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1st Dive:Vapor Trail
1-8 人狼
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どうしようもなく高い空に薄い雲がかかっている。八洲軍第七飛行戦隊隊長である日高大尉はそのことに少し安心感を覚える。本来、雲などないほうがいい。しかし、彼女にとって青空は何とも言えない恐怖を煽る存在であった。
どこまでも続く青。しかしその先にあるのは深い闇。飛んでいると空に落ちそうな錯覚に陥る。実際、それで空間識失調を起こしたこともあった。
医者からは安心できないなら飛ばないほうがいいと言われているが、日高大尉自身はそれを気持ちの問題でしかないと思っているし、実際このベイカントとの戦争において人手不足は最重要課題だった。普段は数機しか出現しないため抑え込めているが、今回のように大規模侵攻があるとどうしても戦力差が浮き彫りになる。こんなパイロットでも飛べるなら飛ばなければならない。
それにかつて憧れた宇宙への道を阻んだベイカントを撃滅する。それが彼女の戦う理由だった。パイロットとして名を上げれば戦後そのまま宇宙飛行士へと転身できるかもしれない。
一体奴らはどこから湧いてくるんだ、と悪態をつく。視界三百六十度どこを見ても戦闘の光が見える。ベイカント。謎の敵。体組成すら未だ判明していない存在。日高大尉曰く、彼らはこれまで、彼らから攻撃を仕掛けてきたことはない。領空侵犯してきたベイカントに銃口を向けるのはいつだって人類側だ。彼らは自分の身を守っているに過ぎない、と。
調べたところ、最初に軌道エレベーターに出現した大型個体――オールド・レッド――も自発的に攻撃を仕掛けてきたのではないという。
しかし彼らは地球の物資を収集していた。鉱物、動物、ヒトも例外ではない。それらはすべて彼方に見える旧軌道エレベーターに運ばれている。対話のできない彼らに対し、人類が銃口を向けるのには十分な理由がある。
目的も出自も分からず、対話もできないのに接触を試みてくる謎の存在に対し、我々がとれる行動は自己防衛としての闘争しかない、と日高大尉は考えている。その結果が今の地球という訳だが。
かつて行われた捕獲作戦で解剖が試みられているが、体内は空洞で内部には気化したDDLが充填されていることしかわからなかったそうだ。
DDL。パイロットへのGを軽減させる、セヴンスの中枢とも言える物質。それがあの敵にも使われているという事実が、余計に日高大尉の不信感を煽っていた。今自分を空に飛ばし、今自分の半身となっているものへの不信感。漠然としていて、何となく、しかし強く心に影を落とすもの。
しかしその不信感は、セヴンスライダーとして致命的なものだった。
セヴンスはクレイドルシステムによりパイロットの脳と接続し、機体や戦域のあらゆる情報をパイロットは既存知識として把握、運用するものだ。特に一瞬の選択が命運を分けるファイター型セヴンスの戦闘において、自分を信じることは何より重要な適性であった。
要するに、セヴンスに最も適したパイロットのパーソナリティは『馬鹿』ということになる。当然、彼女自身もかつて自分は馬鹿だったという認識はある。
だが、この終わりの見えない不毛な闘争は、友軍機が落ちてゆく様を何度も見せつけられる戦場は、果てのない空を飛び続ける彼女自身は、馬鹿であり続けることを許してはくれなかった。
彼方で黒いセヴンスが途轍もない勢いでベイカントを屠っている。技研所属の、黒い前進翼のセヴンス。その噂は一般パイロットの間でも噂になっていた。およそ人が乗っているとは思えない機動で戦域全てのベイカントを撃墜する猟犬。
日高大尉はその機体に見覚えがあった。二〇九四年、ベイカント初の大規模侵攻。その時同じような黒い機体を見たことがある。だがその機体はその戦闘で八洲軍の殿を務め、最後まで戦い撃墜されたと聞いている。その後継機だろうか。一体どんな馬鹿なら、あんな出鱈目な戦闘ができるのだろう。
AWACS 識別名ニーベルングからの通信。ノイズが強くはっきりとは聞こえなかったが何かしらの警告を発している。数秒の通信の後、通信途絶。その瞬間データリンクからその機体の表示が消失する。
何が起こったのか。超高空で護衛機も四機随伴している我々のAWACSが落とされたのだ。離脱用ロケットブースターによる加速も間に合わず撃墜されたのだ。
味方戦隊機から怒涛の通信が入る。今この状況下で彼らを指揮するのは隊長である自分だ、と言い聞かせる。
通信の内容は惨憺たるものだった。怒号、悲鳴、その数瞬後には通信先の機体にDEADのダイアログが現れる。
有り得ない状況だった。あの黒いセヴンス程でないとはいえ第七飛行戦隊は全メンバーが熟達した戦士たちだ。そんな彼らが次々と撃墜されている。散ってゆく。
通信。見たことのない機体識別名だ。チャンネルを開く。
『こちらグレイプニール。ニーベルングから管制を引き継ぎます。繰り返します――』
戦域情報の連絡か。ノイズが酷い。辛うじて聞き取れた言葉を日高大尉は頭の中で再構成する。
高速で接近するボギーが一機。速度二七○○で戦域を移動中――
聞き間違いでなければそうだ。通常のベイカントの速度ではない。では何か。何だ。答えが出る前に、それは現れた。
日高大尉はそれに、赤い狼という印象を受けた。
なんだあいつは。手足を持ち、背部に翼とエンジンらしきものを搭載した紅のセヴンス。違う。構造が既存のセヴンスとは大きく異なる。腕がそのまま武装と一体化している。何よりあまりにもそれは生物的すぎた。
被照準警告。周辺にはあのセヴンスしかいない。ありえない。国際条約でこの戦争においては全てのセヴンスが友軍機扱いとなるよう設定されているはずだ。ではあれはなんだ。獣のような意匠の頭部。異様に細い腰。頭部と同じく獣を彷彿とさせる、所謂逆関節の脚。
日高大尉の頭の中が沸騰する。回避運動をとらなければ――
その次の瞬間、視界をそれが埋め、轟音とともにメインモニターが粉々になってゆく。現れたのは回転式鋸――チェーンソー――を模した紅のセヴンスの武装だった。あまりに大雑把で暴力的なそれは日高大尉の乗るセヴンスの内部構造を食い破り彼女の体躯をものともせず蹂躙しジェネレータとのメインケーブルを切断。
日高大尉の乗っていた機体から武器と化した腕を引き抜き、その紅の個体は虚空に静止する。何かを探すように周囲を見渡し、一瞬にして最高速度へ加速。新たな獲物を求め、その場を後にしていった。
バラバラになった機体は海の藻屑となり、そこにははじめから何もなかったかのように波がうねる。
遠くでまた、機体の爆ぜる音がした。
どこまでも続く青。しかしその先にあるのは深い闇。飛んでいると空に落ちそうな錯覚に陥る。実際、それで空間識失調を起こしたこともあった。
医者からは安心できないなら飛ばないほうがいいと言われているが、日高大尉自身はそれを気持ちの問題でしかないと思っているし、実際このベイカントとの戦争において人手不足は最重要課題だった。普段は数機しか出現しないため抑え込めているが、今回のように大規模侵攻があるとどうしても戦力差が浮き彫りになる。こんなパイロットでも飛べるなら飛ばなければならない。
それにかつて憧れた宇宙への道を阻んだベイカントを撃滅する。それが彼女の戦う理由だった。パイロットとして名を上げれば戦後そのまま宇宙飛行士へと転身できるかもしれない。
一体奴らはどこから湧いてくるんだ、と悪態をつく。視界三百六十度どこを見ても戦闘の光が見える。ベイカント。謎の敵。体組成すら未だ判明していない存在。日高大尉曰く、彼らはこれまで、彼らから攻撃を仕掛けてきたことはない。領空侵犯してきたベイカントに銃口を向けるのはいつだって人類側だ。彼らは自分の身を守っているに過ぎない、と。
調べたところ、最初に軌道エレベーターに出現した大型個体――オールド・レッド――も自発的に攻撃を仕掛けてきたのではないという。
しかし彼らは地球の物資を収集していた。鉱物、動物、ヒトも例外ではない。それらはすべて彼方に見える旧軌道エレベーターに運ばれている。対話のできない彼らに対し、人類が銃口を向けるのには十分な理由がある。
目的も出自も分からず、対話もできないのに接触を試みてくる謎の存在に対し、我々がとれる行動は自己防衛としての闘争しかない、と日高大尉は考えている。その結果が今の地球という訳だが。
かつて行われた捕獲作戦で解剖が試みられているが、体内は空洞で内部には気化したDDLが充填されていることしかわからなかったそうだ。
DDL。パイロットへのGを軽減させる、セヴンスの中枢とも言える物質。それがあの敵にも使われているという事実が、余計に日高大尉の不信感を煽っていた。今自分を空に飛ばし、今自分の半身となっているものへの不信感。漠然としていて、何となく、しかし強く心に影を落とすもの。
しかしその不信感は、セヴンスライダーとして致命的なものだった。
セヴンスはクレイドルシステムによりパイロットの脳と接続し、機体や戦域のあらゆる情報をパイロットは既存知識として把握、運用するものだ。特に一瞬の選択が命運を分けるファイター型セヴンスの戦闘において、自分を信じることは何より重要な適性であった。
要するに、セヴンスに最も適したパイロットのパーソナリティは『馬鹿』ということになる。当然、彼女自身もかつて自分は馬鹿だったという認識はある。
だが、この終わりの見えない不毛な闘争は、友軍機が落ちてゆく様を何度も見せつけられる戦場は、果てのない空を飛び続ける彼女自身は、馬鹿であり続けることを許してはくれなかった。
彼方で黒いセヴンスが途轍もない勢いでベイカントを屠っている。技研所属の、黒い前進翼のセヴンス。その噂は一般パイロットの間でも噂になっていた。およそ人が乗っているとは思えない機動で戦域全てのベイカントを撃墜する猟犬。
日高大尉はその機体に見覚えがあった。二〇九四年、ベイカント初の大規模侵攻。その時同じような黒い機体を見たことがある。だがその機体はその戦闘で八洲軍の殿を務め、最後まで戦い撃墜されたと聞いている。その後継機だろうか。一体どんな馬鹿なら、あんな出鱈目な戦闘ができるのだろう。
AWACS 識別名ニーベルングからの通信。ノイズが強くはっきりとは聞こえなかったが何かしらの警告を発している。数秒の通信の後、通信途絶。その瞬間データリンクからその機体の表示が消失する。
何が起こったのか。超高空で護衛機も四機随伴している我々のAWACSが落とされたのだ。離脱用ロケットブースターによる加速も間に合わず撃墜されたのだ。
味方戦隊機から怒涛の通信が入る。今この状況下で彼らを指揮するのは隊長である自分だ、と言い聞かせる。
通信の内容は惨憺たるものだった。怒号、悲鳴、その数瞬後には通信先の機体にDEADのダイアログが現れる。
有り得ない状況だった。あの黒いセヴンス程でないとはいえ第七飛行戦隊は全メンバーが熟達した戦士たちだ。そんな彼らが次々と撃墜されている。散ってゆく。
通信。見たことのない機体識別名だ。チャンネルを開く。
『こちらグレイプニール。ニーベルングから管制を引き継ぎます。繰り返します――』
戦域情報の連絡か。ノイズが酷い。辛うじて聞き取れた言葉を日高大尉は頭の中で再構成する。
高速で接近するボギーが一機。速度二七○○で戦域を移動中――
聞き間違いでなければそうだ。通常のベイカントの速度ではない。では何か。何だ。答えが出る前に、それは現れた。
日高大尉はそれに、赤い狼という印象を受けた。
なんだあいつは。手足を持ち、背部に翼とエンジンらしきものを搭載した紅のセヴンス。違う。構造が既存のセヴンスとは大きく異なる。腕がそのまま武装と一体化している。何よりあまりにもそれは生物的すぎた。
被照準警告。周辺にはあのセヴンスしかいない。ありえない。国際条約でこの戦争においては全てのセヴンスが友軍機扱いとなるよう設定されているはずだ。ではあれはなんだ。獣のような意匠の頭部。異様に細い腰。頭部と同じく獣を彷彿とさせる、所謂逆関節の脚。
日高大尉の頭の中が沸騰する。回避運動をとらなければ――
その次の瞬間、視界をそれが埋め、轟音とともにメインモニターが粉々になってゆく。現れたのは回転式鋸――チェーンソー――を模した紅のセヴンスの武装だった。あまりに大雑把で暴力的なそれは日高大尉の乗るセヴンスの内部構造を食い破り彼女の体躯をものともせず蹂躙しジェネレータとのメインケーブルを切断。
日高大尉の乗っていた機体から武器と化した腕を引き抜き、その紅の個体は虚空に静止する。何かを探すように周囲を見渡し、一瞬にして最高速度へ加速。新たな獲物を求め、その場を後にしていった。
バラバラになった機体は海の藻屑となり、そこにははじめから何もなかったかのように波がうねる。
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