入れ替わった夏

廣瀬純七

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姿見の前で

窓から差し込む夕暮れの光が、姿見の鏡をぼんやりと照らしていた。浴衣姿のまま鏡の前に立つと、そこに映っていたのは紛れもなく「夏美」だった。白地に青い朝顔模様が浮かぶ浴衣に、母・孝子がきれいに結んでくれた帯。その装いは、どこからどう見ても年頃の少女の姿でしかない。

 達也は、そっと自分の髪に手を伸ばした。黒く長い髪は肩をすぎ、指先に柔らかく絡みつく。その髪を無意識にまとめ上げ、簪を差し込むような仕草をすると、鏡の中の夏美は一瞬で大人びた雰囲気を帯びた。首筋が露わになり、浴衣の襟元がすらりとした姿を引き立てる。思わず息を呑む。

 「……これが、俺……?」

 口をついて出た声は、やはり夏美のもの。だが、鏡の奥から見返してくる眼差しには、確かに達也自身の戸惑いと驚きが宿っていた。自分でありながら、自分でない。懐かしい夏の夜に戻ってきたはずが、今ここに立つのは従姉妹の姿を借りた自分だという不思議。

 髪をアップにした首筋に、夕暮れの淡い光が触れる。その感覚すらも、達也には異質であり、同時に鮮烈だった。浴衣の袖口から流れる風が肌を撫で、心臓の鼓動が高鳴る。

 「……俺は、どうして夏美になったんだ?」

 鏡に映る自分に問いかける。しかし返ってくるのは沈黙だけ。その沈黙の中で、達也は胸の奥に広がる得体の知れない感覚と向き合うしかなかった。懐かしい川の匂い、花火大会のざわめき、そして夏美の姿を借りた自分自身。そのすべてが混じり合って、現実と夢の境目を揺らしていた。

 やがて夕暮れが夜の気配に変わり始める頃、達也は夏美として浴衣姿のまま家を出た。小学生の達也と並んで歩く道は、祭りに向かう人々で賑わっている。屋台の提灯が並び、甘い綿あめの香りや、焼きそばの匂いが風に混じって漂ってきた。

 そのとき、前方から元気な声が響いた。

「夏美ーっ!こっちこっち!」

 振り向くと、紺地に赤い花模様の浴衣を着た少女が手を振っていた。肩までの髪を軽く結い上げたその姿は、夏美の親友・河原朋美だった。彼女の笑顔は、夕暮れの灯りに照らされて一層明るく見える。

「待ってたんだよ、夏美!浴衣似合ってるじゃん!」

 突然向けられた親しげな言葉に、達也は思わずぎこちなく笑みを返した。夏美の友人関係など詳しく知らない自分にとって、この場面は少し緊張する。だが朋美は気にする様子もなく、夏美の腕を取って歩き出した。

「一緒に行こう!場所取りしてあるんだから!」

 腕を引かれる感触に、達也はさらに戸惑いを覚える。だが同時に、胸の奥で奇妙な温かさが広がっていくのを感じた。——これも夏美として過ごす夏の一部なのかもしれない。そんな思いが頭をよぎり、花火大会へ向かう足取りは自然と軽くなっていった。

 会場に着くと、すでに河原には多くの人々が腰を下ろし、夜空を見上げながら花火の開始を待っていた。川面には屋台の灯りがゆらめき、涼しい風が浴衣の裾を揺らしていく。

 やがて夜空に大きな音が轟き、最初の花火が開いた。眩しい光の花が闇を染め、観客から歓声があがる。その瞬間、達也は心の奥底で奇妙な感覚に包まれた。夏美としての視点で花火を見上げながら、大学生の自分がこの光景を記憶していることを鮮明に感じ取ったのだ。二つの記憶が重なり合い、現実が揺らぐような感覚に息を呑む。

 隣で朋美が目を輝かせて声をあげた。
「きれいだね!夏美、今年は特に迫力あるでしょ?」

 彼女の問いかけに、達也は一瞬答えに迷う。自分は夏美ではない。しかし今この場で「夏美」としている以上、らしく振る舞わなければならなかった。

「……うん、ほんとにすごいね。今年の花火、なんだか特別に見えるよ」

 自分でも驚くほど自然に言葉が口をついて出た。朋美はにっこり笑い、また夜空を仰いだ。

「でしょ?来年も一緒に見ようね、絶対!」

 その言葉に、達也の胸は強く締め付けられた。来年——そのとき、自分はもうここにはいない。夏美としても、大学生としても。この瞬間にしか存在しない特別な夏の夜。花火の光が消えても、朋美の笑顔だけは鮮烈に焼きついて離れなかった。
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