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1st Dive:Vapor Trail
0-2 永訣
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夜明け前。西の空は未だ夜の濃紺を残し、夜を惜しむかのように星が輝る。その下、一面の草原。ところどころに空いた大穴をかわしながら小高い丘を駆ける二つの黒い影がある。
小さい。まだ辺りは暗く姿は影に覆われているものの幼い少女であることは分かる。十と少しといったところだろうか。二つの影は迷いなく一直線に、白とオレンジが混ざる東へと進んでゆく。
風が強い。もう春だというのに大気は切りつけるように冷たい。
「リザ! はやくしないといっちゃうぞ!」
前を走る少女は寒さなどお構いなしとばかりに肩までの黒髪を揺らして駆ける。
「まって、未宙《みそら》。かえろう、よ。勝手に抜けだしたのママに見つかったら……」
その後方、リザと呼ばれた少女はもう歩くので精一杯といわんばかりに、すがるように言う。
「大丈夫! この時間は小さいのの面倒見てるからあたしたち年長組は大丈夫だよ!」
それに今日を逃したらいつあそこから抜け出せるかわからない、と黒髪の少女――未宙――は言う。
新緑の丘を越えた先。日の出。陽光が目を焼く。世界が光に支配されてゆく。身体に熱を感じる。眼下には巨大な平地が広がっており、そこを区切るように配置された有刺鉄線付きの鉄格子。その向こう側にはいくつかの建造物と極めて丁寧に整地された巨大な道――滑走路がある。
「リザ、あたし、セヴンスのパイロットになるんだ」
視線の先。陽光を受け白銀に輝く金属の塊。離れていても躰にずんと響くエンジンの駆動音。それは次第に増大し、加速し、重力の枷に抗い、その主はついに大地を離れる。
轟音とともに大空に飛び立つ翼を携えた二体の巨人は彼方へと飛び去ってゆく。
息も切れ切れに白髪の少女が追いつく。人外を思わせるほど白く透き通った肌、整った顔立ちに乳白色と薄い赤の形容しがたい美しい瞳。そして銀の翼の髪飾り。
「けど大人たちがあれは危ないからって――」
「危ないのは戦ってるウチュージンだろ? あたしはただあんな低い天井じゃなくて、自由に空を――」
「どこにいくの?」
リザの声が強張る。焦りと不安と、少しの怒りが混じった声。
「どこに、って――」
「未宙、どこにも行かないって言ってくれた。ずっとそばにいるって言ってくれた――」
未宙を後ろから抱きしめるリザ。ややあって未宙は向き直り、
「大丈夫だよ、どこにも行きゃしない」
そう言って額を合わせ微笑む。少年のようにも見えるその少女の、何もかもを飲み込んでしまいそうな黒い瞳にリザが映る。
「本当……」
涙目のリザ。
「ああ、本当。離れたりしないよ。それに、あたしは――」
記憶が途切れる。再生。
未宙は一人、孤児院の自室にいた。夕日が射し込み、カーテンが揺れている。二人部屋だったが、もうひとりがいるべき場所には何もなく、ただ簡素なベッドと備え付けの机と椅子があるだけだった。
そこには、リザがいるべきだった。しかしそこに、リザはいない。
手元には手紙があった。管理人に買ってもらった便箋に、ボールペンで書かれている。可愛らしい、彼女の字だった。
ごめんなさい。
ただその一言だけ。それだけを残し、リザは未宙が眠っている間に、夜のうちに消えてしまった。
当然、管理人にも尋ねた。管理人の男女は取り乱す未宙を優しくなだめ、きつく抱きしめ、落ち着かせ、それから、言った。
この孤児院は八洲軍の管轄で成り立っていること。リザは八洲軍の研究に協力するためここを去ったこと。研究のため軍が要求した子どもは二人で、もうひとりは未宙だったこと。そして、それに対し彼女は交渉し、一人で軍へ行ったこと。宇宙人を倒すため、と言って。
信じられなかった。未宙はこの世界が何者かと戦っていることは知っていたが、どこか遠くの存在だった。人型の戦闘機も、宇宙人も、どこか絵空事の自分とは関係のないものだと思っていた。だから、無邪気に憧れた。テレビが、大人が、危ないと言う空に。そしてその空を自由に駆ける機械の巨人に。
しかし何より信じられなかったのは、リザが自分のもとを離れてしまった事実だった。ずっと傍にいると言った。何度も互いを確かめ合った。十二歳という、まだ子どもと言われる自分でも、この孤児院の外で生きていけない自分でも、彼女だけは守れると信じていた。彼女を守ると誓っていた。離れることなどないと、思っていた。
彼女の声を覚えている。彼女の体温を覚えている。彼女の柔らかさを覚えている。なのに今、彼女だけがいない。
悔しかった。寂しいと思った。ふざけるなと思った。いくつもの感情と思いが押し寄せて、未宙は吐いた。そして口元を拭い、喉の痛みを捩じ伏せ両の足で立ち、はっきりとした声で、言った。
「あたしは将来、軍に入る。リザを見つけて、連れ戻す。約束したんだ。絶対離れたりしないって。だから――」
寂しがり屋の彼女を、次は絶対離さない。
小さい。まだ辺りは暗く姿は影に覆われているものの幼い少女であることは分かる。十と少しといったところだろうか。二つの影は迷いなく一直線に、白とオレンジが混ざる東へと進んでゆく。
風が強い。もう春だというのに大気は切りつけるように冷たい。
「リザ! はやくしないといっちゃうぞ!」
前を走る少女は寒さなどお構いなしとばかりに肩までの黒髪を揺らして駆ける。
「まって、未宙《みそら》。かえろう、よ。勝手に抜けだしたのママに見つかったら……」
その後方、リザと呼ばれた少女はもう歩くので精一杯といわんばかりに、すがるように言う。
「大丈夫! この時間は小さいのの面倒見てるからあたしたち年長組は大丈夫だよ!」
それに今日を逃したらいつあそこから抜け出せるかわからない、と黒髪の少女――未宙――は言う。
新緑の丘を越えた先。日の出。陽光が目を焼く。世界が光に支配されてゆく。身体に熱を感じる。眼下には巨大な平地が広がっており、そこを区切るように配置された有刺鉄線付きの鉄格子。その向こう側にはいくつかの建造物と極めて丁寧に整地された巨大な道――滑走路がある。
「リザ、あたし、セヴンスのパイロットになるんだ」
視線の先。陽光を受け白銀に輝く金属の塊。離れていても躰にずんと響くエンジンの駆動音。それは次第に増大し、加速し、重力の枷に抗い、その主はついに大地を離れる。
轟音とともに大空に飛び立つ翼を携えた二体の巨人は彼方へと飛び去ってゆく。
息も切れ切れに白髪の少女が追いつく。人外を思わせるほど白く透き通った肌、整った顔立ちに乳白色と薄い赤の形容しがたい美しい瞳。そして銀の翼の髪飾り。
「けど大人たちがあれは危ないからって――」
「危ないのは戦ってるウチュージンだろ? あたしはただあんな低い天井じゃなくて、自由に空を――」
「どこにいくの?」
リザの声が強張る。焦りと不安と、少しの怒りが混じった声。
「どこに、って――」
「未宙、どこにも行かないって言ってくれた。ずっとそばにいるって言ってくれた――」
未宙を後ろから抱きしめるリザ。ややあって未宙は向き直り、
「大丈夫だよ、どこにも行きゃしない」
そう言って額を合わせ微笑む。少年のようにも見えるその少女の、何もかもを飲み込んでしまいそうな黒い瞳にリザが映る。
「本当……」
涙目のリザ。
「ああ、本当。離れたりしないよ。それに、あたしは――」
記憶が途切れる。再生。
未宙は一人、孤児院の自室にいた。夕日が射し込み、カーテンが揺れている。二人部屋だったが、もうひとりがいるべき場所には何もなく、ただ簡素なベッドと備え付けの机と椅子があるだけだった。
そこには、リザがいるべきだった。しかしそこに、リザはいない。
手元には手紙があった。管理人に買ってもらった便箋に、ボールペンで書かれている。可愛らしい、彼女の字だった。
ごめんなさい。
ただその一言だけ。それだけを残し、リザは未宙が眠っている間に、夜のうちに消えてしまった。
当然、管理人にも尋ねた。管理人の男女は取り乱す未宙を優しくなだめ、きつく抱きしめ、落ち着かせ、それから、言った。
この孤児院は八洲軍の管轄で成り立っていること。リザは八洲軍の研究に協力するためここを去ったこと。研究のため軍が要求した子どもは二人で、もうひとりは未宙だったこと。そして、それに対し彼女は交渉し、一人で軍へ行ったこと。宇宙人を倒すため、と言って。
信じられなかった。未宙はこの世界が何者かと戦っていることは知っていたが、どこか遠くの存在だった。人型の戦闘機も、宇宙人も、どこか絵空事の自分とは関係のないものだと思っていた。だから、無邪気に憧れた。テレビが、大人が、危ないと言う空に。そしてその空を自由に駆ける機械の巨人に。
しかし何より信じられなかったのは、リザが自分のもとを離れてしまった事実だった。ずっと傍にいると言った。何度も互いを確かめ合った。十二歳という、まだ子どもと言われる自分でも、この孤児院の外で生きていけない自分でも、彼女だけは守れると信じていた。彼女を守ると誓っていた。離れることなどないと、思っていた。
彼女の声を覚えている。彼女の体温を覚えている。彼女の柔らかさを覚えている。なのに今、彼女だけがいない。
悔しかった。寂しいと思った。ふざけるなと思った。いくつもの感情と思いが押し寄せて、未宙は吐いた。そして口元を拭い、喉の痛みを捩じ伏せ両の足で立ち、はっきりとした声で、言った。
「あたしは将来、軍に入る。リザを見つけて、連れ戻す。約束したんだ。絶対離れたりしないって。だから――」
寂しがり屋の彼女を、次は絶対離さない。
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