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長し夜に、ひらく窓
第40話 語られる真相
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四
「私の両親は完璧な医師でした。いえ、今も彼らは現役の医師です。来年には、姉も研修医になります。
とても優秀な両親と姉に比較して、私は不出来な人間でした。それでも、小学校中学年までは、可愛がっていただけていたと思います。ルティーに出会ったのも、私が小学校四年生のときでしたから。
けれども、高校に入学してからは、家族との会話もほとんどなくなりました。中学受験だけではなく高校受験にも失敗した私を、彼らが見放すのは当然のことでしょう。
私が聞く両親の声は、ため息が一番多くなりました。今ではもう、『好きになさい』とすら、言っていただくことはありません。
いいえ。素晴らしい姉だけは変わらず、ときおり声を掛けてくださいます。しかし、その慈悲すらも狭量で未熟な私には情けないばかりで、今も、まともな会話はままなりません。
そんな私に出来るせめてのことは、物心ついた頃から変わらず、藤枝家の者として両親と姉に恥をかかせることのないように振る舞うことだけでしょう。
ただそれだけにも関わらず、不思議なことに私に憧れてくださる方も、私を疎ましく思う方にも、多く出会うようになりました。
家族の期待さえ応じられない私に、過剰な期待される方もいらっしゃいました。しかしそれも、応えることが出来ないと分かれば、一瞬にして失望、悪態へと変わります。そもそも、彼らの中では、出来て当然なのでしょう。うわべだけの褒め言葉。辛辣な陰口。
『人前で感情を出すことは、みっともない』
そう躾けられた私は出来る限り心を隠し、いかなるときも穏やかに対応し続けるように努めました。
人に相談、ですか?
いいえ、したことはありません。
一体誰に出来たと言うのでしょう。誰が味方か敵か、いつ裏切られるのかも分からない世界で。
そのなかで、たったひとり。
ルティーだけが、いつも私の味方で理解者でした。彼女は私の唯一であり、宝物だったのです。
部屋で一人、みっともなく泣いても、涙を舐めてくれたルティー。
私が元気のないときは、散歩に行こうと外へ連れ出してくれるルティー。
寒いときも暑いときも私のそばで眠る、あたたかなルティー。
ルティーだけが、彼女だけが私の救いで、家族で、親友でした。
なのに、私は……私のせいで彼女を苦しめてしまいました……。
ええ、そうです。私が最初の過ちを犯したのは、忘れもしない、高校一年生の十月八日のことです。珍しく、帰宅しても出迎えてこないルティーを見つけたのは、私の部屋の前でした。
りんごを喉に詰まらせて、ヒューヒュー呼吸する倒れ込んだ彼女を見たときは、心臓が止まるかと思いました。
お手伝いの方に頼み込み、動物病院へと駆けつけたおかげで、幸いにも一命を取り留めたものの、りんごを取る際に喉に無数の傷ができ、以来ルティーは流動食しか食べられないようになっていました。
ルティーはとても賢かったのです。彼女は、私の言葉を理解し、私がりんごを好きだと言うことも知っていました。私の部屋にりんごを置いた理由は、今でも、私には分かりません。驚かせようとしたのか、喜ばせようとしたのか。
ただ私がもっと早く帰宅していれば、彼女が苦しむことも、寿命よりも早く亡くなってしまうこともなかったと。そう思えば思うほど、悔やんでも悔やみきれないのです。
私の最大の罪は、ルティーの最期を看取らなかったことです。
彼女の具合が悪いことはわかってきました。それなのに、必修だからと私は大学の講義を欠席しませんでした。もう、誰も私に期待なんてしていないのに。
そのせいで、たったひとりの、何にも変えがたい大切な彼女を、ひとり寂しく黄泉に旅立たせてしまったのです。
ふがいなくて、申し訳なくて。一層、ルティーが私を恨んでくれたら。呪ってくれたらと願いました。
どんな形でも、そばにいて欲しかった。幽霊でも良いのです。呪い殺されても良い。彼女と一緒にいられるのなら。それがルティーの願いなら、叶えたい。
あの日、雑木林を見たのは、視線を感じたような気がしたからです。ルティーかも知れないと思ったら、自然と『狐の窓』をしていました。
『龍山大学には神がいるらしい』という噂は耳にしていました。それが、天神さんだと知ったのは、以前に食堂で相澤くんと早川さんが話しているのを耳にしたことがあったからです。
決して、聞き耳を立てていたつもりはありません。ただ、私が相澤くんを忘れられなかったために、聞こえてしまったのだと思います。
彼からも話を聞いたのであれば、ご存じかと思いますが、私は彼と一緒にルティーを笑ってしまったのです。もちろん、彼は悪くありません。でも、私は自分を許せなかった。
どうして相澤くんの紹介と言ったのか、ですか?
それは、知人の紹介なら断りにくいと考えたためです。『私に掛けられた呪いを教えてください』という依頼を、どうしても受けていただきたかった。
天神さん、あなたの言うとおりです。
私があなたに依頼したのは、呪いを掛けているのはルティーだと思えるような裏付けが欲しかったからです。そして、ルティーが私を罰しているのだと思いたかった。ルティーの願いを知りたかった。それだけでした」
話し終えた彼女の目は、薄らと赤くなっているように見えた。話している間、ほとんど感情的になることのなかった、穏やかで淡々とした口調。
それが訓練と努力によるものだなんて、どうして想像出来ただろうか。彼女の積年の苦労と辛さは、どれほどだっただろう。
たった一度だけ彼女が感情を露わにしたのが、愛犬のことだったと気が付けば、自然と胸が痛くなった。
スクッと席を立った天神は左腕を背中に回し、右手を左胸に置いて、深々とお辞儀をした。七三に分けられた髪の割れ目の長さまで測れそうなほど、長いお辞儀。謝罪だった。
呆気に取られた藤枝が「やめてください」と言うまで、天神はその姿勢を保っていた。
「申し訳なかった。けれども、貴女に深く感謝する」
折り曲げた上体を起こした天神は、それだけ言うと椅子に座り直した。
「約束どおり、依頼を完遂させよう。それが僕の出来る誠意だ。閑話休題。貴女が掛けられた呪いは二つとも、貴女自身が掛けたものだろうと、僕は推測していた。
一つは、今し方話してもらえたように、ルティーへの贖罪からの呪い。ただ、これはそう難儀なものではないと考えていた。今もその解釈に違いはない。
しかし、もう一つ。『あるべき論』の自己暗示の呪いは、非常に厄介と言ってもいいだろう」
「『あるべき論』、ですか?」
わずかに眉をひそめた彼女は、小首をかしげた。
「はっきりと言おう。『藤枝家の者として、かくあるべき』という姿が、貴女の中にある、と僕は推測している。『藤枝穂乃香』という人物の評判を聞いたとき、中学から大学を通して、皆一様に同じような言葉で貴女を褒め称えていた。それが、どうにも奇妙でならなくてね。
人間は少しずつ変化していく生き物であり、同時に様々な側面を持つものだと、僕は思っている。それは思考の柔軟性であったり、嗜好の変化であったり、性格であったり。
それはなにも悪いことではない。当然、当たり前とも言えるだろう。適応能力なくして、生物が生き残ることは難しいからね。
けれども、貴女は変わらなかった。
正確に言えば、大学生となり、制服から私服になることで、装いに多少なりともの変化はあったのだろう。しかし、それもおそらく自分の中での基準があったのではないかな?」
「それは、……そのとおりかも知れません」
困惑するように、目を伏せた彼女は押し黙る。天神は何も言わない。もちろん、俺も何も言えなかった。
「……私は、怖かったのだと思います。いえ、怖かったのです。『藤枝家の者』から、逸脱することが。それによって、また誰かに見放されることも。
姉は優しくて、優秀な人間です。それなのに私は……どんなに一生懸命になっても、姉には遠く及びませんでした。
天神さん、私は間違っていたのでしょうか? 背伸びをした努力なんて、するべきではなかったのでしょうか?」
「それは、どうしてだい?」
「私が、彼らの理想像を無理に演じなければ、ありのままを見せていれば。失望に変わる瞬間を見ることもなく、悲しむこともなかったのかも知れないと思うのです。そうしたら、ルティーも私を心配することがなく、穏やかで幸せな生を送れたのではないかと……」
藤枝のぱっちりとした目はガラス玉のように光る。ここではない、どこかを見ているような。
零れた言葉は湧き水よりも澄んでいて、彼女は霞のように消えそうだった。
「私の両親は完璧な医師でした。いえ、今も彼らは現役の医師です。来年には、姉も研修医になります。
とても優秀な両親と姉に比較して、私は不出来な人間でした。それでも、小学校中学年までは、可愛がっていただけていたと思います。ルティーに出会ったのも、私が小学校四年生のときでしたから。
けれども、高校に入学してからは、家族との会話もほとんどなくなりました。中学受験だけではなく高校受験にも失敗した私を、彼らが見放すのは当然のことでしょう。
私が聞く両親の声は、ため息が一番多くなりました。今ではもう、『好きになさい』とすら、言っていただくことはありません。
いいえ。素晴らしい姉だけは変わらず、ときおり声を掛けてくださいます。しかし、その慈悲すらも狭量で未熟な私には情けないばかりで、今も、まともな会話はままなりません。
そんな私に出来るせめてのことは、物心ついた頃から変わらず、藤枝家の者として両親と姉に恥をかかせることのないように振る舞うことだけでしょう。
ただそれだけにも関わらず、不思議なことに私に憧れてくださる方も、私を疎ましく思う方にも、多く出会うようになりました。
家族の期待さえ応じられない私に、過剰な期待される方もいらっしゃいました。しかしそれも、応えることが出来ないと分かれば、一瞬にして失望、悪態へと変わります。そもそも、彼らの中では、出来て当然なのでしょう。うわべだけの褒め言葉。辛辣な陰口。
『人前で感情を出すことは、みっともない』
そう躾けられた私は出来る限り心を隠し、いかなるときも穏やかに対応し続けるように努めました。
人に相談、ですか?
いいえ、したことはありません。
一体誰に出来たと言うのでしょう。誰が味方か敵か、いつ裏切られるのかも分からない世界で。
そのなかで、たったひとり。
ルティーだけが、いつも私の味方で理解者でした。彼女は私の唯一であり、宝物だったのです。
部屋で一人、みっともなく泣いても、涙を舐めてくれたルティー。
私が元気のないときは、散歩に行こうと外へ連れ出してくれるルティー。
寒いときも暑いときも私のそばで眠る、あたたかなルティー。
ルティーだけが、彼女だけが私の救いで、家族で、親友でした。
なのに、私は……私のせいで彼女を苦しめてしまいました……。
ええ、そうです。私が最初の過ちを犯したのは、忘れもしない、高校一年生の十月八日のことです。珍しく、帰宅しても出迎えてこないルティーを見つけたのは、私の部屋の前でした。
りんごを喉に詰まらせて、ヒューヒュー呼吸する倒れ込んだ彼女を見たときは、心臓が止まるかと思いました。
お手伝いの方に頼み込み、動物病院へと駆けつけたおかげで、幸いにも一命を取り留めたものの、りんごを取る際に喉に無数の傷ができ、以来ルティーは流動食しか食べられないようになっていました。
ルティーはとても賢かったのです。彼女は、私の言葉を理解し、私がりんごを好きだと言うことも知っていました。私の部屋にりんごを置いた理由は、今でも、私には分かりません。驚かせようとしたのか、喜ばせようとしたのか。
ただ私がもっと早く帰宅していれば、彼女が苦しむことも、寿命よりも早く亡くなってしまうこともなかったと。そう思えば思うほど、悔やんでも悔やみきれないのです。
私の最大の罪は、ルティーの最期を看取らなかったことです。
彼女の具合が悪いことはわかってきました。それなのに、必修だからと私は大学の講義を欠席しませんでした。もう、誰も私に期待なんてしていないのに。
そのせいで、たったひとりの、何にも変えがたい大切な彼女を、ひとり寂しく黄泉に旅立たせてしまったのです。
ふがいなくて、申し訳なくて。一層、ルティーが私を恨んでくれたら。呪ってくれたらと願いました。
どんな形でも、そばにいて欲しかった。幽霊でも良いのです。呪い殺されても良い。彼女と一緒にいられるのなら。それがルティーの願いなら、叶えたい。
あの日、雑木林を見たのは、視線を感じたような気がしたからです。ルティーかも知れないと思ったら、自然と『狐の窓』をしていました。
『龍山大学には神がいるらしい』という噂は耳にしていました。それが、天神さんだと知ったのは、以前に食堂で相澤くんと早川さんが話しているのを耳にしたことがあったからです。
決して、聞き耳を立てていたつもりはありません。ただ、私が相澤くんを忘れられなかったために、聞こえてしまったのだと思います。
彼からも話を聞いたのであれば、ご存じかと思いますが、私は彼と一緒にルティーを笑ってしまったのです。もちろん、彼は悪くありません。でも、私は自分を許せなかった。
どうして相澤くんの紹介と言ったのか、ですか?
それは、知人の紹介なら断りにくいと考えたためです。『私に掛けられた呪いを教えてください』という依頼を、どうしても受けていただきたかった。
天神さん、あなたの言うとおりです。
私があなたに依頼したのは、呪いを掛けているのはルティーだと思えるような裏付けが欲しかったからです。そして、ルティーが私を罰しているのだと思いたかった。ルティーの願いを知りたかった。それだけでした」
話し終えた彼女の目は、薄らと赤くなっているように見えた。話している間、ほとんど感情的になることのなかった、穏やかで淡々とした口調。
それが訓練と努力によるものだなんて、どうして想像出来ただろうか。彼女の積年の苦労と辛さは、どれほどだっただろう。
たった一度だけ彼女が感情を露わにしたのが、愛犬のことだったと気が付けば、自然と胸が痛くなった。
スクッと席を立った天神は左腕を背中に回し、右手を左胸に置いて、深々とお辞儀をした。七三に分けられた髪の割れ目の長さまで測れそうなほど、長いお辞儀。謝罪だった。
呆気に取られた藤枝が「やめてください」と言うまで、天神はその姿勢を保っていた。
「申し訳なかった。けれども、貴女に深く感謝する」
折り曲げた上体を起こした天神は、それだけ言うと椅子に座り直した。
「約束どおり、依頼を完遂させよう。それが僕の出来る誠意だ。閑話休題。貴女が掛けられた呪いは二つとも、貴女自身が掛けたものだろうと、僕は推測していた。
一つは、今し方話してもらえたように、ルティーへの贖罪からの呪い。ただ、これはそう難儀なものではないと考えていた。今もその解釈に違いはない。
しかし、もう一つ。『あるべき論』の自己暗示の呪いは、非常に厄介と言ってもいいだろう」
「『あるべき論』、ですか?」
わずかに眉をひそめた彼女は、小首をかしげた。
「はっきりと言おう。『藤枝家の者として、かくあるべき』という姿が、貴女の中にある、と僕は推測している。『藤枝穂乃香』という人物の評判を聞いたとき、中学から大学を通して、皆一様に同じような言葉で貴女を褒め称えていた。それが、どうにも奇妙でならなくてね。
人間は少しずつ変化していく生き物であり、同時に様々な側面を持つものだと、僕は思っている。それは思考の柔軟性であったり、嗜好の変化であったり、性格であったり。
それはなにも悪いことではない。当然、当たり前とも言えるだろう。適応能力なくして、生物が生き残ることは難しいからね。
けれども、貴女は変わらなかった。
正確に言えば、大学生となり、制服から私服になることで、装いに多少なりともの変化はあったのだろう。しかし、それもおそらく自分の中での基準があったのではないかな?」
「それは、……そのとおりかも知れません」
困惑するように、目を伏せた彼女は押し黙る。天神は何も言わない。もちろん、俺も何も言えなかった。
「……私は、怖かったのだと思います。いえ、怖かったのです。『藤枝家の者』から、逸脱することが。それによって、また誰かに見放されることも。
姉は優しくて、優秀な人間です。それなのに私は……どんなに一生懸命になっても、姉には遠く及びませんでした。
天神さん、私は間違っていたのでしょうか? 背伸びをした努力なんて、するべきではなかったのでしょうか?」
「それは、どうしてだい?」
「私が、彼らの理想像を無理に演じなければ、ありのままを見せていれば。失望に変わる瞬間を見ることもなく、悲しむこともなかったのかも知れないと思うのです。そうしたら、ルティーも私を心配することがなく、穏やかで幸せな生を送れたのではないかと……」
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