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最終章前編
一章-3
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借りている宿の部屋で、クリスティーナはベッドに腰掛けていた。
トラストンとは別に、マーカスも独自に情報を集めると言って、宿から出て行った。独りとなったクリスティーナは、ただ二人を待つしかできなかった。
〝クリスティーナ。どうなされたのです?〟
懐に入れたペンダントの飾り石にいるティアマトが、気遣わしげな声で問いかけた。
クリスティーナは首を振りかけて、苦笑した。つい癖でやってしまうが、姿を見せていない幻獣たちには、所作は見えない。
「……わたくしは、お荷物なのかしら? こういうとき、一緒に行こうとか言って貰えませんもの」
〝クリスティーナを危険に晒したくはないのでしょう。殿方というのは、そういう考えをするものだと認識しています〟
「……それだけかしら。わたくしが一緒だと、邪魔……と思われているのではないかと、心配ですもの」
〝得手不得手を考えている――のだと思います。彼の態度を見ている限り、クリスティーナを邪魔者扱いをするとは、思えません〟
ティアマトの意見を聞いたクリスティーナは、心なしか表情を和らげた。
「ありがとうございます。少し、気が楽になりましたわ」
〝お気になさらず。あなたがたには、子どもたちを復活させて頂いた恩がありますもの〟
俺が宿の部屋に戻ったとき、クリス嬢とティアマトの会話が聞こえてきた。
腰掛けていたベッドから腰を浮かせて、クリス嬢は俺に微笑みかけてきた。
「お帰りなさい、トト。なにか、わかりまして?」
「検問やら、見張りやら、なかなかの警戒でしたよ。あと、ファーラー市で会った看護婦さんが、従軍看護婦になってましたよ」
「え? あの人が……」
「ええ。というわけで、俺やクリス嬢は顔が割れているので、なにかやるときはマーカスさんが頼りですね。えっと……そのマーカスさんは、どこへ?」
「独自に情報を集めるといって、外へ行きましたわ。わたくしは結局、置いてきぼりに」
「ああ、そうなんですか」
諜報関係者であるマーカスさんは、一人で動きたかったんだろう……な。質の良いドレスに身を包んだ婦人と一緒では、目立って仕方が無い。
でも、マーカスさんが戻ってないというのは、ちょいと不都合だ。
「早めに晩飯って思ったんですけどね。まあ、いいか。クリス嬢とマーカスさんに、今日明日くらいで調べて欲しいことがあるんですが」
俺のお願いに、クリス嬢は少し目を見広げた。
そんなに驚くようなこと言ったっけ――などと思いながら、俺は詳細を話すことにした。
「この街に駐屯している軍に、食料を仕入れている商人がいるみたいです。その商人を突き止めて下さい。俺は今晩から、ちょいと潜入調査です」
「潜入って……軍の駐屯地にですか!?」
「まさか。そんな危険なところに行きませんよ。隣国のスコントラードに潜入して、色々と調べて来ます」
軍の駐屯地に潜入するより、危険は少ないはず――という説明をしようとしたんだけど、その前に、クリス嬢は顔を青ざめさせた。
「な――なにを考えているです! 潜入だなんて……正式な手続きなして国を越えるなんて、そちらも無謀すぎます!」
「いやまあ、ばれたらヤバイですけどね。国境近くの状況を見てくるだけですから。戦争状態になったら、こんなことできなくなりますし。やるなら、今しかありません。元々が、俺に戦争を止めろなんて、無茶無謀な話ですからね。これくらいはやらないと」
俺は努めて『なんてことない』って口調で説明をしたが、クリス嬢の顔は晴れなかった。
「また無茶を……わたくしに、心配しながら待てというのですか?」
「あ、いえ。そこまで心配しなくても大丈夫ですよ。国境に柵や壁が聳え立ってはいませんし。見張りだって、そんなに大勢じゃないでしょう。これが戦争中となると、国境越えは無理になります。やるなら、今しかありません。……ええっと、絶対に無茶はしません。これだけは、誓いますよ」
俺が両手を挙げながら約束を口にすると、クリス嬢はいきなり抱きついてきて、俺と唇を重ねた。
唇を離してから、突然のことに呆然としている俺に、クリス嬢は静かに告げてきた。
「……必ず帰ってきて」
「もちろんです。必ず、帰ってきますよ」
そう応えてから、俺はクリス嬢に唇を重ね返した。
俺がクリス嬢と別れてから、五時間が経った。
ラントンの街の外、田園を越えた先には荒野が広がっていた。夜の帳が降りて、周囲は文字通り真っ暗闇だった。
星は無数に煌めいていたが、月は厚い雲に遮られていた。
巡回する国境警備の兵士たちは皆、ランプを手にしていた。そのお陰で、兵士の位置は容易に把握できた。
見つからないコツは、出来るだけ動かないこと。窪みなどを利用して、視線より低い位置取りをすること――か。
まあ、これも絶対じゃないけど。
三時間をかけて国境を越えた俺は、安全な場所まで移動するのに、約一時間をかけた。
スコントラード国側にある、国境近くの街に入ったとき、すでに日付は変わっていた。
「さて……どうするかな?」
スコントラード国の言語は、ブーンティッシュ国とほとんど変わりない。だから会話には不自由しないけど、問題は金銭だ。
国が違うということは、俺の持っている貨幣や紙幣は使えない。状況によっては、密偵――つまり、スパイと疑われる要因となってしまう。
「まあ、なんとかやってみるさ」
俺は街中を歩き始めると、歩いている酔っ払いを避けるように軍人の姿を探した。
酒場の近くや娼館の近くを通ったが、軍人の姿はほとんど見えなかった。それに、街の外周を見てみても、駐屯地などは見つからなかった。
……どういうことだ?
戦争が起きそうなほどに、緊張が高まっているんじゃないのか?
俺は眉を顰めながら、街の繁華街から離れた。
どうやって情報を集めようかと悩んでいると、三人組のチンピラ風の男たちが近寄って来た。
「おい、見ねぇ顔だな?」
「こんな時間に歩き回るなんざ、嘗められたもんだぜ」
「まあ、授業料と思って有り金を置いていきな」
薄ら笑いを浮かべる男たちを見ながら、俺は(こいつらなら、なんとかなるか)と気楽に考えていた。
そして、本当になんとかなったわけで。
呻き声をあげる男たちの身体を弄ると、俺は三人から硬貨の入った革袋を失敬した。
こいつらの言っていた、授業料ってやつだ。
革袋を開けてみると、三人の合計金額は、銀貨一枚と銅貨で三〇枚だ。俺は思わず、舌打ちをしていた。
「……しけてやがる」
だけど、無いよりはマシだ。
俺は硬貨だけをポケットに入れると、まだ倒れている三人組に、革袋だけを投げて返した。
活動資金としては心許ないけど……博打で増やすっていうのは、好みじゃないし。どうせイカサマが横行してるだろうから、論外だ。
さて……。
〝トト。これから、どうするのだ?〟
「ん、ああ……とりあえずは、この街にいる軍人に接触できないかな……と。戦争に対して、どんな動きをしているのか知りたいしさ」
〝ふむ、目的は理解した。だが、そんなことを教えてくれるものなのか?〟
「……教えてくれないでしょ。そりゃ。だから、情報の断片をかき集めたいんだよ。そこから、読み取れることもあるからさ」
〝ならば、少しでも多くの者たちから話を聞かねばならぬか。先ほど倒した者たちからは、話が聞けそうか?〟
「さっきの?」
俺は戸惑いながら、地面でのびているチンピラたちを見た。
呻き声をあげている三人からは、これ以上の話をするのは無理だろう。これはあれだな……ちょっと本気でやりすぎた。
頭を掻きながら夜の街を歩き始めて、少し経った頃。俺は巡回中の兵士を見つけた。二人組の兵士は銃剣を手に、道のど真ん中を歩いていた。
俺はすぐに、兵士たちの尾行を開始した。街の中を二周ほど廻ってから、兵士は街外れへと向かい始めた。
そっちが兵舎か――と、距離をとって眺めていると、近くで人の話し声が聞こえてきた。
俺は、咄嗟に身を隠した。
建物の影に潜んでいると、兵士と背広を着た男が近くを通り過ぎた。兵士は兜で人相まではよく分からなかったが、背広の男は目立つ鷲鼻に白い髭の男性だ。
どことなく、見覚えがあるような……記憶の奥底で、なにかが引っかかったような感じで、誰のことか思い出せない。
二人が通り過ぎたあと、俺は建物の影から道に出た。
「さて、どうしようか……いてっ」
兵舎に向かうらしい二人組を見送っていると、不意にチクッとした痛みが左腕に走った。
視線を左腕の二の腕に向けると、なにか毛玉の付いた針が刺さっているのが見えた。
「なんだ――!?」
針を抜こうとしたとき、急に視界が歪みは始めた。
全身に力が入らず、その場にしゃがみ込んだ。辛うじて針の飛んできた方角へ目を向けると、三人の兵士たちが、俺に近づいてくるのが見えた。
「不審者だ。兵舎で尋問をする。薬が効くまでは、近寄るな」
隊長らしい男が部下たちに指示を出すのを見た直後、俺は鬼を失った。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
毛玉のついた針といえば、吹き矢なんですが……これ、どうしても「どうぶつのお医者さん」の漆原教授を思い出してしまい、あまり使いません。
いや、このキャラが嫌いとかそういうことではなく、単に笑いそうになってしまうというですね……弊害がありまして。
使いこなすと、かなり怖い暗器ではあるんですけどね。
本来は狩猟用ですし、時代設定的に麻酔というよりは毒に近い成分でしょうけど。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
応援ありがとうございます!
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