できる仕組みだ。
 テーブルの上には選手の資料。壁には多数のモニターが並び、コースに仕掛けた定点カメラや中継車のカメラが捉えた映像が映し出されている。
 ここでの仕事はミス・リードにとって楽しいものだったが、企業としてはブラック過ぎる程のブラック企業に当たる。
 その証拠に、ミス・リードの正面には栄養食やゼリー飲料のパックが置かれ、背後には簡易的なトイレも用意されている。つまり、食事やトイレの際も休みなく実況を続けろと言うわけである。
 この中継室は、半ば牢獄を兼ねた設備だった。
(一応、マイクは単一指向性――私の声以外の音を拾わない仕組みになっているはずですが、もしかしてトイレの音とかも放送で流れちゃっているんでしょうか?やだぁ。興奮してきましたぁ。一回トイレで賢者になりながら実況を続けましょう)
 と、ミス・リードの感性がおかしいから大丈夫だが、普通の女性なら嫌がるどころか訴えるべきところに訴えているはずの職場である。

「さて、初日こそ徹夜で走る選手も見受けられましたが、さすがに2日目ともなると、皆さんこの時間で大体動きませんねぇ。一部の選手はまだ走っているのですが、大きな進捗はないと見ていいようです。
 せっかくですから、私が気になった選手の紹介コーナーでもやりましょうかねぇ。今回紹介するのは、なんと中学生でありながら出場を決めてくれた4人の選手です。勝手に中学生四天王とか、U15四天王とか呼んじゃいましょうかねぇ?
 この季節は受験生にとって大変な時期だと思うのですが、それでもチャリチャンに出てくれたこと、私は感謝していますよぉ。なんなら処女を差し上げたいくらい……と言いたいところですが、私の初体験は実の兄に捧げちゃったので、無いものは差し上げようがないですねぇ……どうしましょう?」

 自転車レースの実況中継とは思えない内容の話も交えながら、ミス・リードは楽し気に資料を見る。当然、資料に書いていないことは自分の知識を総動員して調べ、今までの映像もつなぎ合わせて説得力と情報量を増す。
 一人で調べきれないところはスタッフの力も動員するが、ほとんど誰に頼ることもなく調査するミス・リードの能力は天才的だった。
 編集スタッフが作り上げた、各出場者のハイライト映像を流しながら、その選手たちについて語る。

「まずは言わずと知れたお騒がせ中学生コンビ。エントリーナンバー435 諫早・茜さんと、同じく451 ソラさん。受験生だというのにご苦労様です。
 茜さんはシクロクロスの使い手で、走り方は私の見たところ、パンチャーとかスプリンターの気質が強いですねぇ。他の選手と遭遇するたびに噛みついている印象がありますが、本日は風間史奈選手にさえ噛みつきました。
 一応U15の大会を調べてみたんですけど、茜さんの名前はシクロクロスにもロードレースにもトラックレースにも出てこないんですよ。つまり、実績なしのルーキーって事ですかねぇ?こんないい選手が埋もれていたなんて、勿体ないですぅ。
 続いて空さんですが、クロスバイクの使い手で、ルーラーのような走りが特徴的ですねぇ。時々茜さんに置いて行かれそうになりますが、必ず追いついてくるあたりに強い絆を感じちゃいますぅ。
 こちらも実績なし。まあ、走り方を見ていると素人じゃなさそうなんですけどね。それなりにロングライドの経験がある人の走りだと思いますよぉ。私の勝手な見解ですけどねぇ」

 この通り、参加者の事をよく見ており、その特性を分析して解説できるのも、ミス・リードの凄いところだった。たまに下の方から水が跳ねるような音がするが、気にしてはいけない。

「こちらも注目の選手。エントリーナンバー101 天仰寺 樹利亜てんぎょうじ じゅりあさん。まだ14歳。中学二年生の少女です。この映像、凄いケイデンスだと思いません?私もスロー再生で調べてみたんですけど、分間ケイデンスが200を軽く超えているんですよぉ。
 この細い脚のどこからこの速度が出ているんですか?そして全体的にスリムなのに、どうしておっぱいおっきいんですかぁ?見てください、この谷間。タプタプと揺れて波打つのが、服の上からでも分かります。そそります。ああ、映像拡大したせいで画質が悪くて伝わらないですぅ。ごめんなさい。
 ちなみに、とあるネット掲示板で、面白いスレ見つけたんですよぉ。題して〈チャリチャン選手の名前を上げると中二病っぽい二つ名をつけてもらえるスレ〉です。例えばエントリーナンバー403 ストラトスさんだったら〈暴風域の英雄〉〈E-BIKEの先駆者〉〈実は空君とデキてる〉〈真冬の夜のタジェーテ先輩〉〈STRTS兄貴〉などなど、安価で公式に決定したい程に素敵な二つ名が並びます。
 で、天仰寺ジュリアさんの二つ名ですが、〈純白の堕天使〉〈眠りのチャリの美女〉〈現実世界のロリ巨乳〉〈ケイデンス250で揺れる超振動メロン〉〈天を衝く双丘〉〈じゅりあたんマジ天使〉〈ケイデンス250で踏んでください何でもしますから〉〈ケイデンス250の太ももで擦られたい〉〈おっぱい!おっぱい!〉などなど……
 おや、噂をすれば本人から凸電ですねぇ。もしもし、こちらミス・リードですぅ」
『ミス・リードぉ!貴女ねぇっ……私の紹介しているから黙って聞いてたら、む、胸の事ばっかりじゃないの!それに、二つ名紹介の最後の方はもう二つ名でも何でもないじゃない!ふざけないで』
 どうやらミスり速報を聞いていたらしい。今話題に上がっていた天仰寺本人が電凸機能でミス・リードに叫ぶ。その音量を聞きやすいように調節しつつ、当然のように会話を生放送するミス・リード。
「ジュリアさん?息が荒いですけど、オナニー中でしたか?」
『怒ってんのよ。ブチ切れてるから息が荒いのよ。貴女こそ、息が荒いんじゃないの?』
「オナニー中だからです。ご一緒にいかがですか?」
『そっちがですか!っていうか、わたくしはお、おお、おおおオナニーなんかしません。ええ、いたしませんわ。あんな破廉恥で、気持ち悪くて、怖くて、ぞくぞくして……あんなことをしていたら、体調を崩しますわよ。思い出しただけでもおぞましい』
「そんな中学生が初めてオナニーに挑戦した時のリアルで生々しい感想みたいなの垂れ流さないでくださいよぉ。まあ、小学生の時に純潔散らした私には共感できない話ですけど」
 すっかり調子に乗ったミス・リードは、中学生相手でも容赦がない。
「ところで、ジュリアさんって先週誕生日だったみたいですねぇ。おめでとうございますぅ」
『え?あ、ありがとうございます。そういえば、エントリーシートに生年月日を書く欄があったわね』
「ええ。ところで、それってつまり先週まで13歳だったって事ですよねぇ?そのたわわな胸はいつから膨らんだんですかぁ?14歳なりたてでEカップってどんな成長速度ですかぁ。いったいどこまで膨らむんですかぁ?自転車乗りにくくないですかぁ?」
『なっ、なななななんでEカップの事を知ってるのよ。さすがにそこまではエントリーシートに……』
「ええ、当て推量ですが?……でもその反応。つまりビンゴ!さすが私ですぅ。カメラ越しに27inと700cの違いを把握できる私の能力は伊達じゃありませんよぉ。あ、ちなみにエントリーナンバー442 伊達政宗さんの乗る21.Technology CL27-700ですが、恐らく私の見立てでは27inです」
『え?そうなの……じゃなくて、当て推量でカマかけないでよ。これではわたくし自らがEカップだと自白したみたいじゃないの!』
「みたいも何も、事実としてEカップだったわけですが、今、何色のブラジャー着けているんですかぁ?ちなみに私は水色ですぅ。さあ、私も言ったんだからジュリアさんも言ってください。今、この瞬間着けているブラの色を!」
『なんで貴女が言ったらわたくしも言わなくちゃいけないのよ?っていうか、これって全世界にネットで放送中の会話じゃないの!』
「だからこそ、全世界に向かって、中学生のEカップおっぱいを包んでいるブラの色をカミングアウト!」
『ふ、ふふ、残念ね。私のブラジャーを妄想しようと思ったみたいだけど、今はお風呂に入ってるから着けてないわ』
「聞きましたか!皆さん。今ジュリアさんはお風呂です。体を洗うときどこから洗いますかぁ?Eカップは水に浮きますかぁ?」
『しまった!かえって状況を悪化させてしまった!?み、皆さん。見ないで!思い浮かべないで!』
「ちなみに、こちらがジュリアさんの自転車に乗っている映像ですぅ。お風呂に入るときもこんな姿勢なんでしょうねぇ?ネット掲示板の住人さんたち、素材を上げますのでコラお願いします」
『やめて。お願い』
「ふふふふ、もっと……もっとお話ししましょうよぉ……ジュリアさん」
『もう二度と話すか!』
 天仰寺はついに怒りを爆発させると、思いっきり叫んで電話を切った。ミス・リードの放送室には静寂が戻る。
「あらら……怒らせちゃいましたねぇ。もっと自転車の話とか聞きたかったんですけど、おっぱいで終わっちゃいましたぁ」
 少し反省したミス・リードは、しかし気を取り直して、最後の中学生参加者を紹介し始める。

「最後は、エントリーナンバー040 鹿番長しかばんちょうさん。後続の選手ですねぇ。自転車歴は長いみたいですが、今までもMTBルックしか乗ってこなかったとのお話を伺っていますよぉ。そんな彼が今後、どんな活躍を見せるのか楽しみですねぇ。
 今のところ、中学生四天王の中で一番期待度が低いですが、焦らなければ逆転のチャンスもありますよぉ。
 ちなみに、つけられた二つ名は……残念。ありませんでした。掲示板では話題にも上がらない選手なんですけど、これを機に誰か二つ名をつけてあげてください」

 喋っている間に、いつの間にか日付は変わっていた。カメラ越しに外の様子を見てみると、面白い光景が各地で確認できる。複数台のカメラに、映り込んだのは……
「……あらあら。おやおや?これは番狂わせの予感ですねぇ。鹿番長さん。もしかすると逆転のチャンスかもしれませんよ?」
 ミス・リードが言うと、またしても本人から電凸がかかって来た。それだけ多くの選手が実況を聞いているということなのだろうが、なんともタイミングのいいものである。
『よう、ミスり姉ちゃん。鹿番長オレだ』
「ああ、鹿番長さん。ちょうど貴方の話をしていたんですよぉ。っていうか、ミスり姉ちゃんって私の事ですかぁ?」
『ほかに誰が居んだよ?ミス・リードだからミスり姉ちゃんで良いだろ』
「普通、せめてリード姉ちゃんだと思いますが……可愛いから許します。現役中学生のショタ番長に姉ちゃん呼ばわり。密かに嬉しいですよぉ。ちなみに現在3年生とのことですが、高校受験はいいんですかぁ?」
『ああ、いいよ。別に高校なんか行きたくないし、学歴カタガキなんてクソくらえだろう』
 言い切った鹿番長。その名に恥じない男らしい声だ。この深夜にもかかわらず走り続けているようで、マイクには正面からの空力抵抗の音と、タイヤが転がる音が混ざって入る。
「おお、凄い発言です。確かに義務教育なのは中学生までですし、私も大学出てますけど、学歴が役に立ったことはないですからねぇ?」
『話せるじゃねぇか。俺もそう思うぜ。ところで、この状況は継続つづくのか?』
「はい。明日いっぱいは続くと思われます。他の皆さんには申し訳ない事態ですが……」
『いや、あんたらの所為じゃないだろう。それに俺にとっては嬉しい状況コトだ』
「待ってたぜ。この瞬間ときをよ……ってやつですかぁ?」
『ん?ああ、そうだな。俺は今夜、徹夜オール爆走はしるぜ。誰も俺を止められねぇ。たとえ天にいる神様でもよ』
 徹夜宣言をした鹿番長は、そのあと走るのに専念するため電話を切る。
「かぁっこいいぃぃ!聞きました?聞いたでしょ。誰も俺を止められねぇ。たとえ天にいる神様でもよ……まさに番長。はぁん。私、彼の事をもう少し知りたくなっちゃいました」
 よほどミス・リードの好みだったのか、それともいつものように茶化して遊んでいるだけなのか。相変わらず発言の真意が見えてこない実況者である。
 とはいえ、鹿番長を気に入ったのは本当のようで、
「近くにいる中継車で、鹿番長さんに張り込める車両はありますかぁ?あ、サイドカー21号車さんが行けますか。それではお願いします。少々お待ちくださいねぇ。今、中継車を鹿番長さんのもとへ差し向けたので、映像がすぐ来ると思います。これ多分走っているだけでド迫力ですよぉ」
 中継車すら、一声で動かす。このチャリチャンの実況中継に於いて、あらゆる実権を握っているのは実質ミス・リード本人だった。


 ただの雇われ実況および解説者――と言うにはあまりに多くの権利を持つミス・リード。彼女の事についても、少し語ろう。
 24時間を通して実況するという人間離れしたプロジェクトから、一部では人間じゃなくAIと合成音声でやっているのではないかと噂される彼女。もちろん正真正銘の人間である。
 本名は三隅 梨乃みすみ りの。25歳独身の女性である。自転車が好きで、自身も中学生のころからMTBに乗っていた経緯を持つ。もっともクロスカントリーやダウンヒルなどをやっていたわけではなく、ただポタリングを趣味にしていただけの話だが。
 そんな彼女の将来の夢はニュースキャスターだったのだが、どこで道を間違えたのかAV女優に転向し、その後チャリチャンの実況者募集のポスターを見て応募。オーディションで見事合格したという経緯を持つ。
 異色の経歴とはいえ、ニュースキャスターを目指していた際に発声法の基礎などは出来ているし、仮にも女優業に携わっただけの事はあり、演技も達者である。
 三隅自身が素の状態でミス・リードなわけではなく、ミス・リードというキャラクターを三隅が演じているのは言うまでもない。プライベートでもこの性格と語り口だったら、ただの変態だ。

「はぁん。いいですねぇ。とってもいいですよぉ。鹿番長さん、おっきくてぇ、太くて……私も乗ってみたいですぅ。その太くて黒くておっきいの、跨ってみたいですぅ。ああ、気持ちよさそうですねぇ。ちょっと白いのが付いてる……」
 信じられないかもしれないが、根は真面目な女性なのである。本当に信じられないのも無理はないが……
 そんな三隅のいる放送室に、もう一人の女性が入ってくる。
(お疲れ様です。三隅さん)
(おや、林道さん。もう交代の時間ですかぁ?)
 林道 美羽りんどう みう。彼女こそ、もう一人のミス・リードだった。
 そも不可能と思われていた24時間実況。それを実現しているのは、12時間ごとにミス・リード役を交代する、二人一役だった。
 だいたい12:30を境に、AMは林道が、PMは三隅が担当する。それによって最低限の睡眠時間は確保しようという考え方は、ブラック企業であることに変わりはないが、実現不可能なことをギリギリ可能なステージに変えてくれていた。
(では、お願いしますよぉ)
 心の中で交代の合図をしながら、ハンドヘルドマイクを林道に手渡す。それが合図であるかのように、林道はすぐミス・リードとして話し始めた。

「さて、他の選手も紹介しましょうか。本日、活躍しそうな選手たち……今は順位的に後ろの方にいますし、鹿番長さん以外は寝ているのですが……」
 声の質は、三隅と全く同じだった。さすがに声紋鑑定まで行ったら違いが出るだろうが、逆に言えばそこまでしないと分からないくらいに似ている。
 演技力も高い。ミス・リードという難しいキャラクターを完璧に演じる。アドリブのセリフから、独特のイントネーションまで引き継いでいた。
(やはり、凄いですねぇ。林道)
 三隅本人でさえ、林道の喋っているのを聞いて、自分の声を録音したんじゃないかと思うくらいだ。もちろん、林道も同じことを思っていた。
 ちなみに林道美羽も自転車好きなのは言うまでもない。今だって自転車通勤だ。
 乗っている自転車も数台あるそうだが、お気に入りはPINARELLO DOGMAドグマ F8だそうだ。調べてみたら70万円ほどのお値段のプログレードなロードバイクで、ツーキニストが使うものでもない。それが林道にとってコレクションの一つに過ぎないのだから、底知れないマニアである。
(……いけ好かない女ですね)
 三隅は、軽く嫉妬のような感情を彼女に抱いていた。
 林道と話したことはあまりない。あえて言えばオーディション直後に顔合わせで挨拶した程度で、大会が始まってからは一言も会話を交わしていなかった。必ずどちらかがミス・リードとして生放送しているので、当たり前ではある。
 ただ、林道が三隅を知っているかはさておき、三隅は林道をよく知っていた。
 林道美羽は、とある同人サークルで有名になった声優だ。ずっと芸名だと思っていた名前がまさか本名であったことには驚いた。
 あくまで一部の同人ファンの間で人気なだけだが、その界隈では『MU姉貴』と呼ばれ親しまれている。特に耳かきボイスCDに於いては、その色っぽさとアニメ声の見事な融合を聞かせてくれた。
(私と声の質や演技力は変わらないはずですし、学歴で言えば私の方が上なんですけどねぇ。どうして本気でニュースキャスターを目指した私が無名のAV女優止まりで、彼女は有名サークル所属の声優なのでしょう?)
 似ているからこそ、対抗意識も向く。そして自分が努力してこの立場にいるからこそ、同じ立場を共有する相手に嫉妬心が湧く。当然と言えば当然の、それは認めてほしいという欲求だった。
(――っは……いけませんねぇ。私としたことが嫉妬なんて、ストレスが溜まっているのでしょうか?)
 考えてみれば、林道も人知れず多くの努力をして今の立場にいるのかもしれない。三隅が頑張った以上に、林道は何かに必死だったのかもしれない。
 仮にそうでなくても、林道を妬むのは筋違いである。運命なんてものがあるなら恨むべきはそれだろう。世間の目を疎んでもいいし、自分の実力不足を嘆いてもいい。林道を嫌うのは違っている。
(私、いつからこんな嫌な子になったんでしょうか……?)
 林道にその感情を悟られないうちに、軽く手を振って放送室を出る。たいしたものを食べてないから、お腹が減った。
「あ、三隅さん。お疲れ様です」
 スタッフの一人が話しかけてくる。
「ああ、お疲れ様です。私、一回帰ってまた来ますね」
 三隅が言うと、スタッフは紙袋を三隅に突き出した。何かと思いきや、
「これ、林道さんから三隅さんに。とりあえず渡してほしいと頼まれました」
「林道が?」
 気になって紙袋の中を開けると、手紙と大きな弁当箱が入っていた。

『三隅梨乃さんへ。
 いつも実況お疲れ様です。実況中にあまり食事をしていないと聞いたので、腕によりをかけてお弁当を作ってみました。ちょっと作り過ぎましたけど。
 もしよかったら、食べて感想を聞かせてください。とはいえ、私たちはミス・リードの裏と表。直接感想を聞くのは難しそうだから、食べてくれるだけで結構ですよ。もちろん、他にお食事の予定があれば無理にとは言いません。
 大会が終わったら、一緒にサイクリングにでも行きませんか?私、あんまり自転車で遠出したことがなくて、せっかくの高級車も宝の持ち腐れみたいになっているんですよ。だから、いろいろ教えてほしいなって。
 厚かましいお願いですが、考えておいてください。
                       林道美羽』

(ああ、こういうところなんでしょうねぇ。なんていうか、うん……)
 この嬉しさでも悔しさでもない、そもそも向かう先が林道なのか自分なのか分からない感情をどうしたらいいのか、三隅は全く分からなかった。
(こういう事を、さらっとやる人だったんですねぇ。林道……今回はありがたく貰っておきますよぉ)
 多分男性向けじゃないかと思われる二段重ねの大容量弁当箱。一段目には、これだけで弁当として完成しているんじゃないかと思うほど、しっかりとごはんとおかずが入っていた。さらに二段目もぎっしりとおかずが入っているあたり、バランスは崩壊している。
 一つ一つには手の込んだ調理が施されており、何気に楽しんで作っていたのであろうことは三隅にも分かった。何気に一人暮らしの長い三隅だが、自分では絶対に作らない類の弁当に違いない。
 完全に趣味で生きているなぁ。と思いながらも、少しだけ、林道が好きになったのも事実である。ただ、嫉妬心も膨らませてしまったのではないかと思う。
(忙しいのはお互い様。なのに、よくここまでしますねぇ)
 ミス・リードの仕事は、実況のある12時間だけではない。引継ぎの1時間前にはここに来て、放送室の外で相手の実況を聞いておく必要がある。そうしないとテンションが合わなかったり、さっき話したことをまた話したりする可能性があるからだ。
 また、選手の情報を調べたり、コースの流れを把握したり、やることはたくさんある。お弁当を作っている時間はない。と思っていたのは三隅だけだったようだ。林道のスペックは本当にどの程度なのか、底知れない。
「さて……元気も出てきましたし、やっぱりもうひと頑張りしますかねぇ?」
 ハードな仕事であっても決して嫌じゃないのは、それだけやりがいがあるからなのだろう。ミス・リードという立場にいられること、大好きな自転車に携われること、そして、ベストパートナーと一緒に仕事ができること。
 いろんな幸運に恵まれたことを噛みしめながら、二人のミス・リードは今日も実況を続ける。
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