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プロローグ
1・はい、皇太子から婚約破棄をされた魔女は私です
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(まだ、夢の中でしょうか……?)
それすらわからなくなるほどの長い長い眠りから、エレファナは目覚めたばかりだった。
(ともかくここは、温かくてふかふかでゆらゆらして、とても居心地のいい寝床です。あ、なにか聞こえてきました)
硬質な足音が近づいてくる。
それはエレファナから少し距離を置いて止まった。
「俺が剣を抜く前に、速やかに答えろ」
警戒の滲む低い声が、塔の内部に反響する。
「君はドルフ帝国の皇太子から、婚約破棄を受けた魔女だな?」
エレファナは横たわったまま、寝ぼけた視線を見知らぬ声の方へと向けた。
「ええと……あっ、はい。それは私のこ……」
とてつもなく美形の青年がいる。
騎士風の外衣をまとう長身はすらりとしているが軟弱ではなく、鍛え上げられているしなやかな強靭さがあった。
歳は二十歳くらい。
筋の通った鼻梁に、形の良い唇。
眉は強い意志を現すようにすっと伸びていて、彼の持つ精悍な雰囲気をよく表している。
暗夜のような黒髪は無造作ながらもほどよく切りそろえられて、さらさらと流れる毛先が頬にかかっていた。
それだけで不思議と色気が漂い、しかし当人が自然体のためか嫌味もない。
銀の瞳は鋭い光を宿しながら、色白の肌に長いコーラルピンクの髪を垂らしたエレファナが、宙に浮く大きいゆりかごのようなものに身を横たえた姿を映している。
(黒銀の騎士さまです)
それが黒髪と銀の瞳を持つ、彼の第一印象だった。
(しかしこの美しすぎる方は、一体どなたでしょうか?)
エレファナは芸術品を鑑賞しているような気持ちのまま、まだ少し眠そうな、とろんとした大きな目をしばたかせた。
「おはようございます、黒銀の騎士さま。私が寝過ぎてしまったので、起こしに来てくださったのですか?」
「待て。どうしてそうなる?」
(あ、言葉を返してくれます。私のことを知っているようですが、ご丁寧に質問までしてくれました。気さくな人のようです)
「あなたは本人か確認するまで剣を抜かなかったので、親切な方だとすぐにわかりました。でも確かに、ふあぁ。よく眠りました。寝過ぎました」
「その緊張感の無さ……寝ぼけているのか」
「はい、たくさん寝ました! あなたはきりっとされていて、すっかりお目覚めのようです。もしかして、もうお昼近くですか?」
「昼下がりだ」
「わ、そうでしたか! こんなにたくさん眠っていたのは、はじめてかもしれません。贅沢です、ふふ」
どこか楽しそうなエレファナに、剣の柄を握りしめている騎士の表情が、戸惑いに満ちていく。
「ところで。なぜ危険な魔女が、卓越した魔力で生成されたゆりかごの中で、赤子のように揺られている?」
「これですか? これは私が楽しんでいるだけでなく……あら? 長く眠り過ぎたせいか、今まで何をしていたのか、大切な理由を忘れてしまったようです」
「大切な理由?」
「はい、とっても大切な理由だったはずです。せっかくなので、あなたもここで揺られながら寝てみませんか? なかなか癖になる寝心地なんです。その間に、私がゆりかごで眠っていた理由について思い出しておきますから!」
「いや。今の話だけで重要度がわかった気がする」
「わかっていただけましたか。それは良かったです」
のほほんと受け入れるエレファナに、黒銀の騎士はつい緩みかけた眉間のしわを再び寄せた。
「俺が確認したいのは先ほどの答えだ。君はドルフ帝国の皇太子から婚約破棄を受けたあと、この塔に結界を張って立てこもった魔女で間違いないな」
「はい。確かに数日前に、そんなやりとりをした覚えがあります」
皇太子から突然呼び出されたエレファナは「真実の愛に目覚めた」と聞かされて驚いたが、「そうですか。ではお幸せに」と伝えただけで話は終わったため、わずか数分の面会だった。
(だけど私と皇太子殿下は同じ魔導の枷を保有しています。そんなに簡単なものでしょうか?)
エレファナは自分と同じく、皇太子の薬指の付け根にある、食い込んだ指輪のような痛々しい紋様を思い出す。
それは皇帝に命じられて婚約の証としてつけられた枷──当時は編み出されたばかりだった支配型の魔導術で、不完全なまま歪に施されたもの──のため、簡単には解けないはずだ。
(ああでも、解術ではなく他の方に転術するなら比較的容易だったはずです。一体どなたに転術していただけるのか、確認しそびれていたことを思い出しました!)
「あの。あなたとの話は楽しくて名残惜しいのですが、私はこれから皇太子殿下へ面会の約束を取りに行きたいと思います。では、これで」
「待て。彼は亡くなっている」
「えっ! 突然何が?」
「懇意にしていた令嬢に刺されたはずだが」
「ええっ!! 真実の愛とはそういうものなのですか!?」
「なんのことかよくわからないが。皇太子も令嬢も、ドルフ帝国滅亡の混乱の際に命を落としたと聞いている……まさか、知らないのか?」
「知りませんでした。私は睡眠欲のまま、どれほど長い間寝ていたのでしょうか」
「ざっと二百年ほどか」
「二百年!? ……なるほど! それだけ長い間眠っていたから、今までなにをしていたのか、寝ている間に忘れてしまっていたのですね!!」
「今聞いた話、その感想でいいのか?」
「ということは私は、二百十八歳くらいですね。すっかり大人です」
「その感想でいいのか……」
黒銀の騎士は理解できないといった様子で、額に左手を当てて考え込む。
(でも、まだ子どものころからの夢を叶えていません。それに知らないこともたくさんあります……あら)
エレファナは黒銀の騎士の薬指にある、指輪の跡にも似た歪な紋様に目を留める。
呪いのように絡みついた、不完全な魔導で編まれた婚姻という名の拘束の約諾。
エレファナはそれが、自分のものと同じ魔紋で編まれている枷に見えた。
「あの、変なことを聞きますが。あなたの指に施された魔導の枷は私と同じように見えます。私が寝ている間に二百年も経っているそうですが……もしかしてあなたは、私の新たな婚約者なのでしょうか。さすがに違うと思うのですが」
「ああ違う。枷は本物で、形式上は夫となっている」
「夫!?」
それすらわからなくなるほどの長い長い眠りから、エレファナは目覚めたばかりだった。
(ともかくここは、温かくてふかふかでゆらゆらして、とても居心地のいい寝床です。あ、なにか聞こえてきました)
硬質な足音が近づいてくる。
それはエレファナから少し距離を置いて止まった。
「俺が剣を抜く前に、速やかに答えろ」
警戒の滲む低い声が、塔の内部に反響する。
「君はドルフ帝国の皇太子から、婚約破棄を受けた魔女だな?」
エレファナは横たわったまま、寝ぼけた視線を見知らぬ声の方へと向けた。
「ええと……あっ、はい。それは私のこ……」
とてつもなく美形の青年がいる。
騎士風の外衣をまとう長身はすらりとしているが軟弱ではなく、鍛え上げられているしなやかな強靭さがあった。
歳は二十歳くらい。
筋の通った鼻梁に、形の良い唇。
眉は強い意志を現すようにすっと伸びていて、彼の持つ精悍な雰囲気をよく表している。
暗夜のような黒髪は無造作ながらもほどよく切りそろえられて、さらさらと流れる毛先が頬にかかっていた。
それだけで不思議と色気が漂い、しかし当人が自然体のためか嫌味もない。
銀の瞳は鋭い光を宿しながら、色白の肌に長いコーラルピンクの髪を垂らしたエレファナが、宙に浮く大きいゆりかごのようなものに身を横たえた姿を映している。
(黒銀の騎士さまです)
それが黒髪と銀の瞳を持つ、彼の第一印象だった。
(しかしこの美しすぎる方は、一体どなたでしょうか?)
エレファナは芸術品を鑑賞しているような気持ちのまま、まだ少し眠そうな、とろんとした大きな目をしばたかせた。
「おはようございます、黒銀の騎士さま。私が寝過ぎてしまったので、起こしに来てくださったのですか?」
「待て。どうしてそうなる?」
(あ、言葉を返してくれます。私のことを知っているようですが、ご丁寧に質問までしてくれました。気さくな人のようです)
「あなたは本人か確認するまで剣を抜かなかったので、親切な方だとすぐにわかりました。でも確かに、ふあぁ。よく眠りました。寝過ぎました」
「その緊張感の無さ……寝ぼけているのか」
「はい、たくさん寝ました! あなたはきりっとされていて、すっかりお目覚めのようです。もしかして、もうお昼近くですか?」
「昼下がりだ」
「わ、そうでしたか! こんなにたくさん眠っていたのは、はじめてかもしれません。贅沢です、ふふ」
どこか楽しそうなエレファナに、剣の柄を握りしめている騎士の表情が、戸惑いに満ちていく。
「ところで。なぜ危険な魔女が、卓越した魔力で生成されたゆりかごの中で、赤子のように揺られている?」
「これですか? これは私が楽しんでいるだけでなく……あら? 長く眠り過ぎたせいか、今まで何をしていたのか、大切な理由を忘れてしまったようです」
「大切な理由?」
「はい、とっても大切な理由だったはずです。せっかくなので、あなたもここで揺られながら寝てみませんか? なかなか癖になる寝心地なんです。その間に、私がゆりかごで眠っていた理由について思い出しておきますから!」
「いや。今の話だけで重要度がわかった気がする」
「わかっていただけましたか。それは良かったです」
のほほんと受け入れるエレファナに、黒銀の騎士はつい緩みかけた眉間のしわを再び寄せた。
「俺が確認したいのは先ほどの答えだ。君はドルフ帝国の皇太子から婚約破棄を受けたあと、この塔に結界を張って立てこもった魔女で間違いないな」
「はい。確かに数日前に、そんなやりとりをした覚えがあります」
皇太子から突然呼び出されたエレファナは「真実の愛に目覚めた」と聞かされて驚いたが、「そうですか。ではお幸せに」と伝えただけで話は終わったため、わずか数分の面会だった。
(だけど私と皇太子殿下は同じ魔導の枷を保有しています。そんなに簡単なものでしょうか?)
エレファナは自分と同じく、皇太子の薬指の付け根にある、食い込んだ指輪のような痛々しい紋様を思い出す。
それは皇帝に命じられて婚約の証としてつけられた枷──当時は編み出されたばかりだった支配型の魔導術で、不完全なまま歪に施されたもの──のため、簡単には解けないはずだ。
(ああでも、解術ではなく他の方に転術するなら比較的容易だったはずです。一体どなたに転術していただけるのか、確認しそびれていたことを思い出しました!)
「あの。あなたとの話は楽しくて名残惜しいのですが、私はこれから皇太子殿下へ面会の約束を取りに行きたいと思います。では、これで」
「待て。彼は亡くなっている」
「えっ! 突然何が?」
「懇意にしていた令嬢に刺されたはずだが」
「ええっ!! 真実の愛とはそういうものなのですか!?」
「なんのことかよくわからないが。皇太子も令嬢も、ドルフ帝国滅亡の混乱の際に命を落としたと聞いている……まさか、知らないのか?」
「知りませんでした。私は睡眠欲のまま、どれほど長い間寝ていたのでしょうか」
「ざっと二百年ほどか」
「二百年!? ……なるほど! それだけ長い間眠っていたから、今までなにをしていたのか、寝ている間に忘れてしまっていたのですね!!」
「今聞いた話、その感想でいいのか?」
「ということは私は、二百十八歳くらいですね。すっかり大人です」
「その感想でいいのか……」
黒銀の騎士は理解できないといった様子で、額に左手を当てて考え込む。
(でも、まだ子どものころからの夢を叶えていません。それに知らないこともたくさんあります……あら)
エレファナは黒銀の騎士の薬指にある、指輪の跡にも似た歪な紋様に目を留める。
呪いのように絡みついた、不完全な魔導で編まれた婚姻という名の拘束の約諾。
エレファナはそれが、自分のものと同じ魔紋で編まれている枷に見えた。
「あの、変なことを聞きますが。あなたの指に施された魔導の枷は私と同じように見えます。私が寝ている間に二百年も経っているそうですが……もしかしてあなたは、私の新たな婚約者なのでしょうか。さすがに違うと思うのですが」
「ああ違う。枷は本物で、形式上は夫となっている」
「夫!?」
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