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プロローグ
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「あーもうっ! こっちも二個しかついてない‼ やっぱり素人には農業は難しいんだわー!」
あたりが白んできた夜明け前。
秋も深まったロカンクール伯爵領の領主邸の庭では、しくしくと悲し気な少女の泣き声――ではなく、とても元気な嘆き声が響いていた。
山の葉が赤や黄色に色づいてきたこの季節は、ジャガイモの収穫時期である。
そう、ジャガイモ。
手袋をはめた両手に、拳代ほどのジャガイモを二個握り締めた少女は、がっくりとその場に膝をついた。
もう一度言おう。
ロカンクール伯爵領の、伯爵邸である。
少女が膝をついているのは、その庭。しかも前庭である。
しかしその庭に、かつての優美さは露ほども残っておらず、今や芝生は掘り起こされ、端から端まで畑に進化――いや、退化していた。
エプロン姿でジャガイモを握り締めてしくしくと泣いているのは、アリエル・ロカンクール。
メイドではない。
この伯爵家の、れっきとしたお嬢様である。
「姉様うるさいよー」
アリエルの声がよほどやかましかったのだろう。
伯爵邸の玄関から、八歳ほどの子供が目をこすりながら現れた。
その背後には、四十歳前後ほどの女性の姿。
「ルル! お母様! 見てよこれ! 今日の朝ご飯にと掘り起こしたんだけど、二個しかついてないの!」
ルルと呼ばれた子供は、アリエルの弟である。ルシュール・ロカンクール。ロカンクール伯爵家の跡取り息子で、アリエルと家族は愛をこめて彼を「ルル」と愛称で呼んでいた。
「その大きさが二個なら、まずまずなんじゃない? 昨日掘り起こしたのは、こーんなにちっちゃいのしかついてなかったもん」
「それでもたくさんついてたわ。五個はあったもの!」
「昨日の五個より、今日の二個の方が食べるところはたくさんあるよ。そうじゃなくて姉様、今何時だと思っているの? まだ七時にもなってないんだけど。眠いよ……」
「だって、朝ごはんの支度をするなら、掘り起こさないと」
「掘り起こしてもいいけど、静かにしてよ」
ねむねむと目をこするルシュールの頭を、母が「あらあら」と微笑んで撫でる。
お金持ちの侯爵家と縁のある家のお嬢様だった母は、いついかなる時もおっとりだ。
「アリエル。ジャガイモの皮むきはお母様がやっておいてあげるから、鶏小屋に卵を取りにいっているお父様の様子を見てきてくれないかしら?」
「ダメよ。お母様に皮むきをさせたら、食べるところが半分になるわ」
母は、おっとりしているのに加えて、恐ろしく不器用なのだ。まあ、伯爵夫人が包丁を持つことなど、本来であればあり得ないので、仕方がないのかもしれないけれど。
その点、早くから我が家の経済状況を理解し、自分ができることは自分でという精神を身に着けたアリエルは、伯爵令嬢らしくないとも言えるだろう。
ルシュールがそっと息をついた。
「父様なら僕が呼んでくるよー。たぶん今頃、鶏につつかれて涙目になってそうだし」
「不思議よね。お父様が卵を取りに行くと鶏が怒るのに、ルルが行くと怒らないのよね」
「あれじゃない? 父様、ちょっと前に食べるものがないからって鶏を絞めようとしたからね。あれで怒ってるんだよ。いくら食べるものがなくても、可哀想だからそれはしないでって言っておいたから、もうしないと思うけど」
(あー、そんな事件もあったわね)
伯爵が卵を取りに行って鶏につつかれ、食べるものがないからと鶏を食べようとして息子に怒られるって、どうなんだろうと、アリエルは苦笑する。
行ってきますと言ったルシュールのあとを、心配性の母が追いかけていく。
アリエルはジャガイモ二個を握り締めてうーんと唸った。
「奮発して、もう一本抜こうかなー」
今度はたくさんついていますように、とアリエルはジャガイモの茎を持って、えいやっと引き抜く。
抜いた先には、ジャガイモが三個ついていた。
あたりが白んできた夜明け前。
秋も深まったロカンクール伯爵領の領主邸の庭では、しくしくと悲し気な少女の泣き声――ではなく、とても元気な嘆き声が響いていた。
山の葉が赤や黄色に色づいてきたこの季節は、ジャガイモの収穫時期である。
そう、ジャガイモ。
手袋をはめた両手に、拳代ほどのジャガイモを二個握り締めた少女は、がっくりとその場に膝をついた。
もう一度言おう。
ロカンクール伯爵領の、伯爵邸である。
少女が膝をついているのは、その庭。しかも前庭である。
しかしその庭に、かつての優美さは露ほども残っておらず、今や芝生は掘り起こされ、端から端まで畑に進化――いや、退化していた。
エプロン姿でジャガイモを握り締めてしくしくと泣いているのは、アリエル・ロカンクール。
メイドではない。
この伯爵家の、れっきとしたお嬢様である。
「姉様うるさいよー」
アリエルの声がよほどやかましかったのだろう。
伯爵邸の玄関から、八歳ほどの子供が目をこすりながら現れた。
その背後には、四十歳前後ほどの女性の姿。
「ルル! お母様! 見てよこれ! 今日の朝ご飯にと掘り起こしたんだけど、二個しかついてないの!」
ルルと呼ばれた子供は、アリエルの弟である。ルシュール・ロカンクール。ロカンクール伯爵家の跡取り息子で、アリエルと家族は愛をこめて彼を「ルル」と愛称で呼んでいた。
「その大きさが二個なら、まずまずなんじゃない? 昨日掘り起こしたのは、こーんなにちっちゃいのしかついてなかったもん」
「それでもたくさんついてたわ。五個はあったもの!」
「昨日の五個より、今日の二個の方が食べるところはたくさんあるよ。そうじゃなくて姉様、今何時だと思っているの? まだ七時にもなってないんだけど。眠いよ……」
「だって、朝ごはんの支度をするなら、掘り起こさないと」
「掘り起こしてもいいけど、静かにしてよ」
ねむねむと目をこするルシュールの頭を、母が「あらあら」と微笑んで撫でる。
お金持ちの侯爵家と縁のある家のお嬢様だった母は、いついかなる時もおっとりだ。
「アリエル。ジャガイモの皮むきはお母様がやっておいてあげるから、鶏小屋に卵を取りにいっているお父様の様子を見てきてくれないかしら?」
「ダメよ。お母様に皮むきをさせたら、食べるところが半分になるわ」
母は、おっとりしているのに加えて、恐ろしく不器用なのだ。まあ、伯爵夫人が包丁を持つことなど、本来であればあり得ないので、仕方がないのかもしれないけれど。
その点、早くから我が家の経済状況を理解し、自分ができることは自分でという精神を身に着けたアリエルは、伯爵令嬢らしくないとも言えるだろう。
ルシュールがそっと息をついた。
「父様なら僕が呼んでくるよー。たぶん今頃、鶏につつかれて涙目になってそうだし」
「不思議よね。お父様が卵を取りに行くと鶏が怒るのに、ルルが行くと怒らないのよね」
「あれじゃない? 父様、ちょっと前に食べるものがないからって鶏を絞めようとしたからね。あれで怒ってるんだよ。いくら食べるものがなくても、可哀想だからそれはしないでって言っておいたから、もうしないと思うけど」
(あー、そんな事件もあったわね)
伯爵が卵を取りに行って鶏につつかれ、食べるものがないからと鶏を食べようとして息子に怒られるって、どうなんだろうと、アリエルは苦笑する。
行ってきますと言ったルシュールのあとを、心配性の母が追いかけていく。
アリエルはジャガイモ二個を握り締めてうーんと唸った。
「奮発して、もう一本抜こうかなー」
今度はたくさんついていますように、とアリエルはジャガイモの茎を持って、えいやっと引き抜く。
抜いた先には、ジャガイモが三個ついていた。
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