魔封都市マツリダ

杏西モジコ

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かくれんぼの行方【前編】

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「クッソ、あの脳筋金髪ゴリラ野郎め……!」
乃亜はいつも以上に深く眉間に皺を作った。突然現れたハルジというガタイの良い魔法使いが、人間に対する意見の食い違いに腹を立て、勢いよく壁に拳をぶつけて凹みを作ったのだ。壁にはくっきりとハルジの拳跡が残っている。乃亜も紫苑も物を修復出来る魔法の使い手ではないため、業者に頼む他ない。
「そんな金……どこにあるっつーんだよ……ったく」
舌打ちをしながら後頭部をガシガシと掻く。苛立ちが募って頭に熱が昇るのも感じた。そもそも、何故あそこまで人間に嫌悪感を抱いた奴がこの狭っ苦しくて人間の多い仲店通りに足を運んだのか。冷静になって考えると不思議で仕方ない。
それに、ボスって言ってたな……。
乃亜はハルジが胸ポケットから携帯電話を取り出したのを思い出す。携帯電話の形はかなり古い物だった。折り畳み形式が出る頃よりも前の、形の小さな物。アンテナを伸ばして使うタイプの物で、画面も小さい。あんな物を後生大事に持ってる人間も今じゃ珍しいだろう。
メカに詳しい魔法使いと繋がりがあるやつか……それとも、変な魔法を使う奴と繋がりがあるか……。
どちらにしろ人間の世界では時代遅れと言われても仕方ない代物だった。アレを売って弁償金をつくれと脅しても大した額にはならないだろう。
乃亜は本日何百回目になるかの溜息を深々と吐いた。ハルジが立ち去り静かになった仲店通りに、ぴゅうっと強めの秋風が吹く。乃亜は足元に立ち昇った小さな砂埃に目を止めた。
「……洗濯物、入れねぇと……」
誰が聞いているでもないのに言葉を濁す。少し前……と言っても人間の時間で言えば約百年ほど前からだが、乃亜は砂塵が煙る光景を見ると、酷く胃が痛む。原因は分かっている上に、今回はハルジとの言い合いがあって余計に痛みを強く感じた。
『……人間が俺達にした仕打ち、分かってんだろ?』
うるせぇな……ンなこと、分かってんだよ……!
キュッと結んだ唇を軽く噛むと、乃亜はハルジの残した拳の跡を睨み、店の奥から部屋の中へと戻って行った。


乃亜が洗濯物を取り込み終えた頃だった。店裏の玄関の戸が開く音がし、紫苑の呑気な声が響き渡った。廊下が小さな軋み音と足音を立て、それが近づいてくるのが分かると乃亜は不機嫌な表情のまま背を向けて、取り込んだ洗濯物を畳みはじめる。
「ただいま帰りました」
「……遅え」
「すみません、なかなかに楽しいデートだったもので……。あ、もしかしてノアくん、寂しかったんですか?」
「んな訳ねぇだろ」
「たまにはヤキモチぐらい妬いてくれても良いんですよ」
「誰が妬くかよ、気色悪ィ!」
手にしていたタオルを紫苑に投げつけた。紫苑がふざけた態度を取るのはいつものことだが、それがいつにも増して苛立ってしまう。
「何か、ありましたか?」
紫苑はタオルを拾い上げ、その場に正座した。思いのうちを吐き出せと、そう態度で言われ、乃亜は舌打ちをした。
「……なんでもねぇよ」
勘が良いんだが悪いんだか、わかりゃしねぇ。
紫苑に聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。紫苑は鋭い視線で乃亜を見ている。何か言いたげなくせに、そうやって何も言わない、聞きたいくせに何に怯えているのか深掘りはしてこない……、そんな紫苑に乃亜は更に苛立ちを募らせた。
乃亜は畳み終えた衣類を手にすると、それを仕舞いに居間から出ていった。その後ろ姿を見送った紫苑は、小さな溜息を吐き、投げつけられたタオルをゆっくりと丁寧に畳む。
「おや」
乾いたタオルの端に土で汚れたような跡を見つけた。指で軽く払うと、その汚れは見えなった。
きっと、取り込む際に砂埃でも風に乗ってやってきたのだろう。そう考えれば大した汚れではない。だが、紫苑はそれ以外にも思うところがあった。
「……また、ですか」
紫苑は眉をハの字に寄せ、奥の部屋で嫌味のように音を立てながら箪笥を閉めている乃亜の表情を脳裏に浮かべる。紫苑は静かに立ち上がり、畳んだタオルを仕舞いに向かおうと
居間を出た。
「……ん?」
古い廊下の軋む音は毎日のこと。しかし、それとは違う違和感がした。タオルを手にしたまま、紫苑はその場に立ち止まる。
だいぶ前に……そう、いつだったかはもう定かではないですが。
確かにこれは……。
ビリッと何かが走る様なこの気配。それも紫苑には覚えがあるものだった。紫苑はその気配に引っ張られるように、店の方へと足を向ける。久々に心臓が速く脈を打っていた。
ガタンと大きな音を立て、紫苑は店へと繋がる引き戸を思い切り開けた。心臓は更に勢いを増し、その脈拍音で耳の中は占拠される。身体中が凍りつくような寒気を背中で感じた。ここに住み始めて以来、そんなものを感じたのは初めてだった。
裏から帰宅したからでしょうか……。
こんなに強い気配に気が付かないなんて……。
重くなった足で一歩ずつ鉄板へと近づいていく。乃亜がいつもたい焼きを焼く定位置に立った瞬間、紫苑は目を見開いた。
「これは……!」
店内からでも分かる程に外壁が歪に凹んでいるのが視界に入った。
一体何が。
小さく空いた口が塞がらなかった。乃亜にはこんなことをする力も魔法も持ち合わせていないのだ、ということは考えられるのは一つだけ。
この店にやってきた何者かが、この壁を凹ませたのだ。それも、きっと人間ではない。とてつもない馬鹿の付くほどの力の強い人間がいたらまた別の話だが、この歪ませ方は人の仕業ではないことが明白だったし、更に付け加えるならこの気配だ。紫苑は恐る恐る凹んだ壁に手を当てた。じっと目を閉じると脳裏にその壁を凹ませた魔法使いの顔がぼんやりと浮び、思わず紫苑は苦笑いをした。
「……まったく、これだからストーカーは嫌なんですよ」


キリキリと痛む胃から意識を逸らそうと、いつも通りに家事をした。畳んだ洗濯物を仕舞い、風呂場の掃除を始める。粉の洗剤を撒き、タイル張りの床をたわしで擦った。乃亜はいつもより念入りに、細かく丁寧に擦った。水で流せば全て綺麗になるよう、とにかく丁寧に……。


「ねーぇ、お兄ちゃん。まだ終わらないの?」
「んなすぐに終わんねぇよ。誰が汚したんだ、誰が。邪魔だからさっさと外に遊びにでも行けよ」
服の裾を掴んで自分を見上げる妹に、ノアは嫌味たっぷりに答えた。普段の洗濯物ならもう終わっている頃だったが、昨日泥んこ遊びに精を出した妹の服の汚れが一向に落ちる気配を見せなかったのだ。
「それにこの服、この間買ったばっかだろ。汚すならもう捨てても良い服にしてくれ」
「だって。ノイの作った泥んこばくだん、みんなが凄いって言うんだもん。張り切っちゃった」
えへへ、と悪びれもなく笑う妹にノアは言い返す気力を失くした。どう言ったってこいつはあと数回は服をダメにするだろうと腹を括ったのだ。
「それでね、今日はノア兄ちゃんも来ないかってみんなが言っててね」
「泥遊びなら行かねぇからな」
「えー、良いじゃん!泥遊びって、すっごく楽しいんだよ」
「嫌だ。俺の仕事が更に増えるだろ」
ノイはむくっと膨れたが、ノアの意志は固く、首を横に振る。泥まみれになった服を二人分手洗いするのだけは避けたい。こんなに時間を取られては他のことに手が回らなくなってしまう。
つーか、鬼ごっことかかくれんぼとか……せめて泥まみれにならない遊びを選んでくれ。
「もーっ。いじわるっ」
「意地悪じゃねぇよ。つーかノイ、お前自分の仕事終わったのか?」
「うん、終わったよ。ちゃんとお買い物してきたもん」
ノイは得意気に腰に手を当てて言った。お買い物、といっても隣の家に牛乳を買いに行くだけの簡単なおつかいだった。
ノアの住むこの村は基本的に自給自足が主流で、野菜や果物の栽培はもちろん、酪農業を営む家もある。ノアとノイの兄妹は両親を早くに亡くしたため、そういった近所の家から安く物を譲ってもらって生活をしていた。
「じゃあ、さっさと遊びにいってこい。ただし、泥なしで」
「じゃあお兄ちゃんも行こうよ」
「悪いが仕事が先だ。今日は行くとこがある」
「それ、またマツリダ?」
ノイが不安そうな顔で言った。眉を寄せ、口をへの字に曲げている。
「……すぐ戻るから」
「でも、マツリダは危ないってみんな言ってるよ」
泣きそうな目で自分を見つめるノイに、ノアは苦笑いを返した。
最近、マツリダ近辺で反魔法使いの嫌な動きが目立っているらしい。らしい、というあやふやな言い方をするのは、まだはっきりとノアは自分の目で確かめていないからだった。
ノアが以前マツリダに行った際に目にしたのは『魔法使いのいない世界を』『魔法使いは必要ない!』といった、高圧的な貼り紙だった。あの時は、昔からこういう考え方をする人間も少なからずいるから……と、そう横目で見るぐらいだったのだが、最近はそれ以上に過激な動きがあるともっぱらの噂が流れていた。
魔法使いと親しい人間は反魔法使い派の人間達に捕まって、酷い仕打ちを受けたと聞くし、魔法使いがいようものなら捕まえた挙句、どこかの研究所へ連れて行かれるという。ノアも人伝いで聞いただけで、確証はないが、この動きが一番盛んになっているというマツリダはかなり危険な場所だ。
きっと、近所の大人達の会話が村の子どもにも伝わり、それがノイの耳にも入ったのだろう。噂が本当なら、勢力が拡大してこの村に反魔法使い派の人間たちがやってきたら大事だ。この村の住人は人間もいて、自分達魔法使いもいる。何年も、何十年も前から人間と魔法使いが助け合って生活をしてきた小さな村だ。まだ反魔法使い派の人間がこの村に目を向けていないだけで、ノア達がいくことによって目を向けられる可能性もある。幼いながらにノアや村人の身を案じたのだろう。そんな彼女の不安そうな顔に胸を痛めた。
「……大丈夫だ。村長の手伝いで、ただ物を運ぶだけだから」
ノアは濡れた手をそばに置いていたタオルで拭くと、ノイの頭を優しく撫でる。ノアはここに住み始めてからずっと、村人が出稼ぎに行く際の運搬要員として仕事を貰っており、今日は村長の家から採れた牛乳をマツリダへ卸に行く予定があった。
「村長は人間だ。人間と居れば、怪しまれないし、黙っていれば魔法使いだってバレやしない」
「……本当?」
「あぁ。大丈夫」
確証はないのにノアはそう言い切った。
魔法使いと人間は似ているし、身体に特徴的なものもない。だからきっと……大丈夫だ。
「それに、村長は昔から俺たち魔法使いに平等に良くしてくれる、優しい人間だ。何かあったら俺たちを助けてくれるはず」
自分自身にも言い聞かせるように言った。マツリダ近辺に行くのはたしかに不安が多いが、行かなければ生活はできない。いくら食事が必要ない魔法使いでも、幼い身体は成長する。生活に必要な物だって取り揃えていかなければならない。一度として村人から頼まれる仕事は断ったことはなかった。それもこれも、幼い妹を連れて生きていくためには必要なことだった。
「……じゃあ、待ってるね」
「悪いな。土産に何か買ってくる」
「本当?じゃあ、あれ食べたい。前に買って来てくれた、お魚のやつ!」
「お魚のやつ……あぁ、鯛焼きな。分かった、任せとけ」
「約束ね」
「おう」
ノイは嬉しそうに満面の笑みを見せると、元気よく外へ出掛けて行った。



「最近、物騒だからね。君達はここにいなさい」
村長はマツリダの入り口が着くなると、ノアと他の魔法使いの足を止めた。いつもなら町の商店や工場の側まで着いていくのだが、今日は人間だけで向かうと言う。
「でも、結構な重さだぞ」
「平坦な道なら我々だけでも行けるさ、なぁ?」
村長の言葉に、他の人間達が頷いた。村からマツリダまでは、凹凸の激しい舗装のされていない山道が多く、人間の力だけでは上手く荷車を引くことが難しいため、ノアや動物に変化できる魔法使いの手伝いが必要だった。そこを過ぎてしまえば、確かに人間だけでも問題はないが、ノアは首を横に振った。
「それじゃあ、大した手伝いにならない。俺たちも行って、荷物を下ろさないと」
いつも通りの手伝いをさせて欲しいと願い出たが、村長は頑なだった。
「ダメダメ。君らに万が一のことが起きてしまったら私たちは村に帰れないよ。それにほら、見てごらん。いつもいなかった見張りがいる」
村長がマツリダの入り口を指差すと、確かに見たことのない黒い服の人間がうろうろと付近を歩いているのが見えた。見張っているのかどうかはまでは分からないが、辺りを見渡しながら歩くその様子は、何かを警戒していると言って間違いない。
「また落ち着いた頃に町に入ってくれれば良い。とにかく君らはこの辺で待っててくれ」
村長はもう一度柔らかく笑った。
村の魔法使いのことを考えてのことだ、それにその家族のことも……。
「一つ、頼んで良いか?」
「何かな」
「ノイに……妹が、食べたいって言ってるものがあるんだ」


村長とノア達が戻ってきたのは日が暮れ始めた頃だった。その帰りを待つ家族達が村の入り口に集っており、ノイは犬の姿のノアを見つけるとそばへと駆け寄った。
「お兄ちゃん、お帰りなさい」
「おう、待たせたな」
人型の姿に戻り、しゃがんで目線を合わせると、彼女の頭を優しく撫でる。
「あ、お前……また泥遊びしたろ」
「えっ、なんで分かったの?」
「……ったく」
ノアは溜め息を吐きながら目を丸くする妹の頬を軽く摘んだ。
「い、いひゃいよぅ」
「泥が顔についてんだよ、バーカ」
ニヤリと笑い、柔らかい頬についた泥を指で落とす。ついでに服に視線を投げ、明日の洗濯は軽く済みそうだと安堵した。
「あぁ、そうだ。これ」
ノアは荷車から自分の荷物を下ろすと、鞄の中からまだほんのり温かい鯛焼きを取り出した。
「わ、鯛焼き!ありがとう」
「今日は村長が買ってきてくれたんだ。ちゃんとお礼言えよ」
「はぁい」
ノイは嬉しそうにそう答えると、村長の方へと走って行く。ノアはその後姿を見ながら、荷車を牛舎に向かって引き出した。


翌日、ノイの汚した服を干し終えると、ノアは村の子ども達が遊ぶ公園へと向かった。公園といっても、誰かが作ったブランコと砂場があるだけの小さな公園だ。それでもこの村唯一の公園で、子ども達は人間も魔法使いも関係なく、いつも仲良くそこで遊んでいる。
「あ、お兄ちゃん」
ノアが公園へ入ると、きょろきょろと辺りを見渡していたノイが兄の姿を見つけた。
「あれ。お前一人か?」
見たところ、ノイ以外の子どもの姿が見えなかった。
今朝、家を出た時は近所の子どもと出掛けたはずだったよな……?
「今ね、みんなでかくれんぼしてるの」
「あぁ、なるほど」
ノアが公園をぐるりと見渡す。ノイの身長からは見えないだろうが、草むらや木の裏に隠れた子ども達が見えた。これでも本人達は真剣に隠れている。文字通りの頭隠して尻隠さず状態ではあるが。
「本当は泥遊びしたかったんだけどね、みんなのお家でも別の遊びにしなさいって言われたんだって」
そりゃそうだ。あんな服、綺麗に洗えと言う方が難しいんだから。
「……そうか。で、お前がオニか?」
「うん。でも今から私も隠れるから、お兄ちゃんがオニね」
「はぁ?んだよそれ」
「じゃあ、三十数えてね!」
ノイは大きな声で「ノア兄ちゃんがオニだよー!」と言いながら草むらに向かって駆け出した。
「ったく……仕方ねぇなぁ」
半分さっき見つけたっつーの……。
ノアは溜め息を吐くと、律儀に目をつぶって数を数え始めた。
「いーち、にーぃ、さーん……」


小さな子どもと遊ぶのは、面倒だった。バレバレのかくれんぼなんて特にそうだ。分からないふりや、見つけられないふりを上手いことやらないと、彼らは必ず文句をいう。かといって直ぐに見つければ、大人はずるいと拗ねてしまう。だからこの日も、そうやってアイツらの機嫌を伺いながら、見つけたり、見つけられないふりをしたり、適当な駆け引きをして遊んでいた。

今になって思う。
あの時、ずるいと言われて拗ねられてでも、アイツらを全員さっさと見つけておけば良かったと……。
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