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(3) 綻ぶ心
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悠太郎との距離を縮められないまま日々は過ぎていき、中間試験が迫る頃になっていた。所属しているボランティア部の活動のない放課後、紘也は学園の近くでは一番大きな書店に立ち寄っていた。そこで、熱心に本を物色している悠太郎を見つける。どうやら、古文の参考書を探しているらしかった。
「小野寺君、良さそうな参考書、見つかった?」
紘也はさりげなく近付いて行って、悠太郎に微笑みながら声をかける。紘也は教室で幾度も悠太郎に冷たくあしらわれたが、めげずに話しかけることをあきらめなかった。そんな紘也にとうとう折れたように、悠太郎は口元を微かに綻ばせ、あきれたように言った。
「悠太郎でいいよ。転校生が珍しいのかも知れないけど、俺と友達になったって面白いことはないぜ。お前、よっぽど暇か、お人好しなんだな。悪いけど、俺……一人の方が気が楽なんだ。マジで、放っておいてくれるとありがたいんだけど」
悠太郎が初めて笑顔を見せてくれたことが、紘也には嬉しかった。頬を紅潮させ、興奮ぎみに答える。
「じゃあ悠太郎、俺のことも紘也って読んでよ。悠太郎って……ちょっと長くて呼びにくいなぁ。そうだ、悠って呼んでいいだろ? 悠、もっときみに合う参考書、知ってるんだ。こっち、おいでよ」
「おい、お前……人の話ちゃんと聞いてないだろう? 放っといてくれ」
抗議する悠太郎にお構いなしに、紘也は本屋の隅にある別のコーナーに彼の袖をつかんで引っ張って行った。そこには豪華な装丁の洋書がずらりと並んでおり、紘也はそのうちの一冊を手に取って悠太郎に渡す。その本の表紙には、源氏物語絵巻の色鮮やかな写真が使われていた。
「この著者の人、日本の古典文学の研究で海外では権威って呼ばれてるんだ。特にこの本は日本語の初心者が古文を読めるように、文法も詳しく英語で解説してくれてる。悠にぴったりの参考書だよ」
悠太郎は、紘也に渡された本をぱらぱらと捲っている。美しいカラーの図版入りのその本はずっしりと重い大判で、参考書というよりは豪華な美術書だった。ひとしきり内容を確認してから、悠太郎は本をぱたんと閉じ、本棚に戻しながら残念そうに言った。
「確かにこの本があれば、助かりそうだけど……。学生の身分で、二百ドルもする参考書には手が出ないよ。せっかく勧めてくれたのに、悪いけど」
「これと同じ本、実はうちにあるんだ。良かったら貸してあげようか? 明日、さっそく学校に持って行くよ」
紘也の英会話のイギリス人教師は、日本文学に興味を持っていた。紘也は彼に日本の古典を紹介しようと思い、よくこの本屋で立ち読みしていたのだった。悠太郎が古文に苦戦しているらしいと気付いた時、いつか悠太郎にこの本を貸してやりたいと、小遣いをはたいて既に買ってしまっていたのだ。
紘也の提案に悠太郎は少しとまどったようだったが、やがて苦笑してから受け入れた。
「そうか……悪いな。実は古文のテスト、赤点覚悟だったんだ。助かるよ」
「無理もないさ。現代英語しかできない俺が、いきなり古代英語を習うのと同じくらい、難しいと思う。悠の力になれて、嬉しいよ」
紘也と悠太郎は、一緒に書店を出て家路に就いた。悠太郎は紘也に少し気を許したようで、ときおりぎこちない笑顔を見せる。紘也は彼と他愛もない会話を交わしながら、その頑なな心に、初めて触れることが出来たような気がした。
最初は、悠太郎に同情に近い感情を抱いただけだった。だが今は、彼のわずかな微笑みにさえ、深く満たされている。悠太郎は軽く手を振り、学園の寮へ向かう道を帰っていった。その背中を見つめながら、紘也は思う。
孤独に憂う美しい榛色の瞳を武器に、人を虜にする……。ひょっとしたら、そんな悪魔みたいなやつかもしれない。そんな不安を抱きながらも、日ごとに悠太郎に魅入られていく自分を、紘也はどうすることも出来ずにいた。
「小野寺君、良さそうな参考書、見つかった?」
紘也はさりげなく近付いて行って、悠太郎に微笑みながら声をかける。紘也は教室で幾度も悠太郎に冷たくあしらわれたが、めげずに話しかけることをあきらめなかった。そんな紘也にとうとう折れたように、悠太郎は口元を微かに綻ばせ、あきれたように言った。
「悠太郎でいいよ。転校生が珍しいのかも知れないけど、俺と友達になったって面白いことはないぜ。お前、よっぽど暇か、お人好しなんだな。悪いけど、俺……一人の方が気が楽なんだ。マジで、放っておいてくれるとありがたいんだけど」
悠太郎が初めて笑顔を見せてくれたことが、紘也には嬉しかった。頬を紅潮させ、興奮ぎみに答える。
「じゃあ悠太郎、俺のことも紘也って読んでよ。悠太郎って……ちょっと長くて呼びにくいなぁ。そうだ、悠って呼んでいいだろ? 悠、もっときみに合う参考書、知ってるんだ。こっち、おいでよ」
「おい、お前……人の話ちゃんと聞いてないだろう? 放っといてくれ」
抗議する悠太郎にお構いなしに、紘也は本屋の隅にある別のコーナーに彼の袖をつかんで引っ張って行った。そこには豪華な装丁の洋書がずらりと並んでおり、紘也はそのうちの一冊を手に取って悠太郎に渡す。その本の表紙には、源氏物語絵巻の色鮮やかな写真が使われていた。
「この著者の人、日本の古典文学の研究で海外では権威って呼ばれてるんだ。特にこの本は日本語の初心者が古文を読めるように、文法も詳しく英語で解説してくれてる。悠にぴったりの参考書だよ」
悠太郎は、紘也に渡された本をぱらぱらと捲っている。美しいカラーの図版入りのその本はずっしりと重い大判で、参考書というよりは豪華な美術書だった。ひとしきり内容を確認してから、悠太郎は本をぱたんと閉じ、本棚に戻しながら残念そうに言った。
「確かにこの本があれば、助かりそうだけど……。学生の身分で、二百ドルもする参考書には手が出ないよ。せっかく勧めてくれたのに、悪いけど」
「これと同じ本、実はうちにあるんだ。良かったら貸してあげようか? 明日、さっそく学校に持って行くよ」
紘也の英会話のイギリス人教師は、日本文学に興味を持っていた。紘也は彼に日本の古典を紹介しようと思い、よくこの本屋で立ち読みしていたのだった。悠太郎が古文に苦戦しているらしいと気付いた時、いつか悠太郎にこの本を貸してやりたいと、小遣いをはたいて既に買ってしまっていたのだ。
紘也の提案に悠太郎は少しとまどったようだったが、やがて苦笑してから受け入れた。
「そうか……悪いな。実は古文のテスト、赤点覚悟だったんだ。助かるよ」
「無理もないさ。現代英語しかできない俺が、いきなり古代英語を習うのと同じくらい、難しいと思う。悠の力になれて、嬉しいよ」
紘也と悠太郎は、一緒に書店を出て家路に就いた。悠太郎は紘也に少し気を許したようで、ときおりぎこちない笑顔を見せる。紘也は彼と他愛もない会話を交わしながら、その頑なな心に、初めて触れることが出来たような気がした。
最初は、悠太郎に同情に近い感情を抱いただけだった。だが今は、彼のわずかな微笑みにさえ、深く満たされている。悠太郎は軽く手を振り、学園の寮へ向かう道を帰っていった。その背中を見つめながら、紘也は思う。
孤独に憂う美しい榛色の瞳を武器に、人を虜にする……。ひょっとしたら、そんな悪魔みたいなやつかもしれない。そんな不安を抱きながらも、日ごとに悠太郎に魅入られていく自分を、紘也はどうすることも出来ずにいた。
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