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二章 チックボード

間話 その2

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 間話~その二


 サンロウフィルの領主の屋敷には、地下倉庫がある。そのもっとも小さな倉庫の中で、一人の男が椅子に座っていた。
 質の良い服はそのままだが、髭を剃っていないのか、頬や顎には無精髭が目立つ。項垂れるような姿勢のまま、身じろぎもせずに虚空を見つめているのは、キャッスルツリー女伯の後見人であるダグドだ。

 石壁と樫の木で造られた扉で覆われた倉庫内には、ダグドと彼の座る椅子のほかは、唯一の光源として壁に松明が掛かっているだけだ。
 やがて倉庫の中に、廊下を歩くいくつもの足音が聞こえてきた。足音が扉の前で止むと、金属が鳴る鈍い音がして、扉が開いた。
 倉庫に入ってきたのは、三人の兵士を引き連れた、仮面にベールを纏った少女だ。今の少女は質素だが品の良い茶色のドレスに身を包み、右手に理の杖を握っていた。
 ダグドは姪へ抑揚のない、静かな声音で問いかけた。

「なぜ、わたくしを監禁なさるのか……ご説明いただけますかな?」

「その理由は、御自分が一番詳しいと思います。ダグド叔父様、あなたが雇った人買いと、行動を共にしていた騎士スターリングは捕らえました」

 少女は理の杖の先端を、ダグドに向けた。

「領地内で騎士スターリングを自由にできるのは、わたしか叔父様くらいでしょ? 捕らえた彼を見て、すぐに察しがつきました。あなたは人買いと騎士スターリングを使い、人攫いを目論んだ。おかげで、わたくしは危うく、彼らの商品になるところでした」

「な――お、お待ち下さい。わたくしはただ、屋敷に連れてくるように、依頼しただけです。騎士スターリングも、奴らが勝手なことをしないよう、見張りとして使っただけ。決して人身売買など――」

「お黙りなさい。あなたはそのつもりでも、人買いはそうではなかった。なにを考えていたのかは知りませんが、やつらに口実を与えただけでしたわね。それに、騎士スターリングも魔術で操られ、首魁である魔術師の言いなりでした」

「そんな……馬鹿な」

 がっくりと項垂れたダグドに、少女はなおも詰め寄った。

「それでは、あんなことを計画した理由を教えて下さいますか?」

「わ――わたしは、あなたに魔女への傾注を止めて頂きたいだけなのです。迷宮の住人が、いかに役立たずか。それさえ理解して頂ければ、御領主としての努めに、専念して頂けると……ただ、それだけを考えたのです」

「……なんて愚かなことを」

 少女は失望したかのように首を振ると、杖を下ろした。

「あなたの言い分は、わかりました。ですが、人買いを使ったこと、そして領地内の村が襲撃されたことは……許すわけにはいきません」

「……わたくしを、どうするおつもりか」

「そうね……まずは、あなたの持つ権限のいくつかを剥奪します。あとは依頼の撤回に――村への報償も叔父様の財産から捻出します。そういえば、天空神の神殿に援助をしているのも、あなたね? それも、おやめなさい。ああ、あと魔術師ギルドから、正式に苦情が届くと思います。彼らへの謝罪も考えておいて頂戴」

「お待ち下さい。神殿への援助の件は……その、撤回は困難かと」

「そうね。神殿への援助を打ち切るのは難しいでしょうね。なら、ほかの神殿や魔術師ギルドにも援助なさい。もちろん、ギルドへの援助の件は、市民に知らせておいて頂戴」

「魔術師ギルドにも……ですか?」

「ええ。理由が必要なら、そうね……トスティーナの魔女とその弟子が、人身売買組織を壊滅させた褒美、というのはどうかしら?」

 口元に笑みを浮かべた少女に、ダグドはなにも言い返さず、ただ泣き笑いのような表情を浮かべていた。



「――そうか。そういうことか!」

 ダグドに仕込んだ仕掛けと水晶を介して、キャッスルツリー女伯とダグドの会話を覗き見ていた《影の牙》は、甲高い嗤い声をあげた。

「これはいい。奴らから受けた屈辱――何倍にして返してくれよう。確か、トスティーナの魔女には、入門試験を受ける弟子がいたはず――」

 口元をにやけさせた《影の牙》は水晶から離れると、部屋の中央に描かれた魔方陣へと近づいた。六つのかがり火に囲まれた魔方陣の中央には牛の骸があり、血臭が部屋全体に充満していた。
 魔方陣の前で自らの手を短剣で切ると、《影の牙》は鮮血を魔方陣に垂らした。

「我は汝を召喚す――生まれ無き者よ! おお、炎の炉たる魔王よ!」

 《影の牙》の詠唱に呼応するかのように、かがり火が激しく燃え始めた。
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