俺様公爵様は平民上がりの男爵令嬢にご執心

狭山ひびき

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迷路迷路迷路‼ 3

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「セレアがいない⁉」

 朝早くにレマディエ公爵家に帰って来たジルベールは、執事の報告に声をひっくり返してしまった。
 昨夜は友人宅に呼ばれていて、明け方近くまでポーカーをしながら飲んでいたが、驚愕で一気に酔いがさめた。

(セレアがいないって、どういうことだ?)

 執事にジャケットを渡しながら、ジルベールは動揺している心臓を何とか押し付けて、早口で訊ねた。

「いないとはどういうことだ。いつからいない? 敷地内から出てたのか?」

 すると執事は困惑顔で首を横に振った。

「門番が言うには、昨夜は旦那様がお出かけになってからは、裏門も表門も一度も開けておらず、通用口も絞められたままだったそうです。門以外から外に出るとなると、塀をよじ登るしかありませんが……さすがに」
「そうだな、俺でも無理だ」

 レマディエ公爵家は、敷地の周りをぐるりと高い塀で囲っている。その高さは大人の男の身長の倍はあろうかと言うもので、侵入者対策に滑りやすい材質が使われており足をかけることは不可能だ。ジルベールは運動神経がいい方だが、あの塀を上ることは不可能だと思う。ジルベールより頭一つ分身長が低く、また女性であるセレアでは到底あの塀を超えることはできないだろう。梯子を使えば可能かもしれないが、大きな梯子を抱えて歩いていればすぐに見張りが気づくはずだ。

 執事によると、昨夜遅く、セレアの部屋のバルコニーに、布を編んで作った手作りの縄が垂れているのを見張りが発見したという。
 それから使用人総出で邸の中と庭を探し回ったが、セレアはどこにもいなかったらしい。

(落ち着け、門が閉められたままならば、セレアはまだ外には出ていないはずだ)

 万が一セレアが逃げ出そうとしても、昼夜を問わず門番が見張っているので、外へは出られないはずなのである。
 つまりセレアは、邸の敷地内のどこかに潜伏していると考えていい。

「お前たちは邸の中をもう一度探してくれ。屋根裏も、クローゼットの中も、ベッドの下も、とにかく徹底的にだ。俺は庭を見てくる」

 徹夜でポーカーに興じていたためものすごく眠いが、今はそんなことを言っている場合ではない。

(逃がしてたまるか!)

 せっかく手に入れた聖女である。彼女が妻になる気になるまで気長に待つつもりではいたが、逃がすつもりは毛頭ないのだ。
 ジルベールは玄関を飛び出すと、庭を探して歩き回っている見張りの一人を捕まえた。

「庭は全部確かめたのか?」
「はい、隠れられそうなところはすべて……」

 見張りで雇っている警備たちは、明るくなればすぐに見つかると踏んでいたがセレアの姿が発見できず焦っているようだった。それはそうだろう。これでセレアが見つからなければ彼らはクビだ。そして、公爵であるジルベールの家をクビになったとあれば、次の就職にも差し障る。

 ジルベールは見張りとともに庭を歩きながら、彼らがどこを探したのかの説明を受けた。森の中までたどり着いている可能性を考えて、見張りの大半は今、そちらの方を探しているという。
 説明を受けながらぐるりと庭を一周して、疲れたジルベールは四阿で一休みすることにした。

(いったいどこに身を潜めているんだ)

 四阿のテーブルに肘をついて、ため息を吐きだしたとき、ふと、曽祖父が趣味で作った巨大な迷路が目に入る。
 灌木で作られた迷路は、遊びで作ったとは思えないほど本格的な作りになっていて、使用人たちもうかつに足を踏み入れると迷って出られなくなるほどだった。
 ジルベールも子供のころ何度迷ったか覚えていない。そのおかげで今では迷路の構造は頭の中に入っているが、あれの管理は庭師が大変そうだし、いつ取り壊してやろうかと考えているものだった。領地で暮らしている母が、思い出だからと言うので仕方なく残しているが、母が他界したらおそらく速攻で取り壊すと思う。

「…………まさか、あいつ、あの中に入ったんじゃないだろうな」

 ふと、そんな疑問が頭をもたげた。

(いや、あんなところに入ったら迷って出られなくなるだけだ。いくらなんでもない……と、思いたいが)

 あの迷路も、入り口のあたりは使用人たちが探しただろう。迷う恐れがあるので奥までは見ていないだろうが、使用人が入れる入り口付近で見つからなかったのならば、もしセレアがあの中に入っていたとすると奥の方まで入り込んでいることになる。

「…………ないと思いたいが、セレアはいかんせんお転婆だからな」

 ありえなくない、かもしれない。なぜならこれだけ探して見つからないのだ。外に出ていないと考えると、使用人たちが探し切れていないところを見るしかない。

「一応、見るだけ見てみるか」

 迷路の構造が頭に入っているジルベールならば、あの複雑な迷路でも迷わない。
 ジルベールは迷路に入ると、頭の中に迷路の構造を思い描きながら慎重に足を進めた。
 そして、しばらく進んでいくと――

「……いた」

 袋小路になっている行き止まりに、大の字になって熟睡しているセレアの姿を発見した。

「寝てる……信じられん……」

 使用人が総出で探し回っていると言うのに、元凶は気持ちよさそうな寝息をかいて熟睡中となればあきれるしかない。

「おい!」

 ぐったりとした脱力感と安堵感を同時に味わいながら、ジルベールはセレアの側にしゃがみこんだ。

「起きろ、こら! このお転婆聖女!」

 ゆさゆさと肩をゆする。
 しかし、セレアは深く眠っているのか一向に起きる気配がない。
 仕方なく、ジルベールはその場に腰を下ろした。

「おーい」

 揺すっても起きないので、そのほっそりとした頬をつついてみる。
 無駄な肉は一切ないように思えたのに、触れてみると意外と頬は柔らかくふっくらしていた。

「しかし細い女だな。ここに来たときよりは多少はましになったか? いや、だがな……」

 ジルベールの視線が、自然とネグリジェに覆われた腰に向かう。
 服の上からでもわかる。恐ろしく細い腰だ。コルセットで締めていなくてこれとは、どうなっているのだろう。

「腕なんて骨しかないんじゃないか?」

 むき出しの腕に触れてみる。少し力を入れればポキッと折れそうな細さだ。セレアはデュフール男爵家できちんと食事を摂っていたのだろうか。ふと、そんな疑問を抱いてしまう。
 座ったままぼーっとセレアの寝顔を見ていたら、不意に、彼女の顔がぐしゃりとゆがんだ。
 どうしたのだろうかと気になって覗き込んだ時、もごもごと彼女の口が動く。

「……うん?」

 何か言っている気がする。
 気になって口元に耳を近づけると、かろうじてセレアの声がした。

「……おか……さん」

 お母さん。

 かすれていてはっきりとは聞こえなかったが、セレアは今、そう言ったと思う。

(お母さん……か)

 調べによると、セレアの母親はデュフール男爵の元愛人で、すでにこの世にいない。
 セレアは母親の死後デュフール男爵に引き取られたという噂だ。

(父親のことをデブなんて呼ぶくらいだ、男爵には懐いていないんだろうな)

 そして、セレアをエドメ・ボランのような男に差し出そうとしたことから考えても、デュフール男爵は娘にまともな愛情を注いでいなかったと思われる。
 異母兄のアルマンも、セレアを襲おうとしていたのだから、まともな関係性ではなかったはずだ。
 貴族社会から逃げ出したいというくらいだから、デュフール男爵家はセレアにとってとても居心地の悪い場所だったのだろう。

 セレアがデュフール男爵に引き取られたのが十歳頃らしいので、十歳から七年間も、セレアはデュフール男爵家で心細く寂しい思いで生きてきたのではなかろうか。

 ジルベールは手を伸ばして、セレアのさらさらと心地いい赤銅色の髪に触れた。
 ゆっくりと頭を撫でると、セレアが「ん……」とうめいて、まるで猫のように丸くなった。ジルベールには、それはまるで、彼女が自分自身を守ろうとしているかのように映る。
 ジルベールは彼女を逃がしてやれない。
 しかし、彼女の心は、もう少し気にかけてやるべきだったかもしれなかった。

「まったく……夜中からここにいたのなら、冷えただろうに」

 春とはいえ夜は冷える。
 ジルベールは苦笑して、起きる気配のないセレアを慎重に抱え上げた。


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