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(1) 深海での出会い

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 深く、深く、沈んでいく……。このままでは、光の届かない暗く冷たい深淵しんえんまで、静かに落ちていってしまうだろう。今ならまだ、その手をつかまえることが出来るかもしれない。

小野寺おのでら君、きみ……今日の古文の授業、解った? 途中から、ぜんぜんノートも取ってなかったみたいだけど」

 みなみ紘也ひろやは、転校生の小野寺悠太郎ゆうたろうに、出会ってから一週間近く経った日の放課後、初めて声をかけた。




 
 二年生の一学期が始まった日、悠太郎は紘也の通う聖グレゴリウス学院に編入して来た。担任の教師である今井いまいに促され、悠太郎は自己紹介をするために教壇の上に立った。

 すらりとした長身に、高い位置にある小さめの腰から長く伸びた脚。一見、純粋な西洋人のようにも見えた。象牙のような白い肌に、彫りが深く、整った貴公子然とした面立ち。癖のないアッシュブラウンの髪に、くっきりとしたはしばみ色の瞳。だが、ひどく痩せてやつれたその表情には精気がなく、その優れた容姿から輝きを奪っていた。

「初めまして……。フルネームは、ユウタロウ・オノデラ・デュークマイヤーだけど、母方の日本名の小野寺で呼んでもらって構いません。どうぞよろしくお願いします」

 流暢りゅうちょうな日本語で淡々とそう話すと、義務は果たしたとでもいうように、悠太郎は目をふせたまま自分の席に戻ってしまう。今井は苦笑すると、クラスメイトたちに向かって補足するように言った。

「小野寺のお父さんはアメリカ人で、小野寺は生まれてからずっと、アメリカで教育を受けてきたんだ。だが向こうで日本語も熱心に勉強したそうで、漢字もほぼ不自由なく読み書きできる。とは言っても授業では難しい言葉もあるし、皆もできるだけ力になってやってくれ」

 紘也は、そんな悠太郎に興味を持つ。姿かたちの美しさに魅了されただけではない。覚えのある危うさを、彼に感じたからだった。

 次第にかさを増していく絶望、悲しみ……。それらはいつしかあふれ出して、彼の心を呑み込み、闇の中に沈めてしまうだろう。今の彼はむしろ喜んで、その深みに向かって行きそうな気さえする。

 手を伸ばせば、引き留められるだろうか。自分が、勇気を出して彼に触れることなど、出来るのだろうか……。拒絶されることへの怖れととまどいに揺れながら、紘也はとうとう決心した。
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